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(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)

柏崎の一級スリバチ地形で柏崎市中心部の地形について書いたが、今回は駅前から鵜川(左側の川)のあたりについて。

上の地図では、濃い茶色は標高が低い部分で、2m以下。設定は左記の表組をご覧いただくとして、要するに、砂丘の手前かつ鵜川の東側に低地があり、おそらくそこは鵜川の氾濫原を抱えていたようだ。柏崎駅もその中にある。

鵜川はたびたび氾濫しており、1978年6月25日から28日の水害は大規模なものだった。とはいえ私の記憶にはない。


過去の被害と鵜川ダムのあゆみ(写真あり)


その低地帯、鵜川の河口付近をよく見ると川跡のようなものが目に付く。そこを
拡大してみよう。

(鵜川が砂丘を突っ切って日本海に注ぐのは人工的な開削の跡のように見えるが、古い地形図等も参照していないのでまだ調べていない。
(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)

黄色い部分が元河道だ。では、いつまでそこが川だったのだろうかといえば、比較的近年で、前述した1978年の水害
を機に河川激甚災害対策特別緊急整備事業の対象とされ、改修が進められたもので、1984年3月には現在の流路に改修された。移転戸数は162戸。

私は1985年頃まではよく柏崎の親戚宅に行っていたので、古い川も新しい川も見ているはずだが、小中学生のころゆえまったく記憶がない。

* * *

その変遷を国土地理院の航空写真で見よう。


(Kashmir3D+地理院地図空中写真1974~1978)


(Kashmir3D+地理院地図空中写真現在)

* * *

現在、旧河道は道路として活用されている。

道路の向こうに広がる緑色の部分も含めて河道だ。赤い柵には「水道橋」という銘板があるが、かつてこのあたりいは2連の下路トラスの道路橋、「水道橋」が架かっていた。一部、その遺構かと思えるものがある。

周辺はその「水道橋」の名を取って「水道橋公園」として整備されている。

非常にしっかりとした説明板がある。

しかし、ここは旧河道であり、要するに埋立地だ。そのため、2007年の中越沖地震では被害が大きかったようだ。

2007新潟県中越沖地震被害調査(長岡技術科学大学)

* * *

この水道橋公園周辺に「大久保公園」とある。もちろん地名も「大久保(一丁目)である。
信越本線大久保隧道(新潟県柏崎市)に引っ張られて、「隧道があるような丘なのに、なぜ窪地の地名?」と、周囲の地名も見ずに疑問に思っていたのだが、然るべき場所が「大久保」だった。信越本線の大久保トンネルに名前が採用されたのは、近くの地名に引っ張られたか。古くは大久保隧道のあたりは中浜村、追って大洲村である。「番神トンネル」とでもしておけば、美しい番神岬の広報にもなるのだが。現在の行政地名では「番神一丁目」である。







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