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仕事で羽幌線のことを調べて書き物をしていたとき、ふと、藤井松太郎が初めて架けた橋梁は天塩川だったような記憶が突如よみがえった。それも、当時の国内ではあまり類例のなかったポンツーンだったはずだ。何線の天塩川かは覚えていなかったが、天塩川を渡る鉄道は、羽幌、宗谷、深名各線のみ。しかし、宗谷本線も深名線も上流の名寄あたりで渡ってしまう。ポンツーンを行うならば、そんな内陸部ではなく、ずっと河口に近い羽幌線なんじゃないか。そうだ、そうに違いない。思い込みが答えを急がせる。



藤井松太郎とは、十河信二の新幹線計画に反対して国鉄技師長職を追われ、後日その不明を反省し、島の後任としてと石田礼助に請われて再度技師長となり、のちに田中角栄に請われて国鉄総裁になった人物である。「トンネル松」と呼ばれるが、卒論はフィーレンデールタイドアーチ(フィーレンデールでさえ異端の感があるのに、それをアーチのリブに据えたものだろう)の設計であり、その指導は田中豊であるような人物である。たしか、土木学会の会長もしているはずだ。新幹線運行開始当初の「4時間運転」を提案したのも藤井だ。土盛が安定しなかったためである。


さて、「天塩川橋梁」で検索しても、同名の現在の橋やら深名線のそれやらが上位を独占するのだが、「藤井」を加えると、トップに出てくるじゃないか。思い込みが当たった。

(1)論説報告「天塩川橋梁構桁の艀式架設に就て」(藤井松太郎)…土木学会誌21巻10号(1935年)
(2)質疑「天塩川橋梁構桁の艀式架設に就て」(井山安蔵)…土木学会誌22巻8号(1936年)
(3)回答「天塩川橋梁構桁の艀式架設に就て」(藤井松太郎)…同


天塩川橋梁。
幌延側から、19.2m鈑桁6連+93m分格ワーレン+19.2m鈑桁4連、計292。63m。
分格ワーレンは、支間93m、全長94m、12パネル、格間長7.75m、最大高14.5m、主桁間隔5m、自重330t、沓と合計336.561t。設計荷重KS-15。

150フィート2連にすることも考えたが、天塩川の深さは7mであり、氷結あるいは流氷の被害もあるため、水の中に橋脚を立てることを厭った結果がこの300フィート分格ワーレントラスになったのである。


以下は田村喜子『剛毅木訥』に掲載されていたことを参考に肉付けして書く。この本は、間違いなく前掲論説報告を見て書かれている。数値は正確であり、鉄道路線名の書き方に曖昧な部分(事実とは異なる部分)があることまで一致している。

1903年生まれの藤井が帝大を出て鉄道省に入り、判任官の技手になったのは1929年。高等官の技師になったのは1933年。最初の任地、尾鷲から北海道建設事務所に異動したのは1934年である。その時代、道内の鉄道建設は槌音高く、藤井がまず手がけたのがこの天塩川橋梁であった。

前記(1)の報告に対して、(2)の質疑がある。これに答える藤井の(3)がまことにすばらしい。机上の学問的な(2)の懸念を、そんなことは考えたよ当たり前だろ、その上でこの方法をとったんだ、という言葉が行間からあふれ出る文章で吹き飛ばしている。(2)で懸念されたことは、すでに実験までしている。あるいは、考えただけで不経済だとわかる、と笑い飛ばす。

インフラは、建設期間が短ければ短いほど経済的である。建設中はその資産が死蔵されていることになるからだ。木を見て森を見ず的な、この橋梁建設に費用がかかろうとも全体を見ればそのほうが得なんだ、ということを藤井は喝破している。

(あんたのいう方法では、この冬に終わらなかったらまた来年の冬まで待つのか。)建設線に於ける鉄道橋の架設工事に於ては、其の工事の遅延は直らに全建設費の死蔵を意味するものであって、仮に天塩川架橋を1年間遅延したものとすれば、直ちに100万円程度の建設費が1年間死蔵される結果となります。故に工事計画に当っては、経済的観点から見ても、単に工事費の大小のみに止らず、其の確実性をも合わせ考えなければならないと思われます。

羽幌線(当時は天塩線)のこの区間の開通は1935年6月30日である。本来は1934年12月までに天塩川橋梁は竣工するはずだったが、まさかのトラス組み立て用ゴライアスクレーン倒壊により、1935年5月28日にずれ込んだ。まさに藤井の言ったとおり、工期の遅れが開通時期を遅らせることになった。もしこれが翌春まで持ち越されれば、その分、経済活動に~~当時の北海道のこの付近の経済活動=産炭と鰊漁に~~非常に大きな影響を与えたであろう。

この計画を指揮した当時、藤井は数えで32歳である。学士様の時代ではあるが、改めて驚嘆する。



同書中、機関車がトラスをバックで押したとあるが、ケーブルをトラス先端にかけて反転させ、それを牽引するという形であったから、9600形蒸気機関車が川と反対方向に走り出せば、トラス桁は川の方向に押し出されるという寸法であった。





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