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IMG_1687.JPG『日本の鉄道をつくった人たち』(小池滋・青木栄一・和久田康雄編/悠書館、2010)を期待しつつ読んだ。

採り上げているのは、下記の人たち。括弧内は執筆者。
1)エドモンド・モレル(林田治男)…お雇い外国人
2)井上勝(星野誉男)…鉄道行政の長
3)ウォルター・フィンチ・ページ(石本祐吉)…お雇い外国人
4)雨宮敬次郎(小川 功)…経営者
5)後藤新平(老川慶喜)…鉄道行政の長
6)根津嘉一郎(老川慶喜)…経営者
7)島安次郎(齋藤 晃)…技術者
8)関 一(藤井秀登)…経営者
9)小林一三(西藤二郎)…経営者
10)木下淑夫(和久田康雄)…鉄道営業の長
11)早川徳次(松本和明)…経営者
12)五島慶太(高嶋修一)…経営者

一見して、木下淑夫と関一が異色である。そして、私がこの本を買ったのは、木下淑夫があったからである。仕事の関係で木下淑夫について知らねばならないことがあったし、こうした人物を採り上げた本が、過去語り尽くされた人たちをどう書くのか興味を持ったからだ。しかし、残念ながら失望に終わった。

残念な点
(1)帯に短し…
五島慶太だの小林一三だの、南薩も(←こういう変換ミスは私のPCの特性なので記念に残しておくことにした)何冊も研究書があるような人物を、たった20ページくらいで語れる訳がない。

(2)内容の統一性の欠如
てんでばらばらに各人が書いているので、記述内容がその人の生涯だったり、その人の一事業についてだったりする。事業についての研究書ではなく、「~つくった人たち」なんだから、人に焦点を当てなきゃだめだろう。

また、著者が複数なので、著者同士の表現の違いがある。井上勝の章では、井上が一貫して私設鉄道計画に反対していたことをもって、
没後、日本の「鉄道の父」といわれるようになるのも根拠のないことではない。とくに「国有鉄道の父」と表現することに問題はない。しかし、私鉄を含めて「鉄道の父」と表現することについては、慎重でなければならないと思われる。
と書いているにもかかわらず、島安次郎の章では平気で「鉄道の父井上勝」という表記がある。読者は面食らう。

(3)記述方法の統一性の欠如
注釈と参考文献の分け方と表記がバラバラ。ある章は「注釈」として根拠をどの本の何ページ、と章末にまとめ、さらに参考文献を巻末に挙げている。「注釈」「参考文献」の差が不明。引用の有無か? 別のある章はすべてを章末の「注釈」として参考文献を挙げているだけ。さらに別の章は、巻末に参考文献を挙げ、本文中には「(後藤一九二二)」などと参考文献の著者と刊行年を括弧書きしている。これらは、編集側が統一すべき。

年号表記もバラバラ。お雇い外国人二人について、太陽暦への変更前後の慎重さはさすがだが、それ以外の章は、西暦だけ/西暦(和暦)/西暦下二桁、とバラバラ。統一しなければならない。

(4)ルビ
「雨宮敬次郎」はどう読む? 「あめのみや」か「あめみや」か。五島慶太にしても、知らない人は「ごしま」と読んでしまうかもしれない。必ずルビは入れなければならない。


個別の感想
(1)モレル、フィンチ
モレルのような著名人が、生没年すら把握されていないのというのは驚きだった。それを正す作業を、イギリスの出生証明書に求めるなどとした著者等の調査はすばらしい。また、妻が日本人なのかイギリス人なのか二通りの説があり、その死亡日も複数の説があったのだが、これをも検証し、誤った説の出所まで特定しているのはすばらしい。読者の多い媒体(この場合は交通新聞)が掲載した地名を含めた誤情報だらけの記事が、検証されることなく劣化コピーされ続け、いまに至った状況は笑い事では済まない。

フィンチについて、ダイヤ作成の秘密が漏れたという逸話などに同様に手法で正解に迫っている。

(2)雨宮敬次郎
もっともひどい章である。「雨敬」の主要な業績である日本製粉や甲武鉄道、北炭にはほとんどふれず、豆相人車鉄道だの熱海鉄道だ のに紙幅を割く。たとえて言えば、田中角栄の来歴を語るのに錦鯉の話しか書いてないようなものである。

しかも、そのほとんどが他書からの引用、 しかも100年前の漢字カタカナ交じりの当時の文書の抜き書き。引用というものは、手法として「著者の意見が主で、引用部分は従」の関係でなければならな い。構成としても著作権の観点からしても(この文章の大半はおそらくパブリックドメインと化した文章を引用)。著者は大学教授だが、こんな、引用部分をつ ぎはぎして構成した本文を構成を是とするのだろうか。

この章を読んだ人は、錦鯉をもって角栄を語るがごとく、雨敬の人物像を偏見を持って把握す ることになるので、読むに値しない。

(3)島安次郎
著者の齋藤氏は、本当はもっと島安次郎を批判的に書きたかったのではないだろうか。齋藤氏の著作はいくつか見ているし、それに対する意見(まだ理解が足りないのではないか、という方向の)も見ているが、世界の蒸気機関車の潮流を俯瞰して見ることができる数少ない一人である。世界の潮流と島の行動を比べると、どうしても賛美にはなりづらいはずだ。森彦三、太田吉松らを追い出した記述に、

しかし、この章だけ、齋藤氏が執筆者だということもあろうが、専門知識なしに読むことはできない。突然「アメリカ製四-四-〇」と言われても、意味がわからない人も多いはずだ。日本の蒸気機関車の動輪回転数が、毎分300回転を基準とされていたことについても、齋藤氏は絶対に言いたいことがあるはずだ。当時のイギリスやドイツの回転数は? それを並記しなければ、「300回転」がいいのか悪いのか読者にはわからない。

(4)木下淑夫
このような、いままで鉄道史にはほとんど登場しなかった人、かつ実はその後の流れを大きく変える人こそ、誌面に登場させるべきではないか。そして、木下を語る以上、当時の官吏の職制も、ある程度は説明が必要なのではないか。

(5)五島慶太
東急の話をしたいのか、五島の話をしたいのか。いずれにしろ、戦後の業績を5行でまとめるのはまったくいただけない。

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以上、読んだままの感想である。





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