上の地図、現在線と旧線の描き方がおかしく、拡大して南下すると収集がつかなくなっているのはご愛敬か。 中央本線の大日影トンネルは、甲斐大和から勝沼ぶどう郷の間にあるトンネル。1997年に新しいトンネルが掘られたことにより使用停止され、いまは遊歩道として整備されている。3月に訪問した際、かなりの人手に驚いた。午後3時すぎから往復1時間以上歩いている間にすれ違った人の数は100人は超えている。かなりの人気スポットのようだ。写真の右端が遊歩道となったもっとも古い大日影トンネル(1903開通)、左端は1968年上り線として開削されたもの、中央が、右端の代替として1997年から使用されているものである。 この遊歩道自体はたくさんの方がレポートしているので、いまさら書いてもしょうがない。ここを歩いているときに煉瓦について思ったことをつらつら書く。 煉瓦があると、人はよく「どんな積み方か」を気にする。イギリス積みだフランス積みだというのはかなり知られてはいると思うのだが、トンネルの場合は、上も見上げて欲しい。左右の壁部分がどんな積み方をされていようと、天井は長手積みなのだ。ごく一部に例外もあるが、ほぼそう思って間違いない。 では、どこから天井か。下記に示す起拱線(ききょうせん、またはきこうせん)から上である。 鉄道のトンネル断面は馬蹄形をしていることが多いが、ここ起拱線から下はすぼまっていようが側壁である。ここでトンネルは「上」「下」が別れる。 上の写真では、新しい下り線のトンネルのコンクリートが、翼壁を浸食している。それでもピラスター(坑口の左右にある柱。坑門が倒壊しないように押さえつけている)を破壊しないようになっているのは景観的な配慮なのか、それとも構造的な配慮なのか。 起拱線は、側壁を見るとわかりやすい。 起拱線より上は長手積み。アーチにかかる力をアーチの軸方向、列車の向きで考えると左右の方向に振り向ける。起拱線より下はイギリス積み。単純に、上から下へ、重力方向に力を伝えていく。 起拱線という見方を知っていると、トンネルを見る目が変わると私は思う。側壁が長手積みであることはほとんどないので、簡単に見分けがつく。 起拱線の上下で部材が異なることもある。天井部が煉瓦で、側壁部が石積み、あるいはコンクリートであるような例だ。大日影トンネルを出たところから見える煉瓦精暗渠が、その例である。起拱線がわかりやすいので図示しておく。赤い線が起拱線で、側壁は石積みである。 大日影トンネルでは、側壁の一部に石材が使用されているが、残念ながら起拱線は関係ない。 面白いのは、トンネルの前後の出口の意匠が異なることである。 冒頭の勝沼ぶどう郷側は煉瓦で坑門を作っているが、こちら甲斐大和側は石積みである。どちらも盾状迫石(たてじょうせりいし)という、劔型の石が坑口から放射方向に配置されているが、その大きさも並べ方も異なるのが興味深い。 向かい合う廃隧道、深沢トンネルも石積坑門だ。 大日影隧道とまったく同じ意匠である。この、坑口の頂点、アーチなら要石の位置にある横に3枚並んだ縦長の石が、サザエさんのようだ。 この両トンネルの間には橋がある。 残念ながら、遊歩道を整備したときに架けた新しい橋のようだ。 PR |
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