鳥居型の駅名標に書かれた文字が大好きだった子どもの頃、昭和58年にこの本が刊行されたときには毎日のように眺めていた。
ブラックアウトされたカバーに銀色のインクで刷られたゴナUのタイトル、それらが斜めに配置されているのが子供心にすごくかっこよく見えた。いま見ると、カバーは通常のCMYK4色ではなく、黒銀赤黄緑の特色の掛け合わせ(ほとんどはベタ)。また、印象を強くする腕木式信号機をあしらうにあたり、タイトルと並べるとタイトルが小さくなってしまうため、こうして斜めに処理してタイトル文字を小さくすることなく、イラストも無理なく収めている。秀逸なデザインだと思う。デザインはADACHEENOとあるが、検索しても1971年に漫画家?としての結果が出てくるだけだ。 この本は、駅名標を真似して絵に描くのが日課だったので相当に眺め、使い込んだのだが、長じての上京のタイミングかなにかでいつしかこの本はどこかに行ってしまった。それを、先日、仕事の資料として古書店から購入した。 改めて見ると、相当に意義深い、駅名標の資料集になっている。「鉄道掲示基準規程」にとらわれない時代のものも相当多くが残っていた当時、いかにも看板屋が手書きしたものがそこらじゅうにあった。地域性もあったし、イレギュラーなものもあった。市井のタイポグラフィーの見本市だった。見よ、草道駅の「く」を。これらの膨大な写真にクレジットはないので、すべては著者の撮影だろうか。 同様のバイブルとしては小学館のコロタン文庫『国鉄駅名全百科』がある。また、主婦と生活社の『国鉄全線全駅 読み乗り2万キロ総ガイド全駅5175案内』は、駅舎のバイブルである。そのコロタン文庫と見比べると… 奥羽本線の及位駅の駅名標。左がコロタン、右が本書。別々の駅名標で、特徴ある「き」でわかるように文字の形はほぼ一緒だが、ローマ字の幅と字間が違っている。 また、越後線の出雲崎はこう。 上が本書で、下が私が撮ったもの。所在地表記の有無という大きな違いがあるが、やはり「き」でわかる特徴はそのままに手書きされている。手書き時代の駅名標は、こうした一枚一枚の差異が面白い。 地域性もあった。たとえば九州。 隣接駅表示の間に所在地表記が入る。この形式が、福岡から鹿児島まである。もちろん、書き手はまったくバラバラだ。 好きなのは、信号場が書いてあるもの。『国鉄駅名全百科』には、函館本線の鷲の巣信号場(当時)の駅名標が掲載されているのだけれど、本書では石北本線の生田原で、常紋信号場が書かれている。この「SS」という表記に、間だ見ぬ遠い北の大地に旅情を馳せたものだった。新潟県からほとんど出たことがない小学生だったけれど。
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会社に入ってわりとすぐに、本書の著者、夏攸吾さんにお目にかかることができた。私の隣席の、定年退職間近のKさんを訪ねてこられたのだ。私は紹介されたわけではなかったけれど、会話の中で夏さんということがわかり、割り込んでご挨拶した。子どもの頃、毎日のように読んでました、すばらしい本をありがとうございます、と。夏さんはペンネームで、そのときにいただいた名刺はいまも大切にとってある。 版元の日地出版は、私が会社に入った当時は旅行ガイドブックなどを刊行していたが、やがてゼンリンと合併。入社当時に何度かお目にかかったあの方はどうしているのだろうか。 PR
『空鉄』。鉄道の空撮写真を主体とした本だ。
鉄道に関する空撮をまとめたもの(連載等)は、かつて花井健朗氏が『RailMagazine』で連載していた「青空の下、レイルは光る」が唯一と思う。吉永氏も、その連載を空撮に興味を持ったきっかけに挙げている。花井氏の空撮の登場から20年以上を経て、本書において、鉄道写真は新たな表現を得た。新たな表現でありながら、綿密に練られた鉄道空撮写真が多数収められている。 「鉄道写真」の表現に日夜奮闘している方は多い。しかし、著名な写真家たちの表現--作品を見ただけで「あ、○○さんだ」と思わせることができるくらいのもの--の範疇から抜け出すことはとても難しい。何人もの方々によって完成の域にあるところに、さらに継ぎ足して表現を作っていくのは、恐ろしく難しいことだろうと思う。しかし、吉永さんの空撮による表現は、そうした「鉄道写真」の常識的な流れとは全く異なる。ほとんど誰も挑んだことがないもの。手つかずの分野。勝手な推測だが、吉永さんの中ではいま、「こう撮りたい」というアイデアが無数に湧き続けていて、一刻も早くすべてを実現したくてしかたないんじゃないだろうか。そして、実現した、アイデアのごく一部だけが、本書に収録されたのだろうと思う。 吉永さんのサイトにも空撮のギャラリーがあるが、そちらは画像のサイズが小さいこともあり、感動がない。空撮は、大きな写真で見てこそ、と思う。ちょうど1年前、写真展が開催されていたが、そのときはそのすごさを知らなかったので、見に行かなかった。とても悔やまれる。いま、神保町の書泉グランデに、大判の作品が掲げられているので、それで我慢するしかない。 しかしグランデに掲げられている「作品写真」は、本書には収録されていない。商業的には、鑑賞が目的の作品写真ばかりではたぶん難しく、説明的な、あるいは鉄道ファン受けがいいようなものが選ばれた、ということか。車両基地や駅の写真が多いのは、そうした方針によるものだろう。写真作品写真集の一般的な状況については痛いほどよくわかるのだけれど、それが少し残念。
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私は、他にもよくポストするとおり、仕事でも遊びでも毎日のように空中写真や衛星写真、標高データを伴った地形図などを眺めている。しかし、それらはすべて「真俯瞰」、真上から写したもの。本書では大畑ループの説明があるが、それがその典型だ。それに対して、本書は同じ真俯瞰でもずっとずっと寄っているし、「斜め撮影」でも非常に大きな工夫がされている。見入ってしまう。 ここまで寄った真俯瞰は、GoogleMapでも無理だ。バラストのひとつひとつまでもが見えてくる。 「斜め撮影」も、とても練られている。デルタ線が最も美しく、わかりやすい角度での撮影。説明的でもありながら、作品になっている素晴らしさ。 ほかにも、多数の「GoogleMapでは味わえない『近さ』と『カメラポジション』の作品」が多数収録されている。ほぼすべてが望遠レンズによる遠近感の強い圧縮がかかっているので、真俯瞰のために遠近感が薄いGoogleMapなどや、肉眼による距離感とは全然違う体験がそこにある。冒頭に「空撮写真を主体とした本」と書き、「写真集」」とは書かなかったが、ここに収録されている作品は、すべてじっくりと鑑賞したくなるものばかりなので、体裁は写真集的ではなくとも、意味合いにおいて「写真集」である。 ひとつだけ、本質ではない部分でこれはちょっと…と思うのは、駅や車両基地のデータの掲載だ。開業年や所在地、乗降人数、乗り入れ路線など、本書の読者対象がそれを知りたいと望んでいるとは思えない。写真の読み解きだけで十分だったのではないか。プラスするなら、…あ、ここから先は自分の企画で使えることを思いついたので内緒。 買った人も買ってない人も、書泉グランデの展示、ぜひ。そして本書の購入を。
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私が撮った写真で、航空写真のような雰囲気を持つものがあるのでアップする。どちらもポジを民生用のスキャナでスキャンし、色補正したものだ。 函館本線の「藤城線」。ここは振り子が利く部分で、車内からも「飛行機のように」内側は家の屋根が、外側は空が見えるだけになる。「失敗して」画面が傾いているが、それが空撮のような効果になるとはポジを眺めていたときには気がつかなかった。 約2.5km離れた地点から見下ろして撮影。標高差約250m。これくらいの「見下ろし感」と望遠レンズによる圧縮感があると、航空写真に見える…気がする。これは、500mmf4.5に倍テレをつけているので1000mmf9。三脚に据えてもファインダー内がぐらぐらした。キハ281系は、私がもっとも好む車両。3両目に1両だけキハ282が混ざっている。 同じ場所で。こちらはたしか中判(ペンタ67-2)で165mmか。いまひとつ「見下ろし感」が足りない、というか「斜め感」が足りない。そう考えると、この場所で空撮のような雰囲気を出すことはそれほど難しくない気がする。 いまはデジタルで、色補正も簡単だ。ポジで撮影していた頃は、2.5kmも離れるとどうしても青カブリをしてしまった。それを簡単に除去できるなら、またここで撮影してみるか。…いや、無理だ。その手の機材は全部売ってしまった。 …それはそれとして、この場所、ただ列車を眺めるだけでもおすすめだ。スーパー北斗やDF200が引く長大な編成が、まるで鉄道模型のように七飯駅から高架橋を駆け上がり、足下に吸い込まれていく様は、本当に飽きない。たまにキハ40の単行が行くのもご愛敬だ。上の写真でいうと右上方向に、上り線(渡島大野からの線)も見える。
ふだん、小説はほとんど読まない。嫌いなわけではまったくなくて、興味を持った分野の解説書を読む以上の時間がないからだ。書店に行けば、なんと魅力的な装丁とストーリーを盛った文芸書がたくさんあることか。私はそれらには目をつぶっている。
柴田よしきさんの『夢より短い旅の果て』を手に取ったのは、カバー写真を丸田祥三さんが手がけたこと、柴田さんが鉄道がお好きな作家さんだとうかがっていること、角川書店の『本の旅人』で本書の書評を友人のオオゼキタクさんが書いていること、などで興味を持ったためだ。 とにかく面白かった。どう面白いとか書くとネタバレになるので書かない。鉄道が好きだろうとそうでなかろうと、自分が学生時代に戻ったような気持ちになって、かつ「いまの」学生の立ち位置を想像しながら、吸い込まれるように一気に読んだ。丸田さんのカバー写真が内容に即しているかどうかといえば、それはとてもあっていると思った。少女が、年齢がよくわからないくらい小さく写っていることが、いろいろと想像させてくれる。
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ネタバレはしないけれど、もっとも印象に残ったフレーズだけ、書きたい。 (一ヶ月間で全路線を乗り尽くす旅を終えたことを思い出しながら)「帰ってきて自分のアパートに入り、すわりこんだ時にね、じわっと思った。ああ、自分は日本中を、日本全土を旅して来たんだ、って。自分が生まれたこの国を、自分の目で見て来たんだ、って。」 これは、旅好きな人ならみんなじんわり感じることなんじゃないかな。その手段を問わず。私がそれを感じたのは残念ながら鉄道ではなくて、登山だったり自転車だったりバイクだったり。柴田さんは、旅をわかってる方だ。このフレーズに出会って、私はこの物語により吸い込まれた。柴田さんが好きになった。
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本書をきっかけに、思ったことがある。ここから先は、本書と直接の関係はない。 なぜ、こうした小説に登場する人物は、みな身軽に旅行できる身分ばかりなのだろう?(決して、本書にケチをつけるわけではない) 読者のどれくらいが、同じ境遇、つまり独身で、時間もお金も自分だけのために使えるのだろうか。世の中の鉄道ファンの何割が結婚して家庭を持っているのかはわからないけれど、そちら側の感覚が、世の中、あまりにほっとかれすぎてないか。それとも、後者はみな前者に憧れてなきゃいけないのか? 宮脇俊三氏は、あえてそのあたりをすべて捨象して作品を描いていた。それは、氏以前にそのジャンルがなかったから、一番の王道を考えてそのようにしたものだ。以後、旅行記の類は、ほとんどが「自分が旅で感じたこと」ばかりを描いていて、会社員と家庭内での立場というようなことに触れたものは見たことがない。そこをうまく汲んだのが、『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)だと思う。ごくふつうのサラリーマンの家庭の感覚、金銭感覚、会社の感覚。 これを汲んだ小説を待っている。それも、志賀直哉のように、何事も起こらないのにきちんとした物語になっている作品を。
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もう一つ、舞台が実在か架空か、ということを語りたいのだけれども、うまくまだ本書と関連づけられないので後日。
6月20日、『月刊IKKI』の江上編集長から「『鉄道ファン大全』を見ました、磯部さんがやりたいと言ってたものと方向性が近いのかな?」というご連絡をいただいた。まだ発売前だったので、表紙を見る限りなんとも言えない。この本は、後述する内田宗治さんからも「出るよ」とお知らせいただいていたので、以前から気になっていた。そして今日、入手。
いい。すごくいい。 巻頭言では『十勝の森林鉄道』の著者・小林実さんを本書の象徴のように扱っている。わかる。わかります。 <参考> 『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎) いま、自分の中で温めている企画があって、それとは幸いにも少し違うのだけれど、おそらく方向性や、作り手の考え方は、同じだと思う。この本は、既存のB5判/A4判の写真中心の鉄道誌では絶対にできない。いや、それらはそれらで大切な存在だし、それを必要としている人も多いのだけれど、そこではない層を取りにいく鉄道書が、ほぼすべてそれらの本の方法論から抜け出せていない、というのが私の見解。それを突き破る方法のひとつが、この本だと感じる。編集長の田中比呂之さんに、くわしくお話をうかがってみたい。明後日の『地図ナイト3』でお目にかかれると思うけれど、お話する時間はあるかな…? 地図ナイト3~鉄道と地図道・今尾恵介と鉄道旅行地図帳 <参考> 『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します! 『乗りつぶしナイト』ありがとうございました 本書の内容は、どれもとても興味深い。文字を追うのもものかしく、読み続けてしまう。個人的に嬉しかった記事をふたつあげる。 「鉄道趣味メディア大増殖 平成鉄道趣味史」という記事。執筆は内田宗治さん、6年前まで私の上司だった方。その記事に、書泉グランデにこの人ありという鉄道書のご意見番的な存在、笠間さんが「印象に残っている本10冊」というコーナーがある。そこに、わが『鉄道の旅手帖』が入っている。とてもうれしい。 この本は私のアイデアだが、書名は内田さんによるものだと記憶している。最初はもっと説明っぽいタイトルだった。おかげさまで1年間で8刷という好成績。ただし、その後、「質の悪い」類書が多数出たために打ち止め。改訂したカラー版も出したが、初版ほどの爆発力は発揮できなかった。ただし、それは予想通りでもあった。 なお『鉄道の旅手帖』の装丁・地図デザインは、「鉄道趣味メディア大増殖 平成鉄道趣味史」で『鉄道廃線跡を歩く』のデザインを担当したということで談話が掲載されている道信勝彦さんである。これは、偶然。『~歩く』は出てすぐ買っていたけれど、それが道信さんの手によるものだとはまったく知らなかった。(当時はそういう見方をしていなかった) <参考> 『鉄道の旅手帖』類似品 もうひとつはこれ。『魅惑の鉄道ポスター』。ポスターそのものもすばらしいし、なによりもそこに描かれた文字の字体に目がいくのだれど、本論ではここに目が留まった。 「里見宗次作」。 里見氏は、アメリカにかつてあった機関車メーカー、アメリカン・ロコモティブのポスターを多数制作している。その記事が、『鉄道ファン』1981年11月号にある。執筆者は汽車会社の高田隆雄氏だ。いまではwikipediaにも項目があるような里見氏だが、いまのように検索などできない時代、文末は「里見さんの消息はその後杳としてわからぬままに今日にいたっている.」となっている。里見氏の業績が広く日本で知られるようになったのは1990年代なのかもしれない。 ほかの多数の記事も、どれもすばらしい。これだけの本を作る労力は並大抵の物ではない。そこを読者に読み取れというのは無理な話だが、自分の編集者としての技倆を顧みずに言えば、この本は恐れを感じる仕上がりである。有象無象の「鉄道本を出せば売れるだろう」という世の出版関係者は、本書の爪の垢を煎じて飲むといい。 この本の第二弾が読みたい。しかし、自分のものが形になるまではやめてくれとの気持ちはもちろんあるのだけれど、そんなことではいけない、両者(まだ私のほうは目処も立っていないけれど)相乗効果で、趣味の世界を豊かにできればと思っている。がんばらねば!
ツイッター上で@bokukouiさんから教えていただいたのがこの本。ずいぶん前に、別件の氏のブログ、『アメリカ軍のディーゼル機関車に関する覚書』にもこの本のタイトルがあったのを全然重視しなかったのは不覚。
国鉄蒸機に対する高木宏之氏の見解のようなもの、と言うと乱暴に括りすぎだろうか。気動車は、旅好きの人(車両の構造や歴史に興味がない人)には、蒸気機関車と同じく国鉄型マンセーなジャンルなのだけれど、クルマやバイクという身近な存在があるからか、エンジン好き(と、構造や歴史好きを総称しよう)な人には、国鉄型がダメダメだったという認識はある。少なくとも、DMH17を「音がいい」という人はいても、「国内においては最適解だった」などという人は一人もいない。そこが救いである。 本書は、日本の車輌工業史を、他業種との比較で見つめた良書である。自動車工業との比較が多いため、主として工業製品としての観点と、ディーゼルエンジン史の観点で書かれている。ここでは、ディーゼルエンジンについて、著者がいかに憤っているかのフレーズを抜きだそう。 ●戦前の海軍との関連 日本海軍の艦政本部長、渋谷隆太郎が昭和元年から翌年までアメリカを視察し、ウィントン製エンジンに興味を持ったこと、ウィントンの信頼性・堅牢製と国産品は比較にならぬことを挙げたことを引用し、 「本機関が神鋼に技術移転されておれば国鉄DLはよりマシな心臓を得ていたであろう」 ここで述べられるウィントンのエンジンは、ボア8インチ×ストローク10インチの201-A型で、すでにwikipediaに項目としてアップしてあるのでご覧いただきたい。ウィントンは、のちにGMに買収され、GM-EMDとなり、アメリカで長年にわたり最大のディーゼル機関車メーカーとして君臨し続けた。いまはGEに少しだけ劣勢な二番手。 ●終戦から1980年代までの「沈滞期」について 「『新系列』DC機関開発の相次ぐ失敗などは史上最悪の事例に属する」 ●DMF15系を出力ダウンして搭載することについて 「1977年、60系(磯部注:文脈よりキハ66・67)に代わって投入されたのが、悪名高い40系である」 「ほとんど信じ難いことにDML30HSAから-HSHへの、あるいはDMF15HZAから-HASへの定格切下げに際し、国鉄と制式機関メーカーは圧縮比を16.0から14.2へと大幅に落とす手を用いた(略)DE(磯部中:ディーゼルエンジン。以下同)の高効率の根拠である高い圧縮比を低出力・軽過給機関においてここまで引き下げたやり口は自虐行為に等しい(略)基本設計が出鱈目であった」 「悪化した燃費でも悪評高かった(略)真因は排気温度を徒に上昇させ熱効率自体を低下させた圧縮比切下げにある」 等々。ここまでひどい罵倒は、個人的なブログや掲示板以外では見たことがないが、それぞれ納得できる内容である。
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また、本書には、私にとって未見のことがいくつか記されている点が興味深い。本書には詳細な注釈と参考文献があるが、これらにはソレが記載されていない。もしかしたら私の持っている本に記載されているのを忘れているだけかも知れないが…。 ●EH66 「1970年代に入った頃、EH10と同じ手口でEF66の主電動機を8基使用する総出力5,200kWの(仮称)EH66が計画された」 ●DML61-NC(仮称)の開発 「JR貨物は1989年頃からDD51の出力向上を目指し、新潟およびコマツディーゼルに連続定格810kWの機関(仮称DML61-NC)の開発に着手させていた」 これらの根拠(記載されていた文献)が知りたい。 |
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