部と陪。
ヘンとツクリが入れ替わっただけに見えるが、もちろんまったく意味が異なる。 左の「おおざと」は「むら(邑)」の変形である。 大和朝廷のころから「○○部」という技能集団があるが、 そういうニュアンスである。 右の「こざとヘン」には元々「さと(里)」の意味はなく、 「阜」の変形であるが、「おおざと」があるから「こざと」である。 なんといい加減な命名であろうか。 もちろん日本でしか通じない。 古墳時代の「陪塚」、そういうニュアンスである。 これら、おおざととこざとヘンを篆書に遡ると、 その成り立ちがよくわかる。 ちゃんと「邑」になっている。 本題はここからである。 こざとヘンである。 現代の感覚からしたら漢字らしからぬ形態である。 示すのは「隧道」の「隧」である。 なぜ印影のようになっているかはここでは意味を持たない。 篆書においては「しんにょう」と「こざとヘン」の位置は、左右どちらでもいい。 ご覧いただければわかるとおり、「阝」の袋状の部分が三つある。 これが元の形である。 これが一種異様な雰囲気を醸し出す(と私には思える)。 並べてみよう。 とても漢字の構成要素を並べたようには見えない。 ジョージ秋山が描くお経に、こんな文字があった気がする。 なお、上で何事もなかったかのように「しんにょう」などと書いたが、 辶と廴の差異も興味深い。 漢字にしろ英語にしろ和語にしろ、ニュアンスによって 単語が使い分けられる言語を持つ幸せを感じるとともに、 ちゃんと使い分けねばならぬ、とも思う。 PR |
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