青函連絡船の本は多数刊行されているが、いずれも船舶、運航、ヒューマンドラマが主題であり、営業についてはなぜかほとんど触れられていない。ネットで検索しても、わずかに
函館市史の記事がヒットするだけであり、あらゆるものが転載されているネットにない、ということは、まとめて発表された記事がほとんどないのではなかろうか。青函連絡船のそれに関心を持つ人はごく少ないことも一員だろうが。
函館市史のそれは、こう書いてある。「連絡船の営業成績は低下の一途で営業係数は昭和55年の227から58年の292(100円の収入を得るのに経費が292円)にまで下がってきていた。この58年度の赤字は238億円だったという」
いくつかの正史を図書館で見ても、乗客数やトン数こそあれ、営業的な数字は掲載がなかったのだが、『航跡 青函連絡船70年のあゆみ』に掲載されているとの情報をミリンダ細田氏(鉄道友の会秋田支部)からいただいたので転載し、先の函館市史のものも加筆する。
(表がうまく表示されないので、見づらい点はご容赦ください)
年度 旅客 貨物 収入 経 差し 収支
収入 収入 合計 費 引き 係数
昭和45年度 32 76 108 126 ▲18 117
昭和46年度 34 85 119 129 ▲10 108
昭和47年度 36 79 115 143 ▲28 124
昭和48年度 36 68 104 159 ▲55 153
昭和49年度 38 72 110 206 ▲96 187
昭和50年度 38 75 113 238 ▲125 267
昭和51年度 39 85 124 267 ▲143 215
昭和55年度 227
昭和58年度 ▲238 292
となる。上記から推定するに、昭和50年度から62年度の13年間での赤字額は2500億円を超えるだろう。その数値と、さまざまなことを比較するには私の手元ではあまりに数値が足りない。
こうした数値がわかる資料が掲載されている雑誌等、ご存じの方はご教示いただきたい。
【2016/3/4追記】
・資料をご提供いただいた細田氏からは「
定時運行に固執するあまり、高速性を最重視し、経済的な重油ではなく軽油を燃料にしたことも一因ではないか」「旅客輸送量のピークは昭和48年」とのコメントをいただいた。
・昭和49年度から、経費が激増している。第一次オイルショックは昭和48年10月から翌年1月までの3カ月で、原油価格は3.9倍となった。それを背景としたのが「狂乱物価」で、総合卸売物価は昭和48年で15.6%、49年で31.4%上昇、消費者物価指数は48年で11.7%、49年で23.2%上昇。対して、運賃値上げは49年に5年ぶりに行われた(青函連絡船の運賃の変化は未調査)。
・経費の内訳が、燃料代なのか人件費なのか、知りたいところ。オイルショック後であるだけに。
・ さんのご教示によれば、昭和63年3月7日の
第102回衆議院予算委員会第七分科会(P49)において、運輸大臣官房国有鉄道再建総括審議官・棚橋泰氏が「(昭和)58年度で青函連絡船の赤字は237億くらい。青函トンネルができたら、ランニングコストだけでの収支では約90億の赤字。青函連絡船を停止して青函トンネルに移行しても、赤字が縮減するだけ(なので、両立は難しい)」という旨の発言をしている。当時はそのように見積もられたが、北海道新幹線函館開業にあたり、年間の青函トンネル維持コストは約8億と発表されている。このあたりは、なにをどう計上しているのか、経済の専門家のご教示をいただきたいところ。
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