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コンクリートローゼ:田沢橋

コンクリートアーチ橋

 
長野県のコンクリートローゼ橋群の一つ、田沢橋。8連は郡中最多、橋長361.4mも最長。最多といっても支間は29.6mなので、残りは桁橋である。

 
 
 
現在は歩道橋となっており、床版の上を、電気のケーブルだろうか、それが渡っている。上流側の側面には水管が添接されている。


 
 
左岸側のみ。親柱左は「犀川」、右は「田澤橋」。

 
型枠の板目の転写で、アーチをどのように囲っていたのかを推測できる。向こうに見えるのは現道。




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転車台の桁を転用した多賀第3跨線人道橋

跨線橋

 
直方に、転車台の桁を転用した跨線橋がある…と聞いたのは、@golgodenkaさんからだったような気がする。おそらく知ってから十数年、ようやく見に行けた。バイクでは、九州中南部へ行っても、福岡というのはツーリングの対象にしづらいのだ。

筑豊本線の複線と伊田線の複線、合計4線を一挙に跨ぐ。元は転車台の桁ということで、桁裏の中央部にピンの気配があるのではないかと思うが、見た限りはわからなかった。

 
一端はこんな。神社の参道に階段が取り付いている。他端は桁の高さでそのまま直方市石炭記念館の敷地に入っていく。転車台の桁は、本来100トンかそれ以上の荷重を受け止めることができるものだ。それは正しく支持されたときの性能だとはいえ、跨線歩道橋に転用された桁は、相当なオーバースペックといっていいだろう。

 
これは石炭記念館側から見たもの。

石炭記念館の説明によれば、直方駅には転車台が三つあったとのこと。いまは一つだけが残る。残り二つのうちどちらかが転用されたのだろうか、それとももっと別の場所から持ってきたのだろうか。

【追記】2022.7.19

とのご教示をいただいたので、検索すると、国会図書館のデジタルアーカイブにあった。


アーカイブのURLはこちらの32ページ。登録すればアクセスできる。





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四国中央市 新宮・岩鍋/久万高原町渋草

集落・路地

●新宮町新宮
 
 

 
 
 
かつて新宮村だったところ。いまは四国中央市新宮町新宮。一番上の写真の「右奥」が村役場だったところ。

●四国中央市岩鍋
 
 
 
 
 
国道319号沿い、柳瀬ダムのダム湖・金砂湖沿い。国道沿いの家屋はどこも無住になっていた。一番上の写真に右に上がる道が写っているが、地形図ではその道沿いに、そこそこの数の家形がプロットしてある。

●久万高原町渋草
 
国道434号の旧道と川の間の細長い敷地に、3階建て(道路側からは2階建てに見える)の大きな木造の旅館跡があった。「大西旅館」とある。ここは、旧面河村の中心地に近いが、現在有名な観光地があるわけではない。面河渓とはかなり離れた位置にある。

 
これだけの規模の旅館。「面河ダム建設当時は賑わった」等の記述は散見されるが、それ以前から存在していたはずだ。

 




 
ぐるりと一周。道路を挟んで古い雑貨店(だった建物)もある。そこから年輩の方が出てきたので話しかけようとしたら、近付いているうちに出かけてしまった。


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農協の給油所跡

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

 
四国最東端の蒲生田岬の手前に、農協の建物があった。複合的な用途の建物のようだが、閉鎖されている雰囲気。掲示板などは現役だったので、使う時には建物が開くのだろう。この建物の向かって左側は、かつて農協の給油所だった。

 
立派なサービスルーム。

 
防火壁…というより建物の壁に残る、大小の農協マーク。

 
建物は、いかにも公的なもの、という印象。左右中央は階段室か。









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甲浦港跡

港湾


甲浦(かんのうら)といえば阿佐海岸鉄道が導入したDMV。その甲浦駅から徒歩20分くらいのところに、かつては神戸、のちに大阪に神戸に直行するフェリーの港があった。甲浦港だ。高知の最東端の玄関口だったのだ。

 
そのフェリーは西は足摺港(末期は高知港)へも脚を伸ばしていた。室戸シーラインが2001年冬に休止し、しばらくして2004年から約1年間、大阪高知特急フェリーが就航していた。撤退以後、ここに発着するフェリーはない。


 
ランプの接続位置が、船尾右側(1枚目の写真)と船尾(2枚目の写真)との2ヶ所ある。船尾右側はスターンランプを備える大阪高知特急フェリー用、船尾は高知シーライン用のようだ。

・大阪高知特急フェリー;フェリーこうちの写真:idyllicocean
・高知シーライン;フェリーむろとの写真:ふなむしの写真館

 
2枚目写真の船尾ランプウエイ用の可動橋付近には水産会社がある。可動橋も含めて周辺は水産会社のものが多く置かれ、すでに用地の払い下げを受けているのかもしれず、遠くから眺めるのみ。

 
ここにフェリーが立ち寄っていた痕跡。「関係者以外立入禁止 高知シーライン」という看板が、片隅に置かれていた。

 
 
 
岸壁は釣り人がたくさん。釣り船もいくつか。
 
 
甲浦港を訪ねた後、近くの給油所に入ったら、なんとDMVが給油しにきた。一部は鉄路を走るのに、自動車と同じ課税をされてしまうのだろうか…という問いには、下記の大町パルクさんのご指摘をご参照ください。



【関連項目】
足摺港・フェリーむろとの痕跡



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済美小中学校跡(高知県)

学校の建物

 
 
早明浦ダムから北上する県道を走っていて、給油所跡を見つけて停まったら、その反対側に「済美小中学校跡」という表示とともに、校舎があった。

 
 
すごくきれいに整頓されていて、トイレはウォシュレットになっていた(覗いただけ)。どうも、キャンプの炊事場のような整備がなされている。と思ったら、この校舎とグラウンドは「白髪山ふれあいの村休養センター」という、キャンプ場兼宿泊施設になっていた。ここに立ち寄ったのは15時すぎ、この日の寝床はまだ決まっていなかったが、といっても早すぎるし、食糧を調達するには早明浦ダムまで10km以上戻らなくてはならない。それが気分的にめんどくさい。

 
校門の跡。

 
教室内を窓越しに。使わないと、こうやって傷んでくるんだな。

小学校としては1978年閉校のようだ。ぼくの小学校入学が1978年だから、もし閉校時に1年生がいたとしたら、ぼくの1学年上だ。それから数年はもっとも子どもが多い世代だけれど、その時代に閉校したんだな。







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張り出すように増設した小屋の扉が矢羽根型

木製扉の菱形・バツ形等

 
大きなお宅。右半分は窓がない。そのさらに右に、矢羽根型の開き戸を備えた小屋が張り出すように増設されている。その屋根の取りつけはDIYの香り。

 
開き戸のロックは閂。写真は左側の「閂を受ける金具」が壊れているため、下に落ちているだけ。



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室津半島 上関/長島 白井田・中ノ浦・四代

集落・路地

【山口県 室津半島・上関・長島】
●上関漁港と上関大橋
 
 
上関海峡。


●長島 白井田漁港

 
 
長島にはいくつかの行き止まりがあるが、その一つが白井田。

●中ノ浦
 
長島の北端に向かう、行き止まり。キャンプ場ではないが、知る人ぞ知るキャンプスポットとなっていた。この日は深夜に柳井からフェリーで松山に向かう予定だったが、そうでなければ泊まったかも。

●四代(しだい)
 
長島の南西端。

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倉庫に取り込まれた日野RE

バス関連

 
建物に取り込まれ、その一部となっているバス車体。

 
とはいえ、屋外に置かれ、そこに屋根がかけられ、妻面的な場所に窓のようなサッシが並べられただけかもしれない。

 
むしろ、この空間の目隠しというべきか。日野REというエンブレムがある。


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愛媛県にあった「木の公園」 擬木の大型公園遊具

公園遊具

 
愛媛県の東予運動公園に、なんと、新潟の西海岸公園にあった「木の公園」と同じタイプの擬木の公園遊具があった。びっくりした。これで、大阪にあるらしい(『ショッピングモールから考える』(東浩紀・大山顕)に写真がある。場所不明)ものと合わせ、全国で3体あることがわかった。

 
ただ、新潟とは「オプションの数が違う」というか、新潟のものから一部省略したような形だ。

 
この横からの形と、新潟にあったものを見比べて欲しい。

 
こちらが新潟。右の部分が「オプション」だ。


【関連項目】
新潟・日和山浜 西海岸公園「木の公園」



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