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溶け込むesso

Mobil/ESSO/ゼネラル

 
青森県の小さな半島の縁を回っていて出会った、小さな元esso。小振りで瀟洒な雰囲気はとてもアメリカ的とも思えるが、道の狭さや民家、そして左の急傾斜地の処理を見ると、やはり日本だ。日本に溶け込んだアメリカのセンス。


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津軽半島の昭和石油

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

 
津軽半島北部の県道。背の高い夏の雑草の影に、昭和石油の富士マークが隠れていた。近くを通るJR津軽線は災害で運休したまま、廃止となる。

 

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ツバメのサインポールは残るか

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

 
道東の、交通の結節点となる町。サインポール「休業中」とかぶせてあるが、その先には…

 
丸善石油のサインポール。先の「休業中」よりも、ずいぶんと背が低い。いまのサインポールの高さも大きさも、道路幅も狭かった昔は必要なかったのかもしれない。

 
両面ともに、少しだけ色褪せているが、胴体部分は濃いままだ。よく見ると、塗り直しているようだ。わざわざ残しているくらいなんだから、それはそうだよな。

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旧卯原内郵便局

郵便局舎

 
いまの卯原内郵便局は国道沿いにあるが、そのすぐ近くの道道に入ってすぐのところに旧局舎がある。

 
こういう規格建築が好きだ。屋根には煙突と、テレビアンテナ。背後には車庫。

 
こちら側の倉庫も付属施設だろうか。

 
ここには郵政書体で局名が貼り付けられていたはず。どこかで保管してあるのだろうか。





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鬼志別バスターミナル/天北線の鉄道資料館に見る駅のハンコ

廃線跡

 
鬼志別は何度も通ってはいるが、たいてい、現地付近では存在を失念してパスしてしまう。今年、やっと訪ねた。いまの50歳前後には強烈な印象として残っている「飛行場前仮乗降場」の待合室に掲げられていた駅名の看板が主役の座を占めているように見える。

 
こういう印鑑類が保存・展示されているのは、とても素晴らしい。駅名標などは多くの写真や映像の記録があるが、こうした業務用のものは人目に触れることがないままに通常は廃棄されるものだ。「鬼志別駅」とある印鑑がいくつかあるので、鬼志別駅で使われていたものだろう。左には駅名の印鑑。切符に押すもので、元仮乗降場のものはなく、すべて「駅」だ。

切符にはさまざまな(内部向けも含めて)割引があり、「学41」は学割に押すもの。右下に、ほとんど見る機会がないものがいくつかある。

救31…被救護者割引
添38…被救護者割引の付添人(割引コードは33?)
遺51…戦没者遺族旅客運賃割引(靖国神社への往復に使える)
身81…身体障害者割引(単独)
障83…身体障害者割引(介護者付本人)
介85…身体障害者割引(介護者)
身障 第 号…身体障害者割引で使用
□戦…戦傷病者割引
□傷…戦傷病者割引
□後拂(後払)…戦傷病者後払

公…公務乗車用
衛…自衛隊後払
前…(なんだろう?)
ジ72・ジ73…ジパング倶楽部割引(1985年の設定。路線廃止は1988年)

その左隣に「中頓・東旭川・安国」という印鑑がある。これは、鬼志別から網走に向かうルートとして、石北本線を経由することを意味している。当時は名寄本線経由のルートもあったからだろう。中頓別の「頓」を「屯」と略しているものがある。


右上に「業務上拒否」というものがある。すごいなあ。個人名は廃止ラス前の駅長名と…局の部長かなにかだろうか。名前が列記されたボードがあるのだけれど、それを撮り損ねていた。

 
右から2列目、「青学44」は青年学級生及び勤労青年学校生割引だろうか。その2列左、「マル永」は永年勤続割引?

 
駅に掲げられていた運賃表には、どんな駅でも、東京都区内などへの運賃が書かれていた。ほぼ一定なので、なんらかの基準があるのだと思うが、わからないままだ。










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旧兜沼郵便局舎(兜沼郷土資料室)

郵便局舎

 
兜沼駅のすぐ近くにある建物。見るからに瀟洒な建物は、元は郵便局舎で、いまは兜沼郷土資料室となっている。残念ながら訪ねた日は見学できなかった。

北海道文化資源データベースによれば、1934年に郵便局兼住宅として建てられ、1981年まで局舎として使用、1992年に部分改修とのこと。それにしては正面破風がきれいなので、そのあたりはさらに近年の改修か。

 
局舎部分の背後に、より大きな建物がある。そちらが住宅棟だろう。向かって左には開拓記念碑。岐阜団体が入ったとのこと。

 
新しい局舎はすぐ隣にある。急速に人口が減っているこうした地域に郵便局がしっかりあることは、インフラとしてはとても重要なことだろう。

 
 
開拓記念碑には、短歌が3首、刻まれている。右の歌の中程に「兜沼」の文字が見える。変体仮名は半分くらいしか読めないのでぜんぜんだめ。

土台の部分には「寄贈者 兜沼部落会 昭和十六年一月之を建てる」とある。


 
兜沼郷土資料室から駅に向かう道。


兜沼キャンプ場。以前、撮影で訪れたことはあるが、泊まるのは初めて。管理等もきれいでいいのだけれど、沼の近くなので湿気と蚊が…。そうはいいつつ2泊した。










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サインポールよりも目立つessoの壁看板

Mobil/ESSO/ゼネラル

 
地元の人しか走らないように言える県道。これはかつての羽州街道であり、国道7号の旧道だ。藤崎町が藤崎村だったころの役場はこのあたりにあった。現在の藤崎町役場周辺は、かつては田んぼだった。その、羽州街道藤崎宿に、essoのサインポールが残っている。

 
サインポールよりもはるかに目立つ、3階の「看板」壁に掲げられたessoのマーク。その下には日本セメントの取扱店であることが、看板ではなく直接モルタルの壁面に描かれている。

サインポールの保存状態もほどほどにいい。

 
給油所の「本体」はセメント屋さん。essoの面に書かれた電話番号は局番なしの4桁だが、こちらの商店正面は2桁だ。

 
今昔マップより。羽州街道のほとんどは付け替えられている。こういう地図を見ると、旧版地形図のみを頼りに訪ねるのがいちばんいい気がする。





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クルマ用マフラーのついた小屋

建築?

 
5月に友人たちと、瀬戸内の岩黒島に行った。瀬戸中央道の出入口があり、本来は島民以外は利用できないのdけれど、島に泊まれば入れる。そんな目的だった。その岩黒島の民宿の近くにあった小屋。基礎からクルマのマフラーが飛び出している。

 
SUZUKI
AA41-1
SANKEI
と陽刻がある。検索すると、スズキのカルタス用のマフラーだ。SANKEIとは三恵技研工業のことで、純正エキパイやマフラーを製造するメーカーだ。中にガソリンエンジンがあるに違いない。

 
小屋を窓越しに覗いてみると、船舶を引き上げるウインチの動力たるエンジンが見え、そこから排気管が外に出ていた。

 
ヤンマーのエンジン。左奥にはでかいバッテリー、それもJF製。そんなものがあるのか。 、船舶用に特化したもので、130F51、155G51、210H52の4タイプがある。記号がクルマと同じだとすると、中・大型ディーゼル車用、といったところだろうか。

エンジンの出力軸からはベルトでウインチのドラムとつながっている。左の棒はクラッチだろうか。



ウインチからのワイヤーは、こんなふうに、2線ある船舶用レールの頂部でプーリーで方向が変えられる。

 
台車。





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バイパスの下の舟屋

建築?

 
かつては海岸線に沿ってくねくねしていた道路が、整備により湾口を直線的に橋で渡るようになった場所は無数にある。この舟屋は、そんな場所にある。

冬場の日本海からの吹きつけに対する策か、板塀のようにも見える1階部分の戸。スライドするのではなく、取り外すのか。右の3軒は妻面に窓すらない。

 
道路は国道7号。ここは山形県南部。5月上旬というのに、夏のような暑さだった。





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羽田可動橋

橋梁一般

 
2024年度、羽田可動橋の撤去工事が始まる。海老取川の河口に架かる首都高の橋で、空港西入口から東に向かうクルマが使用した。もともとは、空港西から入ってすぐ海老取川をくぐる羽田トンネルに潜る構造だったが、危険ということでいったん上空を迂回して本線に合流させるために1990年に開通したルート。しかし、湾岸線の開通で本線の通行量が減ったこともあり、1998年に使用停止となっている。

このたび、羽田トンネルの更新工事に伴い、羽田トンネルの使い方とともに大幅に変更になる。

首都高の資料より)


現在、羽田西から入るとそのまま羽田トンネルに突っ込む形になっているのは前述のとおり。羽田可動橋に行くルートは駐車場のようになっている。しかし、路面の表示は「出口」ぽくなっている。非常用?

 
さて、羽田可動橋。二つの旋回橋が、動かないまま25年以上、そこにある。支点が桁の中央ではないので、カンチレバー的な違和感がすごい。これは左岸側の桁。左岸は近づける。

 
これは右岸側の桁。右岸は首都高の敷地となっていて立ち入れない。

 
使われていない「可動橋から本線への合流地点へのルート」は森ケ崎高架橋という。そこにもある案内サインは、現代のものより一世代古いタイプだ。「C2」などの描き方が異なる(現在は丸囲みではなく右回転矢印囲み)。書体は新ゴDBと思われる(首都高はヒラギノ角ゴではない)。

とはいえ使用停止された1998年はまだ公団ゴシックだったと思われ、使われなくなっても更新はしている律儀な(無駄な)姿勢が見える。

「C2」の描き方から、サイン設置年を推定しようとしたが、2013~2015年ころにこの先に設置されたサインも丸囲みなので、どうもよくわからない。

 
森ケ崎高架橋が本線に合流する地点。バリケードが設置されている。








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