新潟県の、河岸段丘で知られる場所。段丘面はそれぞれ田や畑になっている。その一角に、集中して、三角形の小屋がある。 一つ目。比較的大きい。ここまで大きいと、棟を組むのも本格的になりそう。礎石にコンクリートブロックなどが使われている。外面はすべてトタンで覆われている。入口は妻面、扉はよく見ると蝶番があるので開き戸。扉の高さは低い。 一つ目の小屋のすぐ近くにある。道路に妻面を向けている。ここまで小さいと、小屋というよりは、仮に屋根をかけただけ、のように見える。上下二段になっている。外面はトタン。 ちょっと遠くなので、よく見えない。左の屋根はスレート? 右は板? トンネルの観音掘りのような形の、五角形断面の小屋。いや、普通の建物の断面は五角形なんだけれど、この小屋は側面が末広がりになっており、屋根が側面にそのままつながっているので、より五角形が強調される。こちらはけっこうな大きさがあるが、三角形のものと同様、断面は縦長で、視覚的に不安定さがある。このような形が、当地ではオーソドックスなのだろうか。 これらの形は、積雪対策と思われる。当地は、全国でも屈指の豪雪地帯だから。 PR 国道325号の新阿蘇大橋。数百メートル上流に架かっていた上路アーチが熊本地震で崩落し、新たにこの地点に架けられたもの。渡るのは黒川、手前が左岸で対岸が右岸。対岸の橋脚に向けてジグザグに道がつけられているが、地震前には畑があったところ(崩れていない)を削ったもの。これは橋のたもとの展望所から。 すぐ下流にかかる長陽大橋展望所(後述)から、見上げる形で。こちらのほうが対岸の橋脚に近く、橋脚を取り巻くすごさが迫ってくる。 上部。法面は、まるで90年代半ばのポリゴンのよう。橋脚の根本は、まるで積雪地の樹木の根開きのようだ。 柱状節理を割って立つ橋脚。 * * *
阿蘇長陽大橋。冒頭の写真を撮った、新阿蘇大橋たもとの国道沿いから見下ろす。写真右手から左手に流れる黒川は、上をこの橋を渡した直後、左の谷筋の白川に合流する。写真左奥にあるアーチ橋は、南阿蘇鉄道の、やはり被災して架け替え中の第一白川橋梁。 こちらは阿蘇長陽大橋のたもとにある展望所から。 石碑がある。 ダムとなる 里へ名残りの 河鹿きく ダムとなる 予定の宿に 年惜しむ さん 現在、第一白川橋梁の下流に、立野ダムの建設が進められている(別項)。 阿蘇長陽大橋は、平成29年度(2017年)の土木学会田中賞を受賞している。そのプレートもある。 種子島へのフェリー プリンセスわかさで書いたが、種子島から東京に直帰することになった。種子島から鹿児島に戻った後、雨天ということもあって都城に1泊し、翌朝、宮崎道の都城以西が通行止めになるほどの豪雨の中、少し雨が弱まるまでホテルで待機して出発。15時40分臼杵港発の「おれんじ大阪」に乗れる見込みが立った11時ころ、電話で予約。「1時間前(だったかな)には来い」と言われたが、少し押してしまったので、窓口でイヤミを言われた。 それも無理はない。ここまでギチギチなのだ。 バイクはたいてい、一番に積み込む。そのため、言われた時刻は守らねばならない。すみません。 八幡浜港に向かう。 * * *
出航は22時だが、20時から乗船できる。高速に乗り、一気に東予港へ。6月に、モンベルのSea To Summit出場でこのあたりをうろうろした。 20時前に到着できた。 固縛はあとからするらしい。 窓のある部屋はとれなかった。鍵のかからない内側の船室。GPSログを取るためには部屋から出ていなければ…。 出航待ち。 瀬戸大橋通過は0時35分ころ。そこまでは起きていた。
大阪南港、6時着。8時まで船内にいることができる。船内からは、名門大洋フェリーの「フェリーおおさか2」が見える。 7時半ころまで船内にいて、下船。とうに固縛は解かれていて、車両甲板もガラガラだった。 降りて写真を撮った後、名阪国道経由で東京へ。種子島から2昼夜かかった。雨天でなかったら、あるいは本当に緊急事態だったら、鹿児島上陸後に臼杵か別府に行き、深夜便で四国に渡ってそのまま自走、翌日の夕方…つまり1日早く帰宅しただろう。今回はそこまでの緊急でなかったこと、西郷ダムと山須原ダムを訪ねたかったのでこうなった。 それにしても、おれんじフェリーの乗り継ぎ割引があればいいのに。 |
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