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「別冊宝島」の58番、まだ会社名がJICC出版の時代のもの。昭和61年11月発行。この本は知らなかったのだが、『国鉄時代』はじめ趣味誌でおなじみの村樫四郎さんからご教示いただいた。

内容は、破綻している論理や職業倫理をベースに、現場の声を聞け…というもの。小卒、中卒の「(資本家に対する)労働者」の声を集めたものだ。その合間合間に、今となっては語る人も稀な現場の姿が活写されているのが貴重だ。

現場の姿としては、大井工場、志免炭鉱、戦時中の女子駅員、石炭ボイラ時代の青函連絡船、大船工場、有楽町駅、保線、電力工手、職員の妻たちといったもの。本書の中で展開されている主張は、いまとなってはあまりに幼稚、わがままな論理で組み立てられているのだが、その主張はそのまま受け取るのではなく「当時はそんな働き方でも許されていた時代だった」という認識をする程度に止めておくほうがいいだろう。論理の是非ではなく、時代というものを感じ取ればいいのだ。

私に取っては、時代を感じ取るというよりも、「当時の(資本家に対する)労働者の姿」がやっと少しリアリティを持って見えるものに出会ったというほうが適切か。戦後の労働運動を牽引してきた官公庁労組…だの国鉄の分割・民営化だのの話は、大卒キャリアや頭脳明晰なトップが書いたものはたくさん読んできたが、彼らの話、「職員は仕事の効率を上げることを否定する」ということが本当だったことがわかる。

「メンテナンスフリーの新型車両が入るのは職員が不要になるから拒否する」という理屈、「不要になった職員は別の職務を与えられるために転勤を命じられる、これを拒否する」という考え方、これらが通じていた時代。それを許容していた世間。

いまどき鉄道会社がストをやってこんなことをしていたら、全部写真に撮られてネットにアップされて嘲笑されるか、利用者たちから罵詈雑言を投げつけられ続け、精神的にストを続けられなくなるほどになると思う。こういうことが、官公庁の労組が労働運動を牽引してくれるからということもあり、許容されていた時代。

* * *

国鉄には文芸趣味を持つ「労働者」はたくさんいた。本書に登場するのもそういう人々だ。彼らの文章にはひとつのパターンがある。古典や文豪の作品を引き合いに出すのだ。そしてその登場人物や物語に、なにかをなぞらえる。ふと気づいた。これは厨二病じゃないか。そうか、そうだったのか。ひとつ、彼らのことがわかった。


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国鉄の特急・急行形電車の間でポピュラーなDT32・TR 69系台車。側面から見ると、枕梁が「┓」型をしている。その枕梁の上面は、上の通り、巨大なフタのような形状をしている。

そしてその裏側には空気バネがある。写真上部に指が写り込んでいるのはご容赦、フード代わりにかざした手です。で、空気バネは直接側枠に載り、枕梁の下部端から出たボスルタアンカは側枠から突き出た受け部分と結ばれている。




2013年夏の北海道ツーリングの帰り道、国道398号を走っていた。女川から西へ、牡鹿半島の付け根を越えると左手にJR仙石線、その向こうに万石浦が左に見える。その坂の右に、もう使われなくなってずいぶんたつ三菱の給油所があった。

敷地内は雑草が繁茂していた。近隣は住宅地なのに、ここはこのまま放置されている。雑草の向こうに、スリーダイヤモンドが薄く残っていた。

JR高崎線の籠原駅。電車の増解結が行われる駅として知られている。駅舎は橋上、東西自由通路まで備えた近代的な駅だが、跨線橋は古レールをプラットトラスに組んだものだ。

屋根はアーチ。このアーチ部材は古レールで、軸方向の部材はアングル材である。



3・4番線ホームの上野側に増設された階段とエレベーター。この増設部分を、一つ上の写真と見比べてほしい。一つ上の写真は、高い窓と、腰板にはポスターの羅列。こちらは足下まで採光用のガラスが連なる。一つの上の写真の通路では、もしそこにベンチがあっても座る人など皆無だろう。でもこちらなら、きっと、そこが休憩所になるに違いない。

こうして比べると、時代によって跨線橋というか公共の通路への考え方の違いがあることがよくわかる。国鉄時代の跨線橋というのは単なる通路であって、客は一刻も早くその場から逃げ出したい空間だが、最新の通路は少しでも長くそこにいてもらう場所、いやそれだと誤解を招くな、またそこを利用してもいいと思わせる空間である。

ホームの上に戻る。古レールは階段部分のフレームにも使われている。そして、後付けと思われる屋根の部材とも溶接されている。こういう「現物あわせ」なところがおもしろい。











当初、階段は大宮側のみだったものの、のちに高崎側にも増設されている。


野付半島の付け根、茶志骨から南の国道244号は、行き交う車もほとんどない。尾岱沼の集落が少し目立つだけで、あとはひたすら左に海を見ながらゆるやかなアップダウンを行く。

尾岱沼から約15km。本別海という集落に入ると、少しホッとする。時間にしたら15分、いや実際は…なのだけれど、その前から延々と無人の台地を走り続けているわけで、そうしたあとで郵便局のような「集落の証」があると、かなり大きな町に感じる。

郵政書体が残る。「郵」の文字、偏の中央が「田」になっているのは勇足郵便局と同じだ。



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