忍者ブログ
[248] [249] [250] [251] [252] [253] [254] [255] [256] [257] [258]
国鉄の特急・急行形電車の間でポピュラーなDT32・TR 69系台車。側面から見ると、枕梁が「┓」型をしている。その枕梁の上面は、上の通り、巨大なフタのような形状をしている。

そしてその裏側には空気バネがある。写真上部に指が写り込んでいるのはご容赦、フード代わりにかざした手です。で、空気バネは直接側枠に載り、枕梁の下部端から出たボスルタアンカは側枠から突き出た受け部分と結ばれている。




PR
2013年夏の北海道ツーリングの帰り道、国道398号を走っていた。女川から西へ、牡鹿半島の付け根を越えると左手にJR仙石線、その向こうに万石浦が左に見える。その坂の右に、もう使われなくなってずいぶんたつ三菱の給油所があった。

敷地内は雑草が繁茂していた。近隣は住宅地なのに、ここはこのまま放置されている。雑草の向こうに、スリーダイヤモンドが薄く残っていた。

JR高崎線の籠原駅。電車の増解結が行われる駅として知られている。駅舎は橋上、東西自由通路まで備えた近代的な駅だが、跨線橋は古レールをプラットトラスに組んだものだ。

屋根はアーチ。このアーチ部材は古レールで、軸方向の部材はアングル材である。



3・4番線ホームの上野側に増設された階段とエレベーター。この増設部分を、一つ上の写真と見比べてほしい。一つ上の写真は、高い窓と、腰板にはポスターの羅列。こちらは足下まで採光用のガラスが連なる。一つの上の写真の通路では、もしそこにベンチがあっても座る人など皆無だろう。でもこちらなら、きっと、そこが休憩所になるに違いない。

こうして比べると、時代によって跨線橋というか公共の通路への考え方の違いがあることがよくわかる。国鉄時代の跨線橋というのは単なる通路であって、客は一刻も早くその場から逃げ出したい空間だが、最新の通路は少しでも長くそこにいてもらう場所、いやそれだと誤解を招くな、またそこを利用してもいいと思わせる空間である。

ホームの上に戻る。古レールは階段部分のフレームにも使われている。そして、後付けと思われる屋根の部材とも溶接されている。こういう「現物あわせ」なところがおもしろい。











当初、階段は大宮側のみだったものの、のちに高崎側にも増設されている。


野付半島の付け根、茶志骨から南の国道244号は、行き交う車もほとんどない。尾岱沼の集落が少し目立つだけで、あとはひたすら左に海を見ながらゆるやかなアップダウンを行く。

尾岱沼から約15km。本別海という集落に入ると、少しホッとする。時間にしたら15分、いや実際は…なのだけれど、その前から延々と無人の台地を走り続けているわけで、そうしたあとで郵便局のような「集落の証」があると、かなり大きな町に感じる。

郵政書体が残る。「郵」の文字、偏の中央が「田」になっているのは勇足郵便局と同じだ。

ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)の続き。

1990年代前半、東海道新幹線は「ひかり」が主役であり、東京と新大阪の間は3時間というのが常識だった。単純に、往復で6時間。2往復なら12時間だ。アルバイトとして考えれば1日に2往復すれば、倍、稼げる。このように、一度乗務して、東京帰着後に別の乗務行路に入ることを「着乗(ちゃくじょう)」と言っていた。

1往復後に泊まりの行路に入る「1往復半」、あるいは泊まり行路明けからもう1往復する「1往復半」をする人は多かったが、私は2往復を好んだ。あくまで、時給制のバイトだからである。2往復は4年間で62回やった。その大半は1992年度に集中している。乗務行路の関係で、1993年3月改正以降はあまりできなくなった。

一番多く乗ったのは、1992年3月改正での103A→108A→253A→284Aである。この組み合わせは、コーヒーで忙しい朝の下り、昼にかかって弁当がバカ売れする上り、ビールと弁当が売れる夕方の下りと、それぞれが満席で売上げが大きい列車で、A車ワゴンでは10万円売ることが目標だった。しかし、最後、夜の上りだけは、ガラガラのことが多かった。1日で売上げ20~30万、一方、バイト代は1万5000円くらい。なかなか会社に貢献していたと思う。

* * *

年末年始は時給が200円増しだった。バイトが確保できないからである。私は積極的に入り、1992年末から1993年始にかけて、こんなシフトを組んだことがある。

(12/29)夜の1往復 253A-284A
12/30 (睡眠3時間で)2往復 203A-78A-253A-284A
12/31 (睡眠3時間で)2往復 103A-108A-253A-284A
1/1 (睡眠5時間で)1往復 77A-114A
1/2 (睡眠5時間で)2往復 205A-6A-253A-284A(なぜかY編成)
1/3 (睡眠3時間で)2往復 203A-78A-253A-284A

稼ぎに稼いだけれど、フラフラだった。立っていても眠ってしまいそうになる。少しの休憩時間を見つけて、車販準備室などで居眠りをした。12月、1月ともに、バイト代は20万円を少し切るくらいまで稼いでいた。

* * *

前にも書いたが、この253A-284Aが大好きだった。1992年3月14日から1993年3月17日までの1年強、369日間運転されたはずだ。そのうち、253Aには73回、284Aには76回乗務している。5日に1回は乗ってい計算になる。

284Aはいつもガラガラの列車で、ダイヤ改正直後はカフェテリアの食材が大量に廃棄されていた。たしか4月に入ると見直されて、適切な数になったと思う。年末年始の乗客や売上げのメモが残っている。

12/29 バイト3人乗務、3人とも売上げ4桁
12/30 乗客数 新大阪~名古屋89人、名古屋~東京77人
12/31 乗客数 名古屋~東京70人

<関連事項>
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア