日高本線の西様似駅と鵜苫駅の間にある岩を貫く塩釜トンネルの東側坑口。山側に旧道のトンネルがある。左にある裂け目も気になるが、無視する。
現在の塩釜トンネルは1968年12月竣工。坑門の形がユニークな五角形だ。笠石に相当する部分が屋根のような意匠となり、坑門は濃い黄色で塗られている。 旧隧道の坑門は石積み。しかし、アーチの要石付近をふくむ頂部はコンクリートで塗り固められており、なんとも痛ましい姿だ。帯石にあわせてコンクリートもふくらんでいるあたりが、痛ましさを強調する。坑口は、下半分をコンクリートの壁で塞がれ、上は網のようなものが張られている。 西側。 こちらの旧道は波板で完全に塞がれているが、出入りできる扉があり、しかも開いている。私は入っても覗いてもいない。 いままで襟裳岬は何度も回っているが、紹介した2例とは関係なく、2000年代に入ってから新しい道がどんどん開通している。旧道を改めて巡ってみたくなっている。
襟裳岬を、十勝から日高へと回る国道336号。広尾を過ぎ、音調津(おしらべつ)から先は「黄金道路」と呼ばれる。黄金を敷き詰めるほどに建設費がかかったというのがその由来である。
その、黄金を敷き詰めた道も、いまやかなりの部分で新道が開設されている。音調津から南、2万5000図を見ると、多くの旧道が描かれている。このフンコツトンネルもそのひとつである。写真は北側の坑門。 坑門左下の銘板に1970年12月、とある。この時点で旧道が生まれた。 トップの写真の海側の大きな岩にひとつ、穴が穿たれている。 コンクリート舗装。この上にアスファルト舗装がなされていたのかはわからない。ガードレールの跡もない。線形は右にカーブしているが、坑門手前で左にも広がるのは対向車待ちのスペースか。 坑門はコンクリート製。型枠の跡がはっきりとわかる。ヴォールト内は、アーチ部分はコンクリートブロック、起拱線から下の側壁はコンクリート製だ。向こう側の坑口の右上、コンクリートブロックが欠けているのが見える。 路面はコンクリートかと思いきや、なにもない。 向こう側に出てみると、そこには道はない。ごっそりと欠けている。タイドプールがいくつもあり、そこには魚や貝が生息していた。欠けた坑門とおぼしきコンクリートの塊も転がっていた。 南側の坑門。左側が欠けている。 その、欠けている部分。コンクリートブロックにしろ側壁にしろ、よくも持ちこたえているものだとも思うが、元々は岩盤に穴を穿ったものを覆工しているだけにも見え、素掘りでもよかったのではないかとも感じる。 南から北へ、隧道内の路面を見る。この位置まで海水の溜まりがあるのを見ると、海が比較的おだやかな夏でも常に波がここまで打ち上げてくるのだから、路面のコンクリートが波で破壊されるのもむべなるかなと思う。そして、路面のコンクリートは思ったよりも薄い「板」なのだと知る。 この隧道を含む区間の竣工はwikipediaには1934年とあるが、日記的な何かさんのサイトによれば、このフンコツトンネル旧道は1930年の開通とのこと。開通時の写真などあれば見てみたいものだ。
十勝川河口の東に、かつて、大好きな道があった。昆布刈石(こぶかりいし)付近のダートだ。釧路方面からそこに至るには、国道38号を西に向かう。賑わいを見せる音別を過ぎるといささか荒涼とした景色となり、尺別、直別の湿地帯を過ぎて道道1038号を海側に分ける。
空き家が目立つ厚内駅……2001年に立ち寄ったときには女子高生が待合室でずっと電話していた……を過ぎるとキャンプ場がある。海から吹きさらしなので、こんなところにテント張るのはキツイと思う、いつもは全然人がいないのに、8月上旬だからかいくつか張ってあった。 そのまま道道を直進すると、この厚内トンネルがある。上の写真は東側坑口。左、海側には旧道が埋められている。 このトンネル、何度も通ったことがあるはずだが、記憶にない。 厚内トンネルを抜けて、これは西側坑口。右に旧道がある。 旧道は舗装が剥がされている。遠くに埋められた坑口が見えるが、そこまでは行かなかった。 厚内トンネルの銘板。2008年頃の開通か。そして東口坑口の内側には工法のプレート。 * * *
道道1038号はこの先、内陸に入るのだが、さらに海側に分岐していて、そこには昆布刈石展望台がある。かつて、ここから先は超フラットダートだった。 以下、12年前の写真。2001年7月。もらった期限切れのPKL。赤いけれど、色補正などしないよ。 写真で言えばこの右側に並行して国道336号が建設され、いまはそちらを恐ろしいスピードでクルマが走っていく。このダートも存在するようだが、覗いたところ、通れないようにしてあったように記憶する。いささか心許ない記憶なので、再度行かねばならぬかもしれない。 なお、さらに西、十勝太のあたりでは一段下にも道があった。バイクが向こうを向いているのは、ここにバイクを乗り入れて写真を撮っただけで、実際にはこの道は走っていない。このときは雨上がりで、異様な光が射していた。この道がいまどうなっているのかはわからない。
(「定番」のひとつ、石北本線の常紋峠)
昭和30年代、40年代に蒸気機関車の撮影で全国を飛び回っていた趣味界の大先輩たちのお話を伺う機会が続けてあった。よく雑誌でお名前をお見かけする、筋金入りの方々。ある会合ではそうした歳になって初対面同士…という場面も多かったのだが、おもしろいのは共通言語として、蒸気機関車の撮影地や撮影にまつわる旅話がそれになっているということだった。 40年前の話題を元に、いま、初めて会う方々が話を弾ませるということ。なんという素晴らしいことだろう。「お立ち台なんてなかった」(実際に聞いた言葉)という時代だが、それでも人が自然に集まる場所はあっただろうし、地図とダイヤを見比べて「撮るならここ」と見定める場所というのは往々にして重なるものだろう。「あそこは、ここでこう撮った」「そうそう、私はこう撮った」。「定番の場所」が、皆をつないでいる。 (「定番」のひとつ、オロロンライン) そういえば、バイクでのロングツーリングも同じだ。GWは四国か九州へ。夏は北海道か東北へ。やはり定番というべきものはあって、それは岬だったり峠だったり道路そのものだったりする。もちろん個々人ではそれぞれ定番以外の場所もたくさん訪れるもので、むしろそのほうが多い人もいるのではあるが、おのずと「いい場所」は定番になる。遠く北海道のキャンプ場で出会った人と「九州のあそこは…」「自分が行ったときは…」という話で盛り上がることは、まったく「定番の場所」があるおかげだ。 「時代感覚の共有」が世代を同じくする水平方向の感覚とすれば、「場所の共有」は、世代を超えた垂直方向の感覚である。それが、いかに人々の距離を近づけてくれるか。大先輩方同士の、あるいは大先輩方とのお話の中でそんなことを感じた。ともすれば否定されがちな「定番」。私も否定しがちだったが、改めて考えると、定番こそが人とのつながりを作ってくれていた。 全国あちこち行っていると、知らずに定番はかなり回っているものだ。定番を回ってこそオリジナルも生まれるだろう。なお、大先輩方が恐ろしいのは、その定番が国内にとどまらないことである。 |
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