弁財澗の片洞門 国道229号(北海道)の続き。
付近は「祈石(いのりいし)工区」として、兜トンネル・茂岩トンネルなどとともに4.1kmの区間をまとめて改良工事をしている。その仕上げたる部分が、この尾根内大橋の開通だ。この橋の開通に伴い、尾根内トンネルは旧道となって閉鎖された。 その南側から入った。 (施設名参考:『旧道探索』) これをくぐったところで、なにもなかった。旧旧道は、現道を作る際に潰されていて、行き止まりというか、どこにも行きようがない。 振り返っての帰り道。廃橋から海を見下ろしたら、そこは見事な「澗」であった。かつてはここに船を着け、ここを生け簀のようにつかったのだろう。 旧旧道を出て旧道の弁財トンネル前に出ると、廃道は両端を少しずつ狭めて、夏らしい雰囲気をもってそこにたたずんでいた。
旅行者がJR越後線に乗るとき、おそらく、海側に席を取るだろう。日本海が見えやしないかと思うからだ。しかし、越後線の海側の車窓は、ひたすら山である。逆に内陸側を見下ろす形になる。
新潟市街地は、海側のほうが「山」。これは発達した砂丘のせいだ。私なぞ、自宅から海へ行くときには坂を登っていったくらで、地元にとっては当たり前のこと過ぎてなにも感じなかったのだが、どうやら他の地域の方々には違うらしい。これを、カシミール3Dと5mメッシュ標高データを使って描いてみた。 赤い線が越後線。右から、青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野駅である。その北側の緑の部分が砂丘。色分けを解説すれば、白が標高8mで茶色はそれ以下。黄色く見えるのは標高10~12mくらい、黄緑が標高15mで、砂丘の中央の緑の濃い部分は標高20m以上になっている。越後線は、標高10~16mあたりを通っている。 車窓がどんな感じかというと… 海側の車窓では(新潟発の上りで)新潟大学前を出てすぐのところで畑が見える部分、ここがいちばん「砂丘」を感じると思う。内陸側は、わりとどこでも見下ろす感じになる。 youtubeに車窓動画があった。この19:40くらいからの山側が、最も砂丘を感じるところだと思う。
鯨波駅の跨線橋(新潟県)に関連して。
中学生の頃、学校のトイレのいくつかに板が打ち付けられ、使用禁止の扱いになった。確か当時、「学校のトイレの数は生徒の数に応じて決められている」と聞いた気がする。この鯨波駅の減数処理も同じことだろう。便器が多ければ掃除の手間も増える。それでも、小用二つ+個室一つ残してくれているJR東日本はエライと思う。 跨線橋の桁は、古レールを使用したワーレントラスだ。 ●左 施工 株式会社植木組 概要 跨線橋 階段部 鋼造一部木造 (亜鉛メッキ仕上) 福音3.0m 2箇所 しゅん功 昭和58年3月 ●右 施工 株式会社植木組 概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m 2ヶ所 (ペイント塗装4回塗り) 基礎 鉄筋コンクリート造 鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=90m 8本 しゅん功 昭和44年7月 また、下りホームの脚の根元にも、銘板があった。 施工 (株)植木組 概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m・16.6m (ペイント塗装4回塗り) 基礎 鉄筋コンクリート造 鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=9.0m 16本 しゅん功 昭和44年7月 これらの「しゅん功」は、更新年月と見ていいだろう。 駅舎。かつては茶色系統で塗装されていた。 |
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