旅行者がJR越後線に乗るとき、おそらく、海側に席を取るだろう。日本海が見えやしないかと思うからだ。しかし、越後線の海側の車窓は、ひたすら山である。逆に内陸側を見下ろす形になる。
新潟市街地は、海側のほうが「山」。これは発達した砂丘のせいだ。私なぞ、自宅から海へ行くときには坂を登っていったくらで、地元にとっては当たり前のこと過ぎてなにも感じなかったのだが、どうやら他の地域の方々には違うらしい。これを、カシミール3Dと5mメッシュ標高データを使って描いてみた。 赤い線が越後線。右から、青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野駅である。その北側の緑の部分が砂丘。色分けを解説すれば、白が標高8mで茶色はそれ以下。黄色く見えるのは標高10~12mくらい、黄緑が標高15mで、砂丘の中央の緑の濃い部分は標高20m以上になっている。越後線は、標高10~16mあたりを通っている。 車窓がどんな感じかというと… 海側の車窓では(新潟発の上りで)新潟大学前を出てすぐのところで畑が見える部分、ここがいちばん「砂丘」を感じると思う。内陸側は、わりとどこでも見下ろす感じになる。 youtubeに車窓動画があった。この19:40くらいからの山側が、最も砂丘を感じるところだと思う。 PR
鯨波駅の跨線橋(新潟県)に関連して。
中学生の頃、学校のトイレのいくつかに板が打ち付けられ、使用禁止の扱いになった。確か当時、「学校のトイレの数は生徒の数に応じて決められている」と聞いた気がする。この鯨波駅の減数処理も同じことだろう。便器が多ければ掃除の手間も増える。それでも、小用二つ+個室一つ残してくれているJR東日本はエライと思う。 跨線橋の桁は、古レールを使用したワーレントラスだ。 ●左 施工 株式会社植木組 概要 跨線橋 階段部 鋼造一部木造 (亜鉛メッキ仕上) 福音3.0m 2箇所 しゅん功 昭和58年3月 ●右 施工 株式会社植木組 概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m 2ヶ所 (ペイント塗装4回塗り) 基礎 鉄筋コンクリート造 鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=90m 8本 しゅん功 昭和44年7月 また、下りホームの脚の根元にも、銘板があった。 施工 (株)植木組 概要 階段 鉄骨古レール造 巾員3.0m・16.6m (ペイント塗装4回塗り) 基礎 鉄筋コンクリート造 鉄筋コンクリート抗Φ=300mm ℓ=9.0m 16本 しゅん功 昭和44年7月 これらの「しゅん功」は、更新年月と見ていいだろう。 駅舎。かつては茶色系統で塗装されていた。 こう見ると新川がメインで西川が運河のように見えるが、逆である。もともとは西川は舟運等に使われていた自然の河川で、天井川であった。いまの新川周辺、わかりやすくいえば新潟から上越新幹線と越後線と弥彦線に挟まれたエリア、ここは氾濫原であり、潟湖が多数あった。幅の広い新川は、そこから排水し、水田化するために掘られた運河である。 その経緯はこちらをご覧いただきたい。 ・新潟県ホーム>農林水産業>【巻農村】水を利用し、水から守る ・新潟県ホーム>農林水産業>新川漁港(第1種 新潟市管理)
さて、新川の工事のときのこと。
9月28日に新潟の北書店にて、路地連新潟・野内さんととスリバチ学会会長・皆川さんの合同トークショーが開催された。そしてそのまま『砂丘をキワめる坂道めぐり』という街歩き、翌日には『砂丘を登ろう!日和山登山』が開催された。
自分が生まれ育った地域をみっちり歩いたのだけれど、あまりに自分が新潟について無知であることを強烈に感じてしまった。中でも「砂丘は列をなしている。西大畑のあたりに二列が分かる場所がある」ということは、『東京スリバチ地形散歩2』が刊行された今回まで、まったく知らなかった。 その部分をカシミール3Dと5mDEMで描いてみると… そういう場所に直行する形で横切ったらどうなるか。 * * *
砂丘列等について書きたいことは山ほどあるが、まずは冒頭のような、砂丘列がわかりやすい地形図をいくつか作った。 新潟市5mメッシュ(東港)http://flic.kr/p/geEqh6
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