池島は、戦後に開発された炭鉱の島。いまは閉山したが、炭鉱の施設が見学できるため、産業遺産が好きな人たちが静かに訪れている。これからもっと広く知られるようになるだろう。
上の写真はジブローダー。ベルトコンベアでこの場所(貯炭場)に集められた石炭を積み出すのに使う。写真左の下部から石炭を取り込み、写真右のブームから積み出す。 ここからほど近い道路の防波堤が台風で破壊されていた。 のぞき込んだら…。 レールがある。 どうやら桟橋があり、それが崩壊したらしい。もっとも破壊された防波堤ができた時点でこの桟橋は塗り込められていたというか閉鎖されていたと思われる。周辺に散乱するコンクリート塊には、レールを鉄筋として使ったものもあった。 ジブローダーの位置と合わせて考えても、ここにレールがあるのがちょっと理解できない。石炭の積み出しに使われていたのであれば、貯炭場からここまで半地下の軌道があるものと思うが、1975年撮影の航空写真を見ても、よくわからない。 乞ご教示。 おまけ。 池島往復の切符。 PR
国道425号。1車線だが、ところどころに離合スペースはある。こういう道路が大好きだ。この日は快晴だったが、そぼ降る雨の中をバイクで走るときに最高の表情を見せてくれる。
出自が三菱石油であったことを、いまも。 丸善石油のお膝元だった紀伊半島西部に閉鎖されたコスモ石油があった。防火壁は曲面を描いていて、一部が剥げ落ち、小豆色が見えていた。うっすらと、ツバメの輪廓が見えている。 丸善石油であったことを。 これに会いに行った。1日かけて。 JR芸備線の高駅(広島県)の駅前には農協がある。その裏手に火の見櫓があった。 垪和(はが)地区は山がちだが、丘をカーブで乗っ越す道路の頂点に、建物と火の見櫓があった。集落を見下ろせる、適切な場所。建物は、荷物窓口のようなものが道路を向いているが、なんの建物だったのだろう? 津山駅前にあった「おにぎり」。普通は三つの標識が縦に串刺しになるところ、ここはおもしろい配置をしていた。 津山駅前のハイウェイバスきっぷ売り場。プレハブの上に意匠を凝らした装飾テント。もしかしたら、以前はプレハブではなく、きちんとした別の建物があったのかもしれない。 津山から吉井川に沿って下っていると、堤防の下に消防倉庫と火の見櫓があった。シャッターには「津山市消防団 福南分団第3部消防機庫」とある。火の見櫓は堤防の上にあったほうがいいのではないかと思った。
一項目として立てるほどでもないが、気になるからこそ写真を撮ったものをまとめて。
鳥取県八東町の南という集落で見かけた火の見櫓と消防倉庫。扉の鍵は閂だ。 その近くにあった木造倉庫。扉は板を普通に使っている。 その近くにあった別の火の見櫓と消防倉庫。シャッターには「中南自警団」。 すこし西にある「東○○消防倉庫」と火の見櫓。脚のひとつは用水路の中にコンクリートで土台を作って建っている。 その近く、岩渕集落で見つけた消防倉庫と、その背後の高台の公園にある火の見櫓。半鐘がある。てっぺんの鳥の巣のような箱は、サイレンの雨除け。 その南、三浦集落の消防倉庫と火の見櫓。足下にはサイレン。 ポンプ格納庫には半鐘が下がっている。 鳥取県道6号は未開通。その行き止まり地点。 この地区では、消火栓に蓋をかぶせている。かわいい。 若桜駅の給水塔。下はC12の動力たるエアのゲージ。単位がMPa(メガパスカル)なので、約10kg/cm^2まで測れるものだ。 余部橋梁のモニュメント化は、思いのほかいいものだった。それでも、橋脚が倒れないよう、アンカーが打たれていた。 国道178号江野トンネル東側の旧道。廃道。
国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネルに対する「新道」の橋。
右が新道。長峰峠から下ってくると、近城トンネル(写真では対岸)を抜けてすぐこの高嶺大橋で益田川(5万図・20万図では「飛騨川」とある)がダム湖としてふくれあがった部分を渡る。対岸、トンネル手前を右に行くと日和田1号・2号トンネルがある。手前は野麦街道、振り返ると上ヶ洞5号トンネルがある。 写真の対岸左には左岸の橋台跡が見える。 橋の途中から、右岸の橋台跡。ここには旧・高嶺大橋が架かっていた。橋梁史年表によれば、橋梁131m、 1968年開通のトラスドランガーだったようだ。 いま、ここにはニールセンローゼの巨大なアーチ橋がかかる。 旧橋と同じ名前がつくというのは珍しい気がする。
待望の本が刊行された。著者は、鉄道ファンには『RailMagazine』誌上で「感動の所在地」(全3巻)という昭和40年代の蒸気機関車のあった光景を描写した連載と、それに続く「SL甲組の肖像」(1~7巻、以下続刊)という機関士の証言を集めてリアルな運転の現場を再現した連載で知られる。どちらも、それまでにはなかった内容で、美しく効果的にレイアウトされたモノクロ写真とあいまって、素晴らしい連載となっている。
「SL甲組の肖像」は機関区ごとに章立てされており、証言する人はほぼ昭和十年代に国鉄に就職、直後に戦中戦後の鉄道輸送を経験し、昭和五十年代まで働いていた人たちだ。乱暴にくくればほぼ世代は共通する。『SL機関士の太平洋戦争』は、彼ら機関士の証言を、機関区という枠を取り払って時代意識やテーマでまとめたものだ。「SL甲組の肖像」の取材では、連載に収まりきれない証言、記録しておきたい証言がものすごい量になっていることは想像に難くない。『15歳の機関助士』(川端新二/交通新聞社)もそうだが、いまは想像することも難しい、戦争の時代。しかし、2013年から考えると、70年前の話しである。 著者としては「間に合った」というのが実感だろうと思う。取材は2000年代前半からとしても、なにしろ当時ですら80歳を越える方々も多かったはずだ。あまりに過酷な労働環境ゆえ、機関士の平均寿命は65歳くらいではなかったか。それでも、当時の記憶を今に伝える…いや、その人の中だけに抱えていて家族にすら共有されていない記憶を公にすることがいかに大切なことか、この本で認識させられる。 本書のタイトルは「太平洋戦争」であって「日中戦争」でも「第二次世界大戦」ではない。読むまでは不思議に思っていたのだが、読めば、なぜこのタイトルになったかが実感できよう。 * * *
こうした記録集は、もっともっと刊行されてほしい。鉄道趣味誌も、発表の場を与えて欲しい。対象も機関士だけではなく、時代も広げたものを、読んでみたい。集まれば、昭和20年代の、30年代の、40年代の国鉄職場の雰囲気と、時代も感じることができる。鉄道趣味対象の異様な偏りも、少しは緩和できる。ならば自分でやれよ、と言われそうだ。すみません。 本書と同じにおいを感じた本に、『関東大震災と鉄道』(内田宗治著/新潮社)がある。こちらは記録と証言を結びつけた本。合わせてぜひ。 * * *
そういう点では、イカロス出版の『「証言」日本国有鉄道』は貴重だ。『甲組』の3回目くらいの孫コピーに感じる質ではあるのだけれど、取材対象が蒸気機関車以外の運転職という、いままで鉄道趣味誌がないがしろにしていた部 分に焦点を当てているというその一点で、貴重である。登場するのは、望んで電機や電車の機関士・運転士になった人たち、踏切警手、操車掛、車掌だ。それ も、比較的若い、60代から70代の人たちだ。 「孫コピー」というのは、とにかく『甲組』の表面だけ真似しているのである。本人の言葉をキャッチとして使うあたり、とくに。インタビュアーの質問も丁寧語と敬語が混ざり、ぐちゃぐちゃ。「ありましたか」と「ございましたか」があったり。また、誤字が恐ろしいレベル。入稿前にプリントして読むことすらしていないものを原稿校了しているのではないか。非常に残念だ。 本の作りとしては、悪い。しかし、それは証言の質とは関係ない。内容は、とにかく証言者本人の印象、別の言い方をすれば「主観的な事実」だけが書かれていることは貴重である。 本筋とは関係ない印象として、あふれてくるのは昭和40年代、50年代の国鉄の置かれた環境である。「現代の目で見ると」当時の国鉄というのはありえ ないほどに恵まれた職場環境なのだが、証言者たちはそれをまったく認識していないのがすごい。現代の目で見ると、なぜその作業に正社員が必要なのだろう、 というように感じてしまうような証言がたくさんある。それも、歴史である。 |
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