高梁川にかかるカンチレバートラス、水内橋(みのちはし)。2013年5月の訪問時は補修工事中だった。写真は上流側からで、左の洞門は国道180号。写真が傾いているように見えるだろうが、右岸(写真右)に向かって上りになっている。 上流・右岸から。 左岸(国道側)正面。重量制限は12t。左右の上弦に載る標識は「水内橋」と書いてある。親柱はない。 カンチレバートラスたる、吊桁が載る部分。定着桁に載っているだけなのだろうか。接合するピン等があるのかわからない。 欄干、鋳鉄製だろうか。開通当初からあるものだろうか。 塗装標記は端柱に、横に書かれている。高梁川の橋梁群の塗装標記は、位置がおかしなものが散見される。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 PR
3径間+側径間の、美しい曲弦プラットトラス。写真は南詰めから。対岸が国道180号、その向こうにJR伯備線が見える。
左側の側径間は後年造られたもので、歴史的鋼橋集覧の図では、この左端の橋脚は橋台として描かれている。 その橋脚を拡大して見ると、本来橋台だったことがよくわかる。これは橋台の裏側。縦の4本の柱は後年の補強だろう。ここがかつては橋詰だったので、親柱もこの位置にある。 南詰の親柱は、左は撤去されている。右は「昭和十一年八月竣功」とある。側径間のガードレールにも律儀に銘板があり、左は「高梁川」、右は「玉川橋」とある。 プラットトラスは中央部のパネルは斜材がX字型となることが多い。中央部のパネルは最も大きな力がかかるので、引っ張りの力がかかる斜材(中央部に向かって\|/型)とは別の対角線(中央部に向かって/|\型)に斜材を入れることで剛性を上げている。 後者の部材は、メインたる前者の部材の部分で分断されているものが多いが、ここでは交差している。これは珍しいと思う。 国道側の端柱裏に塗装標記があった。こんな場所にある塗装標記を見るのは初めて。 国道側正面。親柱が残っている。左は「玉川橋」、右は「昭和十一年八月竣功」。向かって右が原形、左は上部が欠けている。 先に国道の対岸側の正面の写真を上げたが、右側にわずかに写っている親柱はやはり灯籠状の上部が欠損している。 向かって右の親柱をじっくり鑑賞してほしい。 対岸側、実は水門がある。写真中央、ゴミ捨て場箱の背後に見えるのがそれだ。この道路の高さより上まで土手が築かれているので、一部が切り開かれ、このようになっている。使う必要がないことが一番だ。
方谷橋の東詰の交差点から見た、国道180号・313号の歩道橋。両者は高梁市街地のみ重複しているが、「親」たる180号が小さく、313号は大きい。到達の表示は180号しかなく、あとから313号を表示したことと推測する。
しかし。 その少し南には、逆に180号が大きく、313号が小さい標識がある。こちらの180号はいささか古びている。 大きさを比較すると、下写真の180号>下写真の313号=中写真の313号>中写真の180号、と思う。 さしづめ、下の写真は「まだ子供(313号)」、上の写真は「思春期過ぎてお母さん(180号)より背が高くなった息子(313号)」といったところか。
方谷(ほうこく)駅そばにあるのは中井橋だが、この方谷橋は高梁市街地にある。どちらも幕末の儒家・陽明学者である山田方谷の生誕地にちなむもので、駅は生誕地、橋は方谷が使えた備中松山藩(高梁)ゆえか。
3径間の橋で、一見、中央径間だけがランガー桁であるかのように見える。現状、写真左からスパン11.5m、56m、32.4m。ランガーの桁部分と前後のプレートガーダーを見ると、プレートガーダーは側面の意匠が違い、ランガーの桁がプレートガーダーに食い込んでいる。カンチレバーである。側面の意匠が違うのは、側径間が更新されているからであり、当初よりあるのはランガー桁のみだ。 歴史的鋼橋集覧によれば、1972年に橋長の変更と側径間(吊り桁)の交換が行われている。それ以前は、図面を見る限り、側径間の側面もランガー桁の桁側面と同じくウェブが入ったもののようだ。 側径間のプレート。左は
左側、銘板に橋名まで入っているのは珍しい。 平行する歩道橋から、接合部を見る。これは西詰めの北側。通常、吊り桁は上に乗っかるだけだが、ここでは下に支えがある。ボルト等を見ると後付けであることがわかる。この耐震工事は2000年に行われたもののようだ。 東詰(国道側)。親柱左は「高梁川」、右は上が「方谷橋」、下が土木学会選奨土木遺産の銘板。 うっかり西詰の正面を撮っていないが、左の親柱のみ掲載する。「昭和12年3月架橋 昭和47年3月補修」という複合のもの。右は「ほうこくばし」。様子からするに、銘板類はすべてこの時期に同時に製作されたもののようだ。
田井橋。ランガートラス。スパンはなんと88.2m(歴史的鋼橋集覧による)。
おもしろいのは立地で、高梁川がもっとも狭まるこの部分を最短距離で渡ろうとしているのだろう、アプローチの道からカクッと角度をつけて川を渡っている。そして渡った先では直角に右カーブとなる。 上の写真は南側。手前の鈑桁については後述する。親橋が残り、左は「田井橋」、右は「昭和二十九年竣工」。この橋の開通は昭和12年だが親柱にこうあるのは、手前の鈑桁は増設桁であるためだ。 対岸の北側、左の親柱は土木学会の選奨土木遺産のプレートと、その下に「田井橋」。右の親柱にはなにもない。選奨土木遺産は「室戸台風の災害復旧橋梁群」のひとつとして選ばれている。室戸台風といっても昭和36年の「第2」ではなく(こちらのほうが有名である気がする)、昭和9年のものだ。 北側の銘板(南側にもある)。
ランガートラスのアングル。直上の写真は吊り材に補強が入った部分で、ボルト留めとなっている。 追加された鈑桁。25.5m。加設されたものだ。当初は高梁川の「イン側」がこんなになっているとは思わなかったのではないだろうか。 |
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