PR 河川占用工作 設備名 澄川(発)千原えんてい吊橋 占用目的 橋梁(吊橋)のため 専用期間 平成●年4月1日から 平成21年3月31日まで 占用規模 79.58m^2 許可者 島根県益田土木建築事務所長 申請者 益田市幸町1-5 中国電力(株)益田電力所長 こういう、小規模な吊橋は、華奢で、でもシュッとしていておもしろい。 興味深い点と、よろしくない点と、非常に評価の難しい本。 本作り、つまり「原稿を書く/入稿/校正/校了/印刷」という行程を知らないと、「つくりかた」の説明をするのは難しい。たいてい、こうした裏方作業の話は印刷工程における苦労話や極端なエピソードなので、うっかりすると「時刻表ならではの作り方」ではなく、「通常の本作りのプロセス」になってしまいがちだ。そのあたりのバランスにはかなり苦労しただろう…と思いきや、どうも全然苦労してない雰囲気も漂う。つまり、「通常の本作りのプロセス」に終始している。 「時刻表ならでは」の部分が、少なすぎると感じる。「時刻表ならでは」の部分は、全体の数分の1程度しかないのではないか。執筆は分担制なのか、専門用語が解説なしで出てきてあとから注釈が入ったり、注釈なしの専門用語が散見されるのも残念だ。 例えばP70、APRという樹脂版(いわゆる樹脂凸版)での作業について「清刷を所定の場所に配置してカメラ撮りをしてネガを作る」と書いてある。「カメラ撮り」とは、確かに印刷所の人は、そう言う。でも、普通は「カメラで撮る」という行為は「撮影」と言う。そして、これはまだ「スキャン」が一般的ではなかった時代の技術だ(現在でも大判の図版は「カメラ撮り」をする。『空から見える東京の道と街づくり』の地図の一部はカメラ撮りをした)。ここは注釈が絶対に必要だ。 樹脂版にしても、私は週刊漫画雑誌で実物を扱っていたのでよくわかるのだが、若い編集者にすら伝わらないだろうこの部分、読者にはもっと伝わらないに違いない。この部分を解決するためには、その樹脂版の写真があればいいのだが、本書の最大の欠点は「写真や図版がない」ということである。 参考:樹脂凸版(東レのトレリーフ)ー要するに、このぺらぺらが「ハンコ」の役割を果たす 同じく「活字」と「DTP」の違いについても、もっとわかりやすく書かねばなるまい。 参考:鉛活字を並べるということ(印刷博物館) 活字の時代、駅名や罫線が撚れた。それを説明するためには、実際に昭和40年代の、活字を使っていた時代の紙面と、現在のDTPによる紙面とを見比べさせないといけない。例えばこういう風に。 いや、これらはまだ古い時刻表を持っている人には直感的にわかるかもしれない。本書でもっともダメな点は、時刻表製作に欠かせないという「フンドシ」の写真がないことだ。まったくイメージがわかない。 本書は「ヨンサントオ」の通り一遍の説明などを掲載するのではなく、裏方作業を知ってもらう本に徹して、こうした部分にもきちんと解説が欲しかった。非常に残念だ。 遊郭には床屋がつきもの。その中でもこの一件だけ、古い建物のまま残っている。すでに営業はしていないものの、以前は「くるくる」だけは動いていたそう。正面には「九一調髪館」。理容室ではない、「調髪館」である。腰板はタイル張り、窓は縦長の木桟に青灰の塗り。2階は以前はもう少しくすんでいたようだが…。 向かいの家から、おばあさんがずっとこの建物を見ていた。声をかけて、この建物についていろいろとうかがった。「どうぞどうぞ、撮っていってください。撮っていく人、多いんですよ。以前はここも、その向こうも、うちの地所でした…」。戦時中、そしてその後のお話もうかがった。お話の内容からして、少なくとも80代後半、おそらく90を超えた方だ。「壁も、前にきれいに塗り替えたんですよ」。 「戦争までは、その造船所のところまでしか道がなくて。三菱のバスが国道のトンネルのところまで来ていて、そこが終点だった」。トンネルとは、国道499号の戸町トンネルである。このトンネル、戦時中には半分仕切って軍需工場となっていた旨が「アトリエ隼」さんのブログにあった。 戦時中、軍需工場として使われた戸町トンネルと日見トンネル 戦時のこととて、さまざまな理不尽も経験されたようだ。おそらく、私などとは住む世界が違う「お嬢様」だったおばあさん。もっといろいろ話を聞きたかったが、立ち話が長くなるのも申し訳なく、お暇した。 |
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