忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


No Image

能登半島のカルテックス

ENEOS/日本石油

薄れゆく出光のアポロと農協建築のほど近くに、日石カルテックスの跡がある。

 
これで立地がわかるだろうか。左奥の建物は、前記記事の3枚目写真の奥に写っている建物だ。

 
両翼を広げている。スフィンクスの前足か、ホワイトベースの格納庫か。


 
 
ずいぶんと剥げてしまい、コンクリートの地肌が見えてしまっているが、下部の緑帯は健在だ。






PR

No Image

薄れゆく出光のアポロと農協建築

出光

 
富山県の雨晴海岸の旧街道を走っていると、剥げかけたクリーム色の防火壁に、同じ剥げ方でアポロが佇んでいた。「出光」の大きな文字に対して、控えめなアポロ。コンクリートブロックで築かれた防火壁の上部は苔むしていて、それがまた乾いた古さを醸し出している。

 
立地はこうだ。1面の防火壁のみが残り、その前にはコイン精米所。向かいには小学校。手前の地面は、海沿いにもかかわらず、融雪装置から出た錆で赤く覆われている。「海沿いにも関わらず」というのは、新潟県との比較だ。新潟県では、あまり海沿いにはない印象。

 
JA高岡太田支店の建物。この、銀行然とした意匠。正面中央に庇のついた玄関があり、正面を横に三分割するように袖壁が垂直に降りる。その三分割をさらに分割するように、アルミの桟が縦に幾本も走る。そして側面は、少ない、素っ気ない窓。





No Image

閉鎖されて5年の根室本線落合駅

駅舎

 
2016年8月31日に台風で不通になったこの区間。落合駅が夏にはすごいことになっている、というのを知ったのはいつだったか。2021年夏、北海道に行った際に立ち寄った。

 
落合駅は閉鎖されていた。誰もいないオフシーズンなら(censored)だけれど、いまは、いつ誰が同様に訪ねてくるかわからない。監視カメラもあるかもしれないので、ドローンを飛ばすことにした。

 
OKな場所から手を伸ばして。

 
ドローンより。富良野方を望む。

 
新得方を望む。

 
 
駅舎の待合室には入れる。跨線橋は塞がれている。

* * *

 
 
 
2006年6月の落合駅の写真があった。この時は写真を撮りにいったのだけれど、あいにくの天気だったので、「乗る」ということに切り換えた。このとき、根室本線の滝川~新得間や、北海道ちほく高原鉄道に乗った(それぞれ2回目)。乗っておいてよかったと思う。













No Image

根室本線休止区間の踏切(幾寅西1号踏切)

廃線跡

 
2016年8月31日の台風10号による被災で不通が続く根室本線の東鹿越~新得間。これは幾寅駅の西、二つ目の「幾寅西1号踏切」だ。一つ目は「幾寅原野9号踏切」。「西2号」はないようだ。



遮断桿が取り外されている。

 
頻繁にダンプが通る。東鹿越は石灰石の産地である。

 
踏切部分、レールの溝(といっていいのか)は目詰まりを起こしている。線路は雑草が生い茂っている。これは新得方。

 
これは東鹿越方。こちらのほうが雑草が少ない。

※この区間廃線ではないが、撮影時は既に5年間放置されており、JR北海道も廃止に意向を持っていて今後の希望が見えない状態なので、便宜上カテゴリを「廃線跡」とした。

(2021年7月撮影)





No Image

美幸線の廃線跡:カルバート

廃線跡

 
美幸線の廃線あとは道路に転用された部分もあるが、並行して残っているところもある。ここは健康回復村の近く、歌登辺毛内(うたのぼりぺんけない)。築堤が延々と見える。そこに、カルバートが一つ。

 
翼壁には「1969-8」の象嵌。型となった木片も残る。この「1969-8」は築堤の両側、道路から見ても両側、合計4カ所にある。この写真を撮ったのは2021年7月。52年前の完成。

 
カルバートを抜けて振り返る。この道は、地理院地図にもGoogleMapsにもないが、Googleの衛星画像を見ると、森林伐採のため?の道のようだ。どこかで行き止まっている。





No Image

津軽海峡フェリー 大函丸と大間のキャンプ場

船・舟

 
津軽海峡フェリーや東日本フェリーの青函航路や、八戸苫小牧のシルバーフェリーの利用は何度もあっても、大間函館航路を利用したことがなかった。函館にあがっても、ツーリングのメインとなる道東や道北まで遠い、という理由もある。でも、乗っておきたかったので乗りに行った。

 
猛暑の中、東京から一気に大間まで行くのは、途中で三陸を走るということもあり、1日で行ってしまうか1泊にするか、行き当たりばったりだったので、事前の予約はしなかったが、暑さもあって八戸で、翌朝の大間発の便を予約しようと青森支店に電話した。しかし、「満席です」。あちゃー…。7時の便の次は14時10分だ。時間をもてあます。じゃあ八戸苫小牧にするか。

そう思って、ダメ元で、今度は大間支店に電話してみたら、あっさりとれた。聞いてみると、昔の国鉄のように、支店ごとに枠があるらしい。青森支店の枠は少なく、大間支店の枠は多い、と。よかったよ。

 
大間に行く途中、北海道がよく見えた。駒ヶ岳まで見えるぞ。距離でいったら70kmくらい。

 
そのまま走って、大間崎近くの、キャンプしてもいい公園へ。無料。風呂はバイクで5分くらい。近くには旅館も多く、そこに泊まっているバイクも多かった。そういう人と話をしたが、やはり漁師が経営しているらしく、夕食はまったく食べきれないほどだったそう。そういうツーリングもしてみたいが、テントの気楽さ…「やーめた」もできる気楽さがよくてね…。


食堂が一つだけ開いていた。マグロ船の船長がやっている店だ。食べきれないよ…。

 
干しタコ。大500円、小300円。頭と足を一つずつもらう。食べきれないので翌々日まで楽しんだ。

 
翌朝、5時前に目が覚めた。いよいよ乗船。

 
大函丸は、ハンドルロックタイプ。タイダウンは左右2本。

 

今日も快晴。

 
甲板にいたいけれど、あまりに陽射しが強いので、船内に入ってしまった。

 
函館港には、ナッチャンWorldがいた。一度、乗っておけばよかったよ。




No Image

安家川橋梁 コンクリートハウトラス

コンクリートトラス橋

 
三陸鉄道には、コンクリートトラスが三つある。この安家川橋梁と、その先行事例となった大田名部橋梁(どちらもPC上路ハウトラス)、そして槇木沢橋梁(PC下路ワーレントラス)だ。ほかにも小本川橋梁(PC斜張橋)など、1970年代の技術開発の事例がいくつもある。

 
レンズの樽形収差みたいに見えるけれど、補正済みだ。この安家川橋梁は、手前側を外側にした半径700mの曲線を描くので、手前側に膨らんで見える。かつ8‰勾配だが傾きは補正しすぎたかもしれない。

 
スパン45mのトラス6連とスパン27mの1連からなる。45mのほうは10パネルで、3-4-3に分割されたような外見をしている。これは製造時のオートクレーブ養生や運搬の都合によるもので、実際に3-4-3に分割されて現場で製造されている。現場にはプレキャストの棒状の部材を運び込み、3パネル・4パネルのトラスの「箱」を組み上げ、架設もその単位で行い、空中で接合した。最も長い部材は、4パネル部分の上弦材・下弦材だ。

 
その接合部分。格点の色がちょっと違うが、ここが現場で打った目地コンクリート。接合部分は垂直材が重複する。

 
橋脚部分。端柱に向けて、下弦材が少し迫り上がっている。下弦材のほうがプレストレストのための鋼材が多いことやその緊張作業のためだろうか。

 
桁裏。









No Image

日高大橋 上路三弦橋 空撮

三弦橋

 
上路三弦橋である日高大橋をドローンで撮影してきた。この橋は視点場がなく、北側(写真右)はなんとか桁下くらいまでは降りられるのだが、真横には行けない。そこで、ドローンを飛ばした。

渓谷の真上なので、当然、風が強い。また、操作しているのは道路脇=橋の軸線上なので、本当はドローンを三弦の中に入れて軸方向に進めた動画を撮りたかったのだが、モニタできるとはいうものの、コントローラーに移る画像は広角の画像であり、本体を目視するのが難しく弦材にぶつけてしまう可能性もあって断念した。



端部の構造がよくわかる。


断面が逆三角形になっている様子も、薮越しの前回よりはマシに撮れた。


●関連項目
日高大橋 上路三弦橋






No Image

元郵便局舎?

郵便局舎

 
北海道北部の国道を走っていると、どう見ても郵便局にしか見えない建物があった。まったく商店建築ではないのに、そこに掲げられているのは家電メーカーの看板。

手元の地図では、音威子府郵便局が移転したのかどうかもわからなかった。

No Image

東川の元郵便局舎

郵便局舎

 
道北から旭川を迂回して富良野に向かう経路として、東川を通った。点在する集落の最奥部にあった建物にハッとした。郵便局舎ぽくないか?

 
ここには郵政書体の局名が掲げられていたに違いない。

隣接する畑にいらした方にご挨拶して、尋ねた。「郵便局でした?」。すると「そうですよ」と。いまは民家となっているとのこと。裏手に回ると、別の民家と接続されていた。これは後から接続したものだろう。

 
「声かければ中を見せてもらえるかも」と言われたが、それは遠慮した。とはいえ、局舎の中をどのように活用しているのだろう。


[PR]