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奥羽本線早口駅の近くにある、米代川を渡る橋。対岸の集落に行くための橋だが、見るからに小規模だ。

 
 
1.5車線幅だった車道が、橋では1車線になる。

 
銘板がある。

1970年10月
田代町建造
鋼示(1964)二等橋
製作 株式会社宮地鉄工所
材質 SM50A SS41

 
 
右岸側の親柱。左は「米代川」、右は「外川原橋」。

 
圧迫感があるために道路橋としては不人気のトラス橋だが、「屋根」がないと、けっこうな開放感がある。視界が縦長になる。

 
左岸側。高水敷は桁橋。

 
 
左岸側の親柱。左は「昭和63年2月竣工」、右は「そとかわらばし」。








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富山県の入善あたりから旭町にかけての海沿いは、たぶん砂丘の上に道がつけられ、海側は護岸されている。その一角に、船を引き上げる施設が並んでいる。

 
 
「鉄道」かと思いきや、レールのような位置にあるH型鋼の上に枕木方向にコロが取りつけられていて、船はコロの上を引き上げられる。

 
最上部にはウインチ小屋。滑車を介してワイヤーで直接船を引き上げている。このウインチ小屋は、管理者がそれぞれ工夫しているようで、すべて形が異なる。


 
100mほど離れたところにある「レール」はコンクリート製だ。コンクリートの「レール」の上を、鉄の車輪が動く。こちらは船を直接引き上げず、台車の上に載せる。「脱線」しないように、船を載せる台車にはガードがついている。

 
いや、ガードは外側だけではない。内側には案内輪がある。


ウインチで引くこと、ウインチ小屋が各自の工夫でできていることは変わらない。ワイヤーの引き方もそれぞれだが、これはワイヤー端部を最高地点に固定し、滑車を3個かませて動滑車としている。動滑車をかませば、固定している定滑車に必要な力の半分で動かせる。ウインチの出力を小さいものにするためか、それともより重い船を載せるためか。同じこの場所でも、定滑車にしているものもある。

【泊浜】
 
 
海に向かって1車線の道を降りて行く。けっこうな斜度なので、石垣が多い。この石はどこから持ってきたのだろうか。

 
 
下り切ると、きれいな港に出る。上2枚の場所はここは東日本大震災の被害を免れたようだが、下2枚の場所は大きな被害を被ったところ。

 
ここにもバスは来る。牡鹿地区市民バス。

【新山浜】
 

【寄磯浜と寄磯小学校】
 
寄磯漁港。

 
にある、唐突な行き止まり。

 
 
 
物語の中の、架空の小学校かと思ってしまうような、素晴らしいロケーションの小学校。そんな能天気な印象を持ってしまうが、震災時は地域の避難所としての役割を果たした。震災当日からの記録は、公式サイトにある。現在、約100戸260人の住人に対して、児童は6人。震災前と比べ、人口は半分近くまで減ったそうだ。


寄磯中学校閉校記念碑。

【おしかホエールランド捕鯨船第16利丸】
 
 
残念ながら、2022年3月16日の地震でなにかあったのか、見学ができなかった。船体底部でも工事をしていた。
 
秋田県最北部の藤里町の県道を走っていると、2連の木製のキングポストトラス(ワデルトラス)があって驚いた。支間27m、橋長55m。説明板によれば、補剛トラス木桁橋。跨いでいるのは藤琴川。

 
2車線分。A活荷重。木橋はこの規模のものが多い気がする。

 
 
主桁もトラスも集成材と鋼材の組み合わせ。


 この集成材の「中」まで知りたいところ。内部に鋼材はある?

 
近代的な木橋の常として、腐朽対策だろう、上面に鋼板が貼られている。

 
いろいろなところに木材。


 
説明板。















 
福岡県の、かつて矢部村だった地域。東は大分県に接するところ。国鉄矢部線が目指すも到達しなかった村。そこに、古いイギリス製のトラス橋がある。

 
ポニープラットトラス。パテントシャフト&アクスルトゥリー製だ。

 
いかにもイギリスらしい太さだが、鉄道橋より幅が詰められているように見える。『歴史的鋼橋集覧』にも幅の記載はない。英国系100フィートポニートラスは多くの鉄道橋があり、現存するものもそこそこあるが、ほとんどはポニーワーレンで、プラットトラスは少ない。

明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)英国系トラスその2』によれば、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは、120フィートのものが関西鉄道により①木曽川と②揖斐川に1連ずつ架けられたようだ(「それ以外がない」ということにはならない)。

また、『歴史的鋼橋集覧』の石手川橋梁(愛媛県)は1893年の開通時からそこにあるので違うが、「③筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」と記載されており、ということは、①②③のどれかを改造して転用した可能性がある。地理的にいえば③と短絡したいところ。『歴史的鋼橋集覧』には「日向神ダム建設の際水没する橋を惜しんで現在地に改造移設した」との伝聞が書かれているので、二度目の転用ということになる(さらに転用されていた可能性もある)。

 
右岸側は右側だけ親柱がある。文字は読めないが「36」のように見える。

 
対岸から。「止まれ」の向こうは国道442号。

 
国道から集落に入る橋として架かったようだが、いまは上流側、下流側ともにもう少し幅の広い橋が架かっており、渡った側(写真手前)は無住の家屋ばかりに見えた。少し行くと市営住宅だろうか、きれいな建物がいくつもある。

 
 
左岸左の親柱に「石岡橋」。右は削られたか、なにもないように見える。


幅だけでなく、桁高さも長さもいじっているようだ。6パネルになっているが、もし元が100フィートまたは120フィートだとすると、元は8パネルだろう。

 
 
斜材の角度が、端柱は45度だが、それ以外はもう少し緩い。これも、高さを詰めたのではないかという推測の元だ。

類似の橋梁については、
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ
をご覧いただきたい。













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