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20121204_000.JPG山口県。錦帯橋がかかる錦川には、それに沿って錦川鉄道が走っている。その車窓から沈下橋が見えた。

沈下橋といえば四国と連想するが、ここにあるということは錦川も相当に水量が増加することがあるのか。これは長走橋(ながばしりはし)。上り列車なら左車窓がこの橋、右車窓は錦川第二発電所である。

20121204_001.JPGこちらは守内橋(しゅないはし)。長走橋よりも長い。多径間…という言い方が適切かわからないが、そうである。堤防から水面に向かってけっこうな下り勾配になっている。とっとと越流させて、流木等がひっかからないようにしているのだろうか。

橋の手前右側の看板には「増水時通行止」、左の標識は14トン制限。両端に金網の扉があり、交通を遮断できるようになっている。

●参考 錦川の沈下橋 錦川の沈下橋



 
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20121203_001.JPG長野県の上松駅のほど近くに、単線のプレートガーダーとコンクリートガーダーが並行して残っている。ご覧のようにカーブしていた。

20121203_000.JPG反対から見ると、こう。コンクリート桁の上には枕木の跡が見える。

20121203_002.JPGコンクリート桁の中間部がおかしなことになっている。橋脚に段差があり、その上に同じ厚みの桁が載っている。そのため、桁の上面の高さが合っていない。

20121203_003.JPG橋台部分、コンクリート桁の橋台は埋め込まれてしまっている。

20121203_004.JPG鈑桁の方は、どちらにも横河橋梁大阪工場の銘板がついている。


道路を挟んで反対側にも同名の「十王沢橋梁」があったはず。そちらは単線鈑桁で、銘板はローマ字表記のようだ。



 
20121202_000.JPGまるで1980年代のどこか郊外にあったような光景が、そこにあった。16m級のコンパクトな車体が、道路脇の木の下に静かに眠っている。多少の錆は浮き出ているけれど、いまだ静かに眠っているかのような光景。

周辺には、この車両を含めて3両の車体がある。別のところで撮影していたら、畑のオーナーさんが声を掛けてくださった。写真を撮りにくる人は少し入るのだろう。大変ご親切に、いろいろなお話を聞かせてくださった。

いわく、まとめて4両引き取った。
トレーラーで持ってきた。
車体は格安でもトレーラーの運送賃がすごく高いのではないか…というような質問をしたら、とくに記憶にないような感じだった。
倉庫を買うよりも安かった。
1両は車体の痛みがひどく、解体した。

オーナーさんからは驚くべき提案をいただいたのだが、まあ、ここでは書かずにおく。現地でオーナーさんに会えば、きっと同じことを言ってくださるに違いない。



車体は倉庫として使われている。ドアも小さなこの車体がまともな農業資材の倉庫として機能するわけがないような気もするが、きちんと使われている。社内を覗くと、いろいろと興味深い。


20121202_001.JPGモハ11の標記と日立電鉄の社紋。「日」「立」を図案化したもので、「日」を横倒しにしているセンスがすばらしい。



関連項目:日立電鉄クモハ352


20121201_001.JPG2012年3月末で廃止になった長野電鉄屋代線の雨宮駅。ホームの端部は延長のためか、スロープを方形に整形している。架線柱の間隔と架線を吊る碍子が、かつては2面2線の相対式ホームだったことを偲ばせる。

20121201_000.JPGこんな無人駅にもトイレがある。駅前広場(?)は地元の方がクルマを置く場所になっている。

20121201_002.JPG
こういう、小屋の外板の貼り方はなんというのだろう? 通風のため、横の桟の表裏に竪板を貼っている。屋根は塗炭、継ぎ目は水平方向。

20121201_006.JPGこんな具合に、男子小用1、個室1。その間の仕切り壁の上部を切り欠き、笠つきの白熱灯。

内部はとても清潔。外板が通風仕様になっていることもあり、臭気はない。とてもすがすがしい。
























20121201_004.JPG男子小用。目の高さの窓は、ガラスがあったかなかったか記憶にない。冒頭の写真を拡大すると、アクリル板のような乳白色の板が貼ってあるようだ。

こういう野ざらしの汲み取り式男子小用便器はえてして変色し、尿石(尿の成文が固着したもの)がこびりついているものだが、ここはそんなことはない。日頃から水で清掃されていたことの証だ。

























20121201_005.JPG個室。こちらも清潔。

便器は前後方向が短い。体が硬い私などは、後ろが足りないかもしれない。いや、それにしても狭いな。

この手の便所の個室はきっと標準的な寸法があるのだろうけれど、最近の体格向上に合わせて一般的には個室は拡大されている。しかし、こういう古いところはそのままだ。

かつて入った熱塩温泉の個室は洋式に改装してあり、そのため座るとドアが閉まらないくらいなのだ。あれはつらかった。



おまけ。きっと、上からなぞって描き直したのだろう。
20121201_007.JPG



 
20121125_006.JPG「硬券」「入場券」というものに憧れがあった。実家の最寄り駅、という言い方が正しいかどうかわからないが、バスで20分ほどで着くのが新潟駅だった。直線距離では2kmくらいだ。新潟駅では、昭和55年の段階で、すでに硬券は全廃されていたと思う。何度か窓口で買ったり、あるいは尋ねたりしたが、「ない」と言われた。

おそらく、初めて買ったのは昭和56年5月の越後線巻駅ではないかと思う。しかし、いま手元にそれはない。もっとも古いものは、昭和56年8月3日の坂町駅だ。当時「鉄道少年団」というものに入っていて、その合宿で中条初年自然の家に行き、その帰りに買ったものだ。「乙まんじゅう」もそのときに初めて知った。

あまりあちこちへ出かけることができたわけではないが、それから、出先で入場券を買うようになった。「通販で買える」と知って、廃止対象路線の駅に手紙を送って買ったものもいくつかある。

20121125_003.JPGきっぷの日付は、メモ代わりになる。この新潟駅の入場券は、新幹線開通を記念して特別に硬券を発売したもの。以後、そうした目的用に常備するようになったと記憶している。

日付は昭和57年11月17日。この日に新潟駅に行っていたことは、記憶にない。14日にいたのは11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~などに書いた通り。翌週、11月21日には鉄道少年団の企画で上越新幹線で高崎まで往復した。その合間、17日、計算すれば水曜日だ、この日に新潟駅に行っていたとは。おそらく新幹線を見に行ったのだろう。

20121125_002.JPG昭和59年8月20日。これは、自転車で新潟から柏崎の親戚宅まで行ったときだ。日付は憶えていなかったが、こんな、お盆の後だったのか。お盆までは部活部活で、8月後半はオフだったのかもしれない。

新潟から柏崎までは約90km、国道116号の、雑草の生えた歩道はいまでも憶えている。国道8号に入ると妙に嬉しくて、♪8号線~、8号線~、などとヨッキさんの「三島通庸の歌」みたいなオリジナルソングを歌っていたのも憶えている。順調に6時間くらいで到着し、あっけなかった。昼過ぎに親戚宅に着いてしまい、時間を持て余したのも憶えている。

あれ? このとき、吉田周辺のどこかのカメラ屋で、見たこともないモノクロフィルムを買った記憶があるのだが、このときの写真なんてあったっけ…?

20121125_005.JPG翌日はなにをしていたのだろう? 翌々日の8月22日は、青海川~笠島あたりの信越本線の廃線跡に行った。何度かクルマで通ったことがある米山大橋も自転車で渡り、「走って揺れるんだな」と思った。直江津側のどこまで行ったか忘れていたが、潟町まで往復したのだな。


20121125_004.JPGその帰り。8月24日。そうか、親戚宅に4泊もしたのか。柏崎から長岡まで、自転車とともにクルマで送ってもらい、長岡から各駅に立ち寄りながら走った。

そんなことも思い出させてくれる。旅の記念品というものを買わないので、きっぷだけをとっているけれど、こうしてみると記念のものって大切だなと感じる。

いろいろと、記憶がなくなる前に記しておきたい。
 


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