沈下橋といえば四国と連想するが、ここにあるということは錦川も相当に水量が増加することがあるのか。これは長走橋(ながばしりはし)。上り列車なら左車窓がこの橋、右車窓は錦川第二発電所である。 橋の手前右側の看板には「増水時通行止」、左の標識は14トン制限。両端に金網の扉があり、交通を遮断できるようになっている。 ●参考 錦川の沈下橋 錦川の沈下橋 PR 周辺には、この車両を含めて3両の車体がある。別のところで撮影していたら、畑のオーナーさんが声を掛けてくださった。写真を撮りにくる人は少し入るのだろう。大変ご親切に、いろいろなお話を聞かせてくださった。 いわく、まとめて4両引き取った。 トレーラーで持ってきた。 車体は格安でもトレーラーの運送賃がすごく高いのではないか…というような質問をしたら、とくに記憶にないような感じだった。 倉庫を買うよりも安かった。 1両は車体の痛みがひどく、解体した。 オーナーさんからは驚くべき提案をいただいたのだが、まあ、ここでは書かずにおく。現地でオーナーさんに会えば、きっと同じことを言ってくださるに違いない。 車体は倉庫として使われている。ドアも小さなこの車体がまともな農業資材の倉庫として機能するわけがないような気もするが、きちんと使われている。社内を覗くと、いろいろと興味深い。 関連項目:日立電鉄クモハ352 こういう、小屋の外板の貼り方はなんというのだろう? 通風のため、横の桟の表裏に竪板を貼っている。屋根は塗炭、継ぎ目は水平方向。 内部はとても清潔。外板が通風仕様になっていることもあり、臭気はない。とてもすがすがしい。 こういう野ざらしの汲み取り式男子小用便器はえてして変色し、尿石(尿の成文が固着したもの)がこびりついているものだが、ここはそんなことはない。日頃から水で清掃されていたことの証だ。 便器は前後方向が短い。体が硬い私などは、後ろが足りないかもしれない。いや、それにしても狭いな。 この手の便所の個室はきっと標準的な寸法があるのだろうけれど、最近の体格向上に合わせて一般的には個室は拡大されている。しかし、こういう古いところはそのままだ。 かつて入った熱塩温泉の個室は洋式に改装してあり、そのため座るとドアが閉まらないくらいなのだ。あれはつらかった。 おまけ。きっと、上からなぞって描き直したのだろう。 おそらく、初めて買ったのは昭和56年5月の越後線巻駅ではないかと思う。しかし、いま手元にそれはない。もっとも古いものは、昭和56年8月3日の坂町駅だ。当時「鉄道少年団」というものに入っていて、その合宿で中条初年自然の家に行き、その帰りに買ったものだ。「乙まんじゅう」もそのときに初めて知った。 あまりあちこちへ出かけることができたわけではないが、それから、出先で入場券を買うようになった。「通販で買える」と知って、廃止対象路線の駅に手紙を送って買ったものもいくつかある。 日付は昭和57年11月17日。この日に新潟駅に行っていたことは、記憶にない。14日にいたのは11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~などに書いた通り。翌週、11月21日には鉄道少年団の企画で上越新幹線で高崎まで往復した。その合間、17日、計算すれば水曜日だ、この日に新潟駅に行っていたとは。おそらく新幹線を見に行ったのだろう。 新潟から柏崎までは約90km、国道116号の、雑草の生えた歩道はいまでも憶えている。国道8号に入ると妙に嬉しくて、♪8号線~、8号線~、などとヨッキさんの「三島通庸の歌」みたいなオリジナルソングを歌っていたのも憶えている。順調に6時間くらいで到着し、あっけなかった。昼過ぎに親戚宅に着いてしまい、時間を持て余したのも憶えている。 あれ? このとき、吉田周辺のどこかのカメラ屋で、見たこともないモノクロフィルムを買った記憶があるのだが、このときの写真なんてあったっけ…? そんなことも思い出させてくれる。旅の記念品というものを買わないので、きっぷだけをとっているけれど、こうしてみると記念のものって大切だなと感じる。 いろいろと、記憶がなくなる前に記しておきたい。 |
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