東海道本線が岐阜県の揖斐川を渡るとき、上流側にこの橋が見えるはずだ。200フィートダブルワーレントラスの揖斐川橋梁。いまは大垣市の市道となっており、歩行者用の橋として使われている。クルマは、少し下流の国道21号岐大バイパスを使う。
イギリス由来の100フィートダブルワーレントラスはそこここに残っているが、ここではまとめて5連が残っている。しかも現役である。 銘板が残っているのもうれしい。こういうものがイタズラされないことを切に祈る。 美しい斜材の繰り返し。鉄道だからハンドル操作の必要もないのでストレスはないだろうが、もしクルマで、この道幅に歩行者などがいたら、相当疲れるに違いない。 橋門構。 さて、横桁である。100フィートポニーワーレントラスは、横桁の上に縦桁を置き、その上に縦枕木、そしてレール…というのがセオリーである。しかし、この揖斐川橋梁は、横桁と縦桁が連結している。しかも横桁は直線状だ。この横桁は、造りからして当時のものに見える。縦桁は、リベットで横桁と接合されている。 これは、山形鉄道最上川橋梁と同じ形式だ。ただし、縦桁の幅が違う。あちらは線路幅より広いが、こちらは…測っていないが、ほぼ同等に見える。となると、かつてはこの上に縦枕木があったのか…? 今度、現地に行ったら採寸してこよう。 橋脚はレンガ積みの重力式。
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この橋は初代で、供用開始は1887年(明治20年)。1908年にはアメリカンブリッジ製の二代目に取って代わられる。二代目も1961年(昭和36年)には現橋に代わる。二代目はちょっと写真の記憶がないが、鉄道写真で撮られているものがきっとあるだろうから、探しておくことにする。 (国土画像情報より転載・トリミング) 上の写真は、二代目がまだあったころの1980年の空中写真である。上(上流側)から初代(ここで紹介しているダブルワーレン)、二代目(撤去済、複線桁)、三代目(現役、複線桁)である。 二代目は、橋台のみが残っている。 現役の三代目は、どうも形が気に入らない。上弦端部が端柱と接合する部分で飛び出しているのがどうにも不格好に感じる。これがなければスッキリとした印象になるのだが…。 <関連項目> ・英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ ・アメリカン・ブリッジの痕跡/東海道本線揖斐川橋梁 ・A&Pロバーツ探訪/揖斐川橋梁(岐阜県) PR
会津田島から旧伊南村・山口に抜ける国道289号の峠付近は駒止バイパスという快適な道路になっている。その旧道は駒止湿原の南を通るが、さらにひと世代前の旧旧道が、現道の北側にある。地形図で破線になっているもので、『日本の廃道』2012年8月号(続編はこれからの号で?)でレポートされているものだ。
その途中に、このオート三輪はある。『廃道をゆく』でも紹介されているので、あるいは行った方もいるかもしれない。丸田祥三さんたちと写真集『廃道 捨てられし道』の取材として日帰りでここに出かけた。(「オート三輪」は三輪の「貨物」自動車を指すものではないが、ここでは代名詞的に使用する) 谷側に置いたままになっている。道幅は広くはないが、もしここにクルマが入って来れてもちゃんと避けて通れるくらいの幅はある。ちょっと忘れてしまったが、ジムニー乗りならなんとかここまで来れるかもしれない。 ダイハツのCMまたはCOという型のようだ。屋根は雪でつぶれてはいるが、クルマの形を保っている。この微妙な水色は、いまの自動車にはない色だ。そういえば、私が子どもの頃は、まだこういう水色のクルマが存在していた気がする。 荷台はほぼなくなっているので全長がよくわからないが、ひしゃげたフレームを見ると意外に長い。 興味深いのは、フレームこそ鋼製だが、荷台は木製だったこと。フレームと結合された木の梁が少しだけ残っている。 この旧道で、きのこ採りの地元の方々に会った。少し話を聞くと、もちろんこのクルマのことは知っていた。「おれたちが子どもの頃からある。そうすると、もう40年も前からあることになるな」。 このクルマについては、こちらのサイトが詳しい。 ・CM8 ・CO13 サイトの写真の撮影時点で14~15年前のクルマである。現代に置き換えれば1997年式のクルマ、といったところだろうか。そう考えると、まだまだ1980年頃には比較的目にする機会があったのかもしれない。私が見た、唯一の現役(?)は、小学4~5年製の頃、地元・新潟でバスを待っていたら、目の前を走っていったものだ。たしかに6ナンバーだったのは憶えている。
『鉄道ファン』2012年12月号に「セノハチの後押し機関車」という記事がある(執筆は機関車研究家の関崇博氏)。そこに、セノハチ、すなわち山陽本線の上り線、瀬野~八本松間のルート検討のことが載っていたので、鳥瞰図にしてみた。こんな案が存在していたことは、この記事を読むまで知らなかった。(以下、記述は上り線を基準とする。また、画像はすべてDAN杉本氏のカシミール3Dと解説本地図を使用した。)
(クリックで拡大) 赤が現在線(南方線)、青が「北方線(案)」である。記事によれば、北方線は10パーミル、南方線(現在線)は22.5パーミル(実際には22.6パーミルのところがある)で検討されたとある。 北方線は、西広島から現在の可部線に沿って上八木まで行き、太田川を渡って今度は芸備線に沿って下深川付近から上三田付近まで行き、そこから南転して八本松を目指すというもの。とはいえ、この現在線の開業は1894年、可部線(当時は大日本軌道)の上八木までの開業は1909~1913年にかけて、芸備線(当時は芸備鉄道)の志和口までの開業は1915年なので、「~に沿って」という書き方は正しくない。上図は、可部線・芸備線の位置に山陽鉄道が敷かれていたら…として描いてあるが、便宜上、そういう書き方をする。 可部線沿いは、太田川に沿っていることもあり、ほぼ平坦だ。渡ってから勾配が始まるが、芸備線の縦断面図を見ても、ほとんどが10パーミルで収まる。一部に16.7パーミルの区間があるが、せいぜい数百mであり、前後にレベル区間があったりもするので、そこは均すことができるだろう。上三田駅の標高は約107mである。しかし、問題はその先だ。 『鉄道ファン』に掲載されていた図は概念図なので、現実からの推測を交えてルートを描くと、上三田駅からは、おそらくこのルートで志和堀に向かうものと思う。 この区間の断面図はこうだ。 水平距離9kmで標高を約100m稼いでいるので、約11パーミル。なるほど。上図では、上三田からいったん標高を下げ、3kmほどで10mくらいしか標高を上げずに一気に行くようになっているが、ルートをもっと山の中腹にかけておけば、勾配も均されるだろう。 記事では、工期と工費の都合で南方線に決まったとあるが、北方線とてトンネルは1kmに満たないものだし、その差がどれくらいのものなのか、知りたい。こういう資料はどこかにきっとあるはずだ。ご教示いただければ幸いである。
ハーコート探訪:小石川橋通架道橋(3))(写真右に見えるトラス橋)に関連して。そのすぐ横にある道路橋である。
道路橋において、下路プレートガーダー(鈑桁)というのはあまり多くない。桁幅を広くしづらいからだろうか(上路ならば、道路の下に桁を増やせばいい)。視界にうるさいトラス橋が避けられるのと同じように、欄干のように見える桁が圧迫感を持つためだろうか。この三崎橋は、おそらく桁下高さの確保の観点から、下路桁になったものと思う。桁は、親柱があること、両脇に歩道橋が別途架設されていることから、あまり目立たなくなっている。 西側・右の親柱。「三崎橋」。化粧の具合からして、かなり最近の設置に見える。 その足下には銘板。 三崎橋改修 1987年3月 千代田区 床版打替工 橋面舗装工 沓座拡巾工 鋼橋製作(2基) 塗装工 鋼橋架設(2基) 鉄建建設株式会社 1987年に三崎橋を改修し、両脇に歩道桁を架設した、ということをまとめた銘板だ。親柱もそのときだろうか。 西側・左は「みさきはし」。 右の親柱の向こう、桁の橋。このR、そしてリベットがいかめしい。 歩道の桁はこんなだ。 東側。親柱の銘板は、西側と同じで右が「三崎橋」、右が「みさきはし」。本来の製造銘板はなかった。 道路橋の下路桁はないわけではないが、みつけると「おっ!」と思ってしまう。そのほとんど、というか私が見たものはすべて古い。近年作られた下路鈑桁というものはあるのだろうか?
『空鉄』。鉄道の空撮写真を主体とした本だ。
鉄道に関する空撮をまとめたもの(連載等)は、かつて花井健朗氏が『RailMagazine』で連載していた「青空の下、レイルは光る」が唯一と思う。吉永氏も、その連載を空撮に興味を持ったきっかけに挙げている。花井氏の空撮の登場から20年以上を経て、本書において、鉄道写真は新たな表現を得た。新たな表現でありながら、綿密に練られた鉄道空撮写真が多数収められている。 「鉄道写真」の表現に日夜奮闘している方は多い。しかし、著名な写真家たちの表現--作品を見ただけで「あ、○○さんだ」と思わせることができるくらいのもの--の範疇から抜け出すことはとても難しい。何人もの方々によって完成の域にあるところに、さらに継ぎ足して表現を作っていくのは、恐ろしく難しいことだろうと思う。しかし、吉永さんの空撮による表現は、そうした「鉄道写真」の常識的な流れとは全く異なる。ほとんど誰も挑んだことがないもの。手つかずの分野。勝手な推測だが、吉永さんの中ではいま、「こう撮りたい」というアイデアが無数に湧き続けていて、一刻も早くすべてを実現したくてしかたないんじゃないだろうか。そして、実現した、アイデアのごく一部だけが、本書に収録されたのだろうと思う。 吉永さんのサイトにも空撮のギャラリーがあるが、そちらは画像のサイズが小さいこともあり、感動がない。空撮は、大きな写真で見てこそ、と思う。ちょうど1年前、写真展が開催されていたが、そのときはそのすごさを知らなかったので、見に行かなかった。とても悔やまれる。いま、神保町の書泉グランデに、大判の作品が掲げられているので、それで我慢するしかない。 しかしグランデに掲げられている「作品写真」は、本書には収録されていない。商業的には、鑑賞が目的の作品写真ばかりではたぶん難しく、説明的な、あるいは鉄道ファン受けがいいようなものが選ばれた、ということか。車両基地や駅の写真が多いのは、そうした方針によるものだろう。写真作品写真集の一般的な状況については痛いほどよくわかるのだけれど、それが少し残念。
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私は、他にもよくポストするとおり、仕事でも遊びでも毎日のように空中写真や衛星写真、標高データを伴った地形図などを眺めている。しかし、それらはすべて「真俯瞰」、真上から写したもの。本書では大畑ループの説明があるが、それがその典型だ。それに対して、本書は同じ真俯瞰でもずっとずっと寄っているし、「斜め撮影」でも非常に大きな工夫がされている。見入ってしまう。 ここまで寄った真俯瞰は、GoogleMapでも無理だ。バラストのひとつひとつまでもが見えてくる。 「斜め撮影」も、とても練られている。デルタ線が最も美しく、わかりやすい角度での撮影。説明的でもありながら、作品になっている素晴らしさ。 ほかにも、多数の「GoogleMapでは味わえない『近さ』と『カメラポジション』の作品」が多数収録されている。ほぼすべてが望遠レンズによる遠近感の強い圧縮がかかっているので、真俯瞰のために遠近感が薄いGoogleMapなどや、肉眼による距離感とは全然違う体験がそこにある。冒頭に「空撮写真を主体とした本」と書き、「写真集」」とは書かなかったが、ここに収録されている作品は、すべてじっくりと鑑賞したくなるものばかりなので、体裁は写真集的ではなくとも、意味合いにおいて「写真集」である。 ひとつだけ、本質ではない部分でこれはちょっと…と思うのは、駅や車両基地のデータの掲載だ。開業年や所在地、乗降人数、乗り入れ路線など、本書の読者対象がそれを知りたいと望んでいるとは思えない。写真の読み解きだけで十分だったのではないか。プラスするなら、…あ、ここから先は自分の企画で使えることを思いついたので内緒。 買った人も買ってない人も、書泉グランデの展示、ぜひ。そして本書の購入を。
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私が撮った写真で、航空写真のような雰囲気を持つものがあるのでアップする。どちらもポジを民生用のスキャナでスキャンし、色補正したものだ。 函館本線の「藤城線」。ここは振り子が利く部分で、車内からも「飛行機のように」内側は家の屋根が、外側は空が見えるだけになる。「失敗して」画面が傾いているが、それが空撮のような効果になるとはポジを眺めていたときには気がつかなかった。 約2.5km離れた地点から見下ろして撮影。標高差約250m。これくらいの「見下ろし感」と望遠レンズによる圧縮感があると、航空写真に見える…気がする。これは、500mmf4.5に倍テレをつけているので1000mmf9。三脚に据えてもファインダー内がぐらぐらした。キハ281系は、私がもっとも好む車両。3両目に1両だけキハ282が混ざっている。 同じ場所で。こちらはたしか中判(ペンタ67-2)で165mmか。いまひとつ「見下ろし感」が足りない、というか「斜め感」が足りない。そう考えると、この場所で空撮のような雰囲気を出すことはそれほど難しくない気がする。 いまはデジタルで、色補正も簡単だ。ポジで撮影していた頃は、2.5kmも離れるとどうしても青カブリをしてしまった。それを簡単に除去できるなら、またここで撮影してみるか。…いや、無理だ。その手の機材は全部売ってしまった。 …それはそれとして、この場所、ただ列車を眺めるだけでもおすすめだ。スーパー北斗やDF200が引く長大な編成が、まるで鉄道模型のように七飯駅から高架橋を駆け上がり、足下に吸い込まれていく様は、本当に飽きない。たまにキハ40の単行が行くのもご愛敬だ。上の写真でいうと右上方向に、上り線(渡島大野からの線)も見える。 |
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