北海道の函館から東にずっと行き、戸井を過ぎると日浦トンネルがある。その旧道に相当する。もっと北、森から海沿いに恵山を回ってきて、この旧道にぶつかった。写真は旧道に入って振り返ったところ。相当な切り通しだということがわかると思う。
前方、柱状節理を切り拓いた道が見え、その向こうに柵がある。道は断絶しているように見える。いや、それよりも画面の右の夥しい落石が恐ろしい。 右を見る。この高さだ。17mmでも入らない。絶対に近づきたくない。ネットを張っているとはいえ、よくぞこんなところを国道としていたものだ。柱状節理は、少し力を加えるだけでボロボロと剥がれ落ちる。 さて、柵。その下は、柵からの錆びで茶色くなっている。その向こうは? こうだ。道は、岩礁の上に橋を渡し、岩を切り拓いて続いている。 なんという波の破壊力。この日は風が強かったとはいえ、8月上旬でこの波である。足元を見ていると、波が来るごとに深い闇がぐぐっと持ち上がってきて岩礁の隅々まで入り込み、惹いていくときに渦を巻いていく。人間の泳ぎなどなんの役にも立たなそうな、圧倒的な水圧。 橋だったもの。ちゃんとコンクリートで函を作って橋台を造り、その上にPCの桁を渡している。それが、このザマだ。 落石も恐ろしいが、波も恐ろしい。ここが現役の道路だった頃、冬場にクルマは通れたのだろうか? PR
北海道の内浦湾沿い、室蘭から長万部に向けて走る国道37号。不思議と、この国道は西から東へしか走ったことがない。礼文華の難所を越え、海側に並行していたJR室蘭本線を陸橋で渡ると、この出光がある。ここは静狩集落、長万部側の「平野部」のどん詰まりだ。
静狩の集落内で難度か鉄道写真を撮影したことがある。西に向かってどん詰まりの集落なので、引き上げるときには東に向かうのだが、この出光まで1km以上の距離がある集落内からでも水銀灯(だと思うのだが)が見える。たいていの場合は靄の向こうにボワッと浮かんでいるように見える。 この出光の前は何度も通っているにもかかわらず、給油したのはたぶん初めてだと思う。海からの風が少し吹いていた。国道との間に幅の広い歩道があるのだが、そこに乗用車が止まっていたのでトップの写真もなんだか中途半端になってしまった。敷地の形状のせいか、水平の線が揃わず落ち着かない。 サービスルームで気がついたのは、採光窓の上にあるシャッターだ。閉店時は施錠するだけでなく、シャッターを下ろすのか。 海までの距離。その横の空き地。撮影したのは8月の18時過ぎ。なかなか雰囲気のあるタイミングだった。 西の空に雲が湧いている。1台、入ってきた。 向こうが海、な感じはするだろうか。 ここにあるのは、A重油と軽油の計量器。A重油とは、要するに軽油取引税のかからない軽油。近隣の農作業用だろうか、漁業用だろうか。もっとも、計量器のメーターはそれぞれ2000リットルと1000リットルを指している。ローリーに積み込んだのだろう、そこから各戸に配達に行くのかもしれない。
* * *
この場所は、とてもわかりやすい。かなり代縮尺の地図でも、この場所を説明できる。国道とJR線の位置関係は、たいていきちんと書かれているからだ。私が部屋に貼っている100万分の1の北海道の地図でも、もちろん書き分けてある。その陸橋は、一直線のJR室蘭本線の撮影の好適地だ。なにしろ、西を向いている。 これは、私が「初めて」鉄道写真を撮ったときのものをトリミングしたもの(鉄道以外撮っていたので、カメラ初心者ではない)。ポジをスキャンしたものなので色もとんでしまっているが、ポジ原版は自画自賛したいくらいに美しい。 (RMのサイトより画像を拝借。この画像も色味がかなり違う。実際の本の製版が素晴らしい) これをRMに送ったら、表紙に採用してくれた。もちろん、かなりのトリミングをされている。見ず知らずの他人に評価をされたということが、とても嬉しかった。そして、原版であの大きさのものが、ここまで大きく引き延ばしても破綻しない製版に驚いた。ドラムスキャナでポジを色分解していた半DTP時代の、ひとつの頂点だと思う。しばらくして、RMは製版がめちゃくちゃになり、写真のセレクトもネタモノや編成写真主義になってしまった。大判のグラフ誌という点で大好きだったRMだが、そういうわけで、いまはもう読んでいない。
三笠鉄道記念館に保存されているキロ26。車体表記はオリジナルの書体ではない。写真左が前位(1位=見えない側・2位=写真側)、右が後位(3位=見えない側・4位=写真側)。前位側が駆動台車のDT22(DT22AまたはC)、後位側がTR51(同)。
詳細な解説はwikipediaにこれでもかというくらい掲載されている。ただし、台車の各部の名称を知らないと理解しづらいかもしれない。 35mmレンズではパースが出るからダメだな…。右の、車体から下りてくる管はトイレからの排水管だろうか(流し管ではない)。 台車の写真は通常、真横からのものばかりなので、ここでは立体的に構造を把握できるようなものを。 Aは、上揺れ枕。車体の荷重をここで受ける。枕バネはコイルバネ、中央のDがその減衰装置(ダンパ)だ。Cが下揺れ枕で、Bの揺れ枕吊りで台車枠に減衰後の荷重を伝えている。 中心ピン。荷重はほとんど負担しないものと記憶しているが、ちょっと確認がとれていない。
三笠鉄道記念館に向かう交差点に「三笠トロッコ鉄道 クロフォード駅」がある。この日も運行していたようだ。三笠市街側のこの駅が事務所のようだが、どう見ても給油所だ。10年ほど前の地図を見ると、ここにはJOMOのロゴが記載されていた。
それほど土地には困らないだろう場所なのに、なんだか窮屈な配置だと感じる。向かって左側の防火壁の形が不自然。なんらかの理由があってのこの形状なのだろうが、この形だからこそサービスルームがこの位置にあるのか。もし、きれいなコの字型を描けたら、サービスルームはどちらかの隅に寄せられたことだろう。 しかし、防火壁といいサービスルームといい、わざわざすべて塗り替えるとも思えない。もしかしたら、JOMOからいったんノーブランドになり、そして廃業したのかもしれない。 ここには車両が2両、展示されている。1両は「馬車鉄道」という銘板のつくもので、馬車鉄道用の木造客車にタイヤをとりつけたもの。所有の自動車で牽引するのだろう。 正体未詳の機関車。ディーゼルだろうか。 . ここは、とてもおもしろいことをやっている。車両群を見ても、仲間に入れて欲しいと思ってしまうほど。遠いから無理な話だが、末永く運行が軌道に乗っていてほしい。 車両の紹介ページ→http://www.karamatsu-train.co.jp/mikasa/mtr-sharyou.html
南伊豆の東西を結ぶ婆娑羅峠は何度となく通っている。代わりに、石廊崎は数えるほどしか通ったことがない。
その婆娑羅峠の旧道には廃隧道がある。すぐ近くに閉鎖されたようなドライブインがあり、その裏手、かつて道路だったところは庭のようになってしまっており、立ち入ることがためらわれるのだが、おそらく放置された道路敷を占有しているもの…と勝手に解釈をして隅っこを迂回しながら旧道に出た。 雨上がりということもあり、障気を感じる雰囲気。これは振り向いて撮ったものだと記憶する。路面は泥。道なりの右カーブを抜けると…。 婆娑羅隧道だ。完全に閉鎖されている。向こう側に光が見えるのに、立ち入ることはできない。 引き返しつつ、旧道をもう一枚。 この婆娑羅隧道は、国土地理院の地形図には描かれなくなってしまっても、なぜかネット地図には東側の坑門の位置が描かれている。Yahoo!でもGoogleでも掲載されている。ネット地図は、廃線跡なども載っていたりするのだが、整備の過程を知りたいものだ。 |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|