右足の甲の骨(第4中足骨)を折って3週間が経った。完全に固めるギプスではなく、ギプスシーネという添え木を包帯で巻いている。松葉杖必須なのだが、とても重労働かつ全体重がかかる手のひらが痛くてしょうがないので、自宅から会社の駐車場までまったく歩かずに行ける原付で通勤している。朝と夜、友人からもらったアドレスV100で都内を走る。学生時代、1990年代前半以来だ。左手には松葉杖、写真に少し写っている。
いま、朝も夜も、都内の道路にバイクはほとんどいない。いても原付二種かビッグスクーター、まとまってもせいぜい3台。たまにビッグバイク。赤信号で止まっても、みな自分のバイクの性能をわかっているし、おっさんばかりなので、わきまえながら順々にスタートする。 学生の頃は、赤信号になると多いときは十数台が並んだ。たいていはオフ車で、XLR250Rが多かった。たまに逆輸入のレーサー、XR250Rがいたり。ぼくはTT250R、当時最新のバイクだった。まだ大型バイクは「限定解除」が必要な頃で、それなりに乗ってる人は多かったけれど、通勤や通学で使っている人はほとんど見なかった。見かけたときは、憧れの目で眺めていた。ぼくが限定解除をしたのは学生時代ではなく、もう会社に入ってからだ。この前、リヤタイヤの側面まで使い込まれたアプリリアのRSV4を見た。すばらしいエンジン音だ(排気音ではない)。ビッグバイクは問答無用にかっこいい。 都心や都内をバイクで走ると、ときどき思い出すことがある。あれは、750ccのバイクを盗まれたぼくに、CB750を貸してくれた友人に返しに行く途中のことだ。国道20号の右側車線を西へ向かっていた。750だから、流れをリードしているのだけれど、トラックが1台、左からおかしな割り込みをして、ぼくの前にかぶせてきた。たぶん、ぼくのことは見えていない。 もちろんこちらは動力性能にも相当な余裕があるのでちゃんと減速してかわし、こういうクルマの近くにいると巻き添えを食いかねないので左側追い越し(これは禁止事項だけれど)でトラックを抜いた。バツが悪いことに、赤信号になった。 左側車線に止まっているぼくの右隣りにトラックが並んだ。助手席の窓が開いた。 「危ねー!」などと怒鳴られるかと思った。いや、危ないのはそちらだし…。ところが、若い男性の運転手が少しすまなそうな顔をして、「ごめんね!」 そうだ、彼は、ぼくに気づかずおかしなかぶせ方をしたのをあとから気づいたのだ。ぼくが左から抜いたのを見れば、その行為を愉快に思っているわけがないことはわかるだろう。こちらは当惑し、照れてしまい、なんとか右手を挙げて「どうも」かなんか間抜けな返事をして、青信号になったからダッシュでスタートした。いや、その場から逃げた。 男性も、バイク乗りだったのかもしれない。 Mr.バイクの「隠れ家信哉直送便」に吹き込みたくなるような話だったが、そういうのもなんか照れるので、ずっとしまっておいた。書いたのは、いまが初めてだ。 15日にはギプスがとれる。どこかに行きたい。
伊豆半島の道路は多くの改良を重ねられているので、そこかしこに旧道や廃隧道がある。廃道についてはよっきれん氏のレポート以上のものはできないので、写真だけ。
北側。国道の御石ヶ沢トンネルと新宇佐見トンネルの間、すぐ脇に旧道が見えるので、アプローチはたやすい。クルマを置く場所もある。ここから北に向かう。 片一号洞門。 これだけの設備が放棄されている。向こうに見えるのは片二号洞門。 坑門…と称していいのだろうか、洞門の入口も。コンクリートで作られたこの意匠、あまり嫌みがない。 片二号洞門を出て振り返る。蛍光色の「危険」、表情が険しい。 ここで道路の上に土砂が崩落している。これ以上先に進むには、藪をかき分けながら土砂を乗り越えなければならない。この日は天気がイマイチであり、また行程がギュウギュウだったので、ここで引き返す。 帰り道、振り返ったところ。 一度、出発地点まで戻り、今度は南に向かう。 宇佐見隧道が静かに佇む。 入口から振り返ると、海のほうへ空が抜けていた。雨が上がり、雲もどんどん上がっていく。廃道は、雨上がりが美しい。 この日は、写真集『廃道 棄てられし道』の取材で、丸田祥三さん、平沼義之さんと伊豆の廃道を訪ねたときのもの。この隧道や洞門は写真集にも収録されている。丸田さんの作品をこそ、ご覧いただきたい。 (2010年9月撮影。2012年6月再訪、ほとんど状況変わらず)
靖国通りが山手線と交差する地点の架道橋。中央分離帯、歩道と車道の境界に計3基の橋脚が立つ。山手線の内側から撮影。向こうに見える箱桁は東北新幹線で、橋脚はなくひとまたぎ。
山手線の外側反対側から。上を覆っているのは新幹線。この地点では、線路と道路がほぼ直交しているので、ガード下といえどもスッキリしている。 ガードの幅が狭く、明かりが差すためだろうか。とはいえ、ションベンくさいという印象はもちろんある。 桁は、4主桁の複線橋にも見えるが、2主桁の単線橋の一部分を剛結した、というものだろうか。4本並行する主桁の下部にブレースはあるが、対傾構はない。写真では見えないだけで、2本の(?)鈑桁の間にある覆いの向こう(上)に、きちんと剛結している部材があるのだろうか。 橋脚は4本1組。4本というのは4つの主桁に対応している。少しだけ道路と角度をつけて交差している斜橋である。 橋脚下部。鋳物だろう。 橋台にあったプレート。都営新宿線のシールドが描かれている。
廃鉄塔の続き。そのまま東に向かうと、やがて道路は狭くなった。そして、路面に「40高中」のペイントが現れた。
もう20年ほど前に廃止された表示で、ということは、この路面は20年以上前からそのままだということだ。舗装というもの、そして路面のペイントというものが、どれだけもつのかは知らないが、交通量は僅少であろうこの山間部では、これくらいのもちはあるのだということがわかる。 すぐ近くには、バス待合所があった。 1980年頃の公園のトイレのようだ。しかし、外装のタイルはそれほど汚れてもいない。周囲の草もなかなかであり、水道もないためここで野宿するのは気が引けるが、十分な施設だ。 岩見沢市のサイト(PDF)を見ると、ここは「巴公団前」という市営万字線のバス停のようだ。 少し行くと、万字交通センターが現れた。一見、万字線の駅舎の転用かと思ってしまうが、違う。万字線はこの道路よりも北、一段低いところを走っていた。建物の中には市の職員らしき人がいた。 建物脇には踏切の警報機。 倒れている廃線の碑。表側が下になっているため、裏面しかわからない。地震で倒れたのだろうか。 警報機の間から建物裏手に続く階段があり、登っていくと、駅構内かと思うような原っぱがあった。ここは駅の跡地ではないのだが、十分に誤解を招く造りになっている。 万字の集落には入らなかったので、いずれ再訪したい。 |
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