<ご参考>
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ == 国道399号の旧道にある伊達橋。英国系100フィートポニーワーレントラスが3連+200フィートワーレン2連+100フィートポニーワーレントラス1連+鈑桁1連となっているのだが、こちら側の200フィート桁は100フィート桁2連をバラし、200フィートに作り替えたものだ。いまは歩道橋となっている。 早速だが横桁。魚腹形だ。秩父鉄道の見沼代用水橋梁と同じか。 西側。 西側の銘板、左側。「伊達橋」。 西側の銘板、右側。「阿武隈川」。 横から。他の英国系100フィートポニーワーレントラスともちろん同じシルエット。 いったん、東側へ。 東側、左の銘板。「だてはし」。 東側、右の銘板。「昭和五十四年三月竣功」。これは、歩道橋へと改装した時点での銘板だ。歴史的鋼橋集覧によれば、この橋が架けられたのは1921年(大正10年)である。 さて、少し戻る。 改造された200フィート桁。 部材をつないでいるのがわかる。こちらは圧縮力がかかる部分。 こちらは引張力がかかる部分。 この伊達橋は、かつては信達軌道が通っていた橋である。興味を引かれた方は下記を是非ご覧いただきたいのだが、とくに『日本の廃道』には、この伊達橋に軌道が通っていたときの写真もふんだんに掲載されている。ぜひぜひ。 ・『日本の廃道』47号「旧橋紀行 伊達橋」(TUKA氏) ・wikipedia 伊達橋 ・wikipedia 福島交通飯坂東線 美しい弧を描く上弦。 北側から渡る。親柱がしっかりしている。 左、「松齢橋」。 右、「阿武隈川」。 渡りつつ、振り返る。少しだけ見えているが、新道の両脇にも、この松齢橋の意匠を模したと思しき半円形の地下道の入口?らしきものが見える。 南側、左側。「しょうれいはし」。 南側、右。「大正十四年十二月竣功」。 4連の姿。 少し離れて。新しい大仏橋は連続ワーレントラス。支間を長くとり、阿武隈川の中に立つ橋脚が1組少ないのがわかる。 桁の裏側。縦桁は3本しかない。また、かつてはもう1本、水道管が渡されていたのもわかる。 地下道(?)の意匠に見るように、この松齢橋は大切にされているようだ。末永くこの地にあり続けますように。 この松齢橋については『日本の廃道』42号に、TUKA氏による詳細なレポートがある。何を書いてもそれの転載にしかならないほどのすばらしいレポートだ。だから私はここでは写真しか載せていない。ぜひご一読を。
地図・地形図をはじめ、さまざまな媒体を通じて自在な視点を提供してくれる石川初氏の著書。Twitterなどで氏の考察が展開されていくさまをよく見かけるのだけれど(いや、とうに考察されたものを整理してポストしているのだろう)、本書はそれらの集大成である。「スケール」をキーワードに、目に見える、あるいは見えないものを「見る」ヒントが散りばめられている。
本書に書かれているひとつひとつの項目は、文字数こそ少ないものの、内容に触発されて自分で考えを巡らせたくなる良質なものばかり。いくつかは、大学の演習のテーマとして使われている。それに対する学生の発表も見事だ。 通底するテーマは、ものを見るときのスケールを切り替えること。この方法は、だれもがなんとなく知っているに違いない。ベストセラーの書籍を見ると「そういう切り口があったのか!」と感じることはよくある。スケールの切り替えは、切り口の切り替え。そして大切なのは、スケールを切り替える着眼点である。 世の中にはオリジナルの着眼点を持っている人はおそらくものすごくたくさんいて、それぞれ小規模に発信している。でも、それをもう少し広い場で発表する機会があると、「そうそう!」と賛同者が実にたくさん現れる。こうしたオリジナルの着眼点=スケール切り替え方法の知見の共有は、近年のネット/ソーシャルメディア/USTREAMなどの発達で楽しく共有されるようになってきた。この流れは、どんどん広がるべきだと思う。広がることは、視聴者・読者がそれまでに蓄積していた知識をさらに豊かにする。カルカルでのイベント『オレ鉄ナイト』で発表される数々は、この流れのひとつである。 まだまだこれからもたくさんの教えをいただくことになるだろう。そして、私も、また別の方面に、スケールの切り替えを提唱していきたいと思っている。10月14日のオレ鉄ナイト4に出るかも(連続で出過ぎているので自粛するかも)。本書との出会いに感謝。
昔から、そこらじゅうにあった5連のイス(「ベンチ」は、狭義では横長の連続した座面を持つものなので、ここでは椅子とする)。2010年初頭に愛知県の
ますはイス。冒頭写真のとおり、長手方向に3本の脚が出ている。片側の5連につき「王」の字のようなのフレームとなり…と思いきや。 座面の下には2本、長手方向のフレームがある。 たいてい、脚は地面にのめり込んでいる。ナットが見えるが、ボルトを地面に埋め込んでいるのか。 この座面は、あまり褪色が見られない。座面により褪色にはかなりの差がある。全国的に撤去されつつあるこのタイプのイス、その理由は存外こんな褪色にあるのかもしれない。 さて。 再掲。もうひとつの魅力は、この看板である。長円形の看板もいいし、そこに手書きのペンキ文字があるのもいい。文字は、看板太丸ゴシックとでも名付けたい、国鉄時代の駅名表示板などでもよく使われていた「看板らしい」書体だ。 褪色しやすい赤い文字に見る、筆運び。美しい。イスの劣化(のしてなさ)具合から考えても、この看板も相当古いものだろう。 看板部分。板を貼り合わせてある。まるで、かつての小中学校の机の天板のようだ。ここに、看板をビス留めしている。 たぶん、30年後くらいには、こういうイスがあること自体が観光要素になるだろうな。 |
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