従台車と先台車の役割は、動輪を曲線部で進向させることである。そのため、通常の台車のように、真上から見て中心部に心皿があるのではなく、台車枠からずれた場所にある。 ホビダスのサイト「編集長敬白」でC61を復元中のレポートがあり、そこに、このことがよくわかる写真があるのでご覧いただきたい。 ![]() 上の写真でついでに説明すると、通常のボギー台車なら枕梁などがあるべき場所が剛結されている。この、枕木方向の横梁を「横控」という。 軸バネ(板バネ)が、中空になった側梁の「中」にあるのだ。日本のハドソン機の従台車は狭いスペースになんとか収めているためにかなり立体的に工夫してあるのだが、この構造にもその妙味を見いだせる。鋳鋼製の一体成形の中、このスペースを空けておくという工程、実際に鋳る作業を見てみたいものだ。 なおこのLT253はC61・C62用で、台車枠の前側が下がっている。C60・D60・D61・D62用には同系で前側がもう少し高いLT254が使われており、のちに鋳鋼製ではなく溶接組み立て式とされたLT254Aというものがある。こちらはちょっと不格好だ。 <参考> ●LT254 ![]() ●LT254A ・保存機巡り~留萌市見晴公園・D613 ・39679, 39655, 49601, 他 (宗谷本線・稚内機関区 1973.08) なお、テンダーの台車は通常のボギー台車に準じている。 余談。 <関連項目> ・水上駅の転車台 ・水上駅の転車台の走行装置 PR
水上駅の転車台という記事を書いたことがあるのだけれど、動画を撮ってきたので紹介したい。
操作室の下に車輪があり、それがどうやって動いているのかということ。エンジン音はしないので、おそらくモータがあって、プーリーを介して車輪を駆動しているのだと思う。 外側。 踏面ブレーキが見えるが、これはプーリーと動軸にある。 転車台が動く姿はいくつか見ているが、こんな音がするのは水上駅だけ? 温川橋の南側に戻ると、出光のサインが見えた。計量器も古いもののようだ。 サインポールやサービスルームは現在のスタイルに切り替わっているのに、計量器は、何世代前なのかはわからないが、昔の意匠のまま。ネット地図を見るとここには出光のアイコンはなく、一方で検索すると店舗としても出てくるので、最近閉鎖したのかもしれない。 サービスルーム側のキャノピーは長方形の屋根がかけられているが、これは最初からなのか。(後述)アイランドやサービスルームの配置からすると、最初からなのだと思うが…。 古い航空写真を見ると、1983年までのものには影も形もない。ところが、1984年から1986年にかけて撮影したものを見ると、この長方形が見える。ということは、建築当初から、この形なのであった。でも、1984年??
* * *
同日追記: ガソリンスタンド・ノートのsgmさんから、長方形の屋根がかけられたほうは、後継の「ペガサス21形」であるとのご指摘もいただいた。つまり、「古い」円形キャノピーと「新しい」円形の名残を残しつつ長方形にしたキャノピーが同居しているのだ。その理由についてもおもしろい洞察をいただいた。敷地の形状の都合でこの配置となり、かつ手前(円形キャノピー側)はバイク、奥がクルマとなるように誘導したいのではないかというものだ。なるほど。 敷地の都合…については、前述したものをちょっと詳しく航空写真で変遷を追おう。藤岡ICの供用開始は1980年(昭和55年)、この給油所が建つのは群馬県道13号、片側2車線・中央分離帯のある道路で、藤岡市街をバイパスする形になっている。 ●1974年(CKT7418-C38-14) このMobilが建つことになるのはほぼ中央部。左右に伸びる太い道(現在と同じ形をしている。市道だろうか)のほぼ中央部から右斜め上に伸びている建設中の道路が現在の群馬県道13号で、その逆T字形交差点の右カドが、このMobilの敷地だ。 ●1980年(CKT-80-1) ●1986年(CKT-86-1) そこで、追記冒頭の考察となる。キャノピーの意匠が変わる過渡期、もしかしたら完全に移行したあとに、移行前後の両方が設置された。ということは、(ほぼ)最後に設置された円形キャノピーである可能性がある。開業年は…再訪して訪ねるしかあるまい。 ※航空写真3点は「航空写真画像情報所在検索・案内システム」を利用した。航空写真はトリミングした。 |
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