ひどい雨の国道105号をバイクで北上していると、松葉駅の近くで「共」「石」という文字が目に入った。共同石油…!? いや、そうすると文字数がおかしいのだが、見た瞬間からしばらくはそう思い込んでしまった。沿道には、丸善石油の跡などもあったのだが、あまりの雨にバイクを止める気にもならず、通過してしまったのに、ここには止まった。幸い、雨が少し弱まった。
いったい、どのブランドだったのだろう。現地ではそれを連想させるものは見つからなかった。もっとも、雨なので、あまりうろつくこともしなかった。建物内を見ればわかったのかもしれない。また、いま思えば、地下タンクへの注油口を見ればブランドがわかったかもしれない。 廃墟的な見方はまったく好きではないのだけれど、廃道と同じで、(グレーゾーンながら)好き勝手に歩き回れるのが、閉じた給油所のよさだ。営業中ならのぞき込むことができない場所も、見ることができる。 それにしても、大きな1枚ガラスだ。こういうガラスは再利用されることはないのだろうか。 正面奥左の防火壁。なにもわからない。右端、ピットから出ている煙突は暖房用だろうか? 右、つまり道路と直角に位置する南向きの防火壁。「三」とある板は、おそらく店舗名としてサービスルームの屋根に掲げられていたものだろう。それ以外のものはなかったように思えた。
* * *
本当は、この日、角館からR46・R341経由で田沢湖、宝仙湖とかすめて鹿角、小坂、碇ヶ関へと向かうつもりだった。ところが、雨の中、一瞬地図の確認を怠ったところ、うっかりR105に入ってしまった。そして、こののっぺらぼうに出会った。 帰宅後、2001年版のツーリングマップルを見ると、この場所に昭和シェル石油のアイコンが記してあった。 PR
渡島半島の西側、別名松前半島の東海岸に、知内から分岐して南下する、行き止まりの道路がある。終端は小谷石という集落で、道路が通じる前は海路でアクセスする集落だった。
その道路の終端部が、ここ。防波堤と民家に挟まれたところで切れている。健康そうな子どもたちが何人か遊んでいた。 小谷石に行く途中、狐越岬という断崖をしおさいトンネルで抜ける。その海側に、旧道が見える。 しかし、閉鎖され、とりつく島もない。 南側に回ると、旧道に行けそうだ。 このような形で見えている。すごい切り通しをしたものだ。 このような切り通し。周辺には密漁禁止の看板が立ち、密漁監視の看板を掲げたクルマが頻繁に往復している。バイクを止めてここらへんを歩いている私は、彼らから見たら密漁者に見えるだろうから、カメラで写真を撮っていることをおおげさにアピールした。 とはいえ、足下には、けっこうたくさんのウニの殻が落ちている。また、大きなかたつむりも多かった。 切り通しを進む。この標柱は…? 日蓮宗のものだった。関係ないが、北海道では多くの天理教の施設、それも地域に根付いている建物を見かけた。 その先には、閉鎖された覆道の坑門。その奥には隧道がある。ここで引き返した。
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小谷石には、ローカルバスが3本、通じている。web上には、その乗車記もある。冒頭の小谷石の写真を撮って引き返したら、バスがやってきた。LEDによる行き先表示は「すみません、回送中です」。とっさのことで写真を撮れなかった。 小谷石は、1973年に土砂災害に見舞われている。そのレポートがここにある(PDF)。 http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/74_02_01.pdf
『ピクトさんの本』『100均フリーダム』の内海慶一さんのツイートで、この本を知った。街中の、極めて私的なタイポグラフィを愛でる本。
この本が秀逸だと思うのは、読者が自ら同じことを始めてしまうという点だ。私がこの本のことを知ったのは八重洲地下街で昼食をとっていたとき。すぐに八重洲ブックセンターでこの本を買い、自分とタイポについてツイートしてしまっていた。そして、その午後には内海さんにより#街角タイポというタグが作られ、いろいろな人がツイートしはじめた。恐ろしい感染力だ。 ある特定のセンスを持った人たちがそれぞれ個人的に日常的に眺め、独り言のように脳内で鑑賞していたものが、ひとたび発表の場を提供されると、堰を切ったようにあふれ出す。溜め込んでいた写真を吐き出し、語り始める。自分とタイポグラフィを見つめ直す。その瞬間を目撃できたのは、とてもすばらしいことだ。著者の藤本健太郎さんは、きっともっと嬉しかったに違いない。 本書のもうひとつのすぐれた点は、書かれていることに対して、自分ならここに注目するだとか、これに似たのがここにあるとか、口を挟みたくなることだ。著者がただ一方的に見せるだけではない。本と会話ができるのだ。 本文に通底するのは、詠み人(著者は、市井のタイポグラファーをこう呼ぶ)の発想の自由さを、かなり遠くから読み取り、かといってそこにデザイン以上の意図を読み出さない、その姿勢だ。それをあげつらったりもしない。古いとかダサいとか見下す気持ちもない。一所懸命した仕事に対する敬意は少しだけある。内海さんの『100均フリーダム』に通じる鑑賞だと思う。もともと、詠み人の側には県章や市町村章にあるように「ここが円形なのは調和を意味している」みたいな、むりやりな意味づけがない。だから、そういう読み取り方をしなくてもいい。タイポも本文も押しつけがましくないから、読者が自分の解釈をする余白がある。そこが、すばらしい。 願わくは、本書の劣化コピーのようなチープな本がコンビニの500円本みたいな形でハゲタカ版元から刊行されませんように。 ●タイポさんぽ(版元公式ページ) ●私の過去ログにおける駅名標のタイポさんぽ:昭和50年代の駅名標(越後線)その1
北海道ツーリング中、かつて瀬棚線が分岐していた国縫駅の前で寝た。この周辺はキャンプ場もなく、海岸線は風も強いので、駅の待合室を…と思ったら、待合室内にはそれなりに虫がいたので、駅前で寝た。駅前の民家は21時ですでにみな真っ暗だった。
一晩中、貨物列車が通る。その度に地面が揺れるというすばらしい環境。夜のうちに、跨線橋が古レールのプラットトラス+木造であることはわかっていたが、夜が明けてから撮影した。画像奥が函館豊年、左が上りホームで駅舎側、右が下りホームである。それぞれ、階段部分が改修されている。 上りホームの階段。柱と梁も木製のままだが、色を塗っている。屋根はトタンに張り替え。 中から入口方向。 素敵なのは、この窓。平行四辺形の窓枠と、窓。桟は木製、はめ殺し。 それを外から。脚はすべて古レール。ただし、錆びがひどく、陽刻はまったくわからない。 階段部分もすべて木製。支柱などが古レールでも、階段部分はコンクリート製に置き換えられていることも多いが、ここは木製を保っているのがうれしい。一部の脚の土台はコンクリートで補強してある。 脚がどれだけ錆びているかというと、これくらいだ。 跨線部分の下面。横桁は古レールだが、縦桁は木柱で、ほぞまできっちりと見える。縦桁のこの継ぎ方は「追掛大栓(おっかけだいせん)」といい、頑丈である。 跨線部分。柱のところどころにボルトが見えるのは、プラットトラスに組まれた古レールのフレームとの接合のためだろう。 屋根方向を見ると、やはり横桁は古レールで、そこに木材で真束を立て、鉄材でトラスを入れている。 窓。 下りホームへの階段。こうして見ると、階段最下部に屋根をかけて延長している。そのため、前述した上りホームの階段とは異なる形状になっている。 脚の組み方。 画像検索すると、どうやらかつてはこの向こう、駅の外まで跨線橋が延びていたようだ。
* * *
この朝、駅前の民家2軒からそれぞれ地元の方が出てこられ、お話をうかがった。そのうちの1軒が、この駅を管理しているとのこと。見学している間に、駅舎内外とトイレの掃除をしていた。私が「虫が多かったので外で寝た」などと迂闊に言ったことが影響しているなら申し訳ないと思った。 一人が言った。「あんた、この人(駅管理人)の家に泊めてもらえばよかったのに! どうせ空き家はいっぱいあるんだよ」
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駅便(国縫駅)
2012年8月18日(土)深夜、京王線の調布付近を地下に切り替える工事が行われる。その直前の準備の様子を当日見に行って来たのだが、よく考えれば「地上の京王線よ、サヨウナラ」という廃止日のようなものであり、かなりたくさんの鉄道ファンがいた。特に、地下化される部分の前面展望を撮ろうとする人が多く、ひしめきあっていた。沿線には、日常の利用者である地元の人たちもたくさん写真を撮っていたし、家の窓から見ている人もあった。
全体の様子はこちらに公式サイトがある。 調布駅を地下化するため、調布の前後3ヶ所で、地上から地下への切り替え工事がある。こうした工事では、新線部分を完全に脇に作って置いて、切り替え当日には旧線のレールを新線のレールにつなぎ替えるような形でする…つまりレールの平行移動だと思っていたのだが、今回の場合は、現状の線路の真下に複線を敷いておき、当日、レールを垂直方向に移動して新線とつなげる工法である。 ●西調布(地上)→調布(地下)へのルート 調布12号踏切(切り替え後も残る)より、調布方向を見る。以下推測。土嚢が積んである部分が縦の緩和曲線、その向こうから33パーミルくらいで下ってくのだろう。鉄骨で組まれた覆いは、架線の高さ変更に応急的に対応させるためのものか。 レールや枕木を見ると、いろいろと書き入れてある。 覆いを望遠で。作業員の方々が、最後のチェックをしているのだろうか。掲示されていた作業工程では、今週は確認作業だけだった。当たり前だよな。 覆いを横から。 調布11号踏切から、覆いの中。 ここまで来ると、現在の路線の下に、新線がハッキリと見える。つまり、現在の路線は、すでに橋桁の上に乗っているような状態なのだ。これは冒頭からの流れと同じく新宿方向を見ている。 八王子方向。 新線部分、踏切より新宿寄りはスラブ軌道のようだが、八王子寄りはバラストなんだな。 この区間は、以上。 ●調布→京王多摩川 品川通りが京王線の乗り越す立体交差になっているが、この陸橋が仮橋だった。これも、新線切り替え計画の一環なのだが、こんな大規模なものが仮橋というのもすごい。当座の踏切解消のためだったのだろうか。地下化が完成したら、平面に戻る。 相模原線調布6号踏切から、京王多摩川方面を見る。手前が地下、奥が地上になる。現在線の下に見える新線が、奥に向かって上っているのがわかる。 その他の表情は、西調布付近と変わらず、また撮影に適する場所もなかったので、ここまで。 ●柴崎→国領 動画でご覧いただきたい。土嚢が見えるあたりから、地下に潜っていくことになる。 youtubeにアップしてから「ブレ補正」をしたら、貫通扉がグニャグニャ動くように加工されてしまった。。 |
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