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東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1 の続き。

20120630_001.JPG東新潟港駅から南へ行くと、国道113号があり、そこに踏切跡がある。そこから逃がし新潟公益側を見ると、こんな木が育っていた。



20120630_004.JPG冒頭の写真右側の敷地内は、近所の家の物置になっていた。…と、おばちゃんが線路を横切っていった。

20120630_000.JPG冒頭の写真の左側は、このようにレールが途絶していた。なんとも中途半端な撤去状況。

20120630_006.JPGたぶん出発信号機。

国道を挟んで反対側を見る。
20120630_099.jpg右に詰所。国道を渡った2組の線路は、ここでひとつに重なる。…と、左のポイント、トングレールがない。撤去されたか盗難か。

20120630_010.JPG詰所手前には勾配標。

20120630_008.JPG詰所の中。平成10年(1998年)12月8日改訂の時刻表、1999年1月のカレンダー。右奥には昭和50年代半ばっぽい木目調のクーラーが見えている。時が止まった。

20120630_012.JPG詰所の横あたりから北を見て、国道113号。

20120630_003.JPGポイント付近のケーブル。このように溝をきちんと作り、そこに収めたいる。全国の線路脇には、恐ろしい数の、こうした細かい函がある。

20120630_007.JPGあわれ、警報機。身をすべて取られ、頭と背骨だけになった魚のようだ。


(続く)
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東新潟港駅付近の廃線跡(夜)の続き。改めて、午前中に行った。

20120629_002.JPG重油を運ぶ水管橋 東北電力新潟火力発電所で書いたワーレントラスのすぐ近くに、東新潟港駅の廃線跡がある。この距離だ。

20120629_003.JPGここは、実家からたぶん2kmもない。しかし「みなとトンネル」が開通するまでは、ここに来るには大廻りしなくては来れなかったし、そもそも新潟にいた頃にはここらへんには興味がなかった。いま思えば、自転車で駆け回っていた小中学校の頃に、ここに来ようという発想がなかったのは、実にもったいない。

20120629_005.JPG何度か書いたが、その頃には越後交通の廃線跡や信越本線の青海川付近の廃線跡から、そうしたものに関心は持っていた。ただし、それを「よく考える」ことをしなかった。考えれば、手持ちの地図を見れば、ここに貨物駅があるのはわかったはずなのに。

20120629_006.JPGなんともったいない。かつて、ここにワムが蝟集していた時代を、みすみす見過ごすなんて。

20120629_001.JPG現地には原付で行ったが、みなとトンネルは原付通行禁止なので、結局大廻りをした。

20120629_000.JPG東新潟港駅跡に残る「安全の塔」。近くに寮のようなアパートもあるが、関係あるのかないのか…。

20120629_004.JPGまだ当分、このまま放置されていることだろう。なかなか港らしい、荒涼とした風景だと思っている。


 
20120628_001.JPG新潟県自然科学館の屋外展示、29622。長らく新潟県の坂町機関区で米坂線の仕業に従事していたが、のち岩見沢機関区に転属、昭和51年1月17日廃車。

給水温め器ナシ。化粧煙突だがクルクルパー付き。エアタンクは左が前、右が中央。切り詰めデフ。もっとも、米坂線時代のデフは通常の形なので、岩見沢に転属後に切り詰められたものだろう。デッキの手すりもそのときか。(※…などと考えていたのだが、驚愕の事実が。文末参照)

20120628_000.JPG白い差し色が余計な化粧だ。主連棒の赤もいらない。

20120628_002.JPGテンダの後ろ姿ってかっこいいよね。



ライターの草町義和さんより指摘があり、こちらのサイトを紹介されました。なんということでしょう。ぜひご覧ください。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~makoto_w/SL/29622/29622_1.htm
 
20120627_000.JPG小学生の頃、よく遊んだ柏崎市の海岸沿いには、デンカセメントのテトラポッド製造現場があった。そこには整然と並んだ各種の消波ブロックが並び、そこでよじ登ったり抱きついたりして遊んでいた。もちろんテトラポッドもあり、真新しい、ツヤツヤしたテトラポッドを撫でては手が白くなった。そこらには型枠が転がっており、型枠の継ぎ目と思しき場所にはコンクリートのバリがあった。羽根つき餃子の羽根のように。そして、子どもながらに、テトラポッドは同じ形の4枚の型枠を組み合わせていることを理解し、深い感慨を抱いたものだった。

20120627_001.JPG

20120627_001.JPG新潟市内でたまたま製造現場を見た。建築現場のようにシートで覆われた中は、おそらく型枠が組み合わされたテトラポッドだろう。おそらく上面が空いており、そこにバケツ状の容器からコンクリートを投入するのだろう。

20120627_003.JPG上面とおそらく同じ、脚の頂部。いや、脚も頭もないのだけれど。



20120627_100.jpg別の場所では、こんな形で整列していた。…よく見ると、形がおかしい?

20120627_101.jpgいちおう、4本脚。横から見ると犬のようだ。どこ製で名称はなんというのかはわからない。ご教示乞う。

【追記】
@fusamofuさんからの情報で、これは三省水工「シーロック」標準型であることがわかった。採寸していないので、南号かはわからない。




 
20120623_000.JPG村松は、街の規模から考えると非常に大きな商店街と雁木がある。そして、その中心部は、かつての蒲原鉄道村松駅からはちょっと離れている。その中間地点に、この閉鎖した昭和シェルの給油所はあった。かつてはここに雪が積もり、毎日のように雪下ろしをしていただろう分厚いキャノピーと太い柱は好みではないのだが、ふと見ると写真左に別の防火壁がある。

20120623_003.JPG近寄る。右上と左下の黒い影は、うっかり、フードが正しい位置になかったことに気づかず撮影したためだ。

防火壁は昭和シェルのカラーリングというより…

20120623_004.JPG丸紅/昭和シェルの色だった。ロゴは大きな面積を占める赤と同系統の色で塗りつぶされている。

でも、冒頭の写真のように、こちら側は、メインのスペースではガッチリとした防火壁が存在している。なのに、なぜこちらに別の防火壁があるのだろう? もしかして、かつては昭和シェルと丸紅が別の店舗として並んでたのだろうか。丸紅は昭和シェルブランドの給油所もタクさん持っているので、これだけではわからない。また、残念ながら、古い航空写真を見ても不鮮明で、確認はできなかった。

20120623_002.JPGちょっと戻ってサービスルーム。昭和シェルの赤黄のツートンはフィルムタイプのステッカーかと思ったら、違った。ブラインドをこういう色に塗ってあったのか。

20120623_001.JPG29.01リットル。計量器には、検査期限が平成6年…というステッカーが見える。意外に、閉鎖してから時間が経っていた。おそらく20年近い。しかし、サービスルームの外観はとてもきれいだ。

現在は、あまり広いとは言えないスペースは月極駐車場になっている。

 


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