上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県)の続き。 第六利根川橋梁で利根川の右岸に渡った上越線は、すぐにまた渡って左岸に移る。今度は直角に近く横切るので桁は短い。第六と同じく、上り線が当初のルートでトラス桁、下り線は増設線で鈑桁。同じような径間なのに、トラス桁ではなく鈑桁になっているのが技術の進歩の証。鈑桁は、上路に見える…? 手前が下り線、奥が上り線。右が水上方、左が湯檜曽方。 この道路の左側にも橋があるが、それは次の記事で。 上り線の鈑桁+ワーレントラスが歴史的鋼橋として収録されている。歴史的鋼橋集覧の記事はこちら。 近づいて見る。どちらも、水上方に短い鈑桁、湯檜曽方に長径間の桁(下り線は鈑桁、上り線はトラス桁)。 手前に道があるように見えるが、水管。最下段の写真を見ればわかる。 右が下り線(新線)。山側に隧道を穿って既設線(上り線)に並行させている。これは大穴隧道。 橋脚を見ると、古いトラス桁の橋脚は幅が広く、新しい鈑桁のほうはT字型だ。 上り線の線路は、鈑桁の上+トラス桁の中でカーブしている(踏切から撮影)。 下り線も。…と、遠くからは上路鈑桁に見えていたこの鈑桁… 中路鈑桁だった。カーブしているから中路または下路、なのだろうか。上路だと曲線を収用できないものなあ(←ここは素人考え)。下路にすると橋脚を数十cmでも高くする必要があるので中路を採用した…というところだろうか。 この踏切は、なかなかいい雰囲気。一連の橋梁近くで、ボケッと佇むならここがいちばんだ。 PR
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県)の続き。 沼田の手前、第五利根川橋梁で利根川の左岸に渡った上越線は、そのまま水上まで左岸を北上する。ここまでの上越線は、上下線がほぼ並行して敷かれているが、ここからは複線化の際に、新線をまったくの別ルートでつけた部分も多くなる。 水上に着く直線、車窓左手に諏訪峡、その向こうにホテル街が見えるが、そこは単線のように見え、上り線が見えない。上り線は山側を隧道で一直線に貫いている。 水上駅の「山間ぶり」はかなりいい雰囲気で、大好きな駅であるのはこれまでも繰り返し書いてきた。ここまでは、それでも人家と離れずに来たが、とここからは急に人気がなくなる区間を行く。水上駅を過ぎると、すぐに三回連続して橋梁を渡る。水上の手前からカーブが連続して、しかも橋を三回もかけなければならない(うち利根川を渡るのが2回)のは、線形を決める上で悩ましい選択だったろう。その一つ目が、この第六利根川橋梁だ。最初に開通したのが上り線、複線化で増設されたのが下り線だ。歴史的鋼橋一覧の記事はこちら。 写真手前が上り線で、最初に開通した桁。全体を撮影できるポイントがないので、上の写真を左(水上側)、下の写真を右(湯檜曽側)と分割して。 こうして見ると、上り線も下り線も同じ淡緑色+コンクリート製橋脚なので、一見、どちらが古いのかわからない。古い桁(手前)の橋脚は円柱だが、対して新しい桁(奥)はT字型をしている。架線柱は、更新されることもあるので一概には言えないだろうが、古い桁が門型、新しい桁が1本型だ。 とくになにか特徴があるわけでもないの第六。川幅は50~60mくらいしかないのに、斜めに横断せざるを得ないため、橋長は約200m。前述の通り、線形選択の落としどころがこれだったのだと思うと、この、どこにでもある形の橋が愛おしく見えてくる。
水上駅には転車台(ターンテーブル)がある。蒸気機関車列車が到着した後、転向するためにそのまま湯檜曽側に直進し、後退で入ってくる。一連の様子が見学できるように、公園のようになっている。
C61が乗るとこのとおり。この転車台がどのクラスのものかは不勉強でわからないが、20m級か。60フィート(18m)ではない気がする。 上路式で、中央支承の横に2箇所、フタがついている。 操作小屋の奇抜な色は江別のアレのようだ。 真横。間抜けなことに塗装標記などをアップで撮っていないので、諸元がわからない。銘板もなさそう。 ギギギ・ギ・ギー・・・というような、分厚い鉄板が共鳴するような音を立てて回転する。端部を見ると、桁の上に枕木を置き、レールを敷設し、そのレール脇には歩きやすいように木材が貼ってある。 反対側。桁の側面に「まごころと信頼で結ぶJR高崎支社」とある。こちら側の側面左端に銘板があるのはわかるだろうか。 2012.9.26追記 [水上駅の転車台の走行装置] 走行装置の動画をアップ。
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余談。 美しいねえ。テンダーの台車。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県)の続き。 上越線の岩本付近、国道17号を山側に線路を並行させつつ北上すると、こういう形で国道をオーバークロスする橋桁が見える。 手前が第五利根川橋梁の下り線、奥が上り線。どちらも鈑桁だが、下り線は石積の円筒橋脚で上りは円筒PC橋脚だ。 上下線の間に入るとこんな。 一歩前に出ると、利根川が見える。撮影したのは豪雨の後なので、川の水が多く。しかもとても濁っている。 架線柱…ではなく、画面左にある架線柱のようなものはなんだろうか。いまは電線が張られていないので、使用されていないようだ。 下り線の円筒橋脚。こちらは石積。桁下は16mほどはありそうだ。赤いテープは限界の水量だろうか。 上り線の円筒橋脚。こちらはPC。どちらも橋脚上部に点検用の回廊を持つ。 下り線の橋台。石積+コンクリートだ。 上り線の橋台。コンクリートだ。桁の裏側を見ると、下り線(古い)は単に左右の主構をつなぐだけに見えるが、新しい方は綾になっている。 上り線を内側から。 橋の向こうに出て振り返る。こう見ると、上越線はずいぶんと高度を上げている。後年の造りになる関越は、さらに高台を走っている。 この第五利根川橋梁は「歴史的鋼橋集覧」にもない。上下線とも水上方に銘板がついているが、何年どこ製か、確認できなかった。 (続く)
加太駅を西に向かって走り、最初に加太川を渡る橋梁。名称は「屋渕川橋梁」となっている。「屋渕川」とは検索してもこの橋梁しかでてこない。なぜこの名称になったのだろう?
写真右が加太駅。シェルターがちらりと見えている。 ここに3連の鈑桁があり、奥のシェルターの向こうに、加太駅の場内信号機が見える。 橋脚は、隅石を配した煉瓦製。上部がコンクリート製なのは、後から継ぎ足したのか、それとも補強したのか。 プレートガーダーには銘板がある。
大正十三年
大阪鉄工所製作 LIVE LOAD:****-ER* E-** 鉄道省 (以下不明) 塗料が分厚く、判読できない。 この区間が関西鉄道として開通したのは1890年(明治23年)。桁製作の大正13年は1924年だから、開通後、まだ34年しか経っていない。鉄製橋梁、時代的に鋳鉄かもしれないが、それが34年しか使われなかったというのは腑に落ちない。以前の桁はどんなだったのか。 スパン割からして似たような桁が架かっていたのだろう。鉄製か、あるいは木…いやそれはないか。関西本線は官設鉄道に準じた鉄製桁を多数設置していたはずだし。 こうしてまた今日も、なにも解決せず、疑問点だけを提示することしかできない。そうして、こういった課題をどんどん忘れて行っている…。 |
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