DREAM TRAIN。以前から、写真家の中井精也さんが取り組んでいる、主に列車内で出会った人たちに夢を聞き、それをポートレートとともに刻む…という作品。本書はその集大成というか、中井さんの原点に還っての鉄道旅というか、そういう気持ちで、2011年11月7日から19日間、稚内から枕崎まで普通列車だけで旅行し、その間に出会った人々と作り上げた作品集だ。その制作過程がかなりオープンであり、その過程を共有できたことで、私たちファンの『DREAM TRAIN』という「書籍」に対する印象は大きく変わったと思う。
中井さんは、旅の途中、ツイッターやブログ『一日一鉄』で作品をアップしたり、その時々の心境を吐露していた。悲しんでいるときもあれば、感動しているときもあった。それを、私を含むファンは応援しながら眺めていた。アップされた写真のすごさに感動したり、添えられた文章に涙ぐんだり。本書を開くと、そのときの気持ちが蘇ってくる。だから、会社から帰る電車の中でうっかり開いたら、…涙が浮かんできたので、すぐ閉じてしまった。 中井さんの作品がすごいのはもちろんだけれど、まとめたときの展開がまたすごい。CP+などでの講演のスライドを見たことがある方はわかると思う(注)。この『DREAM TRAIN』は、その性格上、旅の順番に作品が並んでいるはずなのに「なんだこの展開は!?」と思ってページをめくる指を止めてばかりいた。 私は、本書のクライマックスはここだと思う。 101ページ。飯山線の虹。
このページの作品と文章は『一日一鉄』2011年11月15日にある(あえてリンクは貼らない)。会社でここを読んで、……。いま読んでも涙が出る。コメントの数がものすごい。この作品と添えられた文章は、この旅を共有していた人たちにもっとも強く響いたのではないだろうか。 (注)この『DREAM TRAIN』にはDVDが付属しており、その中にスライドショーが収録されている。そこには、私の友人でもあるオオゼキタクさんによる歌が添えられている。すばらしいスライド、そして歌なので、ぜひDVDもご覧いただきたい。
* * *
自分はどうだろうか。 小学生の頃の漠然とした夢は「ディーゼルカーの運転士になりたい」だった。気動車などだれも趣味的に見向きもしない時代に、田舎の小学生はそう思っていた。新潟は気動車王国だったからな。でも、同時に、国鉄の職制における運転士という位置づけのことも知っていたので、そこそこ勉強のできた私は、このまま進んでも運転士になることはないだろうとも思っていた。 小学校5年の時に、宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』とそれに続く作品に触れた。それ以来、「本をつくる人になって、旅の文章を書きたい」と思うようになった。一方、高校に入って山に登り出すと、それを趣味としながら高校の国語教員ということも考え始めた。そういう先生がいたからね。だから、もし私が小学生~中学生の間に夢を聞かれたら「本をつくる人になる」だし、高校生~大学4年の間だったら、重ねて「国語の教員になって、山に登り続ける!」とか言ったと思う。高校の山岳部は、その先生との出会い(その先生もバイクに乗っていた)、そしてオフロードバイクに乗ってる先輩との出会いがあったから、相当な人生の転換ポイントになった。その頃から10年以上、鉄道趣味から離れることにもなった。 (写真は大雪山。このときは2泊3日で単独でトムラウシ、日帰りで利尻も登った) 結果は? いろいろに形を変えて、実現できたと思っている。宮脇さんと同じ頃、愛読していた南正時さんの著書を刊行していた会社に就職し、環境や仲間に恵まれ、好きな本をつくっている。南さんとは一度だけ本の制作でご一緒させていただいき、以来、勤務先にいらっしゃるたびにお声をかけていただいている。(本当に、すてきな、いい方なのだ!) ひとつは、旅の文章。 オフロードバイクには大学生のころから乗っていたが(そのきっかけは、やはり山だったりする)、会社に入ってから、山に行く時間が皆無になり、毎週末、バイクで出かけるようになった。偶然の巡り合わせで、愛読していた雑誌の編集部に配属になった。そこには、とても厳しい編集長がいて、でもその方のおかげでなんとかいまにつながっている。 私はツーリング記事を比較的多く担当していて、そこで「旅の文章を書く」ということができた。写真は北海道のツーリング記事。丸いライトのバイクが私で、アクションをしているのは北海道在住のライターかつライダーさんだ。私はこんなことはできない。このときには1週間同行したHカメラマンに大変にお世話になった。 まだタウシュベツ橋梁が自由に出入りできた頃。取材は6月中旬。 まったくの余談だが、翌年の北海道取材では、真島満秀さんの作品で見た、音別付近で根室本線と並走するダートを狙って取材で訪れている。丘の上から700mmで狙った、あの作品の舞台。その後、自分でも鉄道撮影のために何度も訪れた。 もうひとつは、山。 完全に私の企画になるのが、『東京近郊ゆる登山』とその続編『もっと行きたい!東京近郊ゆる登山』。後者は来週の4月11日配本。ほかにも、山岳ガイドの大先輩からひきついだタイトルがたくさんある。 いまは膝を壊したために山には行けないが、歩くのは大好きだ。 ほか、鉄道の本もいくつか刊行し、幸いに大変売れ、他社にも非常に大きな影響を与えることもできた(アレオレ詐欺というなかれ、100万部超えた本をつくった方が私に直接そうおっしゃったのだ)。
* * *
『DREAM TRAIN』に導かれて、飯山線に乗ってきた。20年ぶりくらいだと思う。 3月下旬の平日の夕方。長野を出てしばらくすると、強烈な光が差し込んできた。西から東に走るのだから、よく考えれば条件は好都合だ。 青空と雪景色と光るレール。ガラガラのキハ112から後ろを見ていると、列車が左右に曲がるたびにレールに反射する光の表情が変わり、目が離せない。飯山線は、私にも奇跡を与えてくれたのか? シャッターを切り続けた。一度、一瞬だけ信濃川の穏やかな川面がギラリと光ったが、うまくは組み合わせられなかった。 ところが。 新潟県に入ると、これだ。猛烈に吹雪いている。太陽など見えるべくもない。しかし、私が慣れ親しんだ「冬」は、これでいいと思う。
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20年前に飯山線に乗ったときに抱いていた夢は、幸いにして実現できている。それは本当に幸運なことだと思う。 もし、いままた夢を聞かれたら? 間髪を入れず、「すべての人が健康でありますように」 と答える。 夢じゃないように見えるなら、これでどうだ。 「すべての人が健康である世界に住みたい」 まじないは嫌いだが、10年ほど前から、なにかお祈りやお願いする機会があると、これを唱えている。すべての人が健康でありますように。 <関連リンク> ・DREAM TRAIN 実況ムービー ・一日一鉄! PR
3月、木造駅舎で有名な信濃川田駅を訪問した。周辺を歩いていたら、草むらにこんなものがあった。
重ねてある。最初は、架け替えた古いプレートガーダかと思ったが、さにあらず。 なかなかの繁茂っぷり。主桁の側面のボルト穴や、横桁がボルト留めであることを見ると、汎用の、新しいプレートガーダーのようだ。それが2組、重なっている。塗装は新しい。 実はもう1組。こちらは枕木がついている。枕木には犬釘の穴がある。横桁は枕木がスッポリと入る大きさで、左右幅は板を差し込んで調整している。 先の、雑草に覆われたほうの上面。 この桁。まったくの憶測だけれど、村山橋架け替えに関係しないだろうか。このピカピカ具合がそう思わせる。しかし、ちょっと検索したくらいでは、この桁の現役の姿を見つけることはできなかった。
***
おまけ。 渋温泉近くの消火栓。
十勝三股の地形に関連して。
今現在、『カシミール3D』解説本の制作作業中なのだが、テストがてら旧版地形図を画像化したものに標高データを与えてみた。旧版地形図を画像化する際にはどうしても歪みが生じるため、厳密な重ね合わせはできていないので、その点はご了承いただきたい。 どちらもまだ「糠平国道」R273は開通していないため、その位置を、私が実際に走ったときのGPSトラックデータを載せてある。 ●20万分の1「北見」(昭和24年7月25日発行) 昭和3年編纂、同24年修正版。 国鉄士幌線は十勝三股まで開業している。当時は盛況だったはずだ。『十勝の森林鉄道』によれば、昭和25年から33年まで、十勝三股から先は音更森林鉄道が木材の搬出をしていた。 まだ糠平ダムができる前で、ということは、糠平ダムの工事中および完成後も音更森林鉄道は稼働していたのであり、それにしては音更森林鉄道はあまりに知られていない気がする。 これを見ると、三国峠(赤いルートが超えている峠。実際はトンネル)の右にあるかなり低い鞍部、勝北峠(三股と置戸を結ぶダートの抜け道)のほうが、置戸や北見に抜けるのにはいいのがよくわかる。三国峠を越えるのは、層雲峡を抜けて上川盆地を目指すためだとは思うが。 ●5万分の1「ニペソツ山」(現:糠平、昭和30年8月30日発行) 大正9年測図、昭和30年資料修正(行政区画)。 なぜか、士幌線がまったく入っていない。大正9年の時点では、まだ上士幌までしか開通していなかったのだが、図歴を見ると昭和24年にも資料修正をしている。なぜ、二度目の資料修正でも鉄道を書き入れなかったのだろうか。 赤い線が現在の道路。左に突出した凸の下側にあるループ状の赤は、かつて糠平駅があった場所。その北側を一直線に三国峠に向かうルートを見ると、糠平国道の規模がわかるというものだ。 鳥瞰図は2点とも、DAN杉本氏のカシミール3Dを使用して作成した。 ちょっと仕事が忙しく、お茶濁しのようなことしか書けていないが、いずれ。
つい先日まで使用されていた木造駅舎を見に新村駅に行ったのだが、ホームもなかなかすてきだった。
この堂々たる…「屋根だけ」。おそらく、元々は支柱も木製か古レールだったのだろう。田野駅では古レールのものを見かけた。その支柱が鋼鉄製のものに交換されているために、やたら屋根だけ浮いて見える。なんというか、亀から剥がした甲羅だけを棒の上に載せてる、みたいな印象。 これは松本方面を向いて撮っている。 そこで振り向くと、このように新駅舎が左、旧駅舎が右に見える。 電灯の向こうがわかりづらいが、左はスロープになって駅舎に続いており、右は普通のホームだ。 その向こうに、先日書いた保線の動力用に改造された軽トラックが見える。 電灯の向こうは、ホームとスロープの段差に人が落ちないように、柵がある。そのうちのひとつに「1921年」の陽刻があった。それを考えると、このスロープはずいぶんと昔から存在していたということだな。荷物扱いなどしていて、そのため…だったりするのだろうか。
須田寛氏(正しくは「、」のある「寛」)は、国鉄時代からなにかと表に出ていた方で、現代においては、JR東海元社長、JR東海のリニア・鉄道館収蔵車両を保存していた張本人だとか、そういう捉え方がされる方である。本書は「鉄道営業近代化への挑戦」というサブタイトルが付与されており、須田氏が取り組んできたことをたどりながら、その裏話をインタビュー形式で開陳するものである。
内容は大変におもしろい。須田氏の著書を読んだのは初めてなので既出かもしれないが、多少は内部的な話に詳しいつもりの私でも初めて聞く話がいくつもあった。鉄道史に詳しくない人でも、すんなりと読める良書だと思う。 しかし、私はこう思う。本書は国鉄の「表」の歴史書であるから、本書を読んだら「裏」の歴史も学んでほしい、と。 本書は、国鉄の表裏の「流れ」と、時代性を正しく認識する目を持つと、なお深く想像しながら読むことができるだろう。聞き手の福原俊一氏は、折に触れ、裏の部分についても質問しているので、須田氏も労組との絡みや国鉄自身が抱える問題についても言及してはいるのだが、いかんせん、本来は営業史を語る本なので、まったく深く言及できない。読者は、少なくとも公共企業体として独立した時点から昭和50年代の歴史と、そこから国鉄改革至る猛烈な展開の基本的な流れを把握して、本書を読んでほしい。そういう観点に立つと、須田氏は「表」を歩んできたことを、否応なく感じさせられることだろう。 (参考) 『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店) 『さらば国有鉄道』(三塚博) など *** 国鉄改革に関する本を読んでも、須田氏の名前は出てこない。須田氏の次の社長、葛西敬之氏は国鉄改革を語るときには絶対に外せない人物であり、著書もあるほどなのに、である。そもそも須田氏は国鉄常務時代、分割には反対だった。葛西ほか改革の中の人物の著書には、分割反対派の理事たちの暗躍が繰り返し描かれている。そこに須田氏が含まれるのかそうでないのかはわからないが、反対していたことは確かである。 JR化直後の社長/会長は、こういう布陣だった。 東日本:住田正二(運輸官僚、国鉄再建監理委員)/山下勇(三井造船社長) 東海 :須田寛(国鉄常務理事)/三宅重光(日本銀行出身、東海銀行頭取) 西日本:角田達郎(運輸官僚)/村井勉(住友銀行出身、アサヒビール社長) 初代社長は、看板的な布陣だったはずである。住田氏、角田氏のような改革派と並べると、須田氏の浮きっぷりはどうだ。須田氏は、国鉄改革時になにをしていたか、まったく聞こえてこないのが、私にはとても奇妙なのだ。そして、それなのに社長に据えられたこともまた奇妙だ。 なお、葛西氏はじめ改革の実働部隊は、JR各社に取締役や副社長などの形で入り、後日、社長の座を射止めた。そして、改革時のことを積極的に発言する人もいれば、あえて沈黙を守っている人もいる。 (2013年1月12日追記) [『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋)に、須田の名前が出てきた。
***
その流れで補足。151ページ、スト権ストについての記述について。 「盛岡と新潟と九州の一部地区(略)輸送を守らなくてはいけないという使命感を持っている人もいたことだけは申し上げておきたいですね」という須田氏に対して、福原氏は「労使関係が荒廃した時代であっても、鉄道魂をもつ職員も残っていたということですね」と返しているが、これは勉強不足ではなかろうか。 新潟は、労使協調路線の鉄労発祥の地といってよく、その勢力が強く、国労を上回っていた。それを「鉄道魂」などという言葉で安っぽく括ってほしくはない。盛岡は不勉強でわからないが、仙台も鉄労が強かった。 191ページ、分割の方法について。 「千葉を分けるという議論もありました」。これは初耳だが、これも労組がらみではないだろうか。千葉には、動 労 千 葉という、過激敵だった動労から分離してさらに先鋭化したような組合がある。この分離の内容については『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)を参照されたい。 *** 最後に、「本」として。 本書は読み物なのに、なぜこの造本なのだろう? 本文用紙は厚くて読みづらいし、定価もモノクロ224ページで1890円と、高い。もっと普通の書籍用本文用紙を使って、四六判1365円程度で売ればいいのに、と思った。また、写真がひどい。「リニア鉄道館」は本当にひどい。。。 でも、読むと楽しい。久々に、一気に読める本に出会った。 |
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