編集長敬白:お薦めの新刊『十勝の森林鉄道』 本書は、よくあるように資料をかき集めてそこから作ったものではない。著者が丹念に、いろいろな人を介しながら直接ご当人に会い、お話を聞く…というスタイルを貫いている。だから、「○○さんがこう言っていた」「△△さんがこう」「文書による記録によれば□□」それぞれが矛盾していることもある。その場合、適宜推測も入れてはいるが、基本的には写真や痕跡が見つからない限りは断定はせず、潔く「今後の課題だ」としている。非常に慎重な、適切な記述となっている。 もともとは郷土研究誌『トカプチ』に連載していたもの。だからなのかタイトルは『十勝の森林鉄道』だが、いわゆる「森林鉄道」に括ることもせず、馬鉄(馬車軌道)や河川工事で使用された作業線まで網羅しようとしているあたりがまたすばらしい。
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私にとってもっとも興味深かったのは、音更森林鉄道だ。「音更」といいながら、十勝三股よりさらに先まで敷設された鉄道だ。まあ、音更森林鉄道にとっては、音更川の最上流に達するのだから「音更森林鉄道」で文句を言われる筋合いはないだろう。その音更森林鉄道、かつてはこれだけ張り巡らされていた。 著者・小林実氏はすでに85歳。いつまでもお元気で、調査が続けられますことを。304ページ、頒価2200円。都心では書泉グランデが特別に取り扱っている。ただし、誤字や誤記、単位系の誤りが多数あるので、読むときは一字一句を吟味しながらぜひ。 PR
駅舎正面以外は大好きな駅、水上。夏には3番線の向こうの水の流れの音が涼やかだし、冬には舞う雪が構内の照明に照らし出される。冬はいつも濡れている跨線橋もいい雰囲気だ。駅舎の建築年はわからないが、昭和30年代に多くあったような造りと意匠をしている。ホーム側、腰部がタイル張りになっているあたりにそれが見て取れる。
現在、駅舎の正面入口付近が増築され、ちょっと悲しい姿になっているが、その土台はいかにもな国鉄駅舎である。その水上駅1番線のホーム上屋の支柱は一部に古レールが使われている。 使われている部材はそれぞれレール底面同士をリベット留めしている。そこに木製の垂木(レール方向)を通して屋根板を貼っている。 支柱部分。フタ部分のレール腹部を利用してケーブルが這っている。 このトラス構造の部材は至るところで見かけるが、この水上駅のものはガセット的なものがついている。 高崎方を見ると、古レール支柱の木製上屋とは別の、鉄骨+波板屋根の上屋になっている。少し行き、振り返る形で最上段の画像と同じ向きで撮る。 その境目は。 でも、手前の保線車両が気になるよな。 【参考画像】 しかし、横に回り込んだら…
利根川の橋梁密集地帯(利根川橋梁)に関連して。
現在、快速線の古いトラス橋を架け替える工事が進行中である。googlemapsの衛星画像でもそれがわかる。 大きな地図で見る 上(北西)から ・快速線(下り)単線桁 …(A)(4)…架け替え予定 ・快速線(上り)単線桁 …(B)(2)…架け替え予定 ・(この空間)…(C)(3) ・工事中複線桁 …(D)(1) ・緩行線複線桁 …(E)(5) とする。(A)(B)(C)(D)(E)は桁のことではなく、位置を示す。 線形を見ると、いまの(A)(B)は北側にオフセットされている。これは以前の架け替えによるものである。 年表にするとこうなる。 ・1896年(明治29年) 単線で開通。(D)に200フィート単線ダブルワーレントラス(8連)など…(1) ・1917年(大正6年) 複線化のため(B)に200フィート単線プラットトラス(8連)など架設(開通は1923年)…(2) ・不明 (1)架け替えのために(C)に200フィート単線プラットトラスなど架設…(3) ・1957年(昭和32年) (3)架け替えのため(A)に200フィート単線ワーレントラス(8連)など架設(開通は1958年)。こちらを下り線とし、(2)は上り線とする…(4)。 (3)の桁は羽越本線阿賀野川橋梁・神岡線第二高原川橋梁・北陸本線庄川橋梁に転用される。 ・1980年代 複々線化のため(E)に複線連続ワーレントラスが架けられる(開通は1983年)…(5)
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快速線下り車内から撮ったものを。 車止めが不憫に思えてきた。
2012年3月31日、友人のフォトライター、栗原景さんが、水郡線常陸太田駅で国鉄・JR線完乗になるというので、お祝いというか立ち会いというかでご一緒しようと思い、出かけた。予定では929D、11時50分着の列車だったのだけれど、私は1本前と勘違いして2時間も早く水戸についてしまった。完乗については栗原さんのサイトをご覧いただくとして、その前後の出来事を書く。
当日はものすごい強風が予想されていて、私の列車も強風のための徐行で10分遅れで8時55分頃、水戸に着いた。結果的に、それが吉となった。
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10時34分、上菅谷に戻って栗原さんと合流。その列車は、時々飛んで来た枝を踏んづけているらしく、床下からそんな感触が難度かあった。 この時点で常磐線は強風で止まっており、水戸に向かっていた方々が内原や羽鳥、土浦で足止めを食っていた。 様子を見ながら、栗原さんは完乗列車を1本遅らせることを決めたが、その間常磐線は動かず、機転を利かせてバス移動した方々だけと合流し、完乗列車に。乗車したのは上菅谷発12時33分の931D。風はさらに強く、車内から前方を見ても砂煙でよく見えない。列車は断続的に警笛を鳴らしながら走っていた。ところが、額田と河合の間で… 衝撃と共に、車窓になにかが飛び散る。さっきの経験からしで枝だろうと思ったら、なんと枝を押しながら走っている! これが12時41分頃。 動画。 幸い、単に停車しただけ、のような状態で、ケガ人などはなし。国鉄時代ならば運転士が撤去して点検後再開、なのかもしれないけれど、いまの時代だ。点検後、手歯止めをかけて指令に連絡し、保線の方(?)の到着を待つ。 いつのまにか保線の方(?)が来て、作業中。鋸で切断し、撤去する。 動画。 左側。 こうして撤去し、車両点検の後、現場停止から約45分後の13時26分頃、運転を再開した。 そして。
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20時。そろそろ帰るかと改札に入ったら、すぐに出発するとのこと。急いで乗り込む。建前としては水戸発17時35分の1442Mが2時間以上の遅れで運転する形となった。2次会の参加者のうち、この列車で帰ることにした5人はグリーン車へ。 神立までは比較的順調だったけれど、そこから断続的に抑止がかかる。強風による抑止なのか、上野駅が詰まっているためなのかはわからない。 GPS端末で取得したログを置く。 なぜか、藤代を出たところで、車内灯が消えた。 そうして0時頃に日暮里に着いた。約4時間かかった。その後、私帰宅した。他の方は、ホテルに泊まった方もいた。 常磐線の特急車内では殺伐とした状態になったらしい。ほかにもあちことでそういうことがあっただろう。乗客および関係者の方々、お疲れさまでした。 |
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