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長野駅の番線の呼称は変則的だ。かつて、善光寺を模した駅本屋があったころ、駅舎側の第1ホームが1番線、第2ホームが2番線・3番線…と、順送りに7番線まであった(『国鉄全線各駅停車6 中央・上信越440駅』に図がある)。しかし、現在は橋上駅舎となり、第1ホームは使用されておらず、第2ホームが1番線・2番線、第3ホームが3番線・4番線・5番線、第4ホームが6番線・7番線となっている。

第3ホームはどうなっているかというと、東側の中央で分断し、車止めを設置した上で、北側を4番線、南側を3番線としている。wikipediaによれば、こうなったのは橋上駅舎化時(1996年)ではなく、2000年12月1日である。

その、分断したあたりから北側のホーム上屋の支柱に古レールが使われている。
20120327_05.JPG北から南を見ている。ホーム中央の自動販売機の上あたりから向こうが、新しい屋根と支柱だ。自販機の右に写っている男性の後方に白い板がみえるが、これが分断された車止めの上に設置してある板である。

ご覧の通り、手前(北側)の支柱は古レール。しかし、屋根は波形鋼鈑であり、支柱が塗り替えられた上に清掃が行き届いてピカピカ光るほどなので、一見、古レールであることに気がつきづらい。

接合部をアップ。
20120327_06.JPG

振り返ると…
20120327_08.JPGこうなっている。垂木(枕木方向の梁)が鈍角である。支柱は踏面あわせ。軒桁(線路方向の桁)との接合もおもしろそうだ。

20120327_02.JPG軒桁と支柱を真横から見ると、こう。

20120327_04.JPG接合部をアップにするとこう。支柱は貫通し、軒桁が乗るような支え板を用意し、軒桁は支柱に横方向でくっついている。

20120327_07.JPG真横から見るとこう。


軒桁にレールを使う例って、あまりなかった気がする。でも、そこにレールが使われているからこそ、屋根の下が直線になり、スッキリする。


なお、支柱は塗膜が厚いため、古レールの調査はできなかった。



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昨年、オイル交換した後から、2速への入りが悪い。かねてより、クラッチワイヤーのレバー側の太鼓のカバーが破損していることと、ワイヤーが伸びきっている疑惑があったので交換した。

20120325_000.JPG約3700円。まだ欠品になっていなくてよかった。

20120325_001.JPGハンドガードを外し、アジャスタを回してケーブルを抜く。

20120325_002.JPGこんな具合に、プラ製の太鼓のカバーが割れている。以前見たときは、ワイヤーがほつれていたような気がするのだが…。

20120325_004.JPG新品の太鼓。こんなにきれい。



20120325_003.JPG新品のワイヤーにグリスを通すために、ワイヤーインジェクターを使う。これを使うの、10年ぶりくらいかもしれない。

20120325_005.JPGクラッチ側のアジャスト。けっこう簡単に決まって助かった。やっぱり新品は伸びがないから合わせやすい。


しかし。
2速への入りの悪さは変わらない。ドグが欠けてたりするのだろうか。もうこのままつきあうしかないのか。ギヤ抜けが怖い。。。

 
20120325_006.JPGある木造住宅。人が住まなくなってずいぶん経つようだ。

玄関(写真右)の左側にコンパネが打ち付けられている。その隙間に、赤い星が見えた。東京ガスの旧ロゴだ。

そのすぐ上と二つ下は東京都水道局の「専用」と書かれたプレート。すぐ下は不明。最下段二つは日本赤十字社会員(社員)章だろう。町内会などを通じて社員になることが多く、かなりの家の玄関で見かけるものだ。


 
オオゼキタクさんのライブ『歌旅人生2』に行ってきた。

日本語詞のラブソング、というものをほとんど聴いてこなかったぼくにはアウェイなジャンルなのだけれど、とってもいいライブだった。前回に続き「ゲスト」とのかけあいが入ることで、より楽しむことができた。

20120324.jpgゲストとは、鉄道写真家の中井精也さん(中央)と、キーボーディストの向谷実さん(左)、クリステル・チアリさんだ。中井さんと向谷さんがステージに出ているときは「写真撮っていいよ!」ということになったので、このシーンのみ写真がある。

意外にも、タクさんとゲストの方々とのつきあいはそれほど長いものではないそうだ。中井さんでも2年くらい。でも、これだけ楽しそうにかけあっているのだから、すぐにわかりあえたのだろう。タクさんにとっては中井さんも向谷さんも鉄道の面では(向谷さんは音楽の面でも)大先輩になるのだろうけれど、臆せずアタックするのがいかに大切なことか教えられる。

中学生の頃からカシオペアを聴き、コピーバンドまで(どうにか真似事を)していた私にとって、その向谷さんと、(もとは)鉄道方面での友人であるタクさんが同じステージで演奏しているというのが、とても不思議な感じだ。そして嬉しい。この、ゲストのターンを見ていて、タクさん、向谷さん、クリステルさん3人によるライブがあったらいいな。そう思った。

また、会場では中井さんの新著『DREAM TRAIN』が先行発売されていた。この本にはタクさんによるテーマも収録したDVDが付属するという。私は都合で書店で購入する予定としてしまったためにまだ入手していないが、大切に読み、大切に聴こうと思う。そちらの感想はまた改めて。


ひとつだけ不満。『旅の空』やってほしかったヽ(`Д´)ノ

楽しかった、ありがとう!









 
20120323_000.JPG(許可を得て展示を撮影。以下同)

銀座ニコンサロンで、吉野正起さんの道路写真展が開催されている。今回のタイトルは『道路2011 -岩手・宮城・福島-』。震災で被害にあった地域の道路だ。

吉野さんとは、2010年9月に銀座ニコンサロンで開催された写真展『道路』で初めてお会いした。道路を尋ね歩き、写真に収める。作品にする。誰の記憶にもでてきそうな道路の光景を切り取った、すてきな写真展だった。

20120323_001.JPG道路に船が鎮座しているような、被害そのものと言えるもの。暴力的に破壊された道路。プラ板のようにねじ曲げられ、結び目のようになっているガードレール。原発事故の影響で立ち入り禁止となった道路の看板。震災前とまったく変わらない姿だけれど、人の気配のしない道路…。ここに掲示されているのは道路なのだが、あまりに受け取るものが異なる。よって、見る人によって、まったく違う印象を持つ写真展となるだろう。

私がいちばん強く印象に残ったのは、人の気配のしない山間部の道路である。上の写真でいうと、柱の2面、その右の3点。コントラストをつけずに、でも明るくプリントされたその画面には、ありふれた、だれの記憶にもある道路が写っている。ただし、廃道でもないのに草が路面に這い出し始め、周辺の民家には人の気配がない…。

20120323_002.JPG吉野さんも、撮りながら、さまざまなことが胸に去来したという。太平洋側だけでなく、日本海側も本当は写真に収めてあるのだ…。

おそらくこうした会場にいれば、否が応でも観客は震災の話を始めるだろう。その都度、そういう話につきあわねばならないご苦労は大変なことと思う。

吉野さんと話していて、気がついた。私は、被災した道路には趣味的な興味が湧かないのだが、それは、「まだ使えるのに、新しい道路に代替された悲しみ」を宿していないからだ。それは、向き合ってもこちらは悲しくならないし、むしろ積極的にそれを写真なり文章なりで描き出すことに力を注げる対象だ。

一方、災害で破壊されたり立ち入りを禁止された道路は、単なる地域の悲しみしかない。本当の悲しみだ。それを、自分の思考をまとめるために眺めたり、あるいはエンタテイメントとして解釈することは、私には不可能だ。只見川の橋梁を撮りにいったことがあるが、それは、親しみのある場所だったからだ。

吉野さんの作品は、鑑賞者が災害の写真をどう捉えているかを浮かび上がらせる。私は、前述の通りだ。みなさんは、どういう印象を受けるだろうか。


ニコンサロン連続企画展 Remembrance 3.11 吉野 正起
3/21 (水) ~3/27 (火) 10:30~18:30(最終日は15:00まで) 会期中無休

<関連記事>
吉野正起氏 写真展『道路』


 


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