数多く語られている、丹那トンネルと鍋立山(なべたちやま)トンネルの工事を通じて日本のトンネル技術に関するエピソードを集めた本。携わった人たちに直接話を聞いたりして、それが興味深いのは当然なのだが、それは「当たり前」の内容でもある。
著者は業界誌『建設業界』において「日本の土木を歩く」という連載を長年続けてきた人である(ブラウザで閲覧できたはずだが、いまはリンク切れになっている。後身の『ACE建設業界』のリンクを張っておく。「バックナンバー」はリンク切れ)。 私がこの本で「いいな」と思ったのは、この言葉だ。 この見方は、道路ファンの、道路に対する見方に重なる。そして、その理由をこう述べる。 300年、500年という数字がどうかはわからないが、すべての建設費を受益者負担にするのはおかしいというような見方は、インフラについて考えたことのある人にはなじみのあるものだろう。3ルートある是非については各論あろうが、インフラの作り方については正しいと感じる。そして、そういう方法で、一般の人がまったく関心を持たない分野(例えば河川管理など、都会の誰が感心を持っていよう?)においても、さまざまにインフラ整備は進められているということも認識しておきたい。 なお、本書のメインコンテンツである丹那トンネルと鍋立山トンネルの物語は、簡潔でわかりやすいものである。ただし、多少の、隧道工事に対する知識が必要かもしれない。 PR いよいよ『廃道 棄てられし道』が刊行される。いままで取材のレポートをここで書いたり、校正紙のチェックの様子をツイッターに書いたりしていたが、改めて本書の企画から刊行までを、時系列に沿って綴ってみたいと思う。 また、11月20日(日)には、丸田さん、栗原景さん、私で、新宿のNaked LOFTにおいて、本書に関するトークイベントを開催する。詳細はこちら。入場料1000円+飲食代ですので、ぜひご覧ください。 ●夜明け前…『廃道本』 2008年11月、『廃道本』刊行。『山さ行がねが』の平沼義之氏に持ちかけ、WEB同人誌『日本の廃道』の編集長である永冨謙氏をご紹介いただき、おふたりにご執筆いただいた本。おかげさまで大好評のうちに、在庫僅少となっている。 この『廃道本』では、巻頭に、永冨謙氏撮影の美しい廃道グラビアを設けた。そこを膨らました本を作ることができないか、ずっと考えていたが、それだけの写真集では、商業的に成功するか疑わしい。廃墟趣味と異なり、廃道趣味・道路趣味は「趣味的に写真を撮る」というほど写真とはなじんでいないからだ。そのまま、1年半が経過した。 ●丸田祥三氏との出会い 2010年4月22日。丸田祥三氏の『風景剽窃裁判』の判決があった。友人の栗原景氏やO(オー)プロジェクト(『軍艦島全景』やiPhoneアプリ『軍艦島黙示録』の制作者)の西田信行氏が傍聴したことを知った。この裁判のことは知っていたし、丸田氏のことは、氏の初の写真集『棄景』(1992年)から知っていたので、twitterにそのようなことを書いたところ、丸田氏ご本人からリプライをいただいた。それが、この『廃道 棄てられし道』の始まりだった。 後日、ざっくばらんにお話をしませんか、ということになり、お目にかかった。そのときは、すぐ仕事に結びつくわけではないけれど…とお互いに思いつつ、私は、まだ誰も見たことがない丸田さんの作品でなにかできないか…と思い始めていた。まだ誰も見たことがないものが、きっとあるはずだ。それは、秘蔵のものかもしれないし、新しいモチーフかもしれない…。 その頃、平沼さんとも、なにか企画ができないか…と話を重ねていた。そこで、閃いた。廃墟、廃線跡など「棄てられた風景」を撮り続けてきた丸田さんに、「廃道」を撮っていただいたら、ものすごいものができるんじゃないか…? あの色彩、あのパースで隧道が迫ってきたら。一見、どこの何を撮っても同じにしか見えない藪も、丸田さんの手にかかったら、ものすごい表情を与えられるんじゃないか。そう思って、丸田さん、平沼さんにそれぞれもちかけると、おふたりからは前向きなお返事をいただいた。 ●企画にゴーサイン、そして取材へ すぐに企画書を書き、2010年7月から8月にかけて社内で検討を重ね、9月始めに、正式にゴーサインが出た。この時点では、3月ころの刊行を念頭においていた。 そしてすぐ、9月16日に、平沼さんと丸田さんの顔合わせを兼ね、実際にどこに撮影に行けばいいのかの打ち合わせを持った。私も『山さ行がねが』を参考にいくつかの廃道を訪問しているが、実際に「その廃道」のすごさを熟知しているのは平沼さんである。平沼さんのアドバイスを聞きながら、ここは日帰りで続けて回れるね、ここは道路のすぐ脇だよ、ここに行くなら1泊だね、などという話を積み重ねた。そして、まず最初に、丸田さん、平沼さん、私の3人で、伊豆の廃道に取材に行こうという話になった。 打ち合わせの途中で、丸田さんが「そういえば、このへんにも廃道がある」と言いだし、そこに連れて行ってもらった。通称、緑山サーキット。かつてはバイクの走り屋がコースとしていたところで、慰霊の花などもある。 打ち合わせ後、平沼さんと私宛に、丸田さんからメールで写真が届いた。「撮りに行ってきました」。その、丸田さんが改めて平沼さん流の「廃道」を意識して撮影した初めての一枚が、本書のラストを飾る標識の作品である(丸田さんは、過去にも廃道をいくつも撮影している)。平沼さんも私も、その作品を見て、成功を確信した。 取材の予定を9月24日(金)としたが、あいにくの雨天だったので27日(月)に延期した。しかし、27日も、朝から大雨で、伊豆に向かうにつれ、徐々に晴れてきた。当日の様子はこちら。 丸田祥三氏×平沼義之氏 ●その後…取材の日々 12月頭にかけて、取材が続いた。丸田さんからは、取材の都度、作品を送っていただいていた。もちろん、撮影したすべてをお送りいただくわけではなく、丸田さんのセレクトで候補に昇らなかった、陽の目を見なかったカットもたくさんあるはずだ。 取材は、丸田さんが、平沼さんのサイトなどを参考にしてお一人で行ったものもあれば、土曜・休日を利用して、私もお誘いを受けて道案内を兼ねて同行した道もある。三連休を利用して関西にも行った。本来の(?)私の仕事はディレクションなので、普通ならすべての取材に同行するようなことはないのだが、取材に行くのはとても楽しいので、「遊び」として嬉々としてついていった。そのうちのいくつかを、レポートしている。 廃道取材(2) 南東北 廃道取材(3)都内周辺 廃道取材(4)中部・近畿 廃道取材(5)東北 廃道取材(6)山形県道250号を例に 廃道取材(6)奥多摩(←番号が間違っています) 廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋> 丸田さんの撮影とは別に、平沼さんとは、どういう文章を掲載すればいいかという話し合いを続けた。そして、丸田さんの考え方のひとつである「作品は本来、無記銘である」ということが道路にも言えることに気づき、その方向で原稿を書いていただくことにした。 ●作品をまとめるということ 丸田さんからお送りいただいた作品は、のべ163点。この中には、同じ構図で表現の方法を変えた作品もあるし、残念ながら掲載を見合わせたものがあるが、それらをどうまとめるかが、次の大きな課題となった。写真集は、単に作品を並べればいいというものではない。その並び順が命。これは、雑誌の巻頭グラビアも同じ。セオリーはあるが、正解はない。(『Fの時代』と『Cの時代』参照) 12月下旬から、膨大な作品を前に、丸田さんと私とで構成の検討をはじめる。はじめは叩き台すらなかなかできなかったが、作品1点1点をハガキ大にプリントしたものと並べながら、なんとかひとつの案ができた。2月に入ってからのことだった。 ●祖父江慎氏と 同時に、ブックデザイナーの祖父江慎さんにコンタクトを取る。祖父江さんは、出版に関わる者なら誰もが知っている方。写真集も多く手がけられ、製版・印刷への知見は、並の印刷所の方々よりもはるかに深い。「祖父江さんがご担当」というだけで、大手印刷所が襟を正して緊張した仕事をする、というほどの方だ。祖父江さんとのお仕事は、丸田さんの念願でもあった。 私も装丁家ときちんと仕事をするのは初めてなので、緊張しながらお電話をしたのが1月下旬。しかし、時期的に祖父江さんが相当お忙しく、お目にかかれたのは2月下旬。祖父江さんは丸田さんの作品にとても興味をもっておられ、幸いにもお仕事を受けていただけることになった。 ●以後 以後、プリンティング・ディレクター(PD)さんの選定、PDさんを交えての打ち合わせを重ねた。展開案も、祖父江さんから「こうしたらどうでしょう?」とまったく新たにご提案いただいたり、それに意見を重ねたりして、徐々に固めていった。7月、ようやくテスト入稿にこぎつける。印刷するのに難しい色彩の作品を中心に、実際に製版してもらうのだ。その数、11点。その結果を見て、製版の方向性を改めて打ち合わせることにした。結果的に、祖父江さんも驚くほどのすばらしい製版が実現した。 ここで、トークイベントでもたびたび触れることになると思うのだが、印刷について簡単に書く。 デジタルカメラで撮影されたデータはRGB(減法混色、バックライトあり)。印刷はCMYK(加法混色、紙の色の上に色を重ねる)。これをご存知の方は多いと思うが、総じてRGBの方が CMYKより多くの色を表現でき、鮮やか。細かく説明することはしないが、丸田さんの作品はCMYKで印刷しづらい鮮やかさのものがとても多い。それを、 CMYKでどう表現するか。きれいな青、きれいな緑。『廃道 棄てられし道』のカバーは、実は、かなり表現しづらい色であるが、それが美しく出ているのは、プリンティング・ディレクター・Yさんの力量にほかならな い。 以後の詳細は、とくにトークイベントで話すことになると思うので、おおまかに。 5月11日(水) 平沼さん脱稿。 (祖父江さん、丸田さんと、展開についてや、校正についての打ち合わせ続く) 7月20日(水) テスト入稿。色味の再現が難しそうな11点を先に入稿し、製版してもらう。 8月3日(水) 先行入稿分が出校。チェック。素晴らしい製版に、一同、笑み。 8月25日(木) 入稿。祖父江さんから作品一点一点について「ここをこう」と指示をいただきながら、PDさんにお渡しする。 9月20日(火) 初校チェック。平沼さんのページは、平沼さん・私の上司・私で校正。 (左から、祖父江さん、ご一緒にデザインされた福島さん。右手前がPDのYさん、奥が大日本印刷の担当・Aさん。右下、丸田さん切れてごめんなさい!) 10月4日 再校チェック。一部、念校を出す指示。平沼さんのページは、平沼さんに校正をお願いしていたものを受け取り、再入稿の形となる。 (再校の仕上がりに大満足!というのがわかる、校了紙へのサイン) 10月17日(月) 念校を出す前のチェック。解決せず、作業続行。 10月18日(火) 念校を出す前のチェック続き。ようやくOK。 10月20日(木) 祖父江さんの事務所で念校確認。カバーも含めて校了。 10月28日(金) 表紙、カラーページについて印刷立ち会い。印刷機の前で、丸田さんとPDさん、私で、「刷り具合」を細かく指示しながら印刷。幸い、12時間で済む。 そして、 11月9日(水) 見本(予定)。 11月16日(水) 配本(取次=問屋に搬入)。翌日以降、書店店頭で発売。 入稿から校正が出るまで、時間がかかっているように見えるかもしれないが、これは、さまざまな場所にスケジュール的なクッションを挟んでいたためだ。写真 集のようなものを、ギリギリのスケジュールで進めても絶対にいいことはない。製版、校正刷、そういうことに、じっくりと時間をかけていただきたくて、このように段取りをした。平沼さんには、脱稿から本の完成まで、半年もお待たせしてしまった。これについては、大変申し訳なかったと思っているが、丸田さんのページの仕上がりが最高のものになったということで、ご容赦願いたい。 丸田さんは、これから、産業編集センターから重松清さんとの共著を、また、とある出版社から単独で写真集を刊行する予定がある。平沼さんは、また別の出版社から書籍を刊行するだけでなく、さらに別形態の廃道のコンテンツをリリースする予定だ。本書が、おふたりの「これから」のお仕事の一発目として、大きく開くことは、疑いない。本書が、これからのおふたりのお仕事に新たなインスピレーションを与えるものだと、ぼくはそう信じている。 『廃道 棄てられし道』は、11月17日(木)頃から書店店頭に並びます。ジュンク堂新宿店では、廃道Tシャツ等と並んで置いていただけると思います。ぜひ、私たちの思いの結晶を、お手にとってご覧ください。 国道400号を、舟鼻峠などはとっくに通り過ぎて玉梨豆腐茶屋も過ぎてしばらく行くと、スノーシェッドの前、右手に草むらに続く細い舗装路が見えた。いかにも「改良された後で取り残された道路」といった風情。真正面には橋梁に見えない直線道路。路面のジョイントが、橋梁部の始まりであることを示すだけだ。 かつてはこちらが国道の本線だった。いまでも轍はあるものの、入れるとしたら軽自動車のみか。 このガードレールも国道だった。かつては。 改良された部分、赤いガーダーが見える。冒頭の写真の欄干を見ると銘板があるので橋梁名も定められているはずなのだが、それを確認していない程度にザルである。 廃道。 放棄された土木構造物がある長大区間に目が行きがちだが、大部分は、こうした短区間の改良である。時には駐車帯になり、時には廃土捨て場になる。見過ごされがちだけれど、よく見ている光景。
なぜか、Yahoo!地図には表示されないのだが、只見線が只見川を渡る第七只見川橋梁のすぐ西にあるのが、この四季彩橋。
平成23年新潟・福島豪雨で、只見川の橋がいくつも流された。滝ダムより下流、田沢橋、(#)、国道252号二本木橋、西部橋が流失した。(#)の位置にあるのがこの四季彩橋で、この橋が残ってくれたおかげで、只見川左岸の大塩、滝沢といった集落が孤立せずに済んだ。また、流失した二本木橋より北・西側の国道252号の補修工事にとりかかることもできた。 左岸(写真では対岸)側の径間はランガー桁、右岸側の径間は鈑桁。しかし、ランガー桁を見て、左岸に接するところだけを見れば下路だし、橋脚のところを見れば中路。IHIのサイト(新潟県に見える場所にあるオレンジの点をクリックすると表示される)にあるので、IHIが関わっていることは確かだ。銘板はあるようだが、確認していない(猛省)。 鈑桁部分がそれなりに長さがあり、またポニーアーチのため、圧迫感は少ない。見通しがいいというのもそれに貢献しているだろう。 渡りながら、アーチの途中で振り返る。奥が右岸。走っているクルマはタウンエースノア。そのクラスのクルマがすれ違うのがやっとの幅しかない。 左岸側から。 上写真の欄干部分にある銘板。読めないよ。。。地元の中学生の書。 平成13年12月竣功。 この四季彩橋一本では通行量をまかなえないらしく、国道252号の二本木橋の仮橋が本年中に架けられる予定だ。それまではこの橋に、左岸の集落の命脈がかかる。 只見線の「会津川口」(金山町)があるあたりは、1955年の市町村合併まで川口村といった。周辺の沼沢村、本名村、横田村とあわせて金山村となったあと、1958年に町制施行して現在に至っている。 「川口」というのは、その名の通り、只見川と野尻川の合流地点であることに由来する。例えば、新潟県の「越後川口」は、信濃川と魚野川のそれである(埼玉県の川口市はこの類ではないようだ)。この川口橋は、国道252号が、野尻川が只見川と合流する直前の場所に架かっている。 最初に言い訳をしておくと、このときは、橋脚に見とれてそれをどう撮るかばかり考えていて、記録として必要な写真をずいぶんと撮らずにいてしまった。なにしろ川口橋(現橋)の写真がほとんどない。銘板があるかどうかすら調べていない。反省する。 写真右が会津川口方、左が川口トンネルを経て只見方。写真右下に流れる川(右下から左に向かって流れている)が野尻川で、只見川は見えていない。 この写真でわかるとおり、川口橋の上流側に2組、旧橋の橋脚が残っている。そして、よく見るとコンクリートの桁らしきものも落ちている。 下流側から見ると、さらに別の桁も見える。周辺が荒れているのは、平成23年新潟・福島豪雨によるものである。 国道252号のこの区間は、1990年に川口トンネルとともに開通した(はずだ。トンネルのみしか確認できていない、要確認)。それ以前は、いまは橋脚しか残されていない旧橋と、川口トンネルのある山塊を北に迂回するルート(現在は通行止め)であった。『改訂新版カシミール3D入門編』に同梱されていた2万5000図が、まだ旧ルートだったのでそれを掲載する(入手できる最新のもの、を使用したのだが、ウオッちずは更新されていたものの、データは未更新だったようだ)。 ・地図A (カシミール3Dと『改訂新版カシミール3D入門編』収録の地図を使用。) 川口トンネルがまだ描かれていない。また、川口橋の描かれ方が「/」のような角度がついている。 ・地図B (カシミール3Dと電子国土基本図を使用) 川口トンネルが開通している。川口橋の描かれ方が「-」となっている。川沿いに迂回する道は国道指定から外されている。 旧橋の時代を航空写真で見るとこうだ。 (国土画像情報より転載、トリミング) 上の「地図A」の時代のものである。川口橋は「/」の角度である。 冒頭写真の2組の橋脚の正体はまったく調べていないが、橋梁史年表によれば、 という記載(抜粋)がある。これは、旧橋なのか、旧旧橋なのか。 現状のみを報告する。 現・川口橋のすぐ上流に1組(橋台も低い)、その上流にもう1組(橋台は高い)がある。状況からして、すぐ上流のが旧旧橋、その上流が旧橋だと推測できる。以後、それにならって記述する。旧橋は、両岸の橋台が残っている、というわけだ。 現在の橋の上から上流側(左岸)を見下ろすと、このように見える。上が旧橋、下が旧旧橋。 旧橋(上)の上面は崩壊して鉄筋が剥き出しになっている。旧旧橋の上面には鉄の部材が三つと、コンクリートの突起が見える。 そして、旧橋・旧旧橋の高さはこれくらいである。豪雨の前、通常時でも、これらの橋脚は水面下にあったようだ。 写真左の大きな橋台は旧橋、右下の石垣があるものが旧旧橋の橋台だと推測する。旧旧橋の橋台の高さには、車道と思しき幅を持つ道路状の平場がある。とはいえ、これらの橋脚は、通常時は水面下にあることもあったようだ。 旧橋の橋台の下部のえぐれ方がすごい。テトラ(じゃないよな、なんと言えばいいのだろう)が剥き出しになってゴロゴロしているのは、護岸がえぐられた跡である。それでもなお、旧旧橋の橋台が残っている。 現橋の桁下より。ヘン橋は曲線桁である。橋脚の左(下流側)に、ひっくり返ったRC桁のようなものが見える(それもちゃんと撮ってないどころか観察してないとは!) 旧橋の橋脚。なんともすさまじい。 この川口橋については、いろいろと知りたいこともあるのだが、今後の課題として記憶しておく。 |
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