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20111027_000.JPG待望の本だった。国鉄の労働運動を俯瞰した本。

いままで、国鉄の労働組合や、経営陣との関わりについての本は多数刊行されている。労働組合側の本としては、たとえば動労の指導者・松崎明にまつわる本だけでもいくつもあるし、経営陣の本としては、「国鉄改革三人組」のひとり、葛西敬之(前JR東海社長・現会長)の『未完の国鉄改革』など、「勝てば官軍」側の本もいくつもある。しかし、国労・動労・鉄労、そして国鉄・政党・国会と絡めた通史は、いままで存在しなかった。テーマが巨大すぎて、俯瞰した通史を書くとしたら大著になってしまうということもあろうが、そういう状況のなかで、ようやく登場したのがこの本だ。

国労、動労、鉄労といった労働組合それぞれの成り立ち、性格、内部事情を綿密に描きながら、ところどころ、著者の考察や主観による感想が挟まれている。ちょっと創造できないくらいの労作なのに、とても読みやすい(でも整理しながらじゃないと混乱する)。



本書の記述をそのまま信じるならば、巷間言われている「国鉄の分割・民営化は、社会党つぶしのためにやった」というのは、後付けの、誤った史観である。当時首相だった中曽根康弘がそのように言っているのだから、それは真実なのだと思いがちだけれども、それを語ったのは1996年である。本書から孫引きする。

「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(AERA、一九九六・十二・三〇)

しかし、労政の場にいた著者の考察が鋭い。

自民党の三塚博が委員長を務める「自民党国鉄基本問題会議国鉄再建に関する小委員会」(三塚小委員会)が成立したのが1982年2月。4月には「管理経営権及び職場規律の確立に関する提言」を行い、その中で「議員兼職の禁止」を挙げる。当時、まだ有力な政党だった社会党の自治体議員の7割が官民の労組出身者である。国労は1割近い。兼職を禁止すれば、社会党の自治体議員が1割減るわけだ。これについて、著者は

この問題は国鉄改革問題に悪乗りした政権党の横車以外の何ものでもなかった。

と書いている。つまり、社会党潰しありきでの国鉄改革ではなく、国鉄改革を利用して社会党つぶしをはかった、という流れなのだ(本書を信じるとすれば)。この点、現在の「常識」がその逆になっているような気がする。

また、中曽根を最初に「風見鶏」と揶揄したのがだれかは私は知らないが、中曽根が首相になったとき、仁杉巌を国鉄総裁に、細田吉蔵を運輸大臣に据えた。ふたりとも、分割反対派である。それが1983年12月。三塚小委員の提言の後にも関わらず、である。そんな中曽根が、当初から社会党潰しを目論んでいたとは考えづらい。目論んでいたならば、最初から、分割派の人物を国鉄総裁と運輸大臣に据えるはずだ。



もうひとつ思うことは、マスメディアのひどさである。「マル生」のときは、労働組合を支持した。しかし「スト権スト」のときは手のひらを返した。そして、国鉄改革の時には、国鉄経営陣(分割反対派)のオフレコ話を、朝日新聞記者がスパイよろしく葛西ら分割派に伝え、状況証拠からすれば、それがひきがねとなって国鉄経営陣の分割反対派は更迭されることになった。



本書を読んで、高校時代の政治の授業を思い出した。受験に関係ないのでほとんど聞いていなかったが、総評・同盟、といったことはおぼえている。しかし、社会に出てもいない高校生に労働組合やナショナルセンターのことを話しても、理解できるわけがないだろう。

と言いながら、本書を読むには、そうした知識が必要となる。社会党と共産党、民社党は何が違ったのか。社会党右派と左派はどう違うのか。階級闘争とは何か。また、三公社五現業とはなにか。かつて、労働運動を主導していたのは民間企業ではなく官公庁の組合だったこと。それに対して民間の労組には民間の考え方があったこと。そうしたことは、現代では実感しづらいし、もしかしたら20年前でもすでにオールドスタイルだったかもしれない。でも、そういうことを踏まえないと、本書は読めない。

さらに、『未完の国鉄改革』(葛西)等を読んだ方も多いと思うが、この本は、あくまで勝者の書いた歴史書であり、勝者ながら「看板会社」JR東日本に行けなかった葛西による本である、というくらいの見方ができる必要がある。葛西の著書については、元JR東日本社長である山之内秀一郎の著書『JRはなぜ変われたか』において「分割・民営化の流れをもっとも知っているのは元運輸事務次官にしてJR東日本初代社長・住田正二である。氏が語っていないことを、私はまだ話すつもりはない(大意)」というような書き方をしている。一般読者は、相変わらず真相は藪の中である。



本書は、歴史の教科書と同一視するのがいい。読みながら、自分が興味を持った分野や用語から知識を拡充していく。調べたあとで本書に戻ると、一段と理解が深まる。場合に寄っては「違うんじゃないの?」という意見を持てるようになるかもしれない。そうした使い方が、本書にはあっていると思う。

鉄道史に興味がある人には、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。

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20111026_000.JPG福島県の南郷と只見を結ぶ国道289号は伊南川(只見川の支流)の南側を走るが、北側に県道360号がある。一部に1.5車線部分があるが、そこを走っていたら、プラットトラスが目に飛び込んできた。

20111026_002.JPG東京電力伊南川発電所取水口にかかっている。非常に小振りな橋である。しかし、近寄ることができないため、正確な高さはわからない。

20111026_001.JPG右側端柱には「東京田原製作所製造」、左側には昭和十二年十一月竣功」とある。

この田原製作所、検索すると、『山さ行がねが』の「橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋」に掲載されている水管橋がまっさきに引っかかる。さすがだ。

20111026_003.JPG付属する建物の標記。

プラットトラスの床版は板張り。グレーチングなどに張り替えられててもよさそうなものだが、板張りが残っていて好もしい。


ここから南東に数百メートル行くと、国道289号に出会う。そこにあるのが、明和橋である。












 
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁の続きと言おうか、列車でそこを通ったので、車内からの写真をアップする。うっかりしてて、あわてて撮ったので最初の何枚かは露出も狂ってるしシャッタースピードは遅いし…。列車は木津から柘植方面へと向かっているので、木津川橋梁は第3連→第1連の順で通る。

20111024_000.JPG第3連。ランガー化したポニーワーレンの、右側の上弦のピンの部分、向こう側の3本がかなり出っ張っている。ボルトを代替した際に、長かったのだろうか(切ればいいじゃないか!)。左側のトラスにはない。

20111024_001.JPG第2連。こちらは2代目の桁。

20111024_002.JPG第1連。こちらは、左右の桁にそれぞれ、上弦のピンがつきだした部分がある。

20111024_003.JPG第1連が終わる部分。



この木津川橋梁は、ランガー化した部分に目が行きがちだが、横桁もかなり特徴的。詳細は英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁をご覧ください。
















20111020_000.JPG福島県の国道289号、界地区。以前は南郷村といい、いまは南会津町になっている。十数年来のなじみの場所。国道沿いにはあまり集落はないが、旧道に入ると古い家、古い店が密集している。その一角に、計量器ひとつだけの給油所があった。

防火壁はくたびれてはいるが、現役だ。「星商店」とあり、道路をはさんだ向かい側が、星さんの家。このあたり、星さんという大きな家がたくさんあり、かつての山口村(合併後は南会津町)の街中にあるシェルも、星商店である。関連があるかどうかはわからない。

20111020_001.JPG現役の証拠に、検査期限のラベルは「27年1月」。直近の給油は74.1リットル。74リットルということは、2トン車か、もっと大きなクルマか。

20111020_004.JPG20111020_003.JPG20111020_002.JPGタツノの計量機(器ではなく機を使っているようだ)。

ノズルのtatsunoのロゴに、時代を感じる。各文字の感覚が大きく、そこを、横一線に貫く棒がある。この計量機の製造は昭和50年だから、まさにその時期の流行なのだろう。

HITACHIは確実にあった。クルマのエンブレムも、詳しくはないのでわからないけれど、確実にあった。こういうデザインのものが。


この日は金曜日。実は、現役だと気づいたのは帰宅後に写真を見返しているときで、このときはもう使用停止になっているものだと思い込み、クルマを前に停めて、堂々と写真を撮っていた。それでも、向かいの星さん宅からはだれも出てこない。だから、ますます使用停止だと思っていた。いま思うと、冷や汗が出る(というほどでもないか)。

軽油だけなのは、農機がディーゼルエンジンだからだろう。そうか、私が自家用車(レジアスエース;ハイエースのNETS版)だから、見向きもされなかったのか。なお、農機に入れた軽油は、本来は軽油引取税を支払う必要がない。しかし、それを証明するのも難しいため、その余剰金(?)を使って農免道路が作られるのは、知られている通りである。


















20111017-05.JPG只見線の塩沢川橋。会津塩沢の東、東行き(上り)の列車なら、滝トンネルに入る手前に渡る橋だ。国道252号が並行している。撮影時は、国道の塩沢橋の東端で通行止めになっていた。すぐ西のR252中丸橋の西端では、土石流の跡があった。

橋梁史年表によれば、データは下記の通りの、鈑桁とRC桁を組み合わせた8連の橋梁である。

・開通年月日 1957年8月1日
・橋長 108m
・詳細 RC桁(8.2m*か6.6m)+19.152m鈑桁×2(再用桁)+12.9m鈑桁×4+RC桁(8.2m*か6.6m)(小出方=画像左から) *『鉄道ピクトリアル』2010年11月号に掲載されている線路一覧略図(1982年)によれば18.2mとなっているが、それでは橋長が114mを越えてしまい、橋梁史年表および『田子倉発電所建設用専用鉄道工事誌』掲載の地図(の転載)にある「橋長108m」と矛盾するので、「18.2m」が誤記であると推測する。

なお、上の写真に写っている方とお話をしたけれど、何の調査をしていたかは聞いていない。



20111017-06.JPG西側の線路の上から。このように、廃線跡のように草むしている。左の仮設トイレは、ここに国道管理の仮設事務所が設けられていた関係によるもののようだ。

西側から見て行く。RC桁を撮っていないのは、なんというか…。いかんな。
20111017-02.JPG第8連(左)と第7連(右)。第7連・第6連の19.152m桁は、転用桁である。ウェブの端部、写真でいうと桁の左端に、縦に孔が開いている。橋脚にも銘板がついている。

20111017-03.jpg塩沢川橋りょう
設計 新橋工事局
施工 佐藤工業KK
設計荷重 KS-15
基礎工 コンクリート
基礎根入 天端から9.5M
着手 昭和31年9月5日
しゅん工 昭和31年10月11日

第7連の銘板。
20111017-01.jpg大正八年
川崎造船所○○(品川?)工場製作
LIVE LOAD COOPER`S E33
鉄道省
---------------
MATERIALS
(以下判読不能)

その第7連と同じ、第6連。
20111017-08.JPG魚腹型。なぜか第6連(の国道側)には銘板がない。

桁の下端がRを描いているのが時代がかっているというか。

この区間の施工が橋脚の銘板の通り昭和31年頃なのに、桁の製造は大正8年。40年弱の間、この桁はどこで何をしていたのだろうか。

只見線の会津川口以西、田子倉までは、電源開発田子倉専用鉄道として建設されたもので、『鉄道ピクトリアル』2010年11月号の只見線特集における『電源開発 田子倉専用鉄道沿革史』(澤内一晃)によれば、「ガーダー橋のかなりの分が飯田線水没区間からの転用であるのは知られた話である」とある。しかし、飯田線の水没区間(佐久間~大嵐間)の(三信鉄道としての)開業は1936年(昭和11年)であり、第7連の銘板にある、大正8年(1919年)製造とは時期が合わないし、なにより「鉄道省」という陽刻がある。ついでながら「レールについても飯田線と士幌線の水没区間から転用され(略)30kg…」とある。

第7連(左)と第6連(右)。
20111017-04.JPG

第6連(左)と第5連の架け違い部。
20111017-10.JPG左の第6連の右端、孔は縦1列と、天地に数個ずつの孔がある。第7連左端と異なるのはなぜだろう。

橋脚の銘板に記載事項は、前述のものと基本的に同じ。異なるのは基礎根入の深さで16.5m、また工事着工が9月10日で竣功が10月25日となっている。

20111017-09.jpg第5連の銘板。

電源開発株式会社
活荷重KS-12 ○○では212
株式会社宮地鉄工所製作

昭和31年
----------
L. 日本鋼管株式会社
○. 日本鋼管○○○○
○○ 富士製鉄株式会社

下のマークはなんだろう。Aとあるように見える。富士製鉄のマークは「S」である。

20111017-07.JPG第5連の12.9m鈑桁。右端には礼によって孔が開いている。


この塩沢川橋梁については、ネット上にはほとんど情報がない。列車を撮影するなら、西の第8只見川橋梁はじめ、知られた場所が多数あるからだろうか。それでも私は、こうした地味な橋梁にとても引かれるのである。


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