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60c81d4d.JPGイラストレーターの落合恵さん(ブログはこちら)の『山へ行くつもりじゃなかった』出版記念トークイベントが、世田谷区等々力の「巣巣」で開催された。お相手はイラストレーターの杉浦さやかさん@saa_aya)。おふたりとも山友だちで、なれそめ(?)はこちらに。

20110616_002.JPG「巣巣」の2階にも原画の展示がある…ということで、階段を上ったら、そこにはおふたりが!(左:杉浦さん、右:落合さん)。おふたりのついているテーブルや椅子、よく見ると値札がついている。トークイベント会場の椅子にも値札があったのだが、これらはみな売り物。「巣巣」はすてきな家具屋さんである。

開始時刻の18時になると、予約満席だった会場は、雨だというのにぎっしり。前回よりも普通の人(?)が多いような印象。どんな印象かというと『天然生活』の読者のような。トーク開始直後に「この中で、山に登っている人?」という問いかけには、半分くらいが反応していた。前回はほぼ全員だったのに比べると、場所の違いなのか、お相手の違いなのか、興味深い。。。

8f60c107.JPGまずは、山の格好のお話から、ファッションについて。落合さんが初めて山に行ったときは、とりあえず靴は買い、あとはあるものから。杉浦さんも同じ。ところが、落合さんがその後、普通に(?)山の知識が増えると共に衣類もアウトドア用のものをセレクトショップなどでそろえていくのに対し、杉浦さんはあくまで無関心(?)。最近買ったという防水透湿素材の雨具、「これはモンベルです」と言いながら、実際はパタゴニアだったり。ブランドに頓着せず、しまむらからもすてきなものを見つけ出す杉浦さんならでは。

杉浦さんはこの日、モンベルのニッカボッカだったのだが、ファミリーセールで買ったものだそう。「安かったから、20年前のものですかね。形もそれっぽいし」。おそるべきセンス。とある女性登山のイメージリーダーになっている同世代の女性は、「以前はモンベルの中高年体型用のズボンしかなかったから、登山用のレディスウエアは買わなかった」と言っている。いまイメージする「山ガール」的なウエアが出そろったのは、意外なほど最近で、出そろったから女性が参入した、と言い換えてもいいのだ。モンベルの、「モノはいいけどおしゃれじゃない」という印象を図らずも見抜いてしまった杉浦さん。すごい。

ニッカボッカ。私が山を始めた1987年頃は、それが当然だった。山には、ニッカボッカ+カッターシャツ。高校の山岳部に入ったとき、揃えさせられた。それぞれ2回しか着なかったけれど。ニッカボッカは、うっかりサイズの大きいものを買ったために、履き心地がとても悪かった。また、速乾の衣類などない時代、カッターシャツだけは速乾性なので重宝するはずなのだが、ニッカボッカの代わりに買ったチノパンと合わないし、Tシャツで登るほうが涼しかったので、着なくなった。いま思えば、山に行くのに襟のついた服を着ていくのは、単なる伝統なのだろうと思う。

13279f4e.JPG休憩。今回も、お菓子とコーヒーつき。お菓子は、dans la nature 花鳥風月さん特製。落合さんのイメージする、山の行動食(のうち、お菓子的なもの)として、「ナッツのいっぱい入ったクッキー」と、「ココア味 山マフィン」。コーヒーは、徳島県のアアルトコーヒー特製「眉山ブレンド」。お菓子はかなりのボリューム、おいしかった!

休憩後、おふたりの山の思い出に。『山へ行くつもりじゃなかった』にも書いてある、誕生パーティーのこと。これは、杉浦さんの誕生日がたまたま登山の日だったので、落合さんは無言のプレッシャーを感じつつ、プレゼントやサプライズを企画。そのプレゼントとサプライズの楽しさは、会場の方々にもわかっていただけたようで、コーヒーをふるまうとうことでちょっとかんだ私としてもとても嬉しかった。

また、おふたりで行った「富士山6合目でご来光」のエピソード。山に登ったことがない人が半分を占める会場では、富士登山の話も相当に興味を持たれているようだった。


まだまだ、落合さんの本沢温泉とか、「ランドネごっこ」とか、杉浦さんの「川が流れている山が好き」とか、書ききれないくらいにいろいろな話があったのだが、あっという間に1時間半ほど過ぎて終了。前回と違い、会場内に残る方が多かった。おふたりのファンの方ばかりだったということなのだろう。「そろそろ閉めるので…」とやんわり追い出される20時ころまで店内でおしゃべりし、会場を後にした。



杉浦さんが尾瀬に興味を持っているようなので、ちょっと考えよう。また行きましょう!

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初めて『二輪車ツーリングマップ』(マップ「ル」ではない)を買ったのは1993年頃だと思う。B6判で、ページ展開もメッシュではなく「ライダーが走るだろう方向」で組まれていた。ダート路面の情報は、九州など一部の地図に掲載されていたのみ。また、北海道の情報は、国道の鋪装化が進行していた時期でもあり、ちょっと古いなと思っていた。

 一新されてリングタイプのA5判で登場したのは1998年頃だ。それまでに全冊買っていたが、改めて全部買った。リングタイプの特徴は、全エリア、ダート情報が掲載されたことだ。この時代、まだ写植で製作していた地図だった。

2000年、リングタイプに難があったか、誌面はそのままに、折り返せるタイプの無線綴じになった。リングタイプは、本文ページが切れてしまい、返品が促進されるうリスクがあるのは容易に想像できる。そのころの誌面がこれだ。翌年だったか、GPSに「対応するために緯度経度線が描かれるようになった。なお、そこに描かれていたのは世界測地形の数値なので、当時の国土地理院が刊行していた地形図とは異なるのだが、注釈は一切ない。

20110617_000.jpgこれはこれで、地図として必要十分な情報が盛り込まれている。ピンクのマーカーは、私がバイクで走った道路である。おまでいうログ取りのようなことをやっていた。2001年ころから、仕事の忙しさなどの環境の変化もあり、バイクに乗る距離がぐっと減ってきた。ロングツーリングも行かなくなった。代わりに仕事でバイクをクルマに積んで北海道から九州まで行っていたので、最初はクルマで走った道を別の色のマーカーで塗ったりしていたが、めんどくさくなっていつしかやめてしまった。クルマで走ることは、バイクで走ることとは違う。そう思ったからだ。

2004年頃だったか、ちょっと時期は忘れたが、全面的にデジタル化された。等高線などが細く薄くなり、見づらくなった。それでも、地図としての使い勝手は「好みの範囲」での変化だった。

そして先日、2011年版のツーリングマップル北海道を買った。そして驚いた。こいつは地図じゃない!

20110617_001.jpg

ライダー向けの情報量は変わらない。しかし、文字が3割ほど大きくなって、地図である部分をスポイルし、字名や小学校などの表記も省略している。なんなんだこれは。こんなもの、地図じゃない、地図に名を借りた情報誌だ。レジャーガイドブックや自治体の刊行マップで、地図に関してなにも意識のない人が作った下手くそな地図を見てげんなりすることが多々あるが、それに近い。これが、長年信頼を勝ち得てきた昭文社の地図か!


もともと、他エリアも含めて、ライダー向け情報といってもひどいものも多かった。たとえば川の記述。山形県の最上川に対して「山形の母なる川」。最上川に対してのコメントがそれかよ!? 東北は、賀曽利隆氏の担当なので、氏の、「朝起きて歯を磨いてごはんをたべて『さあ、今日もいくぞー』と気合いを入れて出発した」みたいな文章のレベルで紹介されるし、氏がセレクトしたベスト10みたいなものもある。地図ではなくて、著書になってしまっている。これは、ツーリングマップルの元々の制作者が賀曽利信者だったために起こった悲劇である。

表紙も、リングの時代(小原氏の撮影)はしっかりしていたが、無線綴じになって以降の表紙はひどい。とくに昭文社の担当者が撮ったものはおそろしく質が低い。許せないレベル。

かといって、これに替わる、このサイズの地図はない。悩ましい。



20110616_000.JPGこの橋の名前は「巴橋」。史実か伝承か、この橋がかかる付近を巴淵といい、木曾義仲の愛人、巴御前ゆかりの地ということになっている。

この写真でも、上の地図でも細く見える川だが、木曽川である。

20110616_001.JPGこの橋を撮ろうと準備していたら、普通の家族連れが
橋の下に降りていって記念撮影を始めた。そんなに有名スポットなのか(たぶん違う)。彼らがその場を去るのを待って、土手を降りていく。



20100816-3.jpgこの橋の特徴は、見ての通りのトレッスル橋脚。鉄道でよく見かけるタイプのものとは90度異なった位置にある。

例えば、既に撤去されてしまった余部橋梁は左の写真のように、トレッスルの長手方向が橋の軸方向に配置されているが、この巴橋は、長手方向は橋の軸と垂直に配置されている。

もっとも、鉄道用のそれは、長手方向の「長さ」の部分には単独の短い鈑桁が載せられているのであるから、桁を支持しているのは、軸方向と垂直な線(正確には点だけれど)である。

トレッスルをアップ。
20110616_002.jpg実に小さい。実に単純。

このトレッスル橋脚の上に、4主桁の上路鈑桁が架かっている。

20110616_003.JPG東側。いや、立派である。車両重量の制限は14t。見ていると、マイクロバスが走っていった。でも、幅は狭い。

親柱、左は「木曽川」、右は「巴橋」。

20110616_004.JPG対岸、西側。親柱は左が…ガードレールに隠れて読めない、右が「ともえはし」(たぶん濁点なし)。


この巴橋、トレッスル橋だという知名度は低い気がするのだけれど、どうだろう?



のぞみ橋 (岐阜県丸山ダムそば)の続きになる。

20110615_009.JPGのぞみ橋より上流側=丸山ダム側に、この小和澤橋はある。のぞみ橋が新丸山ダム建設用の仮橋だとしたら、こちらの小和澤橋は、立派な現役の道である。写真は南側。

20110615_008.JPG南側は、あまり饒舌ではない。制限重量6トンの標識があるのみ。

この角度だと、補剛桁の概要もわかる。

ふと思ったのだが、吊橋を撮るときは、アンカーも撮るようにしようそうしよう。

この手前には、ガードレールが設置されており、クルマは進入することができない。
20110615_010.jpg当初は、のぞみ橋はダム工事専用で、一般車は小和澤橋を通らされた。

20110615_006.JPG主塔左脚には「昭和二十七年八月架設」とある。「竣工」ではなく「架設」。

20110615_007.JPG右足には「こわざわばし」。

渡って反対側(北側)へ。

20110615_000.JPGどうだ、この饒舌具合。「通行不能」の赤い文字。そして簡単に移動できる単管パイプの車止め。


20110615_001.JPG主塔の左脚は南側と同じく「昭和二十七年八月架設」。

20110615_002.JPG右足は漢字で「小和澤橋」。

そして、根本には…
20110615_005.jpg昭和27年8月竣功
施工 株式会社間組
製作 高田橋梁株式会社

という銘板がある。

20110615_003.JPG補剛桁。床版は木製、クルマのタイヤが接する部分には鉄板が敷いてある。

20110615_004.JPG補剛桁を真横から見たもの。


コンクリート製の主塔のデザイン分類でも作ろうかな。

20110614_002.JPG秋田駅の跨線橋が、妙な形をしている。通常、跨線橋の通路の壁全体を包み込むように、トラス構造になっている。ワーレントラスのこともあるが、古レールを使ったものは、たいていプラットトラスである。

(参考)
跨線橋におけるトラス構造

しかし、この秋田駅のものは、通路の下半分しかない。20110614_000.JPG
しかも、「橋台」、ではないな、跨線橋の脚といったほうが適切か)にちょこんと載っているだけ。さらに、トラスの見た目が台形ではなく長方形をしている。上弦の端部がどこかと接合されているわけでもなさそうなのに…?

内部はこう。
20110614_001.JPGポニーワーレントラス(?)の垂直材を上に延ばし、左右のそれを弧状の部材でつないでいる。弧状の部材同志は接合されていない。

これは、大石橋のような構造だと解釈していいのだろうか。

(サイト「橋の散歩道」に、そのポニーワーレントラスの写真あり)

もっとわかりやすい現役のポニートラス(補強)があったと思うのだが、ど忘れしてしまった。思い出したらリンクを張る。



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