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20110525_000.JPG

以前、ザックのカビという記事を書いた。これは、もう15年ほどもプラケース内で保管していたものだったので、こうなるのもむべなるかなと思うのだが、そこそこ日常的に使っていたKARRIMORのZOOMというウエストバッグも似た症状となり、しかも底が裂けてしまった。

このウエストバッグはデイパックに変形するもので、上の写真の上面のファスナーを開けると容積が拡大される。
20110525_001.JPGこのように。

このウエストバッグを先の週末の氷見ツーリング(帰りは土砂降り)で使ったのだが、帰宅して見ると、中に入れていたビニール袋に消しゴムのカスみたいなのがたくさんついている。もしや…

20110525_003.JPGやはり。内側のコーティングが剥げていた。水色の部分も、黒い部分(厚い)も。

汚れてしまったこともあり、風呂場でバッグ全体の洗浄を兼ねて、この部分を洗い流す。すると、縫合部が裂けてしまった。上の写真でも写っている。

20110525_002.JPGこんな。

カリマーよ。。。

いつどこで購入したかは覚えてないが、2001年から2004年の間であることは間違いない。基本的に街中でしか使っていないのに、10年ももたずにこんなになるのか。

縫い合わせることもできるが、寄りによって裂けたのは底なので、ちょっと怖い。どうしようか考えあぐねている。

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『雑誌の写真を出典なしでネットに』というまとめがある。これについて書く。

ざっと読んでいただきたいが、簡単に言うと
・福井氏が何の気なしに、週刊新潮に掲載されていた写真をtwitpicにアップ
・新潮社なかしまさんが「出典を入れて」と要請
・外野が「出典入れろ? こんなものはフリーで流通させるべき!さすが出版社、古すぎる!」と暴れ出す
・なぜか、博士号まで持ってる人や東大教授が出てきて外野の見方となっていく
という流れ。

私が問題と考える点は三つ。
(1)F氏および外野は、オリジナルに対する敬意が微塵もないこと
(2)明確な「公衆送信権の侵害」であること
(3)そもそもの「写真」がどういうものであったかが、蚊帳の外になっていること



(1)は、丸田祥三氏の風景剽窃裁判に関することで、何度も書いてきたことだ。文章にしろ写真にしろ、あらゆるものは、先駆者の成果を踏み台にしてできている。だからこそ、先駆者へのリスペクトは忘れてはならないと考えている。

(2)を「違う」と考える人は、それなりの数がいる。そして、それを「侵害である」という意見を「古い」「いまのネットの世界では、そんなことはない」というような理屈で塗り固めてしまう。恐ろしい勘違いだ。
「宣伝効果があるから、13万ビューもあれば売上にも貢献したはずだろうから、いいじゃないか」という、一見、正しそうな理屈がある。でも、全然関係ないよ。考え方が新しい/古いも関係がない。パブリック・ドメインにして放流するかどうかは、著作者だけが決めることができる。

(3)が本質的な問題かもしれない。

私にとっては気持ちが悪い「外野の意見」、すなわち「価値があれば、必ずリファーされます」(理化学研究所・藤井直敬氏の言葉、削除済み)、「新しいメディアと消え行くメディアの違いですね。」(東京大学教授・池上高志氏の言葉)という話にすり替わった時点で、元の写真は、相当に不幸だった。写真の価値、記事の価値はまったく文脈に登ってこなかった。

これは、丸田氏の風景剽窃裁判を、「同じ場所で撮ったらダメなのか」という文脈で捉えてしまうのと極めて同じ構造だと考える。週刊新潮も、丸田さんの裁判も、そんなことは言ってないし、本質ではない。ただし、丸田さんの裁判では、幸いなことに常に丸田さんの作品と小林氏の写真が参照されている。裁判には否定的な見方をする人でさえ「作品にしろ話の筋にしろ、オリジナルである丸田氏のほうが圧倒的に素晴らしい」という感想を持つほどに、参照されている。だから、本質を見誤る人は、週刊新潮よりも相当に少ないと思う(とはいえ私の印象では過半数は見誤っている)。


一連のやりとりで、素晴らしかったのは、新潮社なかしま氏の最初の一言だ。

お読み下さりありがとうございます。できましたら出典を明記してくださいましたらばなおありがたかったです。

これは、上記のような問題、メディア新旧論やネットで話題になるなら宣伝になるだろ論、そうしたことすべてひっくるめて、ここを落としどころとする判断だったのだと思う。この素晴らしい落としどころは、しかし、アップした本人にも「外野」にも、まったく伝わらなかった。大変に不幸なことだ。

ここで、アップした当人・福井氏がそれに応じ、新潮社に対してコメント(詫び)をし、新たに記事に対する感想を書き始めたら、そこに成立するのはプチ炎上ではなく美談である。嫌いな言葉でいえば、ウイン-ウインになったはずである。


ああ、ああ。この問題の根深いところは、(3)について書いているつもりが、すぐに別の話題にすり替わってしまうことだ。結局、オリジナルの写真および記事がなんなのかの議論はトゥギャッターのコメント欄にもない。トゥギャッターは恣意的なまとめだから、ここに転載されている人たちも、別の場所ではツイートしているのかもしれない(実例は知っている)。願わくば、このトゥギャッターがきっかけで、オリジナル(週刊新潮)がリファーされんことを。





20110525.jpg
木曽川にかかる玉蔵橋を上流右岸から。

この橋を目的に行ったのではない。向こう側に見えている、
北恵那鉄道 木曾川橋梁を見に行ったのだ。そしたらたまたまあった、というだけの橋だ。

上路カンチレバートラス。国道20号大月橋(山梨県大月市)ゲルバートラス桁と同じ形式であるが、なぜかまったく萌えない。なぜなんだ。まったく分析できないので、なにも書けない。写真も、木曽川橋梁最優先だったのと、時間がなかったこともあり、これしか撮っていない。



帰宅後、ちょっとググったら、この橋の旧橋を紹介しているサイトがあった。

「中津川市 その周辺の自然と文化」

上記サイトによれば、なんと旧橋は「連続補剛桁」とでもいおうか、吊橋の補剛桁を中間で受ける橋脚を持つ、異様なスタイルのものだったという。すばらしい発見。こんな吊橋、他の例はないのだろうか?
偶然、国際日本文化研究センターのサイトにおいてある、所蔵地図データベースを見つけて驚いた。陸地測量部が明治初期に東京都新を測量して作製した5000分の1地図があったりするのだ。

例えば、早稲田周辺。この図は明治16年測量。

(例)五千分一東京図測量原図(東京府武蔵国北豊嶋郡高田村近傍)

都の西北早稲田の杜には、開校したばかりの東京専門学校がある。その隣には大隈邸。江戸川公園にも永青文庫はなく、細川邸しかない。細川邸の東、現在の椿山荘の位置には山縣邸がある(椿山荘は山縣有朋が作ったものであるから、当たり前)。神田川は江戸川である(この区間が「神田川」となったのは1964年)。

…というような気づきが山ほど出てきて時の経つのを忘れてしまう。


個人的に重要なのは、陸地測量部の5000図と5万図。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/rikuchi.html

人によっては吉田初三郎の鳥瞰図のほうがうれしいかもしれない。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/yoshida.html

いろいろな検索ができるので、ぜひご覧いただきたい。


この日文研にあるのは、地図データベースだけではない。さまざまなものが統合されてオンラインで提供されている。

http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/database.html

これらの中で、『近世畸人伝(正・続)』にひかれた。これはいまから30年ほど前、読売新聞日曜版に、この書を元にした奇人伝が連載されていたことで記憶していた書名。もっとも、いま、いちいち読む気はない。上記の地図のほうがはるかに楽しい。


中央本線須原駅のポーナル桁の続き。

2010年1月、中央西線に乗った際に見つけた須原駅の予備桁。

20090113.jpg(そのとき、列車内から撮影)

それを間近で見てみた。
20110519_004.JPG駅前から見ると、こんな感じ。
プレートガーダーとしては小さなものだけれど、手前の軽自動車と比べればかなり長い、大型トラックに1本、載るかどうかという大きさではないだろうか。

奥に保線用車両が見えることから、ここ須原はそうしたベースなのだろう。

20110519_003.JPG別角度。桁は、古くなったPC枕木に載せられている。

20110519_000.JPGプレートガーダーのシチサン写真なんて、なかなか撮れるもんじゃない。とはいえ、桁は高い位置に置いてあるので、見上げたような形になってしまう。

20110519_001.JPG断面。左右の主桁をつないでいるのは□型のブラケット! これは小野田滋氏の『鉄道構造物探見』で見たことがある方も多いのではなかろうか(掲載されているのは別の橋梁)。

同書によれば、これは作錬式というもので、日本で初めての標準桁(当時は「定規」と言った)である。材料は錬鉄。

この□型ブラケットのコーナーを拡大する。
20110519-999.jpg水平部分と垂直部分、そしてそれを結ぶコーナー部は、一枚の鉄板をくりぬいたものではなく、帯材を溶接したものに見える。そして、主桁内側は、□型ブラケットと、垂直の補剛材(スティッフナー)が交互に設置されている。

外側もそれに近い。
20110519-998.jpgスティッフナー両側にリベットがあるものと、片側にしかないものが交互にある。

このスティッフナーは、ポーナル桁の特徴である〔型をしている。

20110519_002.JPG塗装標記。真正面から撮っていないのは、敷地に入ってしまうから。

(右側)
1.記号番号 名災-10
2.所在 木曽福島工務区
3.支間 12M8
4.強度 KS-11.4
5.重量 7t555

記号番号から、こうした桁が名古屋の管理下で最低でも10本、あることになる。また、強度(活荷重だろう)がKS-11.4と、国鉄制式からはずれているのが、おそらくヤード・ポンド法の時代の名残と見え、年代を感じさせる。

(左側)
塗装年月 2004年8月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止めペイント
及び塗料名 中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカー 大日本塗料株式会社
施工者 株式会社 鈴木塗装工務店

こうした桁も、塗装をして維持しているということに、まあ考えてみれば当然なのだが、驚いた。


この桁の「向こう側」は駅の敷地内、というよりも業務用エリアなため、立ち入っていない。そのため、銘板がついているかどうかは不明であるが、前回の記事の写真を見る限り、銘板はなさそうだ。



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