忍者ブログ
[381] [382] [383] [384] [385] [386] [387] [388] [389] [390] [391]
野尻森林鉄道 木曽川橋梁(長野県)
野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)の続き。


現在、上記地図の中心点には「野尻向橋」がかかっている。下記写真で手前に見えている橋だ。
20110508_R000.JPG.

その橋に立つと、すぐ近く怪しげな痕跡が見える。

20110509_000.JPG(右に見えているのが野尻向橋)

いかにもここに橋がありました、という感じ。周囲は少し盛り土してあり、ここがT字路になっていた。対岸には、この橋跡と対になるような痕跡と、その左側に吊橋の主塔が見えた。
20110509_001.JPG.

となると、親柱が残っているのは旧橋、主塔が残っているのはさらにその旧橋ということになろうか。旧橋の橋台の左側には、川に降りる階段のようなものが見える。

20110509_002.JPG主塔をアップ。コンクリート製。阿寺橋の旧旧橋の主塔は木製だった。



対岸に渡る。
20110509_003.JPG対岸はこんな感じの広場が広がっている。その中に屹立する主塔。

20110509_004.JPG横から近づく。どうも、主塔の周囲だけ灌木が生い茂っているように見える。

20110509_005.JPGこのように、樹木を口にくわえたような格好で立っている。銘板類はないようだ。

20110509_006.JPG主塔の下から川際に出る。さきほどいた対岸が見える。しかし、吊橋の主塔は見えない。撤去されてしまったのだろうか。

20110509_007.JPGさて、もうひとつの怪しい橋。
床版と橋脚の隙間が吹き抜けになって折らず、シェルターのようになっている。

20110509_008.JPGその上に上がると、現在のクルマでは曲がれないのではないかと思えるくらいに床版がカクッと曲がっているのがわかる。なんだ、この線形は。



古い航空写真で確かめた。青い矢印は野尻森林鉄道の木曽川橋梁。

20110509_map2.JPG国土変遷アーカイブより1947年撮影)赤矢印の部分が、この吊橋だろう。野尻森林鉄道の線形がくっきりと見えているほか、右下の野尻駅、左下の謎のループ上の線形(これはいまもある)も明瞭だ。

20110509_map1.JPG国土変遷アーカイブより)
1977年となると、すでに吊橋ではない。いまは撤去された橋に移行している。

その吊橋の現役時代の姿が、やはり『写真で見る100年』にあった。

20110509_010.jpg「野尻向橋 大正10年頃」というキャプションがある。その向こう側では、何をしているのだろうか。

旧橋を建設中? この旧旧橋の主塔がコンクリート製であるということは、その建設はせいぜい大正時代に入ってからではないかと思うのだが、大正10年には早くも旧橋に架け替えに着手するというのはちょっと考えがたい。

となると、見えているのは建設中の橋ではなく、単に桟橋に荷物が積み上がっているだけではないか? 
旧橋は、その桟橋状のものを転用して架けられたのではないか。

階段が湖底に続いているようにも見えるが、なぜかこの階段は、現在残っているものよりも角度が相当にゆるい。現在残る階段が何のためのものなのかは不詳である。

PR
野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)の続き。

このIビーム桁が見える場所で逆方向を見ると、このような橋梁が鎮座している。
20110508_R000.JPG左岸(画面右)から上路ワーレントラス、下路プラットトラス、上路プレートガーダー×3。

20110508_R001.JPG近づくとこのように見えてくる。築堤は間違いなく林鉄のものだが、切り下げられ、橋梁だけが高みに取り残されている。

20110508_R006.JPG橋台だったものの裏側。本来ならば築堤の中に埋まっている部分なので、なかなか見る機会はあるまい。画面右側についている三角形のものは築堤の断面を押さえる翼壁。これも、本来委は土に接している面が露出している。

20110508_R005.JPG上路トラス全景を真横から撮った写真が手ぶれしていた…ので、別カットを。

この形は、同じ野尻森林鉄道の多の橋梁や木曽森林鉄道鬼淵橋梁でも見られる。当時、日本橋梁が作っていた規格品なのだろうか。

また、枕木が存置されているのがわかる。

20110508_R004.JPG上路トラスの真下。下横構を構成する、格点を対角線上に結ぶ部材が、向きによって格点の上、下それぞれにそろえられている。

20110508_R002.JPGトラス橋真正面。端正、かつ細い。直線的な印象が強い。


20110508_R007.jpg10パネルのプラットトラス。端部のパネルには、斜材のようなコリジョン・ストラットを備える。

全体的に華奢な印象。部材の細さはまるでアメリカ式のピントラスのようだ。これは設計活荷重が比較的小さいからか。

20110508_R003.jpgそして銘板。
大正十年四月
日本橋梁株式会社
製作
大阪

先の野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)と同じ形状をしている。


この橋梁については、他にすばらしい発表記事がいくつもあるので、そちらを参照された。

20110507-02.JPG
近くには有名な野尻森林鉄道木曽川橋梁があるが、そこを目指して野尻駅から道を下ると左手にこのプレートガーダーが目に入る。場所はここ。


小さな架道橋である。いまは築堤に電柱が立ち、放置されている。道路から見えるくらいなので、近づくのは容易だ。

20110507-01.JPGこんな感じで電柱が立ち、それを支えるというかテンションをかけている索が2本。街中の道路にあるように、下部をトラ塗りのプラスチックカバーで律儀に覆っている。こんな場所をクルマで走る人はいるまいが、決まりなのだろう。

20110507-05.JPG角度を変えるとこんな。

20110507-03.JPGIビーム桁。2本のIビームを上面と下面に梁を渡して接合している。スパンは3mくらいか。

20110507-04.JPGきちんと銘板がついているのが嬉しかった。

大正十年四月
日本橋梁株式会社
製作
大阪

この銘板は形状がおもしろい。車名を囲む枠の底面が下に膨らんでいる。その台座は、上底が上に膨らみ、下底が上に向かって凹んでいる。ざっと検索すると、大正十三年製の銘板にはこの形状を確認できた。大正十四年製のものは長方形になっていた。この時代だけのものなのかもしれない。

サイズは小さい。Iビームの側面についているものなので、横幅20cmくらいのものか。よくぞ盗まれずにあったものだ。この銘板を撮影するには橋台ギリギリから体を乗り出さねばならない。高さは4~5mはありそうなので、ちょっと怖かった。

「阿寺渓谷」と書いてある橋のつづき。『トラック野郎 熱風5000キロ』のオープニングに出てくる橋である。
adera.jpg

下記動画もあわせてご覧いただきたい。



1分08秒付近で、一番星とジョナサンが、赤いプラットトラスを渡る、その橋だ。「阿寺渓谷」と書いてある橋で推測した場所に架かっている橋であることをつきとめた。

この成果は、全面的にtyafficさん(@fusamofuさん)に依る。前掲記事に対して当時何度かやりとりし、そして最近、映画と同アングルでランガー桁が架かっている画像を教えてくださった(こちらのページ)。背景の山の感じがそっくりなのである。そして、そこに大きなヒントがあった。『写真で見る大桑町100年史』云々。



その本が、現地から少し離れた須原地区の大桑村スポーツ公園内にある大桑村歴史民俗資料館にある、ということを、やはりtyafficさんからうかがったので、行ってみた。ありましたよ。。。

20110506-02.jpg「旧阿寺橋(昭和34年)」とあるのは、手前の吊橋のこと。お目当ては、その奥。

20110506-01.jpgこの橋だ!

後日、このプラットトラスは道路橋に転用される。阿寺の森林鉄道の終焉が昭和40年(1965年)というから、転用されたのはほぼそれと同時期と見ていいだろう。

このプラットトラスの規格はわからないが、木曽森林鉄道の鬼淵橋梁がTL-14すなわち14t制限。後日紹介する野尻森林鉄道の木曾川橋梁が10t機2両分。ということで、一番星号(11t車)とジョナサン号(4t車)が通過する分にはOK。

そして、いつまでこのプラットトラスが使われたかというと、隣接してランガー桁「阿寺川橋」が竣工したのが平成5年(1993年)11月。ここから遠からず、プラットトラスは撤去されたに違いない。また、吊橋は昭和35年(1960年)に2連のワーレントラスに置き換えられたあと、平成20年竣工のニールセン・ローゼ桁「阿寺橋」となっている。

この、昭和35年のものが、いまでもYahoo!地図の衛星画像にある。
20110506map.JPG(縮小すると、建設中のニールセンローゼ桁が見えるようになる)



現在の姿。
20110506-04.JPGこのような位置関係で、阿寺橋(旧吊橋=左の茶色)、阿寺川橋(旧プラットトラス=右の赤)が接している。

●阿寺川橋(ランガー桁)
20110506-07.JPG上流側から。なぜ『トラック野郎』と同じアングルで撮らなかったのか。よく見ると、手前にプラットトラスの橋台が残っている。

20110506-06.JPG北側。画像右下に橋台がかすかに写っている。

20110506-08.JPG上流を見ると、橋脚がある……。

20110506-10.JPG近づいて見た。詳細不明。

20110506-09.JPGそのすぐ上に、碑がある。
林鉄記念碑

六十余年の輝かしい歴史を有する森林鉄道との訣別 誠に感無量なり
昭和四十年十二月二十日

野尻営林署長
岡田寛治


●阿寺橋(ニールセンローゼ桁)
20110506-05.JPGこんな形で、阿寺川橋よりはるかに重厚な存在感を持っている。

そして、以前あった、2連のワーレントラスは…
20110506-03.JPGこんな位置でスッパリと切り落とされていた。対岸は完全に痕跡がない。



『トラック野郎』に端を発したトラス橋を巡る旅。とても楽しかった。解決の糸口をくださったtyafficさんに感謝申し上げます。

4月28日夜から5月2日にかけて、岐阜~富山~福井を回ってきた。道中、突然、おもしろい橋にでくわすのは楽しいものだ。今回は水管橋を。

20110505_R005.JPG国道41号を走行中、こんなものが目に入った。吊橋の水管橋。しかも主塔はA型トラス構造。

日暮れが近いため、先を急いでいたのだうえ土砂降りだったが、クルマを停めてざっと見学した。

場所は、岐阜県高山市久々野町阿多粕。


地図のデータでは、Yahoo!もGoogleもmapionも、きちんと道路を表示しないので、地形図を。
20110505map.jpg(DAN杉本氏作製のカシミール3Dを使用)

この、JR高山本線渚駅南側、現在の高山市が下呂市と接する部分にこの水管橋はある。


20110505_R002.JPG通常、人やクルマを通す吊り橋は、主塔がπ型をしている。それは、踏板を水平に吊すために主索が左右で2本あるためだ。ところが、この水管橋は、吊す対象が円柱型の鉄管であるため、主索は1本。それに伴い、主塔もπ型ではなく三角形をしている。トラス構造を利用したものだ。

20110505_R001.JPG画像奥が下呂市、手前が高山市。

耐風索(水管の下にある索)は2本ある。これで水管をほぼ固定している。この場合、「主索2本+耐風索1本」でもいい気がするが、たぶんこちらのほうが簡易というか強度としても十分なのだろう。なお、耐風索がなくても構造としては成立する。

20110505_R003.JPG水管を下から見上げる。三角形の頂点は水管、/\と広がっているのは耐風索。

水管はそれなりによれている。

20110505_R000.JPG水管の根本側。さすが吊橋、ちゃんと主索がどこかにアンカーされている(と思う)。土砂降りなので見に行かなかった。

20110505_R004.JPG主塔の付け根。支承と言っていいのだろうか。ピン構造になっている。通常の吊橋では、主塔は橋脚と一体化しているが、ここではピン構造になっている。ということは、主索の張り具合によって、この主塔が傾ぐことになる。吊橋の構造としてはとても理解できる。




銘板等は見つけられず、橋の名称もわからなかった。地形図でも、水路が書いてあるわけではないため、この水管橋が、何を目的としているのかもわからない。両端が地中にあるのか、地上にあるのかも見ていない。

ともあれ、見た目が非常に興味深い水管橋吊橋である。場所は、濃飛バス「あたがすバス停」付近である。久々野駅、あるいは高山駅からバスでも行けますよ。



Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア