「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」の続き。
「中二病こそ美しい」 昨日書いたのは、私の感覚と同じだ!と思ったことだ。ところが(?)、丸田さんに向けたツイートを見ると、「中二病こそ美しい」といったくだりに「そうだそうだ!」と共感する人がいた。おかざき真里さんも、切通理作さんも。それだけでイベントできるくらいに共感されている。 では中二病とはなにか。 私は、トークを聞いているときは、なんとなく全面肯定できない気持ちがあった。それは、ネットスラングとしての中二病のイメージで話を聞いていたからだと、上記のツイートを見て気づいた。スラングとしては「自分をわきまえずに自分自慢」「誰も見てないのに自意識過剰」というニュアンスがとても強い。他人の目を意識した行動なのだ。 対して、丸田さんが言葉にした「中二病」は、「何も恐れず、自分の信じていることをやり抜く子どもらしい頑固さ」である。そこに表現者たちが共感した。先のスラングと正反対で、この文脈では他人の目などおかまいなしの行動だ。 「中二病」なんて、べつに辞書が定義した言葉じゃなくて伊集院光が発したものがネット上でいろいろな解釈、主として嘲笑の文脈で使われてきた単語だ。だから、どちらの解釈が正しいとか誤りとか言うべきものではない。ここで重要なのは、表現者たちはみな後者で即座に理解し、共有する新たな地平を作り出したということである。近い将来、中二病をテーマにしたトークライブが開催されるに違いない。切通さんは「司会をやる!」と宣言している。 丸田さんの「中二病らしい」エピソードは、前回のトークイベントでも触れられた。戦時中に粗製されたEF13形電気機関車と、新宿の新たなランドマーク(当時)となった新宿三井ビルを組み合わせて撮影するために、10歳の少年が、担任の先生にその意義を説き、1ヶ月半、学校に行かなかったこと。 <参考>枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.1 実相寺昭雄監督とともに取材をしていて、あることでたしなめられたときに、思いの丈を口にしてしまったこと。 そういう一途さも、経験を経たあとで振り返れば「美しい」。それがあるから作品が作れた。それを認めて、作品作りはまた力を得ていく。 PR 4月26日(火)、枡野浩一presents「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」に行ってきた。 枡野さんとおかざきさんは古くからのおつきあいで、枡野さんのデビュー作『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』で、大きな役割を果たす「絵」をおかざきさんが描いている。オカザキマリ名義で、まだ広告代理店のCMプランナーだった頃だ。そして、丸田さんとおかざきさんは、それよりも古くからの「存在上の知り合い」だったおふたり。20年間、お互いの作品に片思いしていて、それが今日、初めて対面するというご両人にとってはとても重大なシチュエーションが、このトークイベントだった。 縁は、枡野さんのツイッター。丸田さんのPCに「おかざき真里があなたをフォローしはじめました」と表示されたとき、丸田さんは「まさか、ご本人??」と鳥肌が立ったそうだ。特に思い入れが強い、作品中の女性キャラクターがいるくらい、丸田さんはおかざきさんの深いファンで、おかざきさん自身も持っていない掲載誌を持っているほどだ。お互いのそうした思いは、USTのアーカイブをぜひ。 ・前半 ・後半 今回もとても興味深いお話がぽんぽん飛び出した。 「好きな作品は言葉にしづらい」 丸田さんと廃道の撮影に行き、作品を一番に見せていただく。つい感想を書こうと思うのだが、「すごい」以外の言葉がないことが多々ある。でも、何か「これはこうですね」見たいな返事を書かなければならない義務感があるので、なんとか言葉にしようとする。もちろん、その言語化で見えてくるものもあるのだが、人を好きになることに理由を考えるのがばかばかしいように、「うわー、うわー…」とか言っているだけでいいと思う。 「ああ、もう私は写真を撮らなくていいんだ」 おかざきさんの発言。おかざきさんは美大で写真の勉強もし、また写真も撮影されていたのだが、丸田さんの作品集に出会ったとき、「写真はこの人に任せた。もう自分は撮らなくていいや」というようなことを思ったそうだ。おかざきさんが漫画を描くのは、「絵ではなくて、感情や感覚を乗せていきたい」からであって、もし、自分自身の感情や感覚を漫画で表現した人が現れたら、漫画を描かなくなるのかもしれない。この感覚は、とてもよくわかる。 おかざきさんが、丸田さんの作品が好きなのは、「男の人なのに」感情や感覚を、風景や建物なのに乗っているからだという。だから、おかざきさんは写真でそれを表現することはしない、ということだ。 「丸田さんの作品に女性が写っていることは…」 おかざきさんがかなり遠慮がちに「女性がないほうがいい」と言ったのだが、これはどうやら「女性だから」という視点でもあるようだ。「ひとつの、完璧な作品なのに、そこに女性がいることで、女性のイメージが増幅され、作品鑑賞にノイズが入る」というようなことだったと思う。そして、丸田さんはそれを狙って、作品中に女性を取り込む。目的はひとつではないと思うが、作品の完成度が高まることもあるし、不安定感や緊張感(丸田さんの作品の重要な要素だと思う)を増加することもある。完璧すぎる作品ではなく、少しだけ、崩した部分を作っておく。 話の流れでおもしろかったのは、写っているのが女性だから気になるということだ。これは、おかざきさんが女性だからで、もし写っているのが少年だったら、なにも気にならないかもしれない、と。これは、丸田さんが男性の目で作品作りをしているということでもある。それは気づかなかった。 まだまだ気になる言葉はたくさんあったが、今日はここまで。 <続き>「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」続き
国道20号 新大月橋の旧道・旧旧道・大月橋の続き。
(関連事項) 国道20号の大月橋(上路カンチレバートラス) 中央本線 新桂川橋梁(1) 中央本線 新桂川橋梁(2) ついにというかさすがというか、ヨッキれんさんが資料を発見した。 郷土出版社は、鉄道の書籍でも非常に貴重な写真類を網羅した歴史書を多数刊行している。だが、高価なのでおいそれと買えない、買ったことがない出版社。そして「郡内」。いま改めて知ったのだが、「郡内」とは、行政区としての「郡」ではなく、「郡内地方」という山梨の都留地方の別名である。 この写真のキャプションにはこうある。 このキャプションから、このプラットトラスは昭和15年にはこの場所にあったことになる。また、「鉄道開通に伴って、道路の位置が変な場所に変更された」というニュアンスを読み取ることができる。大月駅の南側を通る国道20号が、この桂川の部分だけ線路の北側を通っている不自然さを語っているかのようだ。 この大月橋の向こうに見えるプラットトラスは中央本線の200フィートボルチモアトラスで、いまの磐越西線一ノ戸川橋梁と同じ形式である。 アプローチ部も石積だったことがわかる。下記写真の、矢印を向けた部分に違いない。 まとめよう。この場所に架かる道路橋である。斜体字は私の勝手な憶測である。「大月橋○」というのも私が仮に付したもの。 ・明治17年or18年(1884年or1885年)架設の大月橋は「はじめてセメントを使用した橋」。現・中央本線付近?…大月橋A ・明治35年(1902年)中央本線開通。桂川の前後は開鑿された。そのため国道を線路の北側に移設。本項の橋をかける。…大月橋B ・? その橋の位置に、カンチレバートラス(?)を架ける。丸田さん写真の橋脚。…大月橋C ・? その橋に隣接して、現・新大月橋の位置にカンチレバートラスを架ける。…大月橋…D ・昭和33年(1958年) 大月橋架設(現存する国道20号のカンチレバートラス)…大月橋E ・? 新大月橋架設…大月橋F 現存するのは大月橋DとF。本項で紹介したのは大月橋B。ということだ。もっときちんと裏付けしたいが、現在得ている資料から類推できるのは以上。 …と、眺めていたら、またまた… 4月23日(土)、東京カルチャーカルチャーで開催された『マッピングナイト2』に行ってきた。前回は昨年夏、自宅にいる必要があったので泣く泣くUSTで見ていて、なんとすごいイベントなのだと思って楽しみにしていた。 出演は、大山顕さん、石川初さん、渡邉英徳さん。大山さんは『工場萌え』『団地』『ジャンクション』はじめさまざまな「石ころ帽子をかぶっているもの」を可視化する方。石川さんはGPS地上絵師として、前日のテレビ番組『たけしのニッポンのミカタ』にも出演されている方。渡邉さんは『長崎アーカイブ』の方(などという乱暴な紹介で許してください)。 大山さんと石川さんのコラボ企画はDPZに「馬込馬」と「うさぎ」のレポートがある。どっちも行きたかったのに行けなかった。石川さんは、私が担当である書籍『カシミール3D』シリーズにもご協力いただいており、ぜひお目にかかりたかった。 ・土地の記憶~習志野埋め立て地のカーブ、いまのIKEA周辺にはこの50年間、常に集客施設が建っている。(大山さん) ・GPS地上絵(石川さん) ・長崎アーカイブプロジェクトのお話(渡邉さん) ・帰宅ログ(大山さん) ・震災への備えと地図(石川さん) ・震災において「半径20kmの円」を地図で提供することと、現在の様子のマッピング(渡邉さん) ・「どこまで東京」から「どこからホーム」全員マッピング 3時間という、最初からオーバーするつもり満々の予定時刻を大幅に過ぎて4時間半使ってもまだ終わらない内容となった。 以下、内容に私が勝手に話の穂を継いで書き散らす。 ●GPSでトラックログを取り続ける行為は「乗りつぶし」に似てくる 石川さんが自宅と職場を自転車で往復してみたときに、往路と復路でコースを変えていた。その気持ちはとてもわかる。ジョギングだって、同じトラックをグルグル走るよりも、街中を一周したほうが気持ちいいのと同じだ。でもそれって、鉄道の「乗りつぶし」にも似てるんじゃないか。 そんなことを思って、翌24日、自宅近くの気になる道路を歩いてみた。気になる道路で、ちょこちょこ行ってはいるのだが、「通し」で歩いたことはなかった。 GPSに地図を放り込み、それを見ながらこうして歩いてみると、「次は円周ではなく対角線を歩いてみたいとか、この2.5万図には乗っていない道も歩かなくてはとか、そういう気持ちはたしかに「乗りつぶし」である。上記は500m四方もないのだが、自宅からの距離を含めて6kmある。自宅近くだけを塗りつぶすだけでも大変な作業だが、散歩のルート選びが楽しくなった。 通勤が地下鉄だということもあって、いままでは「出かけよう!」と思ったとき、つまり電車かクルマかバイクか自転車か、そういうときしかログを取っていなかったのだが、これからはとらなくてもGPSを持ち歩こうと思う。 ●トラックログの記憶 これも、石川さんのお話で思いついたこと。石川さんは先日、まだ地図を表示できない端末(eTrex)にログが表示されているのを見て、自分は道路を歩いてるんじゃない、地球を歩いているんだ、という気持ちになったという(違っていたらスミマセン)。そう、ログは、GPSの衛星との相対的な位置関係(点)を結んだものだから、道路だろうが関係ない。地球の大きさが変わらず、GPS測量の原点も移動させないとしたら、いま取ったログを、1億年前の現地、あるいは1億年後の現地に置いても許されるはずだ。 そう考えると、道路を歩きながら端末の画面でログを見ているとき、ふと「道路ではなく、星の上を歩いている」という感覚になってきた。道の両側の建物が建て替えられようが更地になろうが、それ以前、道路ができる前は畑だろうが、ログはそこに置ける。地形が変わってしまった場合には、ログは地中にも海中にも潜る。谷になれば空を飛ぶ。自分の目が現実に見ている、晴れた春の青い空に、赤く表示されたトラックが見えてくるような錯覚に陥る。危険だ。 もっとも、出演者の方々はとっくにこんなことは看破されておられると思うけれど…。 いやもちろん、「乗りつぶし」的にトラックログを見る場合は標高データを捨象して見てしまっているわけで、正確には高さも記録している。ただし、GPS測量では高さの値は緯度経度に比べてはるかに不正確で、また日本の地形図における「標高」は「海抜」を取っているため、本当に正確を期するならば緯度経度ほど簡単にはいかない。 海抜は、東京湾からその地点まで川を引き、東京湾が平均海面値になったときに水が来ている面、なので、地中に質量の大きな部分があればその面は歪むし、GPSはジオイドというそれとは異なる基準を用いている。しかもジオイドは測地系によって異なる。 などと書いてきて、これは、被災地では現実にこれから起きることなんだと気づく。ログを残していた築堤上の道路や高架橋が流される。まったく同じ場所に復旧しない場合は、そのログは永遠に再現できなくなる。石川さんが冗談めかして「いま歩いたログはいましか取れない、だからログを取ろうよ」みたいなことをおっしゃっていたが、そのとおりだ。 普通の人にはピンと来ないかもしれないけれど、ログを「写真」に置き換えて考えるとわかるだろう。写真は残されていても、なんの異常さもないし、誰もがやっていることだ。写真に撮った場所が、災害を含めてなくなってしまうなど、よくあることだ。それと同列に考えるならば、「ログを取ろうよ」というのは、不謹慎に楽しもうと呼びかけるわけでもなんでもない。 ●地図の把握 「帰宅ログ」の話で、自分が日常移動している自宅と職場の位置関係すら把握していない人が多いのに驚く。興味がない、といえばそれまでだが、そうした人が、地図の話がしょっちゅう出てくる大山さんの読者だというあたりもまた興味深い。 などと言いながら、東京の南側、中央線より南側はきちんと把握はできていない。常に「練馬ナンバー」地域に住んできた弊害か。あてずっぽうに道路を歩いたら明後日の方向に出てしまうだろう。でも、だからこそ、地図を漫然と眺めるのが楽しい。「西武池袋線と新宿線は、所沢より向こうはこんなに平行しているのか」というのは、恥ずかしながらつい最近知った。 また、鉄道と、帰宅支援道路のあまりの乖離も驚いた。京王線とR20の親和性の高さも驚きだ。平行道路が内に等しい小田急沿線住民は、自分なりの把握をしておきましょう。 イベント中はいろいろ思いついたんだけれど、あまりに入力情報が膨大だったので断片化してしまった。思い出せないのはもったいないなあ。公式レポを見て思い出せばいいのだが。 余談。 鉄道と関係ないイベントで、鉄ではない人が「鉄ちゃん」をもちあげると会場は異様に沸く。プレゼンに不安のある方はぜひ取り入れてみてください。 秩父鉄道の和銅黒谷駅近くの、何の変哲もない橋。なんとなく古びた橋桁だな、と思ってとりあえず撮った。数を集めれば何か新しい知見が得られるかもしれない、程度のつもりで。 銘板があった。まるで道路トンネルの坑門にあるみたいな、黒い陽刻。
1980年3月
秩父鉄道株式会社 活荷重KS16 支間10.68M WTG810 W 12.5T A256● 材質 SS41 SM41 製作 東鉄工業株式会社 東鉄工業とは、簡単にいうとJR東日本が筆頭株主である、軌道保守や鉄道・道路の土木工事などを得意とする東証一部上場のゼネコンである。少なくとも、事業内容には「橋桁製作」みたいなものはない。強いて言えば「土木、建築工事用資材の販売」が当てはまるか。 また、桁の製作年も意外や意外、新しかった。1980年に架け替えられたということだ。よく見ると、古い桁ではリベット留め、ボルト留めであるようなあらゆる部分が溶接されている。といっても『鉄道構造物探見』によれば、下路鈑桁で溶接構造となったのは1955年(昭和30年)からだそうなので、自分が見た範囲が狭すぎる、あるいは何の変哲もない鈑桁が見えていなかった、ということになる。
塗装年月日 1991年3月20日
下塗 SDシアナミドサビナイトJIS-K-5625-2種 中塗 橋梁用SDマリンペイント中塗JIS-K-5516-2種 上塗 橋梁用SDマリンペイント中塗JIS-K-5516-2種 施工者 内藤塗装工業(株) 下塗の「サビナイト」という名称が興味深い。こうしたダジャレネーミングは土木事業に関係する製品名ではよくあることだ。関西ペイントでいまでも取り扱っている。(PDF) また、溶接構造であることもよくわかる。 ちょっといろいろ反省させられる出会いだった。ほんと、見るたびに発見があるよ。 |
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