東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線) の続き。 4複線のうち、東から3組目がこの梅田貨物線である。 上神崎川橋梁(上り内外線)と同じと考えていい。製造も同じ汽車会社で1923年である。よって、ここも単に見てきただけ。 上の航空写真のとおり、ほとんど引けないのでこんな撮り方しかできなかった。橋台に登ればよかったかな…。 その橋台。 そのハシゴの後ろというか、その部分のコンクリート表面には流し込んだ際の型枠の木目がうっすらと残る。また、骨材が適当というか、周辺で採取したのか玉砂利が多く混ざっている。 支承が乗っかる橋台の表面はそのようなことがないので、強度が要求される部分はもっと「ちゃんとした」施工になっているのかもしれないが、これは考え過ぎかもしれない。 こうしてディテールを見比べると、兄弟橋だということがよくわかる。 北方貨物線に続く。 <参考文献> ・歴史的鋼橋集覧
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)の続き。その隣り(下流側、西)にある橋梁である。場所はここ。
4複線のうち、右から下り内外線/上り内外線(今回紹介)/梅田貨物線/北方貨物線である。 『歴史的鋼橋集覧』によれば、桁は第1連・第2連(京都寄りの2連、茶色いトラス桁)が1923年横河橋梁製、第3連・第4連(大阪寄り、白いトラス桁)は1923年汽車製造製である。なぜ同じ橋梁なのに、製作会社が異なるのか? 先の下り内外線でも、第1連・第2連のみが後年の増連である。それは神崎川拡幅に伴うものであろうとは思っていたが、旧版地形図をチェックする前にわかった。この上り内外線の記事に掲載されている図面である。 今回は以上、「見てきただけ」です。 梅田貨物線、北方貨物線に続く。 2月11日(金)にCP+で見たGOLLAのカメラバッグ。品名は「sizeS SALMIAC GREEN。あまりにすてきなので、ビックカメラに立ち寄って買ってしまった。目的は、PEN一式の携帯用。 微妙に小さいような気がしたんだけれど、使い方はこちらが工夫すればいいしね。 ・E-P1 ・17mm ・14-42mm ・(フォーサーズ)40-150mm+リアコン これだとボディにレンズを装着したまま入れられないし、フタも閉まらない。ボディ+レンズ1本は肩から提げることが前提だな。 このバッグ、2980円。どうやっても垢抜けないカメラバッグメーカー製のものよりもかっこいいし、かっこいいんだけれどそれなりに高価なartisan&artistなどよりずいぶんリーズナブル。 クランプラーはその形状から体積がでかくなるのと、バックルがつかいづらそうなのでパス。そういえば、僕が多数持っているLOWE Proは、なぜか以前よりもかっこわるいものばかりになっていた。モノがいいだけに、ちょっと惜しい。 なお、このバッグと同色のストラップは未入荷とのことで、後日買おうと思う。
パシフィコ横浜で開催されていたCP+へ。カメラ用品の新製品を見に行ったのではなく、中井精也さんのトークを聞きにいった。「『鉄道写真家の撮影風景』の エンディング『Dream Train』は必見」と書かれていたのだから。スライドショー「ほのかたび」も素晴らしいので、同様の作品を拝見したいと思い、遠く横浜まで足を運んだ。
中井さんのトークを見るために、この前の回終盤から並んでいたのだが、なんと客は半分も入れ替わらない。数十しかない椅子はほとんど入れ替わらない。開始前から、会場整理の人が「かなりの混雑が予想されるからもう一歩前へ」という呼びかけをするほどで、ざっと数えてみたら、800人以上、もしかしたら1000人は見てたんじゃないかと思う。 この後、中井さんの新たなテーマ『Dream Train』のスライドショー。「人」と、その人の「夢」を融合させたもの。これまた撮影風景がテレビで紹介されていたので親しみを持って拝見。もちろん、初見も作品も散りばめられている。 パン屋さんになりたい。→女子高生 立派なイクメンになる。→鉄道現業の方 正機関士。→蒸気機関車の機関助士 湊線を黒字にするぞ→とある男性(実はひたちなか海浜鉄道の吉田社長)。 たぬき村を守る→わた渓でお掃除をしていた男性 お嫁さん(できれば今年中に!)→富山ライトレールの女性 抹茶たいやきでみんなを健康にしちゃる→売店のおばちゃん こうした、人の笑顔と言葉を組み合わせたもの。「プリンセス」と「いつか/この子といっしょに看護師として働きたい」のあたりは、涙腺に響きすぎた。このスライドショーは、持ってたカメラで動画に収めた。5分半ほどの動画。自分ひとりでこっそり楽しむことにする。 あとは会場内を散策。気になったものなど。 golla。 ここはJRの4複線。上の航空写真の右端から、 1)この上神崎橋梁(下り内外線/単線ポニーワーレントラスの並列/1912年●月●日開通) #内外線=東海道本線の電車線・列車線の下り。 2)上り内外線(複線ワーレントラス/1930年10月15日開通) 3)梅田貨物線(上下/複線ワーレントラス/1930年10月15日開通) 4)北方貨物線(上下/単線プレートガーダーの並列)。 うち、2)3)は同型である。 この上神崎川橋梁、上写真の右側(北側/右岸側)2連が1912年アメリカン・ブリッジ製である。左側(南側/左岸側)の2連は、のちに増設された桁で、1923年汽車製造会社製である。一見、4連とも同じに見えるがディテールが異なる。 また、橋台・橋脚も見ていただきたいのだが、橋台は煉瓦製、橋脚は鉄筋コンクリート製である。これについては後述する。 汽車線は、端柱も、引張力を負担する斜材(逆ハの字型、端部のみ)はアングル材+板材。アメリカン・ブリッジ製は、どちらもアングル材+レーシングである。汽車製のは、他の斜材は肉抜きの意味でアングル材を梯状につないでいる。 裏側に潜ってみる。 橋脚はコンクリート製。 振り返って橋台。 見比べると、支承が異なる。外側線は、橋台側が固定で橋脚川がローラー式。内側線は逆で、橋台側がローラー式で橋脚川が固定。前述の、桁裏の写真も合わせてみると、それがわかる。 桁落下防止用の部材は外側線と内側線で高さが異なるが、これは単に「皿」型の上面の部材が干渉しないように少しずらしてあるだけではないか。 橋脚側には落下防止の部材はない。 橋台を斜めから。 橋台はイギリス積み。 視線を桁に戻す。見上げてみると…… さて、ここから 吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か で触れた、ルート変更の話になる。 上神崎川に架かる橋について、『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)はこのように書いている。 ここに書かれている上神崎川橋梁のスペックはこうだ。 ・1876年(明治9)年開通、1913年(大正2年)撤去 ・100フィート単線ポニーワーレントラス ・下り13連 いまは4連しかないのだから、100フィート13連というのはおかしい。これは、ここでいう上神崎川橋梁は、現在の同名橋梁とは別の位置にあったためである。即ち、ここである。 いま阪急千里線が神崎川を渡るこの場所が、かつては官設鉄道東海道線のルートだった。上淀川橋梁の記事で触れたルート変更に際し、いったんこのルートは廃止され、それが阪急によって復活を遂げて今に至っている。 撤去された13連はどうなったかというと、兵庫県の有馬線(現在の福知山線)などに転用された。そしてさらに一部は群馬県の長野原線に転用され、それらは1960年までには撤去された。 『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第3報)』(小西淳一・西野保行・淵上龍雄)によれば、上神崎川には1899年(明治32年)に上り線として2連が開通したとある。鋼製らしい。まだルート変更されていないのになぜ2連なのか。調べを進めたいと思う。 <参考文献> 『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一) 『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第3報)』(小西淳一・西野保行・淵上龍雄) 『地形図でたどる鉄道史 西日本編』(今尾恵介) サイト『十三のいま昔を歩こう』内『官営鉄道と阪急千里線』 |
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