作品のすごさに圧倒される広田氏の写真集が4冊分がセットになって、しかも割引で売られていることに複雑な思いはあるが、買い物としてはありがたい。 中はこのように、4冊を表紙ごと合本にしてクロス貼りとしている。 でもよく見ると… まあ、事情はいろいろ見えてくる。 そしていま、amazonをチェックして驚いた。他の『鉄道写真』、たとえば『鉄道写真2005』などは新品が半額で売られている。欲しい人にはチャンス。ムックが安価になった分は、構造上、版元が損をしているだけだ。繰り返すが、割り引かれていて複雑な思いはするが、堂々と買っていい。 作品については、ただひたすらにそれに魅入るだけだ。 たしかこの本は、招待作品のように読者の秀作を集めて掲載していたと記憶している。そのどれもが素晴らしい。それらと、広田氏の取り下ろし作や過去の作品がギュウギュウに盛り込まれている。 観点としては、12年~8年前の本ということで、本の作り方が違う。写植で作成したページばかりなのだ。フォント(写植では「書体」という)の選び方や使い方、デザイン処理の仕方。いまはPC上で素人がクリックひとつでできることが、当時は写植のオペレータの腕と製版担当者の腕にかかっていたのだ。もしかすると、写真もドラムスキャナによるスキャンではなく、写真製版していたかもしれない…とも思ったが、このシャープさは既にスキャナだろう。 それと、広告とカメラの記事。『1998』の表2はF5、表4は645Nである。記事にはコダックのフォトCDやMacの7500などが掲載されているあたりにも時代を感じる。 とにかく、広田氏による600ページを超す写真の本が、わずか3000円。私のように迷わず、買うべき。 PR オオゼキタクさんのライブ『歌旅人生』に行ってきた。タクさんの歌は、生でも何度か聴いているし、ビデオでも見たことがある。昨日一昨日はtwicasでも歌ってくれた。でも、ちゃんとしたライブハウスで聴くのは初めて。ついでに言うと、「歌」をライブハウスで聴くのは初めて。僕はずっとインストばかりだったもので。(…と思っていたが、高校生の時に友達のライブを見たことを思い出した) 編成は、タクさん(g)、オバタコウジさん(G)、小林和弘さん(カホン、Perc)、田ノ岡三郎さん(Accordion)。 初っぱな。「旅の空」。そして「ほのかたび」。「旅の空」は、タクさんのpodcast「マジpod」のオープニングでも使われているし、「ほのかたび」は中井精也さんの写真展に合わせて作られた曲だ。僕は、歌声も楽器として聴きたい気持ちを持っているので、詩も大好きだけれど「声」に聴き入る。 客層は、1~2割が鉄道関係というかツイッターつながりというか、あとは「うたうたい」タクさんの客。もちろんほとんど女性。う~む。ステージは映えるな……。あれくらい映える場所というのは、バイクのレースに出ているときくらいだろうか。レースに出てれば下手でもかなりかっこよく見えるのだ。 今回のライブは、イベントがたくさんあった。まずは、ゲストで杉ちゃん&鉄平さん(Piano & Violin)の登場。お二人のステージとなった。杉ちゃんさん(←さかなクンさん、みたい。タクさんがこう言っていたので…)のパーカッシブなピアノと、鉄平さんのバイオリンのデュオ。楽しいネタをいろいろ披露してくれた。 『タモリ倶楽部』の鉄道の回になると登場する南田祐介さんの鉄道トーク、タクさんの鉄道トークを交え、休憩なしで約2時間以上。アンコールは最初の4人に杉ちゃん&鉄平さんを加えた6人で「ほのかたび」。田ノ岡さんと鉄平さんの掛け合い、杉ちゃんの力強いピアノ。それに反応するタクさんの歌。とてもよかった。壁には、中井精也さんの作品のスライドショー。一気に突っ走った感じの、素晴らしい組み立てのライブだった。 最後の「ほのかたび」の前に、タクさんが言った言葉が印象に残った。といいつつ、言葉そのものは正確に覚えてないんだけれど、「この楽しいライブが終わってしまうから、最後の曲を始めたくない」という意味の言葉。そういうセンスを見逃さない人が、詩を作れるのだろう。 ライブ終了後は、残った有志で、そのまま会場で打ち上げ。 このライブでは、ツイッター上の気になる人に会うこともできた。また来月、「鉄イッターサミット」というイベントもあるのでそちらも行く予定。この歳になって新しい友人が増えていくことが素直に楽しい。 内容は、地図製作の歴史=「地球」のとらえ方の歴史から、近代の三角測量、GPS測量に至るまで、なかなかわかりやすく解説している。さすがに著者は地理院の技官であっただけに、実際の2万5000分の1地形図を起こす際のエピソードがいくつか盛り込まれている。 けっこうな紙数が割かれているのがGPS測量の問題点や写真測量。本書の約半分は、そうした話だ。だからこそこの本を買ったのだ。おそらく著者が直接携わった「現場」なのだろうと思う。GPSを使って地図とリンクさせていたり、航空写真を眺めることが好きな人が読んだら、GPSや航空写真への興味というか知識が深まると思う。 ただし、記述は舌足らずである。地理の専門用語がばしばし出てくるのだが、その解説が文章だけだったり、具体例がなかったりするのだ。添えてあるイラストの一部が、理解を妨げるようになっているものもある。 たとえば… (1)ジオイド面 簡単に言うと、もし海面が陸地まで浸透していたら…という面で、「標高」の基準であるのだが、その説明がなかなかまどろっこしい。本書だけでは理解できないと思う。 wikipediaの図がいちばんわかりやすい。 1が平均海水面。海水面は周辺の陸地(というか、海水ではない部分)の密度などにも影響を受けるので、地球楕円帯(仮想の地球の形状。そもそもその定義すらいくつもある)とは異なる。2が、その地球楕円体。3はジオイドそれぞれの点おける鉛直線。4が地表面。5がジオイド。5のジオイドから4の地表面までの距離が標高となる。 私はGPSで表示される「標高」が地球楕円帯からの高さであってジオイド面ではない=地形図の表示と異なる」ということを本書を読むまで知らなかった。このあたりのことと、その問題点は本書で詳しく説明されているので、GPSをお使いの方はぜひ見たほうがいい。「GPS使いなら知ってて当然」だったらすみません。 (2)スクライブ これは、製版・印刷の流れが分からないと、まったく理解できないだろう。本書では「スクライブ製図は、ポリエステル系の樹脂へ不透明の膜を塗布したベースに、編集した地図画像を焼き付け、記号部分の塗膜を針で削り取る方法」と書かれているが、その「ベース」がなんなのか、理解できないと思う。 印刷には「刷版」というものが必要である。要するに、8ページ、16ページをひとまとめにした金属製の薄い板状のハンコである。その刷版を作るのに、以前はエッチング処理を要し、というとエッチングを説明しなければならないが、金属板のハンコ(刷版)は、金属を腐食させてオスメス部分を作る。そのときにフィルムを使うのだ。フィルムが透明な部分がハンコ(刷版)のオス、黒い部分がメスとなる。フィルムは、実際の誌面のネガ(白黒反転したもの)となっているので、スクライブ製版というのは、直接、真っ黒(ではないけれどイメージとして)のフィルムを針でケガキしてオスとなる部分を描いていく方法である。 ここまでお読みいただいてから武揚堂のサイトをご覧いただければ、合点できると思う。 さらにスクライブの現実は、フグの女王様のサイトで理解がするむと思う。このサイトはTUBEグラフィックスの方のようだ。私は面識はないが、たぶんあの方。TUBEグラフィクスは仕事上でもお世話になっているし、常に注目しているグラフィックデザイン集団だ。このサイトにあたったのは、偶然である。 (3)空中写真を使っての図化 これは、いまでも理解できていない。「(位相を変えた空中写真を置いた後)お測定のための『ポインター』(メスマーク)には、顕微鏡の先で浮き沈みするしくみがあって(後略)」とあるのだが、「ポインター」がどんなものなのか、なぜそれが浮き沈みするのかがわからない。1990年代前半に『山と渓谷』に地図製作の特集があった気がするのだが…。 などと勝手なことを書いてきたが、別に、理解できなければ自分で探求すればいい。この手の、地図の根本的な定義を問う本としては手軽な価格であり、そこを評価したい。願わくば、地図の定義やGPS測量についてだけ書かれた続編を。 ついでに。 検索中に発見した「写真測量」とそれを継いだ「写真測量とリモートセンシング」という研究誌のPDF。おいておきます。例えば第1巻には「写真測量の現状と問題点」などという論文があります。 『写真測量』(1962年~1974年) 『写真測量とリモートセンシング』(1975年~)
上淀川橋梁(東海道貨物線) その2で課題としていた「2回目のルート変更時期」について書く。ヒントをいただいた@Einshaltさん、@O_Ken_ken さんに感謝申し上げる。
周辺の地図を再掲する。 ●1912年説 典拠は 『地形図でたどる鉄道史 西日本編』(今尾恵介、JTBパブリッシング、2000年)と、『歴史的鋼橋集覧』の「上神崎川」のページ(土木学会)である。 前者には「神崎川橋梁前後の線路が大正元年(1912)に付け替えられていた」(65ページ)と記載され、後者には「開通年月日 1912年」とある。前者が後者を参照した可能性はある。 ●1913年説 典拠は『鉄道廃線跡を歩くVIII』(宮脇俊三編、JTBパブリッシング、2001年)だ。これには誤記があるので、明記しておく。 「東淀川」は位置からして明確な誤りだが、「新大阪」は逡巡の結果か。改良当時には、当然のことながら存在していないが、かといって「大阪」と書くと、橋梁ごとまたまた付け替えたのか? という余計な憶測を生む。これでいいと思う。 ここでいう「上神崎B」というのは現在の上神崎川橋梁下り内外線で、前述の通り「歴史的鋼橋集覧」では1912年開通、とある。 『鉄道廃線跡を歩くVIII』に付された「全国線路変更区間一覧」は非常に有用な資料である。「線路変更区間の選定基準」という凡例を設けていることを見れば、ご納得いただけると思う。 1912年か、1913年か。果たしてどちらが正しいのか。『停車場一覧』(JTB)を見ても書いていない。『日本鉄道旅行地図帳』(新潮社)にも、この経路変更はまったく採り上げられていない。ちょっと残念だが、どちらも「何らかの基準」があり、それに満たなかったのであろう。 引き続き「1912年か、1913年か」の情報を探し続けたい。 なお『日本国有鉄道百年史』には、この件に関する記述はない。 (上写真左側は貨物線、右側は上り線。下り線は見えない) いま、東海道本線はこの新淀川を3組の複線橋梁で渡河しているが、その成立をなぞってみる。西から ・現・貨物線橋梁(複線トラス、前回紹介した橋梁、1920~1921年汽車・川崎製、1928年開通) ・現・上り線橋梁(複線トラス22連、1899年A&Pロバーツ製、1901年開通) ・現・下り線橋梁(単線プレートガーダー22連×2、製造者不詳、1956年*開通) *「歴史的鋼橋集覧」による。しかし1930年設計、架設は鉄道省、とあるので矛盾する。 となる。 これらとは別に、1876年(明治9年)の開通時に架けられた橋がある。それが「上十三橋梁」。単線の上路プラットトラスであった。なぜ「上十三橋梁」という名称なのか、また架けられていた場所を説明するには、この周辺のルート変遷が必要だ。まず地図をご覧いただきたい。 開通時、吹田-大阪間のルートは現在とは異なっていた。上の地図でいうと赤い線で描いたルートである。 また、淀川のルートも異なっており、上記地図の赤矢印の支点にある「大川」に流れ下るルートが本流で、現在の新淀川の流路は、中津川とも十三川とも呼ばれるものであった。 というわけで、初代の橋梁は上十三橋梁という名称である。「上」は上流川を意味していて、対になる「下」は、大阪-塚本間で新淀川を渡る部分に架かっていた。 その上十三橋梁の資料が残っている。 ●上十三橋梁 ・単線用錬鉄製100フィートワーレントラス橋(設計・シャービントン?) ・全長99フィート10インチ、純径間94フィート余(ママ) ・上路トラス橋だが、両端に垂直材がなく、横から見ると台形をしていた ・縦桁にはH型鋼を使用 ・ピン間高さ(=上弦と下弦の長さ)9フィート ・トラス中心距離17フィート2インチ=5.2324m ・版桁間距離5フィート6インチ ・製作は英国 ・5連? ・1901年撤去? ここで、年表としてまとめてみる。 <年表> ・1876年(明治9年)7月26日 向日町-大阪間開通。上十三橋梁開通(単線、5連)→1901年撤去 ・1885年(明治18年)6月 大水害 ・1896年(明治29年)5月 淀川改修工事開始(新淀川開鑿) ・1901年(明治34年) 上十三橋梁撤去 ・1901年(明治34年)8月 上淀川橋梁(現在の上り内外線)開通=黄色い矢印のルート完成 ・1910年(明治43年) 淀川がほぼ現在の形になる ・1912年(大正元年)または1913年(大正2年)10月25日 吹田- ・1925年(大正14年)10月15日 吹田-新淀川信号場(左岸)複々線化←橋梁の開通時期と矛盾 (wikipediaより) ・1928年(昭和3年)12月 上淀川橋梁(現在の貨物線)開通 ・1956年(昭和31年) 上淀川橋梁(現在の下り内外線)開通 次回はA&Pロバーツ製の「上淀川橋梁(現在の上り内外線)」について書く。 ●参考文献 ・『地形図でたどる鉄道史 西日本編』(今尾恵介、JTBパブリッシング、2000年) ・『鉄道廃線跡を歩くVIII』(宮脇俊三編、JTBパブリッシング、2001年) ・『歴史的鋼橋集覧』(土木学会、このページ内にリンクあり) ・サイト『十三のいま昔を歩こう』←とても面白いサイトです。 ・サイト『放課後ホンネの日本史』 ・サイト wikipedia/淀川 ●spl.thnx. @Einshaltさん、@O_Ken_ken さん |
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