ガソリンスタンド・ノートという美しいサイトがある。管理人の松村さんは、それはもうものすごい数のガソリンスタンドを実見しておられ、数を見たゆえの分類や鑑賞眼がほんとうに鋭く「継続は力なり」という言葉はこの方のためにあるのではないかと思うような、とにかくガソリンスタンドの造形に間違いなく日本でもっとも詳しい方である。
私自身は、柏崎駅でよく見かけた日石のコウモリマークと、通っていた保育園の近くに出光のスタンドがあり(いまもある)、アポロマークを不気味に思っていたことが幼少の頃の記憶として残っているくらいの、一般の人より多少はガソリンスタンドのブランドに興味は持っていたような人間だったが、先日の江東ドボクマッピング新観光講座・ガソリンスタンド編から、特に興味を引かれるようになってしまった。といっても、氏のレクチャーを思い返しながら、ただ惚けるように眺めるだけである。 元日、環七の練馬・板橋区境周辺を歩いていた。このあたりはガソリンスタンドの興亡が激しい。外回り基準で、新桜台から川越街道までの間、記憶の中では ●外回り ・JOMO(けっこう大規模、閉鎖) ・ゼネラル?(閉鎖) ・ENEOS ・ゼネラル(ここ1~2年でできた) ●内回り ・JOMO ・出光(最近閉鎖) …があった気がする。ゼネラルが最も新しく、近辺では軽油が最安値(ガソリンは知らない)。そのゼネラルと、最近閉鎖された出光を写真に撮ってきた。 その斜向かいに、先日まで出光があった。Googleのストリートビューにはもちろん載っている。 大きな地図で見る これが、元日にはこうなっていた。 板橋区小山町! 現在の住居表示では消滅してしまった地名だ。1965年に、茂呂町、根ノ上町とともに、現在の小茂根に統合された。そんな地名が、スタンドに残っている。小茂根の小は、小山町の小である。小山町の成立は1932年であるから、このスタンドは1932年から1965年の間にここに誕生したのだ。それが閉鎖された。 なお、私はこのスタンドで給油したことは、おそらく一度もない。それは、単純に価格が安くなかったからということと、そもそも価格表示をしていないことが多かったからである。 PR
神戸市に「神戸水道」という上水道用の導水ルートがある。水源は千苅(せんがり)ダム。武庫川の左岸川の支流、波豆川を堰き止めたダムで、そこから水路隧道で南東に向かう。途中何ヶ所か地上に顔を出して谷を水道橋で越え、また山にもぐっていく。やがて宝塚市生瀬付近で武庫川を渡り、上ヶ原浄水場(下記地図の緑のアイコン))に至るというルートだ。
概要は地図をご覧いただきたい。 より大きな地図で 神戸水道 を表示 福知山線の旧ルートにある分格トラス、第二武庫川橋梁を見に行ったとき、偶然、この神戸水道の水道橋を目にして驚いた。ボーストリングトラス!?(この橋を便宜上「レポートの(1)」とする。冒頭地図の黄色アイコン)。 橋脚は石積み。この区間の建設工事は1914年(大正3年)以降である。なお、廃止となった福知山線(旧線)の開通は1899年(明治32年)。すでに稼働していた鉄道隧道の下に水路隧道を掘ったことになる。 ここは、写真に見えている隧道をくぐると第二武庫川橋梁にぶちあたるのだが、隧道は水路隧道と交差しており(鉄道が上)、鉄道隧道を抜けると水道橋のはるか向こうに行ってしまう。これ以上近づくには河原に降りるしかない(降りてる人はいた)。 実は両者を明確に分ける定義を私は知らない。両者は形態の差異による強度の違いでしかなく、荷重を負担する構造としては両者とも同じトラス構造である(と理解している)。 ボーストリングトラスだと考えてみた場合、その特徴(短所)である「橋門構を持たないので端部の強度が弱い」ということに外れる。橋門構はある。また曲弦プラットトラスだと考えた場合、あまりに扁平すぎないか(どこまでの扁平を許容するかは知らない)。端部の斜材は確実に45度以下だ。ワーレントラスでも45度程度が最小なのに。ここでは話を膨らませるためにボーストリングトラスということにして進める。 このあと、河原まで降りることはせずに第二武庫川橋梁まで往復し、停めておいたクルマをUターンさせようと武田尾駅に向かったそのとき、これが目に入った。 さて、冒頭の地図のとおり、ここで紹介した以外にも2ヶ所、このトラスが架かっているようだ。一つ目は水源地側、千苅ダムの西、川下川ダムの堰堤の手前。冒頭地図の水色アイコンの場所だ。 衛星写真で見ると、ちゃんとトラスが見える。川下川ダムは1977年(昭和52年)竣工なので、古い航空写真を見るとまだ造成中だったりする。水道橋は推定標高140m(等高線から)、ダム水面は標高164m、ダムの放水路はおそらく水道橋の10m以上下。 もう一ヶ所は福知山線宝塚駅-生瀬駅間で武庫川を渡る場所(冒頭地図の朱色のアイコン)。ここはストリートビューで見ることができる。 大きな地図で見る 上のストリートビューは右岸から。そして、水道橋で武庫川を渡ると、神戸水道は地中に潜っていくのがこのストリートビューでわかる。 その後、国土地理院の地形図を見る限り、何回か谷や川と交差するのであるが、水道橋で渡っている部分はなさそうである。おそらく地下を通っているものを考える。 廃線跡で偶然見つけた水道橋が、思いも寄らずに神戸市民の上水として由緒のあるものだったことは感慨深い。惜しむらくは、上記「レポートの(2)」の写真をもっと撮っておくべきだったことだ。大きな反省点だ。 いや、最大の反省点は「ボーストリングトラスと扁平な曲弦トラスの違いを言えない」ことだろう。この点について、ご存知の方はぜご教示いただきたく、お願い申し上げます。 先日、駅改築による駅前広場の出現というポストで、鉄道路線の高架化で駅舎が改築され、さまざまなものが失われたことの例を、小松駅、東舞鶴駅、西舞鶴駅について書いたが、ここ糸魚川駅もまたそうなる予定である。しかし、いまはまだ、駅が駅らしい存在感を持っている。率直に言って、その存在感に驚いた。糸魚川駅と言えば、駅裏(あえて「裏」という)にあった煉瓦造りの矩形機関庫が取り壊されたことが話題に上るが、私はそっちよりも表側に関心を持った。 1957年(昭和32年)に改築されたという現駅舎は、向かって左手、分度器みたいな屋根の下が待合室。その右、白飛びしている3枚のドアがコンコース。ドアを直進すると改札口だ。そこから右すべては運営側の施設。向かって左手にコンビニが続いているが、基本的には国鉄時代と変わらぬレイアウトだ。 待合室にはイスがたくさんあり、列車を待つ人がいる。地元らしい、長ズボンに黒いゴム長靴を履いたおじさんもいれば、時節柄(訪ねたのは12月29日)帰省客もいる。中学生や高校生もたむろしている。 駅というのは人が集まる場所である。いつまでいてもいいような、でも監視の目もある公共の場。そんな場所だから、鋳鋼製中高生が帰らずにだらだら話をしていても、とくに嫌な光景にはならない。一方、先日書いたような高架駅では人々がとりつく島がなく、監視の目もあってないがどときなので、非常に嫌な光景になる。そんな意味で、この糸魚川駅は昔ながらの構造が非常に好もしい空間を作り上げていた。 駅前に出た。真正面を見る。 駅前のタクシーはほどほど。こぢんまりしたタクシープールがちょうど駅の規模にあっているように見える。 左にカメラを振る。 駅前に書店があり、ホテルがあり、地元の旅行会社がある。それらが現役であることのうれしさ。さらに左には、アヤシゲな店が入る雑居ビル。その店も現役。 右に振る。 駅前ロータリーにありがちな標柱と、その向こうにはラーメン屋やら駅弁屋やらが、変にこぎれいにならずに築数十年の建物で営業している。 これをさらに右に振ると「ヒスイ王国館」というテナントビル(?)があり、ヒスイやお土産を売っていたり、いくつかの飲食店が入っていたりする。いなかびていて、とてもいい雰囲気だった。 上の写真で「ラーメンとん太」の看板が出ているのは駅前旅館だ。 こうした雁木のある駅前商店街は、柏崎や六日町、十日町にもある。たぶん、ほかにもいっぱいある。 いま「戸」と書いたが、ドアではない。ほとんどの店は手動の引き戸。商店・住宅問わず、雪国では、ドアではなく引き戸が多い。ドアは外側に開くため、もし雪がドアの前に積もると開かなくなってしまうのだ。私の実家の玄関も引き戸だが、それでも雪が吹き付けると開きづらくなったものだ。 こうした商店街が残っているのは近くに大規模スーパーがないからなのか。上越市か富山市にはでっかいのがあるけれど。それくらいの距離感だからなのか。どこかそういう都市があった気がするけれど、思い出せない。 こんな糸魚川駅前が、再開発されてしまう。詳細はこちら(以下の画像はすべてそこから引用)。 現在、駅「裏」に建設が進む新幹線高架橋を中心に新しく橋上駅として作り直し、いまの駅舎は解体、その分駅前広場が広がるのだ。印象としては、例によって「駅が引っ込んだ」ものとなる。 かつての米原駅のように、新幹線ホームだけプラスしたような構造にすれば、いまの「駅前」の枠組みを変える必要もなく、街の表情を変える割合がかなり少ないのに。橋上駅舎化・高架化で、いま明かりが灯っている駅前商店は、間違いなく暗くなってしまうだろう。人が歩かなくなるからね。最初から、奥に引っ込んだ新駅に行ってしまう。 この糸魚川の雰囲気を感じることができるのもあと1~2年と思う。夏に再訪したいと思っている。 (2014年2月1日追記) watanabejinさんが改築なった糸魚川駅と訪問されたレポートはこちら。駅前の雁木が! こういう変化の記録を個人ですべて残すことはできないけれど、連携すれば、何年後、何十年か後の人の役に立つのだろうなあと思う。 北陸新幹線糸魚川駅と煉瓦車庫 (糸魚川市大町) (追記ここまで) おまけのように跨線橋。 内部はこう。
清水国道開通時に架けられた「鷺石橋」をルーツとする旧橋
国道120号が利根川を渡る区間にある旧橋。現在の鷺石橋は1970年(昭和45年)に架けられたもので、その隣りに古い2連のプラットトラスが歩道橋として残されている。それが、今回紹介する鷺石橋である。 形状としては、端柱のないガセット結合のプラットトラス。 その、南西側。 ざっと渡って北東側。 よく見ると、トラスの手前にコンクリート製の橋が見える…? 左。 前橋まで三十四粁 右。 <ぎ>=消えてる (以)=い (志)=し (者)=ば (し) それにしても、この親柱の冷遇っぷりはどうだ……。 トラスに近づき、見上げると銘板がある。 また、この写真でわかるとおり、レーシングは目が粗い。 2連の桁が向きある部分。 また南西側に渡り、支承を見る。 渡りながら、ふと上流側の真下を見ると、こんなものがある。 明らかに、さらに古い橋の橋脚の痕跡。通常、こういうものは河川の流れを阻害するので、相当きれいになるまで除去を求められるのに、なぜ残っているのだろう? サイト「産業技術遺産探訪」さんでは、1885(明治18年)に清水国道として木製トラス橋が架けられたときの橋脚だと結論づけている。「1896年(明治29年)7月の利根川大洪水で流失してしまいました。」とある。しかし、トラスを木製にする時代に、ここまでの立派な石造りの橋脚を用意するものだろうか? また、 1929年(昭和4年)に下流側に「鋼プラットトラス橋」が竣工しました。」 とも書かれているので、1896年から1929年まで、この地に橋はなかったのだろうかという疑問が湧いてくる。 木製トラスを第1世代とすると、この橋脚を使っていたのが「第2世代」、今回紹介しているプラットトラスが第3世代、そして現役の国道120号の橋が第4世代となる。この橋脚は第2世代のものではないか…と考える。第1世代は時代的に写真が残っている可能性はかなり低いと思うが、第2世代はないこともなかろう。『ぐんまの橋100選』を見てみたいと思っている。 歴史的鋼橋集覧のページはこちら。 |
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