12月18・19日と、小浜線・北近畿タンゴ鉄道に乗ってきた。ただただボケッと乗っていただけで、気になるものがあってもカメラを向けずにいたのだが、気づいたことも多かった。
由良川橋梁は、走行動画を撮った。 この由良川橋梁を、列車はゆっくりと走行した。そのため、普段は気づけないことに気づいた。枕木の加工である。 この由良川橋梁はリベットが多用されたプレートガーダーであり、フランジとウエブをつなぐのもリベットである。そのリベットは、当然上面、すなわち枕木が載る面にも出ているわけで、そこの処理がどうなっているのかなど考えたこともなかったが(なにしろ上面を見る機会よりも下から見上げる機会のほうがずっと多い)、こんなふうになっていた。 動画を撮影していたため、その証拠写真はない。 今度、他の古い鈑桁を見る際は、上面も見るようにしよう。 なお、歴史的鋼橋集覧の記事はこちら。 PR 場所はここ。上の写真は、apaホテルの前から南を向いている。 もう少し進む。 この場所で右を向くと、いちばん手前の新設の桁である。その真下にはこんなものがある。 そのまま立ち位置を左にずらすと、ズラリと並ぶプレートガーダーの裏側を見られる。この対傾構(これも対傾構と呼んでいいのだろうか)、なんの根拠もないけれど、ほんとに昭和17年製?という印象(製造年については後述の銘板参照)。 この、対傾構もフランジもスティッフナーもぶっとい気がするのは、桁高さを抑えるためにそれぞれの部材に強度を持たせているのかもしれない(←当てずっぽう)。 また、プレートガーダーの上に載る線路を桁裏から見ることができないことから、この上には砂利が敷かれていることが分かる。地図を衛星画像に切り替えてもわかることだが。 真後ろを向く。 実は、この向きで11枚、似たようなカットを撮影している。橋脚の本数からいって、プレートガーダーが11本、平行に架けられているような気がする。数えていなかったので正しいかどうかは分からない。また、衛星画像で見ると、線路は11組もないので、どうなっているのかはよくわからない。 銘板。 活荷重KS-15 ○○○519(3)-1 株式会社横河橋梁製作所大阪工場製作 昭和拾七年(○○○第1393○) -----------------人人仝仝仝仝 C:材料 八幡製鉄所 L:仝上 L:○○○○株式会社 ○:○○○○○ ○(鋲?):○○○○○○所 以上、JRの橋梁群。以下、少し離れて富山地鉄の桁。 この画像は、富山地鉄の2本の桁のうち、北側(JR線寄り)。 プレートガーダーはこう。 そしてもう1本の富山地鉄の橋梁のうち、Iビーム部分はこうなっている。 一見、同一の桁かと思いきや、根本的に異なる桁であった。もっとも、もしかすると、後年の補強かもしれないという可能性はある。 不思議なのは、古く見えるJR線の桁と、それよりは新しく見える富山地鉄の桁の見た目のことである。電鉄富山駅に乗り入れたのは1931年(昭和6年)10月3日 。冒頭で見たJR線の桁が1942年(昭和17年)とすると、なぜJR線の桁のほうが、富山地鉄よりも古く見えるのだろうか。もしかしたら、富山地鉄のプレートガーダーは、それ以降に架け替えられたのかもしれない(←まったくの当てずっぽうです)。 そもそも橋梁名すらチェックを怠っているので、そんな経緯を探れるはずもなく、今に至っているが、念頭に置いておこうと思う。 上記の場所に、「なんでこれが歴史的鋼橋集覧に収録されてんの?」と思ってしまう橋がある。 その秘密は断面を見ればわかる。 斜めから見る。 この改修がどういうものかというと、いまでも資料が残っているので引用する。 ![]() ![]() 寸法もある。 ![]() ![]() 国交省のサイト( 一般国道48号 熊ヶ根橋補強・補修)から。 左右に張り出すのだが、片側(東側、下流側)を車道、片側(西側、上流側)を歩道とする。車道幅は、6mから10.9mに広がる。旧橋は東側に歩道が張り出していたことが上の図からもわかる。張り出し方はこんな感じ。 なんか、歩道部分、三弦トラスに見えるんですが、ちょっと検索しても分からなかった。 この改修にあわせて橋台も改築された。銘板がある。 この橋についても、とくに発見はない。 なお、歩道からは仙山線の第二広瀬川橋梁が見える。こんな橋だ。 この場所に、わずか支間4m15cmの架道橋がある。支間がコレということは、道の幅はそれよりもずっと短い(狭い)。測ってくればよかった。 北側に回ってみる。 上の写真でもわかるが、こんな小さな桁にもきちんと銘板と塗装標記がある。 東京
株式会社 桜田機械製造所 昭和二年製作 と書いてあるように読める(すべて右書き)。塗装標記はこうだ。 橋りょう名 第三上手河原架道橋 位置 市川本町~芦川間 71K001M60 支間 4M15 塗装年月 2003年8月 塗装回数 3回塗 塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止ペイント 及塗料名 中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料 塗料メーカー 大日本塗料K.K 施工 佐野塗装K.K 銘板類は北側についている。 北側から少し裏側を。 また、このようなIビーム桁だが、時代の要請でリベットが打ってある。溶接ではない。 桁の裏側を見てみる。 Googleマップの衛星写真を見ていると、身延線の橋梁の写真をアップしている方がいる。殆どが鈑桁だが、すべてを網羅してみるとなにか見えてくるかもしれない。 今回も、芦川橋梁と同時に廃道探索ついでに丸田祥三さんに立ち寄っていただいた。タイムスタンプを見ると、芦川橋梁とここで15分もお待たせしてしまった。すみませんでした…。なお笛吹川橋梁は、それだけで20分も…。重ね重ねスミマセン! この橋が渡る芦川は、笛吹川の支流。遡ると、いまは合併して笛吹市となったが、かつては芦川村という自治体が存在した。源流はその芦川村の中、「富士山は月見草がよく似合う」の御坂峠から西に連なる尾根の北面である。 建設経緯や時期は『身延線 笛吹川橋梁』とまったく同じ。おそらく笛吹川橋梁と同時に櫻田機械で四つの同型154フィートトラスを製作し、そのうちのひとつがここに架けられたのだろう。 ここには北側(芦川の下流側)左岸からクルマでアプローチした。川の上空は開けているので、周囲の建物よりも高さのあるトラスはけっこう遠くから見えていた。トラスを横から見るとスッキリした台形である。 桁の裏。 トラスの部材と横桁(左右のトラスを結ぶ部材)、縦桁(レールの真下の桁。横桁同士を結ぶ)を見比べてほしい。横桁の高さに驚く。もちろん必要に応じてこの大きさなのだろうが、それにしても。 縦桁の少し内側にレールが見えている。つまり、レール幅よりも縦桁幅のほうが広い。これは、子どもの頃に読んだ鉄道模型の本にも書いてあったような気がする。 また、縦桁と横桁の接続部分、縦桁のフランジが一部欠き取られている。横桁の補剛材を避けるためだ。 東京
株式会社 桜田機械製造所 昭和二年製作 と読める(すべて右書き)。 先の笛吹川橋梁もそうだが、身延線にはあまりトラス橋がない(北半分では、おそらく善光寺駅すぐ南の、濁川を渡る橋梁のみ。橋梁名は手元の資料では不明。会社にはあるのだが)ので、このふたつは乗っていても分かるだろう。斜材が同じ方法に続き、ついでバッテン、そして逆向きになったらこのふたつの橋である。 今回も「見てきただけ」になってしまった。 今回も、笛吹川橋梁に続き、廃道探索ついでに丸田祥三さんに立ち寄っていただいた。最後になりましたが感謝申し上げます。 |
カレンダー
最新記事
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|