東京駅の丸の内側、行幸地下ギャラリーで開催されている『土木コレクション2010 HANDS + EYES』を見てきた。先週は新宿駅の西口イベント広場で開催されていて、そちらに行った方から「行幸ギャラリーはガラス越しになるので、新宿のほうがいいよ」と言われていたのだが、あいにく都合がつかず、東京駅に行った。ガラス越し、とはこんな感じだ。 幸か不幸か、この時持っていったE-P1+20mmだと、ガラスにレンズ前端を押しつけると、ちょうど図面1枚が画角に収まる、というサイズのものが多かった。 この場所八重洲地下街に連なると思って銀座から歩いて行ったら、まず八重洲側を北口まで行き、連絡通路で丸の内に出てさらに折り返すという恐ろしいルートになってしまった。 この展示のタイトルはこうだ。 DOBOKU COLLECTION 2010
2014 JSCE 100th ANNIVERSARY HANDS CIVIL ENGINEER`S DRAWING EXHIBITION + EYES CIVIL ENGINEER`S NOUVEAU EXHIBITION つまり、土木技術者の図面と新しい視点の展示会。ということで、メインは図面の展示、それにその解説や建設時の写真が付されるというパターンとなる。紹介されているのはこちら。 (HANDS) ・小樽港築港事業 ・函館築港改良工事 ・稚内港北防波堤ドーム ・奥沢水源池水道施設 ・石狩川生振捷水路 ・旭橋 ・旧士幌線鉄道橋梁群 ・深川林地 ・札幌市都市計画 ・帯広市都市計画 ・青函トンネル (NOUVEAU) ・モエレ沼公園 ・東京駅復原プロジェクト ・石井樋歴史的水利施設の復元(佐賀) ・アザメの瀬自然再生事業(佐賀) これら全部に興味があるわけではないので、必要そうな部分だけ撮影してきた。たとえばこれ。 ![]() 写真は2001年のもの。もう9年前か。なんてことはどうでもいい。 このように、図面と、解説と、関連写真が1組になって展示されている。 うれしかったのはこれだ。 ここでは、増田淳について、いろいろなことがしれっと書いてある。 . こんな感じで眺めていたのだが、ふと見ると図録を頒布していない。「アンケート」を載せた机があったので見てみると「係員が平日16~18時まで云々」とある。出直しか…と思いながら一周して戻ってきたら、お姉さんがその場にいた。そして、アンケートを書き、みごと図録を入手した。 12月20日までだっけな、四谷の土木学会でも頒布を受けることができる。図面は小さすぎてまったく読めないのだが、どうせ写真撮っておいたからいいや。 長浜大橋(愛媛県)行きたい。 PR
丸田祥三さんの取材にくっついて、奥多摩某所に行ってきた。かねてから行きたかった場所があり、風邪やら天気やら地面の状態やらで何度も延期になっていた。先日、ようやく行けたのだが、1時間半ほど歩いたところで道の状態が悪くて撤退。今日改めて別ルートで行ったところ、徒歩1時間ほどで目的地についた。その前後にもいくつか撮影したので、時系列で書く。
青梅方面から国道411号を西に向かう。国道411号沿いには「黒川通り」という廃道がある。ヨッキれん氏が『日本の廃道』に詳細をレポートしているし、『廃道本』でも掲載、また現地を訪ねるツアーも開催された。上記地図の地点に至るまでにもいくつか旧道はちらほらしていたが、「道の駅たばやま」の前、JOMOの東側に「できたての廃道」があった。 新道を歩いている黒い犬は、どうやら飼い犬のようで首輪をしていた。この犬が、我々のほうに寄ってきて、ハァハァクンクンする。大型犬なので、ちょっとこわいよ…。犬を放し飼いにしないでよ…(うちには犬がいるし、リード付きの犬ならかわいがったりもするので、犬を嫌いだというわけではない)。 この旧道、上記写真のとおり、山肌に沿ったカーブを、ひとつの大きな橋で短絡したもの。新道のほうが法面が低く、旧道と高さの差が大きい。隣接するJOMOの出入り口も、かなり無理な勾配になっている。そして、旧道は、新道に欠き取られた形になっている。欠き取られた部分は舗装がはがされて砂利になっている。砂利は非常に強く突き固められている。 写真の電柱の右で石垣のパターンが異なっている。向こう側は切石の谷積み…というには目地が通り過ぎている積み方で、手前(電柱の左)は石を積んで目地を固めた練り積み。 場面を変えて、余慶橋。うわ、「よけい」で一発変換したよ。意味があるらしい(Yahoo!辞書)。知らなかったよ。ここも、旧道を新道が橋で短絡していた。旧橋で撮影。 以降も気になる旧道がたくさんあったが、とりあえず通過。メインディッシュに急ぐ。 国道を反れ、とある集落に入る。無人らしく、そこそこ新しく見える家にも人影はない。生活感のある家はあるため、特定の期日だけここに通ってくる人がいるのかもしれない。そんな集落を通り過ぎ、砂利道をたどってクルマの終点到着。12時15分。準備の後出発。 最初は車道の幅があったが、沢を遡る形で歩いて行くと徐々に狭くなる。それでも沢側には低い石垣があったりして、車道を感じさせる。しかし、やがてGPSは地形図の破線とは別の地点を指し出す。地形図が誤っているのか、現在の通行路が地形図と異なるだけなのか。 よく見えないと思いますが、すみません、諸事情により見せてません、御容赦ください。 とあるスジには有名な場所で、地名で検索すると画像もたくさんでてくるのだが、あまりにもすてきなので、丸田さんとヨッキれんさんの共著の写真集(タイトル未定)をご覧いただきたい。なかなか感動的な出会いだった。 これを撮影していたときのGPSログ。 この地点で1時間以上撮影した。 行きが1時間なら帰りはその半分かと思うと気も楽で、ふたりで雑談しながら下る。たまに撮影。 この山に入って3時間半。日も蔭ってきたので、もう一つのメインに向かったのだが、場所を特定できず。そのかわり、またたくさんの「新しい廃道」を見た。 国道411号は、近年の改良がすごい気がした。バイクで走っても、走ることばかりに気を取られるためにちゃんと見ていなかったが、再訪したいと思う。似たような換線ばっかりかもしれないけれど、意外な発見があるかもしれない。
ちょっと変わった外見のプレートガーダー橋。3連。橋梁の名称は不明である。場所はここ。八幡運河に架かる。
通常、プレートガーターの上面は、左右の主桁をつなぐ横構があるだけで、スカスカだ。また、側面は、主桁を補強する また、側面を見ると、うっすらと、ミミズ腫れのようなスジが浮き出ている。これはきっと、スティッフナーが内側にあるのだろう。と思って裏側へ。 横構に丸い孔があき、ワイヤーのようなものが通っているようにも見えるが、さにあらず。天板側から、半円と円がひとつずつあき、その部分に長手方向の補剛材が溶接されている。そして、その補剛材にも孔があき、半円と円の間の鼓型の部分を逃がしている。なかなか立体的な造形をしているのだ。 この画像は桁の裏側を写すために、下部構造が飛んでいる。下部はこう。 そう思ってこの桁の銘板を見るとこうだ。 京葉臨海鉄道株式会社 1993年1月 KS16 支間22.650m 28.014T 382M^3 株式会社宮地鐵工所 (下) 材料 9.10.14.16. SM41A 新日鐵 22.25. SM41B 新日鐵 36.48. SM41C 新日鐵 9.10.16. SM41A 新日鐵 22. SM41B 新日鐵 1993年に架け替えられている。 では、架け替え前の橋はどうだろう? 1974年の航空写真で見てみる。 例によって、『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁・その2』(小西純一・西野保行・淵上龍雄)を参照すると、あった。 旧橋の名称は八幡運河橋梁(であるので、ここに紹介するのも同じ名称だろう)。1911年アメリカン・ブリッジ製200フィート単線プラットトラスで、元々は東海道本線の大井川橋梁上り線として1958年頃まで使われいたものを転用し、1963年にこの地で開通させたものだった。なお、京葉臨海鉄道には同様の経歴を辿る村田川橋梁があり、そちらには、きちんとその桁が残っている。後日書くつもりだ。 このトラス橋が八幡運河を一またぎしていたのだから、先の橋脚は新桁設置と同時に設置されたものだろう。ますます、左側の犬走り状の部分の意味がわからない。では、橋台部分はどうだろう。 図らずも旧桁に話が飛んだが、銘板に戻る。銘板付近はこうなっている。 また、実は斜橋だ。両端の橋台はそうではないので、橋の架け替え時に新たな橋脚を立てる際に、流れを妨げないように、橋脚を斜めに設置する必要があったのかもしれない。 また、桁の端部を見ると、そこだえスティッフナーが外に(も?)ついていたり、フランジ(主桁の下側。断面:エの字の下の横棒に相当)の横幅が広くなっていたりする。 この橋は、平行する道路橋からじっくり観察できる。今後数回、千葉ネタを書くつもりだ。
ある争いごとがあって、一方を支援したり、一方の主張が(本人の言い方のせいか、あるいはメディアのせいか)誤解されることが多くてそれを解こうと余計なお世話をしたりするとき、軋轢って生まれるものなんだなーというのを実感中。でもきっと、当人のほうが、私の実感の何倍も何十倍も、同じような軋轢を経験しているのだと推測している。
なぜ私が丸田祥三さんの件でそんなことをしているかといえば、仕事してるからとかそんなくだらない理由ではない。1993年に氏の写真集に衝撃を受けたからだ。いまでも氏の写真を拝見すると、ページから目を離せなくなる。画面の隅々まで配慮が行き届いたその写真を、いつまでも眺め続けるのだが、この問題を看過するということは、丸田さんの写真のすごさ(注)に吸い込まれている自分を否定することになってしまうのだ。 (注)うまさ、ではなく「すごさ」と表現したい。立場を弁えずに述べれば、純粋なテクニックもすごいのだが、本当にすごいのは絵作りだ。私は写真の本質は絵作りが主だと思っている。 実は、丸田さんはご自身のブログで書いていることよりもはるかに多くの圧力に晒されている。私が聞いているだけでも非常に恐ろしい、信じられない話が多いのだが、間違いなく、それ以上のことが起こっていて、それを胸にしまっている。そうしたことを、さまざまな事情があって、いまは公開していない。そこに、私は歯がゆさがある。部外者だけど。それを公開すれば、丸田さん支援の声は数倍になるかもしれないのに、できないでいるんだから。 ここに書いたようなことは、分類するなら政治を語るようなもので、ツイートで見たくないよという人も少なくないと思う。私のツイートは、フォローしてくれている人をある程度想定して書いているのだが、すべてのツイートが耳に心地いいようにする必要はないとも思っている。政治については書かないようにしているが、自分の基本理念はときどき書く。その例を下記にコピペしておく。それくらいの自由は許してくれ。別に、発言者にリプライしたりDMしたりしてまで「お前は間違ってる!」などと言ってるわけじゃないんだから。 http://twitter.com/tenereisobe/status/7455427612639232 廃墟好きの写真に強い関心を持つ人でも、丸田祥三氏と小林伸一郎氏の裁判の争点と応酬を把握せずに、適当なことを垂れ流す人がいるのがすごく残念。まとめサイト見れば、「同じ場所で撮るな」などという主張ではないことはすぐわかると思うんだけど。 (追記)「まとめサイトを見れば見るほど、争点を誤解されるのではないか」というニュアンスの指摘をいただいた。そんな気もする。まとめサイトよりも、丸田さんのブログのほうがいい。 http://twitter.com/tenereisobe/status/7458558358585345 丸田氏・小林氏の裁判の争点をわかった上での批判や反対表明なら、それはその人の意見だから、十分アリです。残念だと感じるのは、わかってないのに…という場合。 http://twitter.com/tenereisobe/status/7683843746168832 丸田祥三氏の争点=「自作といって発表し続ける点」を問題視しているということ。「偶然似たものを撮った人のことを突如訴えた、などということでは無い」判決は30日。
11月20日(土曜)深夜、大井ジャンクションの桁架設工事を見てきた。場所はここ。
より大きな地図で 大井ジャンクション を表示 工事概要は東京都のサイトから画像を転載する。 10月と11月に、のべ4回に分けて施工する3回目。場所は下記の右側。 ![]() 長スパンの桁を、徐々に接合してゆく。完全につながるまでは、片持ちの状態で止めておくのだ。 首都高の該当区間の通行止めは22時から翌朝6時。そう思って22時前に現地に行ったのだが、肩すかしを食った。先客の方がひとりいるだけ。クレーンはエンジンすらかけていない。ただし、時折、すぐ近くの現場事務所にクルマや人の出入りがある。 22時をだいぶ過ぎても始まらないので、事務所の駐車場で番をしていた人に聞いてみた。すると「通行止めは23時から。作業はやるよ」とのこと。wktkして待つ。 それにしても作業員さん、その断面に「座ってる」ようにも見えるときがある。 位置決めの後、分厚い金属板を叩くような音など、金属質の音が響く。 こうなるまで約1時間。早い。もちろん、実際にはこの後、接合の作業でかなり時間をとられるのだと思うが、派手な部分はここまでだ。 この桁架設、地元の人は知っているのか、けっこうな数の人が徒歩や自転車で現れた。また、暴走族風の若者も多数、見学していた。先輩が働いていたりするのだろうか? 今週末、27日深夜もある。行けるかどうかは微妙。。。 |
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