山手線/地形散歩(2)巣鴨-駒込を過ぎたところの続き。下記地図でいうと【写真6】から。
駒込から築堤沿いに歩いて行くと、中里第一隧道から100mちょっとで山手線、山手貨物線ともに地平に降りてくる。山手線はその高さを維持したまま進み、山手貨物線は堀割となってさらに標高を下げる。行き着く先は中里橋と、山手線唯一の踏切、第二中里踏切だ。 【写真6】中里橋と第二中里踏切 訪れたのが昼間だったので、「開かずの踏切」というわけではない。むしろあいている時間のほうが長い。
日本国有鉄道
活荷重第一種図(?).とく(?)-178 株式会社東京鉄骨橋梁製作所製作 (昭和29年8月) -・- L=● 富士製鉄株式会社 ●● 日本鋼管株式会社 ●●● ●=●● CT-5(?) 塗膜が厚すぎるので読めない部分があるが、「とく-178」というのが正確かどうかはわからない。「とく」は特殊桁を表すのだが、素人目には普通の下路橋に見える。 【写真7】中里橋から田端方向(左の築堤上=山手線、右=山手貨物線) 【写真8】富士見橋から駒込方向(左=山手貨物線、右=山手線) 山手線は右カーブして、崖の上に躍り出ると高架で田端駅に向かう。その際、その高架の下、地平部分を京浜東北線が通っているのもすごい。京浜東北線はそのまま高さを稼ぎ、そのまま地平の高さに出てきた山手貨物線をオーバークロスする。ダイナミック。 大きな地図で見る 山手貨物線がくぐるトンネルの上はJR東日本の社宅。カーブを描いているのが興味深い。 富士見橋を超えると、山手線しか見えない。そこで振り返ったとき、「田端の中里橋付近:謎の坑門?」に書いたものに気がついた。回答を高橋俊一氏のサイト「山手線が渡る橋・くぐる橋」で得たので追記しておいた。 【写真9】 武蔵野台地はこれだけの高低差がある。住宅地の路地を歩くと、崖際に出られる場所がある。見下ろすと、田端跨線線路橋がある。これもすごい角度の斜橋。もはや、この方向に桁をかけていいのかどうか迷うのではないか。そんなことはないか。 【写真10】 つづく。 PR
今日が11月14日だと知ったのは夕方だ。しかも父の誕生日だったりする。
昭和57年11月14日、子どもの頃から見慣れた、でも乗ったことがなかった「特急とき」がこの日限りで廃止になった。親しい友人と、ときどき新潟駅に行っては入場券で5時間も6時間も列車を眺めていた小学生にとって、「とき」はいつもホームにいる列車だった。それも、本屋にいちばん近い1番線に停まっていた。 「とき」は14往復運転され、大部分の11往復は183系1000番台、残る3往復が181系だった。1両だけ、151系の生き残りであるモハ181 29があったが、それを見ることができたのは2~3回だけだ。なかなか出会わなかった。私にとって、「とき」、特に181系は新潟を象徴する列車・車両のような気がしていた。その、181系で運転される最後の下り列車、「とき23号」に乗るという願いが叶った。もちろん親に連れて行ってもらったのだ。同行してくれたのは母だ。 きっぷは、発売1ヶ月前に、白新線新崎駅に買いに行った。ここなら硬券だと思ったからだ。ここで、11月12日(金)発の夜行「佐渡8号」、11月14日(日)発の「とき23号」の指定券等を買った。「とき23号」は、最終181系列車にもかかわらず、車両中央部の席がとれた。いまだったら、午前10時に瞬殺だろう。残念ながら、きっぷは準常備券だったが、手書きとスタンプで作られたきっぷを毎日眺めて過ごした。 週休二日でなかった当時、土曜日をどうしたかというと、学校を休んだ。親が恐る恐る担任に説明しに行くと、ぜひ行って来いと言ってくださった。好きなことがあるならどんどんさせろ、と。今は「旅行のために学校を休む」という行為はわりと実践されているものの、その頃、しかも田舎である、異例のことだったろう。まだ新任3年目の、25歳(か26歳)の女性教諭だったが、その先生にいろいろとよくしていただき、その後の私が形成された、とてもいい先生だった。金曜夜、その車両には母と私しかいないガラガラの佐渡8号(それも15日の改正で廃止)で上京し、土曜は一日「国電フリーきっぷ」で各駅下車+入場券購入、日曜は青梅鉄道公園へ行ったあと「とき23号」に乗った。 検査期限の関係ですでに2両減車していた「とき23号」。シートが左右つながっていることに驚いた。でも急行形車両しか乗ったことがなかったので、とても嬉しかった。発車時刻は夕方だったと思う、車窓はほぼ真っ暗、いまにして思えば「最後の181系に乗る!」ことしか考えておらず、事実上初めての東京旅行だったのに、往復とも車窓を楽しむ要素は皆無だ。子どもだったこともあり、乗り心地とか車窓には一切感慨も記憶もない。 新潟駅に着いた。固定焦点距離のカメラで夜のホーム撮り、しかも子ども。カットを工夫しようもない。36枚撮り2本で、同じようなカットを撮り続けた。子どもだから。 見ると、大阪行き「きたぐに」の車両を撮影していた。11月15日の改正で14系客車に置き換えられたのだが、改正前日は旧編成で運用されていたのか、といま改めて知った。 いまの時代のように300km離れた距離が身近だったわけじゃなし、こんな、子どものわがままによくぞお金を出してくれたものだと思う。親に感謝するばかりである。「とき23号」に乗った当時は、その日が父の誕生日であることなど知らなかった親不孝者である。 現在なら、こうした新線開業は土曜日に設定されるだろう。しかし、この、通称「57-11改正」は違った。月曜日が改正日だった。だから、小学生の私が「最終181系とき」に乗ることができたのだ。ダイヤ改正は、極力影響が少ない日を選んで行われていたので、当時はそれがいいと判断されたのだろう。「とき23号」が到着した新潟駅も、いたって静かなものだった。車両が回送される前に、出札した。 新幹線は「大宮暫定開業」でしかなかったが、この「57-11改正」は国鉄の大きな転換点の一つとなった。国鉄民営化に向けて、新幹線上野開業の60年3月、そして民営化準備の61-11と大改正が続くが、その第一弾として実施されたというインパクトがあった。これ以前は、敷いて言えば53年10月、規模でいえば43年10月「よん・さん・とお」以来の規模だと言ってもいいのではないか。 なにしろ東日本の交通体系が抜本的に変わったのだ。道路交通に例えてみれば、それまで対日本海側は「下道」しかなく、対東北もその5ヶ月前に片側1車線の東北道が開通したばかりだった東日本地域に、突如として関越自動車道が開通し、東北自動車道が片側2車線で開通したようなものだ。鉄道誌が1年近く、改正前、改正後、さまざまな特集を展開し続けた。 子供心に、ひとつの時代が終わったという印象を持った改正であった。その中で「とき23号」とともに181系が消えていった。
山手線/地形散歩(1)池袋-巣鴨の続き。
巣鴨から駒込の間は堀割、駒込から築堤、堀割となって田端に降りていく。巣鴨の堀割の中は標高20mほど、駒込は地平~築堤だけれど標高13mほど、田端は標高4mほど。縦断面図は持っているのだが、手元にないのでとりあえずは5m標高メッシュからの読み取り値。 【写真1】染井橋から巣鴨方向(左=山手貨物線、右=山手線) 【写真2】駒込駅を通り過ぎ、南側から振り返る 大きな地図で見る これを見ると、跨線橋の骨組みはそのままに外板等を張り替えただけのようだ。いいね、不用意に全面改築せず、使えるものはそのまま使うという姿勢。 なお、駒込駅は2006年に改装され、駅入り口などが大きく変更された。Googleの衛星写真では、改装前の状態を見ることができる。ストビューは改装後、現地はまだ囲いが残って工事中なので、これらの情報は鵜呑みにしないほうがいい。 【写真3】駒込駅東口の南側と中里道架道橋 ここは自由通路。写真で言うと奥左に改札口がある。どう見ても人道なのに「制限高2.3m」とある。白い天井は鈑桁であり、その橋梁は「中里道架道橋」という名称だ。支間、わずか5.5m。 後日、ホームから撮影した。 LANARKSHIRE STELL Co (LT?←確認できず)D SCOTLAND
SIEMENS MARTIN ACID PROGRESS acid progress。なんだろう。なにを酸で処理するのだろう。 銘板もあるが、塗装でつぶれて読めない。橋梁のメーカーと考えていいのかどうか、銘板が読めないのでわからない。この区間の開業は1903年、基本的に橋梁はまだ輸入に頼っていた時代。水道橋や御茶ノ水のハーコート製の桁は1904年製だ。 LANARKSHIRE STELLについてはこちらに英文の解説がある。興味深い部分だけざっくり訳すと、 #そのホームページのトップサイトはこちら。読んでおいたほうが良さそうだが、まずは足下を固めないと…。とりあえずブックマーク。 また、小倉沙耶さんのサイトによれば、日本の鉄道車両の台枠も製造していたようだし(私はそこらへんの総合的な知識は持ち合わせていない)、検索するとよくヒットするサイト「我が人生の垢」によれば跨線橋の部材としても使われている。 【写真4】中里用水架道橋を北側から サイト「山手線が渡る橋・くぐる橋」では線増にまつわるのではないかと推測している。こちらのサイトには桁転用の面白い仮説が記載されていて、大変におもしろい。 この「中里用水架道橋」は、その名からして、水路を渡る橋だったに違いない(そこらへんの知識も持っていないため、まったく検証できていない)。 【写真5】中里第一隧道を北側から golgodenkaさんより「径間1m以上が橋梁」とのご指摘をいただきました。『鉄道構造物探見』(小野田滋著)に記載されていたということですが、もちろん私も参照している…はずなのですが…(恥 田端まで書くつもりだったが、長くなったのでここで切って、続く。 参考:山手線が渡る橋・くぐる橋 私の判断では、この本は編集がまったくなされていない。著者が書きたいことを好き勝手に書いた、読み手に理解させようという気がない、自費出版レベルの本。なにしろ物理と全然関係のない「東京駅とアムステルダム中央駅」とか「駅と郵便局」というコラムが入ってたりするのだ。おかしいだろ? 私は高校1年までしか物理を勉強していないので、もしかしら「お前には語る資格なし」という反論もあるかもしれない。でも、世の中の人の何割が、大学入試レベルの物理や化学を学び、それを憶えているだろうか? 化学で言えば元素の周期表すら憶えてない人も多いんじゃないだろうか。私は日本史をそれはそれは勉強し、どの項目も400字で説明せよと言われたら800字で説明できるくらいにはなっていたと思うが、大学入試から20年経ち、相当残念なことになっている。そういうことを考えると、私にも語る資格はあるのではないかと思う。以下、私の観点で、この本の残念な点を書く。 ●残念1:いきなりの物理用語(1)前提とする知識の設定への違和感 本書は、いきなり物理用語が出てくる。通常、ブルーバックスにしろ雑学系の新書にしろ、物理を楽しもうという本は、物理の基本概念を物理の用語は使わずに小学生レベルの知識や例え話で解説する。例えば「10^-1」とか書かないで「0.1」と書く。ラジアンではなく度数法(直角=90度、の角度の表現)で書く。式を暗記させるわけでなし、概念を理解させるのが目的だからだ。 本書には下記の用語が突然出てくる。高校の理系物理、理系化学レベルのものもあるが、このブログを見てくださっている方のうちどれだけの方が、「ああ、それはね…」と解説できるだろうか。 ・印加電圧 ・界磁コイル ・電機子コイル ・誘導起電力 ・素子 ・IV族 ・角速度ω ・力積 ・角振動数ω ・|Z|=1/(ω/C) ・自己誘導係数 ・球対象 ・誘電体 ・準位 ・遷移…… いや、調べればわかる。目の前の箱を使えばwikipediaもある(たいてい、詳しく解説されすぎていて余計にわからなくなる)。私はいままでこうしたものをそこそこ読んでいるので実はそこそこ理解はできるのだが、それにしても…。 私は、この手の本は、最初に「フレミングの左手の法則」(中学理科で習う)をおさらいし、また「コイル」とは何か、という説明から始めなければならないと思う。慣性の法則、エネルギー保存則、なんてのもおさらいすべきだ。これらを完璧に理解できている人なら、モーターが回る理屈など教えてもらわずとも知っているのだ。 ●残念2:いきなりの物理用語(2)式、変数 なぜ、物理好きは小難しい言い方をしたがるのだろう? やれやれ。 とか書けないものだろうか。 なんというか、「物理的な言い回し」でひとつのネタができそうだ。というかしてる人がいるなあ…。 ●残念3:稚拙なイラスト 本書におけるモーターのイラスト。モーターの中身をまったく知らない人が見て、理解できるだろうか? たぶん、一般的な男性が思い浮かべることができるのは鉄道車両のモーター(このイラストは直流直巻電動機)ではなく、マブチモーターのようなモーター(永久磁石界磁形整流子電動機)ではないか。マブチモーターは非常に素晴らしいサイトを持っていて、そこでモーターの原理や各部の名称を説明している。 たとえばこちら。基礎の基礎、電磁石とは何か?から解説。 こんなページもある。内容は同じだが、少しまじめ? 直流直巻電動機と永久磁石界磁形整流子電動機に本質的な違いはない。ガソリンエンジンかディーゼルエンジンかくらいの違いなので、説明はコレで十分だろう。 ●残念4:誤記多し こういうことを書くと「これだからマニアは」などと逆ギレされることがよくあるのだが、DMF16とかDMH18とか書いたらいかんでしょ。また、国鉄の形式を「キハ181型」などと書くのも誤り。つまり、基本的な鉄道の知識がないのに、鉄道を説明しようとしている。こんなの、少し鉄道がわかる人に一読させれば即座に指摘される内容なのに…。 なお、DF50を抵抗制御と書いてあるのも誤りだが、これは少しだけ同情する。DF50のエンジンとジェネレータは直結していて、ジェネレータ出力は機関の回転数で制御するのだが、私の知る限り、それが掲載されていて入手しやすい本はない。入手しづらい本を含めても『ディーゼル機関車ガイドブック』(誠文堂新光社)のみだ。(レイルロードの『DF50』は未見)。液体式の制御方法がそこそこ知られているのに対して、不思議なことである。 ●残念5:後半は息切れ 後半は「物理」でもなんでもない記事、ただの「鉄道の仕組み」が続く。トンネルの工法の解説や閉塞の概念、腕木式信号機の作動の仕組みなど、どこが「物理」なのか。 ●残念6:無関係の記事 ここも息切れか。冒頭にも書いたが、鉄道郵便など、本書の内容とまったく関係がない。著者の専門である天文学のことが書かれているのとなんら変わらない。無関係な「コラム」とやらがなぜ掲載されているかというと、「編集」がなされていないから。かくてひとりよがりの本ができあがりましたとさ。 すべてを抜き書きして「これを説明せよ」と書きたいが、やめておく。とにかくこの本は、あくまで教科書で、これをもとに人間の口述による解説がないと物理好きな人(=聞かなくてもわかっちゃう人)以外には理解できない。 もし、この手の本を読んでみたいのであれば、グランプリ出版の各書や学研のムックのほうがよほど詳しく、わかりやすい。そちらを説明する。 そう思いながらフロントスプロケにアプローチしようとしてカバーを開けて驚いた。 32mmのソケットは、たぶん3000円か、もっとする(注:しない)。それならばと思い、モトエジャーさんのところで点検がてら交換だけお願いすることにした。 それならば、チェーン一式と共にハブダンパーも持っていかねば。 そして今日引き取ってきた。スーパーテネレは、ハブと、スプロケを固定してある部分が別対になっていて、その間にハブダンパーがあり、ハブ内とは別にまたベアリングがあるのだが、野沢さん曰く「その間ががたついて、ベアリングがスポッとはずれたよ」とのこと。応急処置はしてくださった。 というわけで、チェーン一式が新しくなり、またひとつ若返ったスーパーテネレ。しかし、チェーンローラー2ヶ所が脱落したままで、うるさい。また、リヤフェンダーががたついているらしく、ときどきリヤのランプ類が消灯してしまうらしい。これは今度見直してみる。 それにしても、頗る調子がいい。セル一発でエンジンがかかるっていいね。当たり前なんだけどね。 モトエジャーさんは、これからバハ1000のサポートに出る。レポートはこちら。レースに出るのはオグショーさんや元ガルルの大塚氏。大塚氏と僕は高校が同じなんだけど、当時は面識もなかったという…。いい結果を待ってます! なお、僕がバハ(レースではない)に行ったときのことはこちら。 |
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