(地図、画面左側の飛び地の形状に心奪われる) 写真は南に渡ってカクッと折れ曲がったところで撮影。写っているのは東側である。上の地図を拡大すると2本の橋が並行して描かれているが、西側には別途歩道橋がある。航空写真では、Yahoo!、Googleともに写っていない。この歩道橋は2007年4月に供用されたものなので、やがて衛星写真が更新されれば画面に現れてくるだろう(山城地域振興計画23ページより)。 緑の部分は、トラスの外側、上横構の上面、上横桁の側面。これが全部赤または全部緑なら、ここまでの違和感は感じまい。 *souitohさんから「20年くらい前からこの色だった」との証言をいただきました。感謝。塗装標記、どうなってるんだろう…? 塗装もそうだが、こののっぺしした感じ。この橋を愛する方には申し訳ないが、惹かれない。思うに、このつるぺた感がいけないのだ。H型鋼そのままの垂直材。箱形に組んであるがリベットもボルトもなく、リブが飛び出している斜材、上弦材。のっぺりした直方体である下弦材。ひっかかりがないのだ。斜材が45度で構成されているのも、大味だと感じる。高速道路の上路トラスなども45度で、しかも垂直材が1格間おきだったりして、それと同じ味わいだ。 ん? 普通は吊桁は単体では上弦が短い台形になる(端柱の外側に垂直材が加わることはある)が、この笠置橋の吊桁は逆台形。これに気づいたのはこの記事を書くために写真を眺めていたときで、現地では気づかなかった。今後は気をつけて、よく観察せねばなるまい。 1959年8月
京都府建造 建示(1955)一等橋 製作.株式会社 宮地鉄工所 材質 SS41 とある。 親柱。 この笠置橋にまつわる話が、笠置町のサイトに掲載されているのでご覧いただきたい。初代の吊橋はこちらの航空写真に写ってはいるが、判別はつかない。 帰宅後、この近くにポニープラットトラスがあることを知った。笹瀬橋という。キーボードで打つと左手薬指と小指ばかり使う、打ちにくい名前だ。 場所はここ。 画像はこちら。 笠置橋とほぼ同世代、1955年製ながら、プラットトラスであることの不思議。訪ねてみたい橋だ。 PR この「好ましい」という印象は、おそらくポニートラスであることから来る。ポニータイプのカンチレバートラス。他の例を調べていないが、多くはないと思う。もともと、径間を大きくするためにカンチレバーにするわけで、一方ポニートラスは径間が短いところで使用することを目的としているからだ。。 上の写真は上流側(東側)から。対岸に桜が咲いている。そこは「北上川展勝地」と呼ばれ、撮影した日はまさに桜が満開、花見客が多かった。といってものんびりしたもので、橋を行き交う人も多くは感じたが時に途切れる程度だった。 下流右岸から見る。 主塔に寄ってみよう。 このとおり、鈑桁の補剛桁が、3径間連続している。これをふたつの主塔から吊っている。 歴史的鋼橋集覧によれば、歩道橋を架設したのは1971年である。
真正面から見るとこう。 また、これを見ると、橋脚が更新されているのがわかる。歩道橋架設と同時期だろうか。 この珊瑚橋は、風景印にもなっている。ほどよく古びた形、好ましい小ささが、桜を愛でる北上展勝地と馴染んでいるのだろう。サイト『風景院gallery』に掲載がある。 また、この珊瑚橋は、初期の道路橋のサンプルのひとつとして、『本邦道路橋集覧』第三輯に概要と図面が掲載されている。『歴史的鋼橋集覧』の図面もこれを転載したものだ。 この橋は京都府南丹市(旧八木町)にある大堰橋(おおいばし)。八木大橋、と書かれる場合もあるが、ここでは親柱に従い大堰橋とする。歴史的鋼橋集覧のページはこちら。ただし、「カンチレバートラス+RC単純桁」とあるが、図面はそれとは異なり10径間になっている。その図面は本邦道路橋集覧内の第4輯・突桁式鋼構橋と同じものだ。「突桁式」がカンチレバー式(ゲルバー式)、「構橋」がトラス橋を表す。現在の図面は南丹市の「広報なんたん」に通行規制のお知らせが出たときに掲載されたものがある。この図面では鈑桁は単純桁が3連、連続しているように見える。鈑桁が架け替えられたのは1996年だ。(「JR八木駅かいわい」asahi.com) この大堰橋がかかるのは桂川。この下流は保津峡を刻み、京都の西側を南下し、大山崎付近で宇治川、木津川と合流し、淀川となって大阪湾に流れ出る。 上流(北)から見る。3径間のカンチレバートラスと3径間鈑桁の組み合わせである。 手前に車道橋から独立した歩道橋がある。また、側面に電飾が取り付けられている。 西側(八木駅側、トラス側)の橋門はこう。 歩道を増設したときに、橋脚は更新されているようだ。 残された親柱にはこうある。 銘板。塗装で塗りつぶされて読めないが、反対側の銘板から推測して だろう。カゲロウがくっついている。 そのまま少し進む。 なにか、いまいち重厚な気がしない。リベット留めなのに、最近作られた橋であるかのような、のっぺりした印象がある。 そのまま東側のトラスの終端部。 歩道が手前に向かって拡幅されている。また、親柱は見あたらない。まあ、この後も鈑桁が続くので、ここにはないのかもしれない。 銘板。 西側よりははっきりと読める。左上に見えているものは電飾。 ちょっと視点を変えて。 そのまま東側へ。 鈑桁は3車線分あり、端部はこのようになっている。そして、親柱がある。 西側の親柱と同じ型式のものだ。当初よりあったもの(または架け替え時に存在していたもの)を、橋梁の拡幅とともに移設したのだろう。 鈑桁を見る。 図面を見ると3連の桁に見えるが、写真を拡大してみれば連続桁である。 そして、橋脚に注目。冒頭の、左右全体写真と合わせてごらんいただきたいが、開通時の昭和10年のものではない。 カンチレバートラス部分は歩道が付加された分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁部分は桁が広くなったのだから、もちろんその幅の分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁が架け替えられた1996年に、同時に更新されたのだろうか。 この大堰橋の、カンチレバートラス部分は桂川の本流をまたぎ、鈑桁の一部も本流をまたいでいる。しかし、鈑桁部分は本来、かつて10径間だったこと=橋脚が多数あったことからわかるとおり、横溢部だった。 1974年度の航空写真(ckk-74-14_c9a_6)を見る。 現在はこんなだ。比較してみてほしい。 先に「のっぺりした印象」と書いたが、その理由は、部材が修復されているためだ。たとえばこうなっている。 道路越しの向こう側のトラスの、右端の斜材が修復されたものだ。 原型はこう。 山形鋼(L字型)をリベット留めし、その間にレーシングブレースが挟まれている。 それに対して、修復済みはこう。 山形構の下にもう1枚挟まっているように見える。また、側面も滑らかだ。 格点部分にも、修復した部分とそうでない部分の差は明らかだ。 . カンチレバートラス橋としての、吊桁と定着桁との結合部分はどうなっているだろうか。実は、よくわからない。冒頭の写真でいえば、三角形の頂点から数えて2格間左側の上弦と下弦にピンがあるが、この場所にピンがあるのにどうやって吊桁と接合しているのかが見えてこない。吊桁は定着桁と剛結合しているようにも見える。 上のピン。 下のピン。
以前、『北越急行の地形的妙味(1)十日町』というポストをした。先日、この区間の動画を撮ってきたのでyoutubeに上げてみた。動画を撮るのもupするのも初めて。稚拙であることには堪忍。
まずは、しんざ駅を出てから高架を走り、十日町駅へ駆け上がるシーン。 延々と左カーブをしながら、高さを稼ぐと右、左と頭を振り、十日町駅へと進入。この「右→左」コンボが、まるで実物の鉄道ではないかのように感じる。 続いて十日町駅を出る。 まるで、ジェットコースター最初の「いちばん高いところから急降下」みたい。 つづいて、くびき駅発車。 この剥き出しのスラブ軌道に惚れる。 和歌山県和歌山市の中橋である。英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その6)和歌山県新興橋で紹介した新興橋の兄弟橋と言ってもいいもので、1953年にこの地で供用された。歴史的鋼橋集覧によれば、拡幅し、どこかからか再転用されたのではないかとしている。 下弦は、内外2枚の溝形鋼でできているが、そのうち内側だけに横桁の荷重がかかる。内外はピンでつながれているのだが、こういう場合、バランスが崩れたりはしないのだろうか。 新興橋の記事(その6) と合わせてご覧いただきたい。 |
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