以前、『北越急行の地形的妙味(1)十日町』というポストをした。先日、この区間の動画を撮ってきたのでyoutubeに上げてみた。動画を撮るのもupするのも初めて。稚拙であることには堪忍。
まずは、しんざ駅を出てから高架を走り、十日町駅へ駆け上がるシーン。 延々と左カーブをしながら、高さを稼ぐと右、左と頭を振り、十日町駅へと進入。この「右→左」コンボが、まるで実物の鉄道ではないかのように感じる。 続いて十日町駅を出る。 まるで、ジェットコースター最初の「いちばん高いところから急降下」みたい。 つづいて、くびき駅発車。 この剥き出しのスラブ軌道に惚れる。 PR 和歌山県和歌山市の中橋である。英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その6)和歌山県新興橋で紹介した新興橋の兄弟橋と言ってもいいもので、1953年にこの地で供用された。歴史的鋼橋集覧によれば、拡幅し、どこかからか再転用されたのではないかとしている。 英国系ポニーワーレントラス共通の「下弦の上に、1パネルにつき2本の横桁が乗る」というものを改造して、本来あるべき場所(画像中、赤く囲った部分)の真下に横桁をリベット留めしている。なお、この赤枠内の鉄板は強度メンバーではない。こんな歪んだメンバーがあってたまるか。 このように、下弦の内側の部材に、横桁をリベット留めしている。こうして見ていると、この横桁は、本来の横桁を転用したのではないのか、という疑念も湧いている。いままでこの横桁と同じような長方形で、縦のリブがいくつもかましてあるものは見たことがないが、縦桁を避けるようにリブがついているので、これはこれで「リブが後付けである」ということの状況証拠であり、やはり本来の横桁を流用したのかもしれない。 角度を変えてみると、横桁の作り方が、従来見てきた100フィートポニーワーレントラスの横桁と同じくコの字型の部材を背面合わせにリベット止めにした構造だ。そして、端部を下弦の内側の部材にリベット留めしている。 どのように下弦にリベット留めしているかという例。 下弦は、内外2枚の溝形鋼でできているが、そのうち内側だけに横桁の荷重がかかる。内外はピンでつながれているのだが、こういう場合、バランスが崩れたりはしないのだろうか。 反対側全景。 新興橋の記事(その6) と合わせてご覧いただきたい。 「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。 松山市内を西へ流れる石手川に架かる103フィートの橋。写真は下流側から見たもので、いままで紹介してきた英国系ポニーワーレントラスとは形態が大きく異なることがわかる。製造は、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリーだが、標準設計の「英国系」ではない。 (アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳) 北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。 この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。 プラットホームから見ると、トラス部分はこのようになっている。ホームに鎮座するトラスの部材間にはロープが張ってあり、通り抜けできないようになっている。 画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。 横桁は英国系100フィートポニーワーレントラスとは架け方も本数も異なる。かけ方は、垂直材と斜材をピン結合してあるその上に架けてある。英国系100フィートポニーワーレントラスのように1パネルの間に2本の横桁が乗る、というようなことはない。 ピン。 横桁の形状は、直線基調である。縦桁をくわえ込んでおり、縦桁の上に横枕木とレールが載っている。その縦桁は、橋梁の中央に位置している。「英国系」は、横桁の上に縦桁が乗るので、明確に構造が異なる。 これは上流側から見た橋の側面だ。 この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。 歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。
8月28日、「十二橋クルーズ+鹿島工場ツアー」に参加した。主催はイカロスの大野さんだ。ルートはこう。
【道の駅佐原→利根川→中江間閘門→中江間水路→与田浦→新左右衛門川→十二橋→加藤洲閘門(工事中で通行止め、折り返す)→与田浦→大割水路→大割閘門→常陸利根川→新横利根閘門→横利根川→横利根閘門→利根川→道の駅佐原】(上記地図はDAN杉本氏のカシミール3Dを使用して作製) 水路を行くのは初めてなので、閘門の中を行くのも初めて。ルートにはいろいろな閘門が組み込まれていたが、もっとも気になったのがこの横利根閘門だ。常陸利根川(北側)から利根川(南側)に向かって進む いや別に煉瓦だからとかそういうことではない。煉瓦ってずるい。煉瓦だというだけで取り扱いが変わる。ただの材料じゃないか。 いや、この閘門が気になったのは、他の閘門と異なり、 (謎1)観音扉のゲートだったこと (謎2)通常、閘門を挟んでゲートは1組なのだが、それが2重、すなわち4つのゲートがあっていたこと (謎3)ゲートはそれぞれ対になり、菱形をしていたこと (謎4)それぞれのゲートの高さが異なること (謎5)ゲート先端に木材が打ち付けてあること というように、やたら特殊な感じがしたのだ。門扉がこちらに突き出しているのがわかるだろうか。 位置の紹介がてら、航空写真で見てみると、その意味がわかるだろう。 「2組の菱形」の存在がわかるだろうか。左上が常陸利根川方面、右下が利根川方面である。便宜上、左上常陸利根川方から「1番ゲート」「2番ゲート」…とする。 船を近づけ、1番ゲート開扉。 1番ゲートよりも2番ゲートのほうが背が高い。 向かって右側の上にあるでかい歯車が動いている。 雨ざらしでこれが回っていることに感動する。注油も大変なんじゃないか。 ここが自動化されたのが何年、だとかいう記述をどこかで見たが、それまでは向かって左の歯車を手でキリキリ回していたのだろうか。 1番ゲート全開。 向こうに見える2番ゲートが、向こうに向かって突き出しているのがわかるだろうか。 進む。 進行方向(利根川向き)左を振り返ってみる。1番ゲートと2番ゲートの高さの差がこれだけある。 2番ゲートの先端部(画面では右側)は木製である。これが謎だった(後述)。 また、画面右側に奥行きのある窪みはなんだろう。この下部から注排水するのではないかと思う(まったくの憶測です)。 閘門内に入り、1番・2番ゲートを閉め、注水、3番ゲート開放へ。すべて手動。 通過し終わるまで、ここにこれだけ興味を持つとは思っておらず、3番・4番ゲートが閉まっている状態の写真はない。これは、開放後の、利根川に向かって右側である。 ここで、4枚のゲートのうえ、2番・。3番、すなわち利根川方のゲートのほうが高さがあることに気づいた。 文字で書くとこんな感じ。 (利根川)≪> ≪>(常陸利根川)
菱形の上に、利根川方のほうが高さがある。なぜだ。現地ではまったく疑問を解決できないまま横利根閘門を後にした。 後ろを向き、利根川から常陸利根川方向をみている。当然だが2番ゲートは閉じられている。 さて、帰宅後、この横利根閘門について検索したが、上記疑問に答えられるものは発見できなかった。wikipediaに項目があったり、香取市などのサイトで説明しているが、いずれも「複式閘門である」という記述があるのみで、まったく使えない。「複式閘門」ってなんだよ!説明しろよ! こういうことは、間違いなく、市の教育委員会もコピペでものごとを済ませている証拠である。どこのなにを引用したか書いておいてくれ。 さて、検索結果の中に、この閘門は重要文化財ということで、文化庁のサイトにはこのような記述があった。 ここでも解決せず。閘室、閘頭部は説明があり、閘門外擁壁、閘門用地は説明がなくてもわかるのだが、「複閘式閘門」、これは「複式閘門」の別名だと思うが、この説明がない。 引き続き検索し、下記のことがわかった。 (A)観音開きのゲートは「マイターゲートmiter gate」という。その由来はYahoo!の辞書のイラストがわかりやすい。 (B)マイターゲートは、水位の高い方に突き出す形で閉じる。つまり、通常は同じ方向に突き出す。理屈はこうだ。ゲートの表裏で水位に差があると水圧にも差が生じる。水位の高いほうが水圧が高いため、それを利用して密着させるために、水位の高いほうに突き出している。アーチ構造の要石の役割を水圧が果たす(ちと違うか)。 (C)ゲート端部(つまり合わせ目)には密閉度を高くするために木材を用いることがある。 (D)「利根川が増水した時に、横利根川は霞ケ浦に逆流する」(稲敷市のサイトより。原典不明)。ということは通常は常陸利根川から利根川方向に流れる(見学時には私にはどちらの水位が高いかわからなかった)。 これらから考察するに、 ・本当は、常陸利根川に向かって突き出すゲート(1番、3番)だけでいいのに、たまに利根川が逆流するから、それに対抗するような配置で利根川に向かって突き出すゲート(2番、4番)があり、結果、菱形になる。 ・そのため、ゲートの高さは1番と3番、2番と4番が同じとなっている。 ・利根川の逆流のほうが、常陸利根川からの通常の流れよりも大規模か、水位が高いため、2番・4番ゲートのほうが1番・3番よりも高い。 つまり、 ・利根川が逆流する可能性がなければ、4組のゲートではなく、ゲート2組の通常の閘門になるはずだった ということだ。すべてすっきりと解決した。 #のちに「閘頭部」を検索していたら、がーちゃんのサイトにあたった。昨日ご一緒してたじゃないか…おうかがいすればよかったよ。とほほ。 ついでに。 もう一度、地図を掲示する。 この横利根水門付近の県境のラインがおかしい。 これは、本来の横利根川に沿って県境が定められたのに、その後、川の淵側を短絡する形でこの横利根閘門が設置され、本来の川筋は埋め立てられてしまった。しかし、県境は動かさなかったため、、本来の県境がおかしな形で残ってしまったのだ…と推測する。 |
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