「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。 (アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳) 北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。 この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。 画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。 これは上流側から見た橋の側面だ。 この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。 歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。 PR
8月28日、「十二橋クルーズ+鹿島工場ツアー」に参加した。主催はイカロスの大野さんだ。ルートはこう。
水路を行くのは初めてなので、閘門の中を行くのも初めて。ルートにはいろいろな閘門が組み込まれていたが、もっとも気になったのがこの横利根閘門だ。常陸利根川(北側)から利根川(南側)に向かって進む いや、この閘門が気になったのは、他の閘門と異なり、 (謎1)観音扉のゲートだったこと (謎2)通常、閘門を挟んでゲートは1組なのだが、それが2重、すなわち4つのゲートがあっていたこと (謎3)ゲートはそれぞれ対になり、菱形をしていたこと (謎4)それぞれのゲートの高さが異なること (謎5)ゲート先端に木材が打ち付けてあること というように、やたら特殊な感じがしたのだ。門扉がこちらに突き出しているのがわかるだろうか。 位置の紹介がてら、航空写真で見てみると、その意味がわかるだろう。 「2組の菱形」の存在がわかるだろうか。左上が常陸利根川方面、右下が利根川方面である。便宜上、左上常陸利根川方から「1番ゲート」「2番ゲート」…とする。 船を近づけ、1番ゲート開扉。 向かって右側の上にあるでかい歯車が動いている。 雨ざらしでこれが回っていることに感動する。注油も大変なんじゃないか。 ここが自動化されたのが何年、だとかいう記述をどこかで見たが、それまでは向かって左の歯車を手でキリキリ回していたのだろうか。 1番ゲート全開。 向こうに見える2番ゲートが、向こうに向かって突き出しているのがわかるだろうか。 進む。 2番ゲートの先端部(画面では右側)は木製である。これが謎だった(後述)。 また、画面右側に奥行きのある窪みはなんだろう。この下部から注排水するのではないかと思う(まったくの憶測です)。 ここで、4枚のゲートのうえ、2番・。3番、すなわち利根川方のゲートのほうが高さがあることに気づいた。 文字で書くとこんな感じ。 (利根川)≪> ≪>(常陸利根川)
菱形の上に、利根川方のほうが高さがある。なぜだ。現地ではまったく疑問を解決できないまま横利根閘門を後にした。 さて、帰宅後、この横利根閘門について検索したが、上記疑問に答えられるものは発見できなかった。wikipediaに項目があったり、香取市などのサイトで説明しているが、いずれも「複式閘門である」という記述があるのみで、まったく使えない。「複式閘門」ってなんだよ!説明しろよ! こういうことは、間違いなく、市の教育委員会もコピペでものごとを済ませている証拠である。どこのなにを引用したか書いておいてくれ。 さて、検索結果の中に、この閘門は重要文化財ということで、文化庁のサイトにはこのような記述があった。 ここでも解決せず。閘室、閘頭部は説明があり、閘門外擁壁、閘門用地は説明がなくてもわかるのだが、「複閘式閘門」、これは「複式閘門」の別名だと思うが、この説明がない。 引き続き検索し、下記のことがわかった。 (A)観音開きのゲートは「マイターゲートmiter gate」という。その由来はYahoo!の辞書のイラストがわかりやすい。 (B)マイターゲートは、水位の高い方に突き出す形で閉じる。つまり、通常は同じ方向に突き出す。理屈はこうだ。ゲートの表裏で水位に差があると水圧にも差が生じる。水位の高いほうが水圧が高いため、それを利用して密着させるために、水位の高いほうに突き出している。アーチ構造の要石の役割を水圧が果たす(ちと違うか)。 (C)ゲート端部(つまり合わせ目)には密閉度を高くするために木材を用いることがある。 (D)「利根川が増水した時に、横利根川は霞ケ浦に逆流する」(稲敷市のサイトより。原典不明)。ということは通常は常陸利根川から利根川方向に流れる(見学時には私にはどちらの水位が高いかわからなかった)。 これらから考察するに、 ・本当は、常陸利根川に向かって突き出すゲート(1番、3番)だけでいいのに、たまに利根川が逆流するから、それに対抗するような配置で利根川に向かって突き出すゲート(2番、4番)があり、結果、菱形になる。 ・そのため、ゲートの高さは1番と3番、2番と4番が同じとなっている。 ・利根川の逆流のほうが、常陸利根川からの通常の流れよりも大規模か、水位が高いため、2番・4番ゲートのほうが1番・3番よりも高い。 つまり、 ・利根川が逆流する可能性がなければ、4組のゲートではなく、ゲート2組の通常の閘門になるはずだった ということだ。すべてすっきりと解決した。 #のちに「閘頭部」を検索していたら、がーちゃんのサイトにあたった。昨日ご一緒してたじゃないか…おうかがいすればよかったよ。とほほ。 ついでに。 もう一度、地図を掲示する。 この横利根水門付近の県境のラインがおかしい。 これは、本来の横利根川に沿って県境が定められたのに、その後、川の淵側を短絡する形でこの横利根閘門が設置され、本来の川筋は埋め立てられてしまった。しかし、県境は動かさなかったため、、本来の県境がおかしな形で残ってしまったのだ…と推測する。 のちに列車重量の増大等とあいまって、1915年に3連が御殿場線(当時は東海道線)の第2酒匂川橋梁下り線に、3連が上り線に転用された。『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状第2報 英国系トラスその2』(西野保行・小西純一・淵上龍雄)によれば、下り線に「六郷川より1連」という注釈がついているが、おなじハミルトン製の複線桁が3連あった現地のうち、1連だけが六郷川で、残り2連の素性が不明、ということはあるまい。おそらく、3連とも転用桁だったのだといまは思っている。 第二次世界大戦中、御殿場線は単線化されたが、第2酒匂川橋梁のうち残されたのは下り線で、上り線は1944年に撤去された。行方は知らない。下り線も、1965年に現在の桁に架け替えられた。御殿場線の橋梁群については経緯を追いづらいので、過去に書いた記事を参照していただきたい。 桁の話に戻る。上の写真のように、複線桁のうち片側にレールが敷かれ、片側は歩道になっている。レールの上には尾西鉄道1号機関車が保存してある。こちら側には銘板があるが、複製品だとどこかで読んだ記憶がある。 この桁の最大の特徴は、レールが敷かれているということと、そこに縦枕木が再現されていることだろう。 縦枕木とは、レールの真下にレールと並行して敷くもので、橋全体の構造として、両サイドのトラス桁の下弦に横桁を渡し、その上に長手方向に縦枕木を敷き、その上にレールを敷くことになる。 このような感じになる。 横桁は、上の写真でわかるとおり、魚腹型だ。 また、レールは一部に双頭レールを使用している。 そう思いながら見ていて、ふと気がついた。横桁の腹材は帯板1枚ではなく、継ぎ足されている! そして、道路側を機関車側から眺めると、なぜか1本だけ、この継ぎ足しがなされていない横桁がある! いままでレポートしてきた横桁のうち、原型をとどめるものでも、継ぎ足されたものはない。これは、複線桁で幅が広かったためにこのようにせざるを得なかったのだろうか。製造する部材の寸法の制限によるものなら、横桁中央部で接合してもよさそうな気もするが、この場所ならば応力が小さくなる、などといった効用があるのかもしれない。 トラスの端部、端柱の上のピン部分はこうだ。 こうしてみてきたが、実はトラス桁だけでなく、鈑桁も保存されている。 縦枕木は、敷設も、保存も手間がかかることだと思う。それでもこの形として見ることができるのは幸せだ。明治村は、平気で1日見学できる。また機会を設けて行ってみたい。
8月22日(日)・23日(月)と、東京から高崎・六日町・犀潟・富山・岐阜・天竜二俣・東京、というルートでぐるりと一周してきた。22日の朝、高崎駅のトイレを出たところでふと窓の外を見ると、そこには古い跨線橋があり、その骨組みはプラットトラスの構造ではないか。
跨線橋とて「橋」である。人が歩く部分の桁をどう支えるか、という観点で見ると、トラス桁のものとビーム桁のものがある。もしかすると最近は張殻構造なんてのもあるかもしれない(妄想)。また、横桁がどこにあるのかも意識するとおもしろい。 ここでプラットトラスになっているのはなぜなんだろう。活荷重は小さいので、構造計算しやすいとか。あるいは、レールみたいな軟らかい部材を使うから、斜材に引張力のみが働くプラットトラスになっているとか(ワーレントラスは、斜材にかかる力は引張力/圧縮力/引張力…と交互になる。レールは、5mもあれば、私が乗るだけでぐにゃりと曲がるくらい軟らかい)。そちら方面はまったくわからないので、なぜプラットトラスなのか、正確な理由は分からない。 そういう目で見ると、この高崎の跨線橋は、7パネルなのに、向かって左にズレて、中央パネル部分の斜材がクロスしている。ということは、向かって左側の向こうになおもう1パネル分、あったのかもしれな。この跨線橋は上弦材と斜材がレールで組まれ、下弦材は断面が形鋼(C型チャンネル?)に見える。なお、横桁がどこにあるか、写真からはわからなかった。 さて、高崎で突如目覚め、できる範囲でトラス桁の跨線橋の写真を撮ってみた。また、帰宅後、過去に撮った写真で跨線橋が写っているものをいくつか抜き出してみた。 よく見ると、横桁は下部のガセットで結合されてはおらず、1パネルあたり2本の横桁が、なんらかの構造で下弦とくっついているようだ。 高山本線笹津駅。こちらは2連の構造となっていて、向かって右が4パネル、左が7パネル。左の方の中央格間の斜材はレールではなく帯板だ。たしかに、もっとも大きな力がかかるのは端部の斜材である。横桁は、下部のガセット部分に結合されているようだ。 橋脚は端柱を兼ねている、ということはこれはラーメン構造の要素もあるというのか? そういう分類をしていいかどうかは、私にはわからない。 この、すばらしく「まもなく消失する雰囲気」を醸し出しているのは富山駅の跨線橋。いま、富山駅は新幹線開通に向けての工事がたけなわであり、遠からずこの跨線橋も姿を消すだろう。 見事に古レールを大活用して作られた、8パネルの跨線橋。1パネルにつき2本、横桁(レール)が乗っていて、その上にコンクリートで床版が打ってある。木造の側壁は完全に雨よけに過ぎない。 また、内部をご覧いただければわかるとおり、こちらも上横構がない、といっていい。曲線を描くのは、単に屋根を支えているだけではないか。 以上、手持ちの写真でつらつらと考えてみた。これからは跨線橋の写真を「きちんと」撮ってみようかと思う。膨大な数が、まだまだ間に合うはずだ。 |
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