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「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。

20100830-01.JPG松山市内を西へ流れる石手川に架かる103フィートの橋。写真は下流側から見たもので、いままで紹介してきた英国系ポニーワーレントラスとは形態が大きく異なることがわかる。製造は、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリーだが、標準設計の「英国系」ではない。

(アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳)


20100830-02.JPG
北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。

この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。だから、本来必要とされる幅以上の広さを持つといっていい。ただし、橋の部分にまでホームが延長されたのは後年だとどこかで読んだ気がする。開業2年後の1974年の航空写真でも、ホームはないように見える。レールは橋梁の中央部分に敷かれているので、ホームがあるからと言ってトラス側に寄ったりしているわけではない。

20100830-03.JPGプラットホームから見ると、トラス部分はこのようになっている。ホームに鎮座するトラスの部材間にはロープが張ってあり、通り抜けできないようになっている。

画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。

20100830-05.JPG横桁は英国系100フィートポニーワーレントラスとは架け方も本数も異なる。かけ方は、垂直材と斜材をピン結合してあるその上に架けてある。英国系100フィートポニーワーレントラスのように1パネルの間に2本の横桁が乗る、というようなことはない。

20100830-04.JPGピン。

20100830-06.JPG横桁の形状は、直線基調である。縦桁をくわえ込んでおり、縦桁の上に横枕木とレールが載っている。その縦桁は、橋梁の中央に位置している。「英国系」は、横桁の上に縦桁が乗るので、明確に構造が異なる。

20100830-07.JPG
これは上流側から見た橋の側面だ。



この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。

歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。
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8月28日、「十二橋クルーズ+鹿島工場ツアー」に参加した。主催はイカロスの大野さんだ。ルートはこう。

sawara_map.jpg【道の駅佐原→利根川→中江間閘門→中江間水路→与田浦→新左右衛門川→十二橋→加藤洲閘門(工事中で通行止め、折り返す)→与田浦→大割水路→大割閘門→常陸利根川→新横利根閘門→横利根川→横利根閘門→利根川→道の駅佐原】(上記地図はDAN杉本氏のカシミール3Dを使用して作製)

水路を行くのは初めてなので、閘門の中を行くのも初めて。ルートにはいろいろな閘門が組み込まれていたが、もっとも気になったのがこの横利根閘門だ。常陸利根川(北側)から利根川(南側)に向かって進む

20100829-01.JPGいや別に煉瓦だからとかそういうことではない。煉瓦ってずるい。煉瓦だというだけで取り扱いが変わる。ただの材料じゃないか。

いや、この閘門が気になったのは、他の閘門と異なり、

(謎1)観音扉のゲートだったこと
(謎2)通常、閘門を挟んでゲートは1組なのだが、それが2重、すなわち4つのゲートがあっていたこと
(謎3)ゲートはそれぞれ対になり、菱形をしていたこと
(謎4)それぞれのゲートの高さが異なること
(謎5)ゲート先端に木材が打ち付けてあること

というように、やたら特殊な感じがしたのだ。門扉がこちらに突き出しているのがわかるだろうか。

位置の紹介がてら、航空写真で見てみると、その意味がわかるだろう。


「2組の菱形」の存在がわかるだろうか。左上が常陸利根川方面、右下が利根川方面である。便宜上、左上常陸利根川方から「1番ゲート」「2番ゲート」…とする。

船を近づけ、1番ゲート開扉。
20100829-02.JPG1番ゲートよりも2番ゲートのほうが背が高い。

向かって右側の上にあるでかい歯車が動いている。
20100829-05.JPG
雨ざらしでこれが回っていることに感動する。注油も大変なんじゃないか。

ここが自動化されたのが何年、だとかいう記述をどこかで見たが、それまでは向かって左の歯車を手でキリキリ回していたのだろうか。

1番ゲート全開。
20100829-03.JPG
向こうに見える2番ゲートが、向こうに向かって突き出しているのがわかるだろうか。

進む。

20100829-06.JPG進行方向(利根川向き)左を振り返ってみる。1番ゲートと2番ゲートの高さの差がこれだけある。

2番ゲートの先端部(画面では右側)は木製である。これが謎だった(後述)。

また、画面右側に奥行きのある窪みはなんだろう。この下部から注排水するのではないかと思う(まったくの憶測です)。

20100829-07.JPG閘門内に入り、1番・2番ゲートを閉め、注水、3番ゲート開放へ。すべて手動。


20100829-08.JPG通過し終わるまで、ここにこれだけ興味を持つとは思っておらず、3番・4番ゲートが閉まっている状態の写真はない。これは、開放後の、利根川に向かって右側である。

ここで、4枚のゲートのうえ、2番・。3番、すなわち利根川方のゲートのほうが高さがあることに気づいた。

文字で書くとこんな感じ。

(利根川)≪>   ≪>(常陸利根川)

菱形の上に、利根川方のほうが高さがある。なぜだ。現地ではまったく疑問を解決できないまま横利根閘門を後にした。
20100829-10.JPG後ろを向き、利根川から常陸利根川方向をみている。当然だが2番ゲートは閉じられている。





さて、帰宅後、この横利根閘門について検索したが、上記疑問に答えられるものは発見できなかった。wikipediaに項目があったり、香取市などのサイトで説明しているが、いずれも「複式閘門である」という記述があるのみで、まったく使えない。「複式閘門」ってなんだよ!説明しろよ! こういうことは、間違いなく、市の教育委員会もコピペでものごとを済ませている証拠である。どこのなにを引用したか書いておいてくれ。

さて、検索結果の中に、この閘門は重要文化財ということで、文化庁のサイトにはこのような記述があった。橋長強調磯部。
(近代化遺産)
4 横利根閘門(よことねこうもん)  一構(ひとかまえ),   閘室(こうしつ),閘頭部(こうとうぶ),閘門外擁壁(こうもんがいようへき),閘門用地(こうもんようち)
茨城県稲敷郡東町西代(いなしきぐんあずままちにししろ)地先 国(建設省), 横利根閘門は,利根川と常陸利根川を結ぶ横利根川の南端,利根川との合流点近くに位置している。横利根閘門は,水位調節時の停船場となる閘室と,その両端で門扉を収容する閘頭部からなる。明治33年から昭和5年にかけて行われた,内務省直轄の利根川改修工事で建設された。工事は中川吉造(きちぞう)を中心に進められ,大正3年8月に起工,大正10年3月に竣工した。以後,横利根川や,霞ヶ浦沿岸地域の治水,及び利根川流域の舟運発達と地域経済の活性化に大きく寄与した。, 横利根閘門は,利根川改修工事における,代表的土木構造物の一つである。設計及び施工の水準が高く,我が国で最大級の規模を持つ煉瓦造,両端を内開きと外開きの二重の門扉とした複閘式(ふっこうしき)閘門である。土木技術史上,煉瓦造閘門の,一つの到達点を示す遺構として,重要である。,,,○指定基準=技術的に優秀なもの,及び歴史的価値の高いもの
ここでも解決せず。閘室、閘頭部は説明があり、閘門外擁壁閘門用地は説明がなくてもわかるのだが、「複閘式閘門」、これは「複式閘門」の別名だと思うが、この説明がない。


引き続き検索し、下記のことがわかった。

(A)観音開きのゲートは「マイターゲートmiter gate」という。その由来はYahoo!の辞書のイラストがわかりやすい。
(B)マイターゲートは、水位の高い方に突き出す形で閉じる。つまり、通常は同じ方向に突き出す。理屈はこうだ。ゲートの表裏で水位に差があると水圧にも差が生じる。水位の高いほうが水圧が高いため、それを利用して密着させるために、水位の高いほうに突き出している。アーチ構造の要石の役割を水圧が果たす(ちと違うか)。
(C)ゲート端部(つまり合わせ目)には密閉度を高くするために木材を用いることがある。
(D)「利根川が増水した時に、横利根川は霞ケ浦に逆流する」(稲敷市のサイトより。原典不明)。ということは通常は常陸利根川から利根川方向に流れる(見学時には私にはどちらの水位が高いかわからなかった)。

これらから考察するに、
・本当は、常陸利根川に向かって突き出すゲート(1番、3番)だけでいいのに、たまに利根川が逆流するから、それに対抗するような配置で利根川に向かって突き出すゲート(2番、4番)があり、結果、菱形になる。
・そのため、ゲートの高さは1番と3番、2番と4番が同じとなっている。
・利根川の逆流のほうが、常陸利根川からの通常の流れよりも大規模か、水位が高いため、2番・4番ゲートのほうが1番・3番よりも高い。

つまり、

・利根川が逆流する可能性がなければ、4組のゲートではなく、ゲート2組の通常の閘門になるはずだった

ということだ。すべてすっきりと解決した。


#のちに「閘頭部」を検索していたら、がーちゃんのサイトにあたった。昨日ご一緒してたじゃないか…おうかがいすればよかったよ。とほほ。



ついでに。

もう一度、地図を掲示する。


この横利根水門付近の県境のラインがおかしい。

これは、本来の横利根川に沿って県境が定められたのに、その後、川の淵側を短絡する形でこの横利根閘門が設置され、本来の川筋は埋め立てられてしまった。しかし、県境は動かさなかったため、、本来の県境がおかしな形で残ってしまったのだ…と推測する。




20100826.jpg鉄建公団!
なんというシンプルな構造!


本当は石手川橋梁について書くつもりが、眠気のため延期。

IMG_5997_R.JPG愛知県の、博物館明治村に、この30フィート複線ポニーワーレントラスはある。東京・神奈川県境の六郷川(多摩川下流の別称)に6連の複線桁として架かっていた。右75度の斜橋である。1875年、イギリスのハミルトン製。

のちに列車重量の増大等とあいまって、1915年に3連が御殿場線(当時は東海道線)の第2酒匂川橋梁下り線に、3連が上り線に転用された。『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状第2報 英国系トラスその2』(西野保行・小西純一・淵上龍雄)によれば、下り線に「六郷川より1連」という注釈がついているが、おなじハミルトン製の複線桁が3連あった現地のうち、1連だけが六郷川で、残り2連の素性が不明、ということはあるまい。おそらく、3連とも転用桁だったのだといまは思っている。

第二次世界大戦中、御殿場線は単線化されたが、第2酒匂川橋梁のうち残されたのは下り線で、上り線は1944年に撤去された。行方は知らない。下り線も、1965年に現在の桁に架け替えられた。御殿場線の橋梁群については経緯を追いづらいので、過去に書いた記事を参照していただきたい。


桁の話に戻る。上の写真のように、複線桁のうち片側にレールが敷かれ、片側は歩道になっている。レールの上には尾西鉄道1号機関車が保存してある。こちら側には銘板があるが、複製品だとどこかで読んだ記憶がある。
IMG_6000_R.JPGこれが向かって右。

IMG_6003_R.JPGこれが向かって左である。


この桁の最大の特徴は、レールが敷かれているということと、そこに縦枕木が再現されていることだろう。

縦枕木とは、レールの真下にレールと並行して敷くもので、橋全体の構造として、両サイドのトラス桁の下弦に横桁を渡し、その上に長手方向に縦枕木を敷き、その上にレールを敷くことになる。

このような感じになる。

IMG_5988_R.JPG

横桁は、上の写真でわかるとおり、魚腹型だ。

IMG_6011_R.JPG



また、レールは一部に双頭レールを使用している。



IMG_6022_R.JPGIMG_6032_R.JPG移設の際なのか、御殿場線として供用されていた際なのか不明だが、相当に補修の手が入っている。リベットがボルト留めに変更されている部分が多い。リベットでないと、非常に目にうるさい。

そう思いながら見ていて、ふと気がついた。横桁の腹材は帯板1枚ではなく、継ぎ足されている!

IMG_6022-1.jpg

そして、道路側を機関車側から眺めると、なぜか1本だけ、この継ぎ足しがなされていない横桁がある!

IMG_6004-1.jpg
いままでレポートしてきた横桁のうち、原型をとどめるものでも、継ぎ足されたものはない。これは、複線桁で幅が広かったためにこのようにせざるを得なかったのだろうか。製造する部材の寸法の制限によるものなら、横桁中央部で接合してもよさそうな気もするが、この場所ならば応力が小さくなる、などといった効用があるのかもしれない。


トラスの端部、端柱の上のピン部分はこうだ。
IMG_6038_R.JPGピン周辺のリベットの打ち方の差は、今後の研究課題。おそらく、メーカーにより差異があるのだろうとは思うが、サンプルがあまりに少ない。


IMG_5978_R.JPG反対側から見る。

IMG_6067_R.JPG外側から(道路側)から見る。こうしてみると、下弦とピンを接続する部分の、ピンを締めるナットの下の板の形が、それぞれの場所で異なる。回転してしまうようなものでもあるまいに、径間中央部は左右対称で、端部に行くほど端部側が長くなっている。




こうしてみてきたが、実はトラス桁だけでなく、鈑桁も保存されている。

IMG_6043_R.JPGこの鈑桁が、はたして六郷川にかかっていたものが酒匂川に転用され、そのままここに至ったものなのか、それともどこかから紛れ込んでしまったのか、現地には解説がなかったので不明だ。


縦枕木は、敷設も、保存も手間がかかることだと思う。それでもこの形として見ることができるのは幸せだ。明治村は、平気で1日見学できる。また機会を設けて行ってみたい。

8月22日(日)・23日(月)と、東京から高崎・六日町・犀潟・富山・岐阜・天竜二俣・東京、というルートでぐるりと一周してきた。22日の朝、高崎駅のトイレを出たところでふと窓の外を見ると、そこには古い跨線橋があり、その骨組みはプラットトラスの構造ではないか。

6e8a9063.JPG跨線橋、とくに古レールを使ったものは当然、トラス構造であることくらい、誰もがわかっていることだろうが、そのトラスの組み方が突然、目に入ってきた。



跨線橋とて「橋」である。人が歩く部分の桁をどう支えるか、という観点で見ると、トラス桁のものとビーム桁のものがある。もしかすると最近は張殻構造なんてのもあるかもしれない(妄想)。また、横桁がどこにあるのかも意識するとおもしろい。

ここでプラットトラスになっているのはなぜなんだろう。活荷重は小さいので、構造計算しやすいとか。あるいは、レールみたいな軟らかい部材を使うから、斜材に引張力のみが働くプラットトラスになっているとか(ワーレントラスは、斜材にかかる力は引張力/圧縮力/引張力…と交互になる。レールは、5mもあれば、私が乗るだけでぐにゃりと曲がるくらい軟らかい)。そちら方面はまったくわからないので、なぜプラットトラスなのか、正確な理由は分からない。


そういう目で見ると、この高崎の跨線橋は、7パネルなのに、向かって左にズレて、中央パネル部分の斜材がクロスしている。ということは、向かって左側の向こうになおもう1パネル分、あったのかもしれな。この跨線橋は上弦材と斜材がレールで組まれ、下弦材は断面が形鋼(C型チャンネル?)に見える。なお、横桁がどこにあるか、写真からはわからなかった。



さて、高崎で突如目覚め、できる範囲でトラス桁の跨線橋の写真を撮ってみた。また、帰宅後、過去に撮った写真で跨線橋が写っているものをいくつか抜き出してみた。

P8230423nakakawabe_R.JPG高山本線中川辺駅な6パネルのプラとトラス。見事。屋根や側壁は、単なる雨よけで、構造物になっていない。

よく見ると、横桁は下部のガセットで結合されてはおらず、1パネルあたり2本の横桁が、なんらかの構造で下弦とくっついているようだ。


9aa54ccc.JPG
高山本線笹津駅。こちらは2連の構造となっていて、向かって右が4パネル、左が7パネル。左の方の中央格間の斜材はレールではなく帯板だ。たしかに、もっとも大きな力がかかるのは端部の斜材である。横桁は、下部のガセット部分に結合されているようだ。

橋脚は端柱を兼ねている、ということはこれはラーメン構造の要素もあるというのか? そういう分類をしていいかどうかは、私にはわからない。


9b172e20.JPG
この、すばらしく「まもなく消失する雰囲気」を醸し出しているのは富山駅の跨線橋。いま、富山駅は新幹線開通に向けての工事がたけなわであり、遠からずこの跨線橋も姿を消すだろう。

見事に古レールを大活用して作られた、8パネルの跨線橋。1パネルにつき2本、横桁(レール)が乗っていて、その上にコンクリートで床版が打ってある。木造の側壁は完全に雨よけに過ぎない。


IMG_7080shimodate_R.JPG水戸線下館駅。全体は写っていないが、ほぼわかろう。6パネルである。注目したいのは、斜材が対角線を通っていないように見えること。いや、正確には正方形に近い形で連続していて、垂直材が天方向に突き出してそれが屋根を支えている。これも、横桁は下部のガセット部分にはなく、下弦に1パネルあたり2本、レールを使った横桁が載っているという、100フィート英国系ポニーワーレンかのような構造をしている。

P8220294yatsuo.JPG高山本線越中八尾駅。5パネルのプラットトラス。横桁はきちんと格点間をつないでいる。


IMG_0846yengaru_R.JPGこれは、外見の写真がないが、北海道の石北本線遠軽駅の跨線橋の内部。プラットトラスだ。きちんと上横構もある。


IMG_0829honbetsu_R.JPGいまはなき、北海道のちほく高原鉄道の本別駅にあったもの。これはワーレントラスだ。下弦は帯材、それほどの荷重負担は課せられてないようだ。横桁は下部のガセットに結合されている。

IMG_0796ochiai_R.JPG根室本線の落合駅の跨線橋内部。これはワーレントラスである。上横構がない。




P8140090saigata_R.JPG信越本線犀潟駅。形鋼を利用して桁をつくり、その上にプレハブのような通路がかぶさっている。


c60c9562.JPG7f2afd5d.JPG高山本線下呂駅。高山本線の跨線橋は大きく分けて3タイプあるようだった。先に紹介したプラットトラスのもの。近年設置されたらしい、このような形鋼を利用した者。もうひとつは、屋根もない、道路の歩道橋みたいなタイプである。

また、内部をご覧いただければわかるとおり、こちらも上横構がない、といっていい。曲線を描くのは、単に屋根を支えているだけではないか。


5db612a4.JPG高山本線角川駅。こちらも形鋼で桁を作っているので、よく似ている。



以上、手持ちの写真でつらつらと考えてみた。これからは跨線橋の写真を「きちんと」撮ってみようかと思う。膨大な数が、まだまだ間に合うはずだ。



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