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日立8ミリビデオ(Hi8)カメラ「はなれワザ」VM-H200L

独言・日記


いまやアクションカメラなど誰でも入手でき、新たな映像表現が日々生まれているが、かつてはウエアラブルカメラといえば特殊なもので、高価だった。そんな中で、日立が発売していたHi8ビデオカメラ「はなれワザ」は、カメラ部を切り離せる画期的な商品だった。


1995年5月17日の、VM-H100Lのプレスリリース
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/9505/0517.html

1996年7月11日の、VM-H200Lのプレスリリース
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/9607/0711.html

おそらくこの2機種しかない。テープナビゲーション機能をビデオカメラに初搭載、クラス最大液晶などもうたっていた。

テレビCMがyoutubeにアップされていた。CMをしていたのか!


 
裏面。Joy&Free、というのがキャッチコピーのようだ。

 
カメラは防水構造で本体に固定もでき、かつ回転できる。また、カメラは本体からコードごと取り外すことができ、そうすると本体は「液晶つき再生デッキ」となる。

 
当時ゆえ、アナログアンテナを装備し、テレビも見ることができた。


リチウムイオン電池は7.2V、1300mAhと2700mAh。

 
 
AC電源は、充電器からコネクタをつなぐのだが、本体側はこんな形をしている。本体は5+3ピンだが、コード側は5ピンしかない。この3ピンは何用だろう?

 
 
映像・音声出力のコネクタの形状も特殊。S端子も一体になっていて、本体側は20ピン。

 
 
 
まだまだアナログの時代。取扱説明書には、外部入力端子がないテレビへの接続方法も書いてある。同軸ケーブルにアダプターをとりつける方法も書いてある。私などには見慣れたアダプターも、そういう経験のない人にはすごくハードルが高かったことだろう。


仕様。

 
 
このビデオは、友人が初期型のVM-H100Lを持っていたので真似して買ったものだ。何に使っていたかというと、こうしてヘルメットにとりつけて、バイクのレースやアタックの走行動画を撮っていた。といっても、撮ったのは全部で120分テープ数本程度。そのうちDVDに焼いてあるのは1本だけ。あとはもう見ることができなくなってしまった。



このほかに、上の、レースに出ているときのテープもあるはずで、そこには、かなりの急坂を登り切ったところでバイクだけが向こうに行ってしまうというPOVならではのものが映っているのだが、残念ながらテープのままだ。本機が動かない以上、もうそのままになるに違いない。

ついでに言えば、この、会社所有の93年型CRM250Rは、このとき既にエンジンと冷却水のパイプの接続部がはずれており、水蒸気を吹き出しながら飛んでいく。しかし、乗っているぼくはそれに気づかずそのまま走り続けてしまい、エンジン抱きつきとなった。会社としては修理もしないし不要ということで、そのままぼくの友人のもとに部品取りとしてもらわれていった。上は、その最後の雄姿である。

おまけ。
 

取説が入っていたファイルは、石丸電気の「ISHIMARU FILE」だった。1991年3月に上京した当時、家電をいくつかまとめ買いしたときにもらったものだ。もう不要になったものは処分しながら、新しい家電を買うたびにいまも使っているのだけれど、この「はなれワザ」の取説は残しておいてあった。石丸電気も、もう歴史の中のものになってしまった。


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川崎近海汽船 宮古~室蘭航路 宮古港の記録

港湾

 
宮古復興の目的も持ち、2018年6月22日から運航を始めた宮古~室蘭間の川崎近海汽船の航路。私用するフェリーは「シルバークイーン」。かつて八戸~苫小牧航路の深夜の便に使っていた船だ。2020年3月末で八戸~室蘭に短縮されるため、2月初頭に友人と3人で乗りに行った。

 
クルマで早朝に宮古港に着き、車中で仮眠を取った。7時15分頃に起きて外を見ると、大きな船体がもう見えていた。宮古着は時刻表では7時55分だが、それよりも早い到着だ。見ると、港内にタグボート「岩手丸」が待機している。シルバークイーンが港内に入ると動き出し、岸壁近くでターンすると、いっしょにターンする。

 
乗船すると、船体を岸壁に押しつけていた。ボーディングブリッジをつけることができないくらいのうねりがあったためだろうか。

ちょっと時間を戻って。
 
着岸し、ランプが降りると、清掃の人たちが20人くらい乗り込んでいった。

 
 
宮古港は、とにかくきれいだった。

 
 
売店もいろいろなものが売っている。それだけでなく、食事もとれる。かき揚げうどんを注文。

 
この日はうねりがあり、ボーディングブリッジがつけられないため、徒歩乗船の客はバスで乗船。とはいえ、客はぼくら3人のみ。


 
 
徒歩乗船だが、車両甲板から。

 
 
宮古港。

 
 
定刻の9時25分には出港。



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灯台もと暗し 実家から徒歩圏内のバツ型

木製扉の菱形・バツ形等

 
新潟駅から万代橋を渡り、花町あたりをうろついていると、ふと木造の倉庫が目に留まった。こんなところにこんな倉庫あったっけな…と思って見ると、なんとバツ形の扉が!

 
右にスライドする1枚戸のようだ。それにしても、戸は相当に高い位置にある。どういう理由でこの高さにあるんだろう。ひさしには玄関灯が二つ。

 
反対側。煉瓦製の防火壁。これはマンション側の設備か。




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デイパックや登山用品雑感

独言・日記

長年、通勤はトートかショルダーだったのだけれど、帰り道に歩くこともあるのでリュック型にしたくて。とはいえ、登山タイプは頑丈だけれどもストラップが多くゴツいのがイヤで、かつ小さいの…10L程度のがよくて。
 
カンケンのキッズとかちょうどいい大きさだけれど、あまりにみんなが持っている(いた)のと、品質と価格の差がある感じがして。とりあえずしばらくは娘が中学生のころ使ってた、袋にショルダーストラップがついただけ、みたいなのを使っていた。柄はヒッコリー。
 
11月半ばにmozのハンズオリジナルというのを見かけて、これはいいと購入。ところが、20回も使っていないのに、ショルダーストラップの縫製がほつれた。無理な使い方はしていないので、単純に品質の問題。ちょっと残念な気持ち。もう2カ月も前出しレシートもないけれども、ダメ元でハンズに相談したら、「展示品限りしか在庫がないのですが…」とのことだけれども交換してくれた。よかった。



 
かといって、「やはり登山用に限るな!」とはならない。例えば、カリマーのデイパック。

これは重いものを入れたりパンパンにしたりと過酷な使い方もしたけれども、ここがほつれる? 実用的には、ここがもっとほつれても背負えなくなることはあるまいが、非常によろしくない。



これもカリマー、ZOOMというリュックにもなるウエストバッグ。数年でウエストバッグ下部が避けた。カリマーですよ。そりゃ、あれだけ高かった80年代のカリマーと、お手頃価格になったいまのカリマーは違うのだと思うけれど、登山用品メーカーと思ってもこんなものか。(このZOOMはたぶん2000年代前半くらいに買って、破れてからはずっと保管してあったのだけれど、さっき出して見たら内側が加水分解でベタベタになっていたので処分するしかないな)
 
こうなると、あれだけ雑に扱ってもびくともしなかった、高校時代の通学に使っていたタウチェのシンプルさが懐かしい。90年代後半はツーリング時の工具入れにしていて、たしかトランポ内で泥々にしてしまって処分した気がする。いま復刻版が倍くらいの価格で売っていますが。
 



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14部屋あった旧実家の新築時の間取り図

記憶

一昨年に父が亡くなるのに前後して、実家では思わぬものが出土したりしていた。そのなかに、ぼくの旧実家の、昭和5年に建てたときの間取り図があった。

その旧実家はおもしろい造りをしており、3世帯が住んでいた。ぼくの家族(祖母は二女・5人)、大叔母(五女)とその息子(2人)、大叔母(七女・独身、1人)である。風呂は一つ、トイレは二つ、階段は三つあった。加えて、実家は文房具や駄菓子、雑貨を扱う店をしていた。その建物は昭和56年に解体され、いまの家が建った。

とはいえ、ぼくが暮らした旧実家は、実は昭和42年頃に父母の結婚に合わせて内部を改造した後の姿。ここでご覧に入れるのは、昭和5年に新築した当時の間取りである。戦後に1階の表の部屋を店舗に改造している。

 
上の図でいうと、Aが磯部家、B・Cは親戚等に貸していた。いくつか入れ替わりがあったようで、最終的には上述の通り、B(2階のみ)に大叔母(七女)、Cに大叔母(五女)とその息子が住んでいた。

さて、単純に間取り図を見ると、14部屋ある。カッコ内は改造後の姿だ。6畳と4畳半が目立つ。押入は少ない。ぼくの家である「A」の廊下が広く、1間ある。たしかにそれくらいあった。余分なスペースは物置になっていたと思う。残念ながら、家の中の写真は残っていない

3月26日付の、新潟県による建築認可証の印が残っている、



ぼくは10歳まで旧実家に住んでいた。ふと気づいたのだが、新築後の家は浪人生のときまでなので、旧実家で暮らした時間のほうがわずかに長い。

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デリカート

未選択

右膝日記のとおり、入院していた。病棟での食事はパナソニック電工の「デリカート」という電動補助カートで配られていた。なかなかおもしろいものだったので記録しておく。


病院食は、このようにトレーが二つに分かれ、片方(写真では右)に温かいもの、他方(左)には冷たいものがセットされる。何百食も、それも患者個人個人の状況に応じて作るために、セットするだけでも相当な時間がかかるだろう。セットできたものから、それぞれ保温・保冷する必要がある。

そこで、保温・保冷ができる、デリバリーカートの登場だ。


シチサン写真。「前」。全面上部についているのはカメラ。側面上部には放熱用の穴。


カメラ。

 
反対側。側面上部にはパネル。後述。

 押す側。上部に前面カメラからの映像を映すモニタ、中部にハンドル。おそらく「押し下げて移動・バネで水平に戻すとブレーキ」などとなっているのだろう。

 
 
メインスイッチはキー。また、表示から、バッテリーを積んでいることがわかる。

 
側面。左右で見ると、トレーは3列収納できる。

 
側面。NFブレーカー、AC200Vの入力、庫内温度の設定。トレーを収納する扉には「保温」「保冷」と書いてある。この写真は「1」と「2」の間だが、「左:保温、右:保冷」の観音扉を開けると、トレーを取り出せるようになっている。

コンセントは、上の「押す側」の写真で壁から出ているコードが見える。


適温配膳車 デリカート
品番 CD1048FP

食事のトレーは、保温・保冷部分それぞれトレーごと温かく・冷たくなっているので、トレーの棚自体が保温・保冷になっているのだろう。




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ジェイ・ダイナーの思い出(乗務行路2)

鉄道

ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)
ジェイ・ダイナーの思い出(乗務行路1)
の続き。

こちらは1994年3月改正の行路である。「のぞみ」は毎時1本の博多行きである。このときから「こだま」のビュフェ・車販営業は東京~名古屋間となり、名古屋泊の行路ができた。それまでも、名古屋営業所持ちの「こだま」はあったが、バイトは乗務していなかった。

 
28・29行路は朝イチの列車のために、前日の行路から「着前泊」、つまり東京の寮に泊まっての1泊2日2往復の行路だったが、現実としてそんな行路に入るバイトはほとんどおらず、それぞれ単独の行路として乗務した。401Aなどどうやって乗務していたのか記憶がないが、東京クルーセンターの事務所を当直が開けるのが6時だった気がする。走っていったのかもしれない。ただ、事務所に泊まって翌朝乗務するバイトもいた。



大阪での折り返しは、時間がないときは「基地」で弁当をもらう。あるときは、社員といっしょにマイクロバスで西中島南方にある大阪営業所に行き、そこの4階の食堂で賄いを食べる。たまに弁当が足りないときがあり、そういうときは550円までだっけな、領収証を切ってよかった。

上の写真が「基地」の様子。正確に言えば「基地内の休憩室」。「基地」はワゴンに積む商品とワゴンが並んだ場所だ。上の写真は、リネンが足りなくなって、古い制服を着ている(黄色いエプロンとチェックの帽子だけが当時の制服)。右端に弁当が見える。


基地の弁当を食べているバイトたち。女性の制服は当時のもの。

名古屋での折り返しはどうだったか。この行路表によれば弁当が出ているが、ちょっと記憶がない。
 


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ジェイ・ダイナーの思い出(乗務行路1)

鉄道

ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)
の続き。

もう公開しても差し支えないだろうと思うので公開する。

もっとたくさん持っていたと思うのだけれど、アルバイト(「東京クルーセンター」に所属する「メイツ」といった)行路表が2枚、出てきた。クリックで元画像に飛ぶので、拡大してじっくりご覧いただきたい。

まず、平成5年3月改正対応版(4月16日修正)。それまで朝晩、東京~新大阪の2往復だった「のぞみ」が、毎時1本、東京~博多間を運転するダイヤとなったときだ。バイトが乗るのはほぼ「ひかり」「こだま」で、一部「のぞみ」がある。「のぞみ」は女性しか乗務できなかったが、稀にどうしても人手が不足したときは男性を乗せた。

種別は列車番号でわかる。この頃は、
1~ 「のぞみ」博多
301~ 「のぞみ」新大阪
31~ 「ひかり」博多
81~ 「ひかり」広島
101~ 「ひかり」0系新大阪
201~ 「ひかり」100系新大阪
401~ 「こだま」
となっていた。
 
「編成」のGは100系カフェテリア、Xは100系X食堂車あり、(ここにはないが)Vは100系グランドひかり、N・Hは食堂車のある0系、Yはこだま用0系(ビュフェが5号車にある)、F・Jは300系「のぞみ」。イレギュラーな行路として、92Aは、本来は0系食堂車のみに乗務する広島営業所がG編成を担当している。そういうときは、カフェテリアに0系の商品が並ぶ。例えば、カフェテリアのジュースは「キリンHYPER70」だが、それは売らずに「POMつぶオレンジ」「POMつぶグレープ」を売る、という具合に。

「担当」は営業所(バイトとは無関係)。「釣り銭」「ワゴン」「(コーヒー用)ポット」とは、G編成において、ワゴン・釣り銭・ポットごと乗り降りするもの。東京と大阪にそれぞれ「基地」があり、1日にやりとりする本数が決まっていた。もちろん、出る数と受ける数は同じになる。それ以外の行路は、社内のワゴン使い、社員が持ち込んだポットでワゴンを仕立て、社員から釣り銭を預かり、販売後に釣り銭と売り上げをすべて社員に渡す。

時刻のところに▲印があるのは、泊まりの行路。泊まりの様子についてはジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)を参照。

列車番号が6000番台の列車、つまり季節運転の列車もいくつかある。運転しない日は、別の列車に乗っていく。その場合、所定2名を4名にしたりする。逆に、人手が足りない場合は、所定4名のところを3名、2名にしたりする。0系「ひかり」と「こだま」は割を食うことが多かった。なぜなら、0系「ひかり」は食堂車があり、乗務する社員の人数も多いため、なんとかなるのだ。100系G編成は社員は2名しか乗らないため、カフェテリアの売店しか稼働できなくなる。もっとも、どうしてもという場合は、売店を1人にしてA車だけ販売に行ったり、グリーン車のスタッフ(社員)がカゴで弁当類のみ売りにいくこともあった。

 
上記行路に対応する、「のぞみ」社員乗務員の行路表(1993年5月)。23班で回している。200番台は「ひかり」G編成乗務。「分割」は列車がないので他の列車に回る。ほとんどは日帰りか1泊だが、中には2泊3日の行程も見える。「のぞみ」社員乗務員は「東京クルーセンター」に所属していた。

 
こちらは「G編成」社員乗務員の行路表(1993年5月)。こちらは17班で回している。バイトはこうした表を社員から入手し、「誰の列車に乗るか」を決めることもあった。単に「あの人は優しいから」ということもあれば、「お目当ての人」を追いかける人もいた。逆に「あの人はうるさい」と避けることもあった。こちらの社員は「東京営業所」所属だった。

続く。




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謹賀新年

独言・日記


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2019年『轍のあった道』アワード

独言・日記

今年は94本の記事を書いた。2018年が280本、最初に書いた2013年は280本。でかける回数が減っているのか、自分が「書く」ということに変な意識…「書かなくてもいいや」と思っているのかは定かでないが、それでも3.5日に1本は書いているということなので、まずまずとは思う。

写真を振り替えると、カメラを構えて撮ったものよりも、スマホで街中を適当に撮ったもののほうが、その時ならではの雰囲気があっていい。よく言われることだが、例えば鉄道写真では、往時の駅の雰囲気や「車両以外」の写真は極端に少ない。フィルム時代ゆえ優先順位を考えると当然とも思うが、しかし、「車両以外」の写真が現在、多くの人の感情を沸き立てていると考えると、もっともっと、適当なスマホ写真を撮っておくべきだなと年の瀬に反省している。これはたぶんコンパクトカメラでもダメで、スマホならではなんだろうなと思う。
カメラの場合は「記録」として「対象物」を撮ってしまうからだ。

それを思ったのは、下記のように、毎月の出かけた写真をまとめようと思ったときだ。スマホで撮った写真がほとんどだ。(スレッドになっているので、クリックすると月ごとに12ツイートあります)


* * *

さて、2019年の記事から、自分で「これ、よかったなあ」と自画自賛し、かつ、もっと読んで欲しいので広めるために行うのがこのアワード。
「ダムアワード」に触発されて@hachim088さんがご自身の1年をブログに書いてあること・ないことを振り返りつつアワードを制定されたのをさらに真似したものだ。今年はあまり「発見」というものはないので、より読んで欲しいものを【部門】として(適当に)考えて、それぞれの賞を設けた。大賞は最後に発表する。


【地図部門】

●地図部門賞
新潟 地名のマッピングで見えてくる砂丘列

twitterで、永太郎さんが最初にしたのだったかな。いくつかヒントをいただき、ぼくも新潟でやってみた。カルカルのスリバチナイト8~真夏の地図地理地形好き大集会! で、三土たつおさんがご紹介してくださった。イベントは、あいにく勤務先が関わる鈴鹿8耐に行っていて参加できなかったのが残念。

ざっとこのようになる。(一部、修正漏れがある)
 
(カシミール3D+スーパー地形セット+地理院地図/ぜひ拡大してご覧ください)

●次点
掘り上げ田跡を見に行く(1) 神扇池
 
(国土地理院空中写真1961をカシミール3Dで切り出し)

『ドボ博』という土木学会のサイトがある。そこに「川展」という企画があり、それに関連して講義を受けたときに知った、幸手の掘り上げ田。これがいまどうなっているか、3カ所見に行った。記事はまだ一つしか書いていないが、低地で水が集まってしまうことは、姿を変えても現在も変わっていないというのが、まさに土地の歴史だ。







【船舶部門】

●船舶部門賞
むつ湾フェリー フェリーかもしか

 
やっと乗ることができた、津軽半島の蟹田から下北半島の脇野沢を結ぶフェリー。どういう需要があるのだろう。貴重なローカル航路だと思う。

ほかにも、ちょっと珍しいというか、あまり乗らない航路に2本、乗れた。
佐渡汽船深夜便
新日本海フェリー(新潟~敦賀)

●次点
深海調査船 VAN GOGH
 
深海調査船、VAN GOGH(ヴァン・ゴッホ)。

【橋梁部門】

●橋梁部門賞
第3期・第4期真人沢水路橋(小千谷発電所用)

 
国鉄信濃川発電所の水路橋。山間部の舗装林道のようなところに、突然マッシブな箱が中空に浮かぶ。なんとかこのマッス感を出した写真にしたいのだけれど…。

●次点
高角橋
 
益田市内の、高津川河口部に架かる5連のコンクリートローゼ。高水敷を拡幅した部分にかかる桁橋との関係もおもしろい。

【菱型・バツ型部門】

●菱型・バツ型部門賞
十三湊の菱形

 
とても大きな木造倉庫。対して扉はそれほど大きくない。

【給油所部門】

●給油所部門賞
奇跡的な保存状態の三菱石油

 
褪色しがちな赤。三菱石油にしろ丸善石油にしろ、褪色したものが多いが、青森のこの三菱はとてもきれいに残っていた。

【道路の風景部門】

●道路の風景部門賞
男鹿半島北部の板部の風景 

海風から建物を守る板塀が大好きだ。そこらじゅうにあるものではないのがまたいい。

【ビークル部門】

●ビークル部門賞
稼働中のHTW12

 
岩泉町内の県道を走っていたら、TWがうなっていた! 工事のためにクレーンを使っていた。挨拶して撮らせていただいた。走行は見たことはあったが、クレーンを使っているのは初めて見た。

* * *


さて、これらをしのいで「轍のあった道」らしい記事として、「大賞」を選ぶ。

【轍のあった道大賞】 

安積疏水がわずかに低くなったところを水路橋で横断する




えぬさんの手引きで、安積疏水の一連を見に行った。その下流部、三穂田地区に分流している水路が、一部、水路橋となっている。その橋の、まったくさりげない姿と、しかし、その重要な役割に感動した。

2019年は、そこそこ走った。ただ、11月下旬に右足をケガしたため年末まで入院となり、11・12月は出歩けなかったのが悔しい。2020年は新しいバイクを買うこともあり、より出歩きたいと思っている。2020年もどうか「轍のあった道」をご覧くださいませ。





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