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石川初さんのツイートで知りました。

以前にも増して興味深い情報が溢れて流れ込んできていて
自分の処理能力が、土砂が堆積したダムみたいになってます。


PR
P8160150.JPG新潮社から、なんの脈絡もなく『余部鉄橋物語』が出た。1500円+税。著者は、土木技術者のドキュメントを多数執筆している田村喜子氏だ。私は、藤井松太郎を描いた『剛毅木訥』、田辺朔郎を描いた『北海道浪漫鉄道』など、いくつか拝見している。

有楽町の三省堂書店で、鉄道書コーナーなどを探したがなく、なんと普通の文芸書コーナーにあった。違うだろ。と思ったが、まあいい。前半が「第1部」として初代橋梁のことを、後半が「第2部」として現橋梁のことを書いている。


20100816-2.jpg

いろいろと思うところはあった。それは後述するが、この本は「買い」だ。田村氏自身が聞き取った、貴重な証言が多数掲載されている。この本には、この本にしか書いてないことが山ほど盛り込まれている。それがなにか、詳細はぜひお手にとって読んでいただきたいが、次のようなことが事細かに書かれている。

●初代余部橋梁をPCスパンドレルブレースドアーチ橋で提案した、岡村信三郎に、直接話を聞いた下田英郎にインタビューしている

●初代余部橋梁は、7種の橋が検討された。
・200フィートトラス。側径間は80フィート鈑桁+築堤
・4連の200フィートトラス。側径間は80フィートトラス
・450フィートブレースドアーチ。側径間は170フィートアーチ。
・475フィートカンチレバートラス。張り出し桁は200フィート。側径間は40フィート。
・2連の25フィートのアーチ。側径間は築堤。
・40フィート+30フィートの鈑桁+トレッスル橋脚。
・60フィート+30フィートの鈑桁+トレッスル橋脚(初代余部橋梁)
(・これに上記岡村案が加わる)

●2名の初代橋守(塗装担当)のうちの一人、望月保吉の義理の甥(望月の妻が、山西の叔母)にあたる山西岸夫が狂言回し的な役割をになっている。

●架け替えにあたり、相当な研究がなされたこと。それをあとから卓袱台返ししようとする輩がいたこと。

●ラーメン橋ではなく、エクストラドーズド橋になった経緯。


私は鉄道雑誌や交通ニュース関連から、そうしたところに掲載された余部橋梁に関することは、たいてい耳に入ってくる。しかし、本書に書いてあるような裏話やエピソードは知らなかった。


20100816-4.jpg


「思うところ」

残念なことに、本書は帯にあるキャッチの通り「ノンフィクションノベル」、すなわち小説、作り話(あれ? ノンフィクション?)である。本書の冒頭は、1986年の「みやび」転落事故の場面から始まるが、ここが小説仕立てなのが実に残念だ。亡くなった被害者たちが会話しているのだが、だれがそれを聞いたのだ? こんな小説仕立て部分はフィクションに決まっているのだから、これが入ることで、全体の信憑性が落ちてしまうではないか。

ドキュメント小説というのは、えてして会話が説明調になる。萩原良彦『上越新幹線』(これも新潮社だ)ほどひどくはないにしても(萩原氏の著作は、エッセイ的なものは素晴らしいのだが!)、説明調の会話は、こんな感じだ。
「(戦後の橋守再開において)六年間も、まともなペンキが手に入らなかったんだ。日本では新潟と秋田で少しは出るが、石油はほとんど輸入にたよってきたんだ。それが戦争中は入らなくなった。だから、ろくに繕いケレンをやってなかったからなあ」(下線部筆者)
こんなに冗長になってしまう。地の文章で、普通に書けばいいのに。以前に少しだけ触れた、『近代日本の橋梁デザイン思想』ならば、この下線部のようなことにすら出典がつく。逆に、出典がないものは、まったく記述されない。

会話でなくても、余部橋梁を崇拝するような記述がそこかしこに見られ、それこそ「要出典」タグを貼り付けてしまいたくなる。

20100816.jpg


新橋梁の検討にあたり

橋梁架け替えは、風対策である。初代の鋼橋が老朽化したわけではない。風による遅延を減らすには防風板を設置しなければならないが、そうすると、橋梁の強度が持たない可能性があるためである。その検討の経緯をまとめる。

・1991 余部鉄橋対策協議会(谷洋一代議士の提案)
・1994 余部鉄橋技術研究会(京大防災研究所 亀田弘行教授が座長)…定時制確保の検討
・1998 余部鉄橋調査検討会(兵庫県ほか)…技術検討の深化
・2001 架け替え決定
・2002 第1回新橋梁検討会
・2003 第3回新橋梁検討会でPCラーメン橋に決まる
・2004 新橋梁デザインコンペ
・2006 架け替え事業の基本協定書締結(県市町村・JR西日本)
・2010 切り替え完了

この中で、地元もJRも、初代橋梁が、非常に優れた景観として定着していることを理解したうえで、それでもなお交通の途絶を解決するためには架け替えもやむを得ず、という方向で検討をしているときに、感情で物事をひっくり返そうとした人がいる。新橋検討会のメンバーでもあった佐々木葉だ。2004年にもなってから、こんなことを言い出した。
「筆者はこの検討会の委員であったが、コンクリート桁橋では景観的に魅力がなく、歴史性の継承もできないと強く反対し(た)」
あまりに主観。なぜコンクリート桁橋では魅力がないのだ? その理由が書かれていない。もし煉瓦+ガス灯だったら一も二もなく賛成してしまう人なのではないか。コンクリートは嫌われ者の代名詞的に使われる。明治期の橋梁設計者は「ヨーロッパは石のアーチ橋がたくさんあるから、日本の街の橋はアーチ橋たるべき」みたいに考えた人が多かったのだが、それを彷彿させる。
「橋を架け替えても風による遅延・運休はゼロにはならない。(略)二割程度までにしか減らせない。そのために余部鉄橋を架け替えるという。貴重な文化財を犠牲にし、約三十億円の費用を投入するだけの効果がこの事業に本当にあるのだろうか」
ものごとには妥協点がある。遅延・運休ゼロにはできないことは自明なのだから、最小限に抑えられるこの案で妥協しなければ、どこで妥協するつもりなのだろう。そして、そうしたことを費用で換算することのばからしさ。「費用対効果」という単語には必ず客観的な判断基準を添えなければならない。「費用」を測るのは数字の多寡だが、「効果」を測るのは結局主観だからな。仕事でも費用対効果費用対効果というバカがいるが、無視している。そういう奴は必ずセンスがない。センスは、もっとも「費用対効果」として測れないものだ。
「先端技術を用いれば現橋を生かしてもっと安価に風対策をすることも可能と思う」
それまで13年間にわたって検討されてきたことを、まったく聞いていないという愚かさよ。

土木史の教授が、この程度の意見を述べるとは。『鉄道ジャーナル』の投書欄「タブレット」か、『鉄道ファン』の「リーダーズキャブ」か。



土木学会も、同じような申し入れをしているが、「申し入れを踏まえた上で、新橋案を進めようということなら仕方ない」というスタンスである。公共交通機関としての役割を放棄したものに価値を見出そうとしても、その所在地の人々にそっぽを向かれては、文化財の価値も相当に下がろうというものだ。私は、もしこの初代橋梁を文化財と見るなら、地域の意識とセットでなければならないと思う。

(2010年9月25日追記)
『余部鉄橋物語』(田村喜子著/新潮社)追記ほか雑感もご覧ください。


本書の主題

本書で重要なのは、単なる橋の架け替えに、これほどまでに地元が真剣に考えた例があるか、ということだ。地元、とは余部集落、香住町のちの香美町だけでなく、兵庫県や鳥取県も巻き込んで、である。もし、荒川にかかる橋梁が架け替えられるとして、地元の人がなにか言い出すだろうか。保存しろとか。皆無だろう。

ところが、ここでは、橋梁デザインにまで地元が口出しをしている。そして、それを許容する優しさが、事業者側にある。「新橋が開通する前に、歩かせてくれ」という要望にも応える。ここに掲載している写真を撮影したのは5月だが、工事詰め所には、現場の方が書いた壁新聞的なものが貼ってあった。私はこんな人物です、よろしくお願いします、のようなことが書いてあった。こういうものを掲示してまで、地元と交流を深めようという姿勢は希有なものなのではないか、と思っている。



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(写真はすべて2010年5月17日撮影)
何十回どころか何百回と走っている新大宮バイパスを今日走っていて、ふと見たらトレッスル橋脚みたいなのが眼に入った。

DVC00269.jpg首都高はR17新大宮バイパスの上下線の間にあるので、これは上り線の「下道」から見ている状態。気がついたのは、下り線を走っているときだが、なぜか携帯のカメラが反応せず、取り損ねた。やむなく帰途、上り線で信号待ちしているときに携帯でパチリ。

場所はここ。Googleのストリートビューで見てみる。



大きな地図で見る

これは、「トレッスルによる壁形橋脚」という解釈をしてもいいのだろうか。単なる、架設の支保工であるようにも見えるが、この部分だけはRC桁ではなく鈑桁になっている(ように見える、実際に真下に入ったわけではない)し、桁にも、橋脚と接続する部分に、天地方向に補強が入っているように見える。

これ、どう分類したらいいのだろう? と思ってググっていたら、こんな2chの過去ログに出会った。

・過去ログ。

これによれば、暫定的に設置したICだから、撤去も容易な、あたかも支保工のようなトレッスル橋脚にしている……。そう考えていいのだろうか。途中にはRC製橋脚も挟んでいるのは、その橋脚はICが移動しても活用できる目算がある、ということだろうか。

機会があれば、至近距離に横断歩道があるので、じっくり見てきたい。

P8130085.JPG読み始めてから8週間。ようやく読み終えた大著。

本書は660ページにも及ぶ恐ろしいものである。それゆえ、定価も8600円+税という、およそ本の値段とは思えない設定になっている。そのため私は図書館で借りて読むという行為に出たのだが、これはなんとか入手して、手元においておきたい本だ。

本作りをする者として、本書に対するもっとも大きな不満は書名である。書名は

近代日本の橋梁デザイン思想
三人のエンジニアの生涯と仕事

である。これでは、検索にひっかからないのだ! 現在、商業出版として、書名を決定する際に重要なのは「検索にひっかかるかどうか」だ。最近のビジネス書や実用書がやたら長いタイトルやサブタイトルをつけている理由の一つがこれである。本書の内容からすればたしかにこのタイトルで適切なのだが、これでは、この分野に関心を持つ人をフックしない。田村喜子の『北海道浪漫鉄道』という本が、実は田辺朔郎が神居古潭や狩勝峠を見出す話であるとは思えないので大損(読者を逃すという意味で)をしているのと同じ構図だ。

本書にいう「三人」とは樺島正義、太田圓三、田中豊である、この三人の名で検索したときに、必ずひっかかるようにしなければならない。それゆえ、~恥ずかしながら~私はこの本を知らなかった! できれば、索引にある膨大な人名も検索でひっかかるようにしてほしい。この点に限っては、Googleブックスみたいなものがあればいいのに…と思った。


さて、内容である。本書は、日本の歴史上初めて現れた、橋梁と思想を関連づけて考えることができるエンジニアの分析である。よって、橋のスペック的なものはほとんど現れない。そして、徹底的に資料に基づき、三人の思考がどういうものであったかを調べ上げていく。資料に基づくのは、三人の思考だけではない。時代背景の記述にもすべて注釈がつく。先に前660ページとあげたが、その注釈だけで100ページを超すのだ。

こんなものを読んでいたため、いま読み始めた『余部鉄橋物語』(田村喜子著、新潮社)の「ドキュメント調小説」に強烈な違和感を持つ羽目になってしまったという、大変危険な書物である。


長くなりそうなので今日はここまで。

DVC00257_R.JPG
8月11日(火曜)夜、新宿のネイキッドロフトで開催されたトークイベント「盗作かもしれない」に行ってきた。枡野浩一さんが司会で、丸田祥三さんと切通理作さんが話すというスタイルで行われた。

ロフトのコピーを転載すると、「廃墟写真の先駆者・丸田祥三が告白する、 “盗作かもしれない” 写真家・小林伸一郎との裁判のすべて!」とサブタイトルが付されていた。ある程度この問題に関心を持っていた人たちは、会場に足を運んだ人も、USTREAMで中継を見ようと思っていた人も、みなそうした話、もしかしたら暴露話や裏話、丸田さんの思いの丈を聴きに行き、それが話す丸田さんのカタルシスになれば……というように思っていたのではないだろうか。

テーマにある「盗作」とは、簡単に説明できないので、このまとめサイトをざっとご覧いただきたい。内容をどう考えるかは、読者諸氏にお任せする。
小林伸一郎盗作廃墟写真疑惑/アサヒカメラ記事捏造事件

私はこの件に関しては把握しているつもりだった。ところが、そんなのでわかっていたつもりになっていたのが恥ずかしくなるような結末だった。盗作が許せないとか、そんなことではなかった。作家性とはなにか、人とはなにか、という話であった。



トークライブのアーカイブ
USTREAM(前編)
USTREAM(後編)

UST中継を見ていた人のツイート
http://twitter.com/#search?q=%23masunoshoten



小林氏やその弁護士の行為がいかなるものかはUSTを見れば分かるので割愛する。
一部、立場が変わればそれもしょうがないでしょう、と思うようなこともあるし、印刷物の限界からそれはしょうがないんですよ、と思うこともないではないが、そうした個々は本質ではない。


丸田さんが苦悩し、立ち上がったのは、自分の作品が亡きものにされようとすることへの抵抗だった。どこへいっても小林氏が先回りして「先駆者」と名乗っており、本当の先駆者である丸田さんが名乗り出ることが不可能となった。もちろん、丸田さんにとって「先駆者」であることに意味を求めているのではない。小林氏への評価が「廃墟の神にして先駆者」として固められている場合、丸田さんがそれより圧倒的に素晴らしい作品を持っていたとしても、もはや二番煎じになってしまっており、発表の機会すら奪われてしまっている。そうしたことに起因するさまざまなことへの抵抗だったのだ。

版元を通じて抗議をした丸田さんは、小林氏の代理人である弁護士からの「1ヶ月で連絡する」という回答ののち、1年待っても連絡などない間に写真業界からディスられ、写真家の名簿的なものから、名前も作品も削除されてしまう。かつて開いた写真展を、裁判の過程で、小林氏に「図録もないようなものは写真展ではない」と、存在しなかったことにされてしまう。

その写真展は、たしかに存在した。若き切通さんが受付をし、町山智浩さんがそこから丸田さんを見出した。そして丸田さんは世に出た。それが、変な立ち回りをされるおかげで、こうした人間関係と、関係者の思い出すべてが亡きものとされてしまう。これが許せない。盗作されたから感情的にむかつく、というようなことでは絶対にない。

丸田さんは言う。「作品を知って欲しい」。
「名作は無記名である」という、誰かの言葉を引用し、丸田祥三という名前など憶えてもらわなくてもいいと言い切る。かつて、写真集の色味が、自分が納得いかないように調整された(*)とき、「名前など見えなくなってもいいから、作品のこの部分の色を出してほしい」と訴えたような人だ。この場面で、会場の人も、UST視聴の人も、ああ、そういうことだったのか、と思われたに違いない。

(*)あくまでわかりやすい例で言えば、モノクロ写真で、真っ黒な日陰部分と光源で色が飛んでしまっているものがあるとする。その場合、製版処理(写真をどのように印刷するかを決める工程。「印刷」というのは、「印刷」の限界を最大限に利用するために、原版に対してさまざまな調整が行われる)としては白地が飛ばないように、黒地がつぶれないように、コントラストを下げるなど、さまざまな調整をする。しかし、撮影者は意図して黒と白とのコントラストを出し、白飛び部分はわかってて白飛びさせているため、そのような修正をされることに不満を持つ場合がある。撮影者と印刷担当者の意見は対立することがあるため、そこを取り持つのは仲介者である編集担当者ということになろう。編集者が撮影者の意図をくみ取ることができ、写真のことや製版の処理、いまではデジタル処理のことがわからないと、この問題をまったく理解できず、仲介などできない。




丸田さんの作品を形容するのは「圧倒される」「圧巻」といった、「圧」という言葉だ。普通の写真集と異なり、ほとんどが広角で撮った作品ばかり。自分でも写真を撮るし、かつてはグラビア的なページ展開などもかなり担当していた私の印象では、
題材にもよるが、基本的に望遠で撮ったもの を中心にすると組みやすく、さらに望遠を広角的に使ったものがあるとおさまりがいい。反対に、広角の写真ばかりでページを組むと、通常は散漫にしかならなかったり、まとまりがなくなったりする。ところが、丸田さんの写真集において、そんなことはまったくない。望遠で撮ったものが「圧」を持って迫り来る作品は多くあるが、広角で撮ったものがそうなるというのは、よほどのことだ。私はその作品を「見る」のではなく「鑑賞」する。作品の隅々まで読み取りたくなる。


DVC00267_R.JPG

ライブは休憩をとらずに2時間半ぶっ続けとなった。あっというまに22時だ。会場では写真集『棄景V』『棄景origine』が売られており、丸田さんは何人もの方にサインを記していた。帰宅してからUSTのツイートを見ると「写真集買うよ」というものがものすごく多く、amazonをチェックしてみたら、定価6892円もの『棄景origine』
635位、3990円の『棄景V』が1303位となっていた。これはすごいことだ。


ライブ終了後、会場は普通の居酒屋となり、丸田さんはじめ何人かの方とお話をした。終電まで、イコール残った客の最終グループとなるまでいて、いろいろな話をうかがった。冒頭でカタルシス云々、でもそうじゃなかった云々、などとは書いたが、丸田さんもいろいろとお話をされたからだろう、すっきりされたようにお見受けした。



最後に、終了後も会場にいた人が誤解をしているといけないので、説明したいことがひとつある。この写真だ。
DVC00268_R.JPG三頭山の例の場所に写っているのは中筋純さんだ。

中筋さんは、かつて『アウトライダー』の編集者であり、私が会社に入った頃には独立してカメラマンになっていた。1980年代か1990年代前半に、ツテをたどって堀淳一氏に会いに行ったような方であり、廃墟の先駆者の一人である。1990年代後半から『廃墟本』はじめさまざまな本を出されており(いまamazonで見えるのは、リニューアル版の別商品である)、いまでもロードムービーさながらにクルマで適当に走りながら被写体を見つけ、撮影してはまた走るというようなやり方を、1週間以上続けるような方である。一昨年に『廃墟チェルノブイリ』という、これまたものすごい写真集をものしたが、これも「チェルノブイリを撮りたい」という執念から、現地への立ち入りを手配し、単身乗り込んで、ガイガーカウンター片手に撮影に臨んだような方だ。

そんな中筋さんの写真が画面に出ていたので、私は「中筋さんも、丸田さんの写真を盗作したのだろうか?」と思ってしまった。中筋さんは、上述のとおり編集者からカメラマンになった方であり、誰かの弟子などではない。もし師に相当する方がいたとしても、時代的に小林氏では絶対にない。その頃の小林氏は、バブル的カタカナの物撮り風の作風だったのだ。

擁護が長くなったが、この中筋さんについては、先のとおり、常人には発想できない行為を多々見ており、くだらない盗作のような企てをしたり、それを隠したりするような方ではない。

ではなぜこの写真が大写しになっていたのか。それは、「この写真のアングル」が極めて丸田さんの作品に似ているのだ。中筋さんは被写体であり、撮影者ではない。つまり、この近影を写した人が……というニュアンスで大写しにされていたのだ。私はホッとした。


(2010.8.12一部修正)



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