関西本線木津駅のすぐ北、木津川を国道24号が渡る泉大橋は、カンチレバートラスである。1950年(昭和25年)製の桁がかかるが、なぜか歴史的鋼橋集覧にはない。 カンチレバートラスらしいリズミカルな9連の橋だが、右岸(北側)上流側(東側)から撮影している写真では、奥の画面左の南側2連が樹木に隠れて見えない。 この泉大橋はかっこいい。力強く見える。その理由は、夥しいリベットと、カンチレバーらしい吊り掛け部の構造にあるだろう。こうだ。 実にメカメカしい色というか、カンチレバートラスはこうしたアルミ色じゃなきゃだめだと思わせる色。それを引き立てる部材。レーシングの存在感とリベットの存在感。これらが組み合わさって無類の力強さを発揮する。この橋に1時間以上もいてしまった。 カンチレバーたる所以の吊り桁は、下記の黄色く記した部分である。なにもしていない部分は固定桁である。赤くした部分は、固定桁から吊り桁を摑んでいる部材であり、固定桁側に固定されている(後述)。 両端部を含めた、第1、3、5、7、9連の部分。 まずは吊り掛け部を見る。 よく見て欲しい。吊り掛け部に、ちゃんとピン支承がある。河川敷から見上げるとこうだ。 ついでに床版の裏側も見て欲しい。当たり前だが、ちゃんとここで分離している。そして、落橋防止の部材が取り付けられている。この工事の入札公告はこれだ。 この泉大橋は、下流側(西側)に歩道橋が付加されているので、実は間近で見ることができる。こんな感じに。 どうだろう、この重量感。左側が吊り桁、右側が固定桁である。 歩道橋からはこのようにも見える。 歩道橋にいても、大型車が走ると、ものすごく揺れる。わさわさと。そして、どこからかカラカラという金属音がする。どこからかというと、上部の吊り掛け部分からだった。 1枚目と2枚目は道路側から、3枚目の写真は外側から。冒頭から3枚目の写真の赤い部分のように、固定桁から吊り桁に向かって腕が延びている。吊り桁側は、このようにピン4本でその腕と接続されている。ピンなので、道路側には抜けてしまわないようにコッタを通しているだけ。固定していないので、桁が揺れるときにはピンが振動で回転し、あわせてコッタがカラカラと音を立てる。この様子では、摩耗も相当早く進むのではないかと思うが、金属の部材のしなやかさを考えると、吊り桁下部はピン支承で固定して、上部はズレないように押さえているだけ、に見えなくもない。 ちなみに、固定桁がどのように橋脚に載っかっているかというと、こうだ。固定桁の上流側(東側)のピン支承は橋脚に固定され、下流側(西側)の支承はピン支承の下にローラー支承があように見える(まさか平板ではあるまい)。 橋台側はこう。 右岸(北側)の橋門はこうだ。 ここは大幹線・国道24号だけあって、なかなかクルマが途切れない。けっこう待った。なにしろ、1日2万4000台が通行する渋滞ポイントで、上流側にバイパスを作り、橋を架ける計画がある。(参考:京都府公共事業事前評価調書) 橋門左側に銘板がある。 昭和25年(1950)
建設省建造 内示(昭和25年)一等橋 製作 日本橋梁株式会社 ××××株式会社 その下には塗装標記。 親柱は、なぜか寝ている。 「木津川」 「泉大橋」 橋台に接する吊り桁の端梁にあった塗装標記。 この泉大橋について、土 木学会関西支部に解説がある。それを見ると、この泉大橋は全長383.6メートル、開設は昭和26年だ。 先に親柱が寝ていると書いたが、このサイトに興味深い記述がある。
木鉄混用? ポニーボーストリングトラス? どこかに古写真とか転がってない? 木鉄混用、というのがとても気にかかる。そして、親柱だ。 画面右下端を見て欲しい。なにか、門柱のように見えないだろうか。右端で画面から書けているのが、親柱が寝ている台座である。 グーグルのストリートビューを見てみよう。 大きな地図で見る この門柱の正体はなんなのだろう? どなたか引き継いで調べてくださらぬか。 PR
いままでこの本の存在は知っていたが、眺めたことはなかった。近所の図書館に、区内で唯一在庫しているのだが、手に取ったこともなかったようだ。たぶんそれは書名だけで判断していたのだろう。
税込み9030円、約650ページという大著。この本を手にしたのは、アメリカン・ブリッジに在籍していたことがある増田淳を検索したら、この本が引っかかったのだ。それで手にしてみて驚いた。サブタイトルにある「三人のエンジニアの生涯と仕事」の三人とは、樺島正義、太田圓三、田中豊なのだ。この三人の名前は、目次まで出てこない。なんという検索性の悪さ! この三人の名前は書名に入れるべき。いま、本のタイトルが長くなっているうえにサブタイトルもやたら固有名詞が入っているが、それは検索でヒットさせるため。amazonなどは、書名・サブタイトルの他にキーワードを登録することができるのだが、そうでない場合、たとえば書店店頭の在庫検索でもヒットさせたい。そういうときに、長ったらしいサブタイトルが威力を発揮する。 この本は、本当に素晴らしい。何が素晴らしいかって、その姿勢だ。著名な論文、そうでない論文、私家版の日記などあらゆるものを参考資料とし、ひとつの観点でひとつのことを語っているそれぞれの文献を俯瞰し、不足している点を挙げ、考察する。 本書が、ひとつの章の中のひとつの節の中で定義・俯瞰する簡単な歴史だけで、そこらの通史並の量がある。そして、その通史の中身個々に、各節で迫 る。膨大な量である。 著者は、人物を採り上げて橋梁史を述べる理由をこう書く。 人々が、プロジェクトX的な話に惹かれる理由もこれだろう。視聴者は自らここまで明確に定義した言葉を持たなくとも、「その人がいたから、それができた」的な話であることはうすうす気がついているだろう。 なぜ、道路橋は意匠を凝らし、鉄道橋は標準設計になったのか。 なぜ、鉄道橋は、イギリス式からアメリカ式になったのか。 なぜ、鉄道橋では採用されなかった時代がかった古い形式の橋が、道路橋では使われたのか。 これらが明快に説明されてゆく。 ひとつだけ、いま気づいている欠点を挙げるとすれば、「クーパーE33荷重」などという言葉が、何の注釈もなく出てくることだ。何か意見や判断を書くときには事細かに注釈が入るのだが、これには入らない。読者を専門家に限っているのかもしれない。すくなくとも、小野田氏『鉄道構造物探見』、そして一連の『土木史研究』が頭に入っていないと、おそろしくつっかえると思う。 本質ではない点でふたつ。これだけの大著なのに、スピンがないのはどうだろう。3本くらいあってもいい。また、樺島や増田が在籍したアメリカン・ブリッジを「アムブリッジ橋梁会社」と書くのは勘弁してほしい。たしかに、アメリカン・ブリッジをアムブリッジとも呼称するし、その所在地も企業城下町らしく「ペンシルベニア州アムブリッジ」であるが、企業名としては、1870年の創業以来「アメリカン・ブリッジ」であり、略称は「am」ではなく「AB(C)」である。そもそも「~ブリッジ橋梁~」って重複してるじゃないか! あああ、引きこもってこの本と首っ引きで、PCにメモったり検索したりしながら1週間くらいすごしたい。
『鉄道の世界史』(小池滋/青木栄一/和久田康雄編、悠書館)について。書影は悠書館サイトより引用。本書と同体裁というか悠書館曰く「三部作」のひとつは、先に紹介した『日本の鉄道をつくった人たち』だ。
本書は752ページという大著。世界の鉄道をあまねく紹介するが、それゆえにあくまで概要にとどまる『世界の鉄道』(ぎょうせい)ではとても把握しきれない、各国の、もっと深い「鉄道がその国の歴史に果たした役割」を22地域・国に分けて開設する本。とはいえ、まだアメリカ合衆国、しか見ていない。執筆は西藤真一氏。 30ページしか割り当てられていないため、歴史としては180年、そして世界一の路線延長を誇るアメリカの鉄道がアメリカ国内史/世界史に与えた影響を網羅するのは土台無理な話だ。しかし、しかし。記述の大部分が、現在につながる部分に割かれていること、とりわけ旅客輸送にも記述を費やしていることに、個人的には残念な思いがした。州際通商委員会の設立から話が起こされている点は大変評価できるが、なぜそうなってしまったのかの記述がもっとほしい。 すべての根っ子はこれなのだ。 アメリカの鉄道は、すべて民間により、やりたい放題に建設された。 ここからさまざまな物語が派生するのだ。私が「これも盛り込んで欲しかった」という点を羅列する。絶対に外せない観点は経済、とりわけ株式市場との関わりである。 ・1830年頃に、イギリスがアメリカを見ていた目。アメリカというのは、ヨーロッパ人にとっては海のものとも山のものともつかない存在だった。そんな国が、イギリスはじめヨーロッパで資金調達をし、やがて世界の金融の中心がシティ(ロンドン)からニューヨークに移った。 ・19世紀中盤、アメリカは自国の東海岸と西海岸を結ぶ陸上ルートを持たず、移動するには船で現在のパナマ付近まで行き、地峡を陸路で越え、また船に乗っていた。 ・ホームステッド法により西部開拓につながった。資金調達にしろ沿線住民獲得にしろ、詐欺みたいなことも多々あった。 ・1800年代後半、株式の主要銘柄の大半は鉄道株だった。しかも1900年代前半までに何度も倒産・再建を繰り返している。 #奇しくもソフトバンク孫正義氏の「新30年ビジョン」で、こんな映像が流れた。画像転載元:kokumai.jp 全世界の株式の時価総額ベスト10(といいつつ9位までしか表示されていない)すべてがアメリカの鉄道に関係している。上位4社がアメリカの鉄道会社。 1位のNWは正確にはシカゴ・アンド・ノースウェスタン鉄道で、1995年に表では3位のUPと合併。 2位のPRRはアメリカの鉄道の牽引車を自認していた鉄道で、のちNYCと合併してペン・セントラル、のち解体されてコンレールに、コンレールも解体されてノーフォーク・サザン鉄道とCSXトランスポーテーションに。 3位のUPはいまもある、アメリカにおける最大の鉄道会社。 4位のサザン・パシフィック鉄道は、1996年までにUPに買収されている。 5位のUSスチールは、8位のモルガンが「これからは鉄の時代だ」として鉄鋼会社28社を統合して作った会社。鉄の供給先は、鉄道と船舶、軍事である。 6位のスタンダードオイルと7位のテネシー石炭は、ともに自社製品を運ぶために鉄道を持っていた。 8位のモルガンは上述のとおり鉄道の資金調達、統合と経営で財産をなした人物。いやちょっとマテ、この時期のJ.P.モルガン&Co.は従業員30人くらいの会員制金貸し業みたいなもんで、株式公開などしていなかったと思うが…どうなんだろう? 資産総額も、JPM没時にカーネギーが「これしか遺産がないのか!」みたいなことを言ったくらい、その手の人種の中では清貧(とはいえ信じられないくらい莫大)だったらしいので、それと取り違えたということもないだろうし…。 9位のシティ・バンクも似たようなもの。1900年の前後50年間くらいの間、銀行(の証券部門)と鉄道は絶対に切れない仲だった。 ・日本で現代話題となる、株主を大切にする姿勢は1800年代後半のアメリカではすでに常識。配当するために設備投資をせず、事故が多発するというありさま。 ・鉄道の敵対的買収はよくあった。それがもとで恐慌を何度も招いた。 ・鉄道株で億万長者になった人物が多数いた。そのうちの一部は「ラバー・バロン」即ち「泥棒貴族」と呼ばれた。鉄道で金持ちになった人として有名なのは、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ジョン・ピアポント・モルガン、バンスワリジャン(スヴェリンゲン)兄弟、その他たくさん。 ・地域の交通を独占し、交通弱者からカネを取り、大口顧客には割引をした。それがやがて州際通商法による規制に結びついた。 ・民間同士の競争は放置されていたので、いやがらせ目的で既存の鉄道の近くに並行して建設する鉄道もあった。建設したら、相手に買い取らせるのである。 ・土木や製鉄など、産業の発展を招いた。 ・南北戦争での使われ方。 もっともっとあるが、前述したように30ページでこれらを語れる訳もない。仕方がないのだが、関心を持ったら調べるきっかけとなるフックはちりばめておいてほしかった。
どう分類すればいいのかわからない、モノレールの桁について書く。
6月19日(土)に千葉の三省堂カルチャーステーション千葉において『廃道の魅力を語る』に行った際行きがけの駄賃に千葉都市モノレールに乗ってきた。前週に開催された高架橋脚ファンクラブの千葉都市モノレールに乗るというイベントが非常におもしろそうだった(私は行けなかった)ので、気になっていた。モノレッT買ったし。で、1日フリーきっぷを買って、普通に動物公園前で目を見張ったりしてきた。 あまりに天気がいいので、千城台から歩いたとき、ふと、この鋼桁兼軌道(以下鋼桁)は連続なのかそうでないのか、とかが気になった。曲線もあるし、金属製であるのだからどこかで寒暖による伸縮を吸収しなければならないので、どうなっているのかと思ったのだ。結果から言えば、3径間連続を原則としているように見えた。桁の分割部はこう。 桁は両脇から抱きかかえられるようにして保持され、重力方向に支承がある。写真ではゴムであることしかわからない。その下にローラーがあるのかもしれない。 モノレールは、走行中でも「線路の継ぎ目」に相当する振動はない。桁と桁の間に隙間ができる場合は、両側の桁から三角形の板を突き合わせており、ここを車輪が通過する。 そして、連続桁部分の中間支承はこうだ。 支承がひとつしか載らないので、その部分の鋼桁方向の長さが短い。それ以外に顕著な差異はなさそうだ。 駅のホームでは、この支承を間近で見ることができる。 また、鋼桁は一枚板ではなく、複数の鋼板をつないである。橋脚間に、1:2:1の割合で、「:」の部分に添接板(鋼板をつなぐ板)が見えるので、支間の半分の長さのものを、添接板部分が橋脚部分にあたらないように配置している。 その添接板部分も間近に。 ボルトの多さに目がくらむ。拡大していくと、ずいぶん前に流行った蓮画像にも見えてくる。このボルト類も、大型の油圧トルクレンチで締めていくんだろうな。 これらの写真を見ると、鋼桁の上に手すりがあるのにお気づきだろうか。点検の人が歩くのか。でも、複線のうち片方にしかない。 この写真を見て気づいたのだが、鋼桁には通常サイズのほかに、逆魚腹型のものがある。支間に添接板が三つあるので、スパンが長いのだろうか。魚腹型の意味(剛性を高める)を考えればそうなる。曲線部分用なのかもしれないが、通常の桁をひん曲げただけのような曲線部分用桁もあるのであまり証拠にはならない。 鋼桁および橋脚には、うるさいくらい銘板と塗装標記がついている。 なお、橋脚の通し番号は、駅間ごとに振り直されている。 活荷重なんか書いてくれてたら、ひとつ目から鱗が落ちるのに。 あとはさらっと。 車止め。 分岐器。 というあたりで。 鋼桁については、その頃の専門誌見ればきっと書いてあるな。ちょっと深入りしてみたい。自分への課題としよう。 あ、最後に私的な視点での見所を改めて。 ・栄橋横断橋…アーチ橋が桁を保持する。 ・JRを横断する部分。 ・プレートガーダー橋に分類していいのか、京葉道路横断部分。 これらはグーグルのストリートビューで見ても楽しいです。
2日連続でよっきれん氏のトークを聞きにいった。今日のは無料。会場はヨドバシの上にある三省堂なのだが、古ーい駅前ビルみたいな長細くて天井の低い建物の1~3階にヨドバシが入っているのに家電量販店らしい外見どころか店名表示もほとんどない妙な雰囲気。その4階が三省堂カルチャーステーション千葉。エスカレーターを昇ると、その横に案内があった。
奥が眼鏡屋だったりして、千葉駅前ではなく地方都市の駅前雑居ビルといった雰囲気。天井低いし。 会場は20畳くらいのスペースで、たぶん椅子は30もなかったんじゃないかな。14時スタートのところ13時40分くらいに入ったら半分くらい埋まっていて、最前列に昨日も大阪でもお会いしたYさんがいらしたので隣に座らせていただく。うう、よっき氏の真正面、それも氏と喫茶店で打ち合わせしているかのような距離感。2つ下の写真が、その距離感を表している。私がこんなところに座ってしまうと圧迫感を感じるかもなー、とも思ったけれど気にしないことにしてそのままいると、14時に。すでに立ち見も10人以上になっていたと思う。 すぐ横には廃道写真のパネルが展示してあった。 さっそくトーク開始。1時間しかないからな。 トークは昨日とはまったく別物で、流用もない。丁寧に「見せるための」パワポファイルが作られている。このあたりはほんとうにすごい。そして、トークもまったくよどみなく、パワポなどなくても2時間3時間いけるほどに話が展開される。これは、氏の体全体に道の知識と道への愛が詰まっているからこそだと思う。そしてそれは、何度も何度も「自分にとって道とは何ぞや」という思索を繰り返した結果に違いない。あ、上の写真、後ろから撮られてる……(笑 上は、道路趣味を、鉄道/航空/船舶趣味者らと比較した例。 そして、廃道属性を図にしてみる。 ……ん? おおお! オブドーラー!(参考:Pinky:st.廃道写真館) #Pinky:stは、模型製作者にはなじみ深いのクレオス製フィギュア。 そして、話は本題に戻り、「廃道の魅力」を総括する。 画像ですべてがわかるだろう。このころになると、会場はオープンスペースなので、これ目当てじゃない人も立ち止まって聞いている。そして、これ目当ての立ち見の人も増えている! 立ち見だけで20人以上いたと思う。 終了後、本の販売&サイン会。会場はしばらく雑談に使っていていいと言われたので、うだうだ(?)していた。 していたが、撤収が始まったのとよっきれんさんが出てしまうというので我々も撤収。noganaさん、あづさ2号さん、まききさん、そのお友達さん、Yさん、kubodiさんと7人でお茶でも…ということに。 このときまで、中学生(?)の「廃道ボーイ」もいたが、用事があるとのことでここでお別れ。 野郎7人で外に出るも、駅前なので飲み屋とファストフードしかない。マック、珈琲館、プロントは人数の都合で入れず、ぶらぶら歩いていたらスタバがあったのでそこに収まる。小一時間のつもりが、あっというまに18時、19時、そして19時半。3時間半ほども経過してしまった。ドリンク1杯で。 さすがにそんな時間になったので撤収。三々五々、帰路に就きいた。 こうしてイベントが重なると、毎回会場で顔を合わせる方々も増え、自然に話をするようにもなる。酷道などに比べて廃道は規模が小さいからか、それともよっきれん氏が基本的にソロで行動するので、つるまない、という印象があったが、ここにきてリアルでのコミュニティが生まれつつあると思う。決して内輪で固まらない方向で、こうした関係が発展していけば、私としても友人が増えて嬉しいし、こうしたものに関心を持つ人も増えてくれるのではないかと思っている。 道に関する趣味というのは、マスの小ささが幸いして、いまのところ、わりとみな同じ方向を向いている気がする。そして、未開拓な分野があまりに多いため、それぞれがそれぞれの好みで探求している段階だと思う。鉄道で例えれば、まだ各地方の鉄道史、各鉄道の車両、文化をひとつずつ解明している段階で、それらすべてを踏まえた日本全体の鉄道史が書けない状態。全容解明=趣味として一般化するには、もしかしたら、まだ誰も気づいていない観点の研究が必要なのかもしれない。でも、いつか。我々が作る本、あるいは活動が、いろいろなことのきっかけになればいいと思っている。 最後に、こうした機会を設けてくださった、大阪/昨日/本日の企画をされたイカロス出版の大野さんに感謝申し上げます。 |
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