7月17日(土曜)にお台場の東京カルチャーカルチャーで開催する「乗りつぶしナイト」に、
抽選で10名様を無料でご招待します! すでにチケットを買ってくださった皆さん、今さらですみません…。 乗りつぶしナイト詳細はこちら。 【応募方法】 PR 北上で、南に行くと「道の駅六合」を経て230フィートピントラス、吾嬬橋へ。北に行くと、まもなく右に野反湖へ向かうR405が分岐する。 この部分は、崖に沿った旧道を、その谷側に大きな橋を架けることで線形を改良したものだ。私が南から北に向かって走っているときに、左側にこのぶった切られた道が見えたのだ。しかし、ここでは北から南の順で書く。 さて、写真1。 写真2。路盤に上がってみる。 写真の路肩にあるような、乱暴にセメントをカマボコ型に持ったような謎の盛り上がりが、道路面にもあった。走行の妨げになるので、現役時にはなかったものだろう。 写真3 写真4。南側から。 そして写真5。また路面から。 それにしても、狭い。本当に1車線分しかない。そして、歩行者用の路肩もない。これでは抜本的に2車線に改良されてしまうわけだ。 ついでに、上の写真の画面中央部あたりにあった、足倉橋の竣功年月。 写真5をもう一度ご覧いただきたいが、道路だった舗装面の半分ほどは土砂と藪に覆われ、残された谷側の舗装面の上も、剥離した岩が無数に散らばっている。それをまったく掃除してないため、その岩が雨に打たれてすぐ下の舗装面を茶色くしている。おそらく藪の繁茂も、そうした崩落で舗装面に土が積もったことが大きく影響を与えているに違いない。廃道は、そうした土や、舗装路に入った亀裂をベースに、奴らが急成長する。 そういうことに感心していてもしょうがない。別の見方をすれば、ここは落石の危険性が非常に高いところだということだ。ならば、ますます新道の開設は必須だろう。 今日は11時30分に自宅を出て、ぶらりと430kmほど走ってきた。いかにも夏らしい、地面からの照り返しの熱を久しぶりに味わい、標高を上げるにつれ涼味が増していく気分を味わい、草いきれを味わった。いろいろと懐かしい思いがした。11時30分出だったからちょっと迷ったけれど、行ってよかった。 仕事柄、特に海外の旅行記を出版したい、というお話をよくいただく。基本的にそういうものは売れない、という厳然たる事実があるのだが、私はその人に尋ねる。「ほかの人が書いた旅行記を読んだことがありますか?」 間違いなく「ありません」という答えが返ってくる。つまりは、そういうことだ。 そんな意識を持っている私の手元に、一冊の本が送られてきた。いまから約1年前のことである。驚いた、以前の取材で意気投合した西村健太郎氏ではないか。当時の職場を離れ、本を執筆されていたとは。それが、右側の緑の表紙の『週末鉄道紀行』だった。 もともと、氏のサイトを拝見していて、こうした紀行文が掲載されているのは知っていた。そして、これはそのまま本に掲載できるのではないか、との思いも持っていた。もっとも、私はそんな媒体も持っていないし、鉄道の紀行文についてはクオリティの高さと「売れる/売れない」は関係ないとも思っている。だって、自分が乗りに行ったり、自分が興味がある路線のことを調べるほうが楽しいもの。 で、読んでみて、引き込まれた。先に書いたように、普段、紀行文は目にしても、まったく引き込まれないのだが、この本は違った。宮脇氏と同じ視点があった。自分を客観的に、かなり引いて見ている。生活感の出し方も近いと思う。ものすごく自分を抑えていて、でも本当はものすごく惚れ込んでいるのがよくわかる。そして、それが「あ、真似だ」などと感じることなく、スッと読める。秀逸なのは、30年前の時刻表を「読む」シーン。誰もが同じ経験を持っているはずだ。 これも先に書いたように、紀行文は売れない。それが、この本はすぐに重版がかかり、3刷もかかった。こういう言い方はなんだが、西村氏は過去に著作があったわけではなく、鉄道ファンに著名な人というわけではない。それでも3刷ということは、本書が鉄道紀行文のなかでは突出した仕上がりであり、それが一見さんにも伝わったということだ。 ある時、「日本の道」の松波さんとお話をしていたときに、アルファポリスの話になった。社長と同級生だという。驚いた、この『週末鉄道紀行』の会社ではないか。縁とは不思議なものだ。 そして、先月、書店に行って驚いた。青い表紙の『週末夜汽車紀行』が平積みになっていたのだ。もちろん『週末鉄道紀行』も隣に平積みになっていた。それが、左の本である。まだ2割くらいしか読んでいないが、前回より1年たち、少しだけ中年に近づいた(失礼)著者の姿を感じている。楽しみに、ゆっくりと読んでいこうと思う。 これは、私は企画・編集し、大好評を博した『鉄道の旅手帖』のリニューアル版、『カラー版 鉄道の旅手帖』の刊行と、新潮社の大ベストセラー『日本鉄道旅行地図帳』の新シリーズ『日本鉄道旅行歴史地図帳』の刊行を記念して開催されるもので、編集担当である私、新潮社・田中氏、『カラー版鉄道の旅手帖』の西日本編の大部分の執筆を依頼した栗原景氏と「乗りつぶし」についていろいろ話題を提供します。 詳細はこちら。 もともと、完乗(JRのみ、民鉄も全部、含む。いやそもそも「完乗」の定義って人によって違うよね、そういう話から始まります)した話はたくさんおうかがいしていて、さらに今回、何人かの方にお話をうかがったら変な話が出るわ出るわ。みんなほんとにすごい。 「乗りつぶし」という単語から、義務感を感じ取る方もおられると思うし、そういう反応も確かにある。でも、イベントタイトルがそうなだけで、「乗る楽しさ」とか、「全線と比較すること」で見えてくる楽しさもきっとある。そういう話題を提供していきたいと、私は思っています。 7月の3連休の初日の夜、ということで、自由気ままな鉄道趣味人たちは全国に散っているのかもしれないが、絶対に楽しい、かつ「へぇ~」となる夜になるので、ぜひお越しいただきたい。いわゆる「テツ」じゃなくても、「乗り鉄」じゃなくても楽しめるよう、いろいろ仕掛けるつもりです。 ちなみにタイトル画像は樽見鉄道のどこかだったと記憶。 関西本線木津駅のすぐ北、木津川を国道24号が渡る泉大橋は、カンチレバートラスである。1950年(昭和25年)製の桁がかかるが、なぜか歴史的鋼橋集覧にはない。 カンチレバートラスらしいリズミカルな9連の橋だが、右岸(北側)上流側(東側)から撮影している写真では、奥の画面左の南側2連が樹木に隠れて見えない。 この泉大橋はかっこいい。力強く見える。その理由は、夥しいリベットと、カンチレバーらしい吊り掛け部の構造にあるだろう。こうだ。 カンチレバーたる所以の吊り桁は、下記の黄色く記した部分である。なにもしていない部分は固定桁である。赤くした部分は、固定桁から吊り桁を摑んでいる部材であり、固定桁側に固定されている(後述)。 まずは吊り掛け部を見る。 この泉大橋は、下流側(西側)に歩道橋が付加されているので、実は間近で見ることができる。こんな感じに。 歩道橋からはこのようにも見える。 歩道橋にいても、大型車が走ると、ものすごく揺れる。わさわさと。そして、どこからかカラカラという金属音がする。どこからかというと、上部の吊り掛け部分からだった。 ちなみに、固定桁がどのように橋脚に載っかっているかというと、こうだ。固定桁の上流側(東側)のピン支承は橋脚に固定され、下流側(西側)の支承はピン支承の下にローラー支承があように見える(まさか平板ではあるまい)。 橋台側はこう。 右岸(北側)の橋門はこうだ。 ここは大幹線・国道24号だけあって、なかなかクルマが途切れない。けっこう待った。なにしろ、1日2万4000台が通行する渋滞ポイントで、上流側にバイパスを作り、橋を架ける計画がある。(参考:京都府公共事業事前評価調書) 橋門左側に銘板がある。 昭和25年(1950)
建設省建造 内示(昭和25年)一等橋 製作 日本橋梁株式会社 ××××株式会社 その下には塗装標記。 親柱は、なぜか寝ている。 「木津川」 「 橋台に接する吊り桁の端梁にあった塗装標記。 この泉大橋について、土 木学会関西支部に解説がある。それを見ると、この泉大橋は全長383.6メートル、開設は昭和26年だ。 先に親柱が寝ていると書いたが、このサイトに興味深い記述がある。
木鉄混用? ポニーボーストリングトラス? どこかに古写真とか転がってない? 木鉄混用、というのがとても気にかかる。そして、親柱だ。 グーグルのストリートビューを見てみよう。 大きな地図で見る この門柱の正体はなんなのだろう? どなたか引き継いで調べてくださらぬか。 |
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