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山形新聞、素晴らしい。

やまがた橋物語


あくまでも橋と地元の物語であり、橋梁の系統だとか設計だとか施工だとか維持だとか分類だとかにはほとんど触れていない。もしかしたら、伝聞で誤って書いてあるかもしれない。しかし、地元の物語は非常に貴重である。すばらしい。

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IMG_2944_R.JPGあまりにでかすぎて、あまりに撮影ポイントから近すぎて、全然スケール感が出ない。並行する国道48号熊ヶ根橋(これもまた歴史的鋼橋だ)の、高さ2m近くのフェンスによじのぼり、そn上から頭とカメラだけ出して超広角で撮っただけ。こんなものでは、なにも伝わらない。自分の目で見た実感でいえば、通常、この手の橋梁は見上げる形になるのだが、ここでは橋梁を少し見下ろせるくらいになるので、なかなかにスケール感があるのだが、いかんせん長時間眺める体勢ではない。万が一、フェンスが向こうにポロリとなったらサヨウナラだ。

IMG_2908_R.JPGフェンスの隙間から撮ろうとすると、こうなる。

水面から桁まで50m以上あり、これは余部橋梁よりも高いということになる。にしても彼我の違いはなんだろう?

とくに語ることはない。写真だけご覧にいれる。

IMG_2916_R.JPGIMG_2951_R.JPGIMG_2952_R.JPGIMG_2959_R.JPGIMG_2953_R.JPGIMG_2917_R.JPG

IMG_1687.JPG『日本の鉄道をつくった人たち』(小池滋・青木栄一・和久田康雄編/悠書館、2010)を期待しつつ読んだ。

採り上げているのは、下記の人たち。括弧内は執筆者。
1)エドモンド・モレル(林田治男)…お雇い外国人
2)井上勝(星野誉男)…鉄道行政の長
3)ウォルター・フィンチ・ページ(石本祐吉)…お雇い外国人
4)雨宮敬次郎(小川 功)…経営者
5)後藤新平(老川慶喜)…鉄道行政の長
6)根津嘉一郎(老川慶喜)…経営者
7)島安次郎(齋藤 晃)…技術者
8)関 一(藤井秀登)…経営者
9)小林一三(西藤二郎)…経営者
10)木下淑夫(和久田康雄)…鉄道営業の長
11)早川徳次(松本和明)…経営者
12)五島慶太(高嶋修一)…経営者

一見して、木下淑夫と関一が異色である。そして、私がこの本を買ったのは、木下淑夫があったからである。仕事の関係で木下淑夫について知らねばならないことがあったし、こうした人物を採り上げた本が、過去語り尽くされた人たちをどう書くのか興味を持ったからだ。しかし、残念ながら失望に終わった。

残念な点
(1)帯に短し…
五島慶太だの小林一三だの、南薩も(←こういう変換ミスは私のPCの特性なので記念に残しておくことにした)何冊も研究書があるような人物を、たった20ページくらいで語れる訳がない。

(2)内容の統一性の欠如
てんでばらばらに各人が書いているので、記述内容がその人の生涯だったり、その人の一事業についてだったりする。事業についての研究書ではなく、「~つくった人たち」なんだから、人に焦点を当てなきゃだめだろう。

また、著者が複数なので、著者同士の表現の違いがある。井上勝の章では、井上が一貫して私設鉄道計画に反対していたことをもって、
没後、日本の「鉄道の父」といわれるようになるのも根拠のないことではない。とくに「国有鉄道の父」と表現することに問題はない。しかし、私鉄を含めて「鉄道の父」と表現することについては、慎重でなければならないと思われる。
と書いているにもかかわらず、島安次郎の章では平気で「鉄道の父井上勝」という表記がある。読者は面食らう。

(3)記述方法の統一性の欠如
注釈と参考文献の分け方と表記がバラバラ。ある章は「注釈」として根拠をどの本の何ページ、と章末にまとめ、さらに参考文献を巻末に挙げている。「注釈」「参考文献」の差が不明。引用の有無か? 別のある章はすべてを章末の「注釈」として参考文献を挙げているだけ。さらに別の章は、巻末に参考文献を挙げ、本文中には「(後藤一九二二)」などと参考文献の著者と刊行年を括弧書きしている。これらは、編集側が統一すべき。

年号表記もバラバラ。お雇い外国人二人について、太陽暦への変更前後の慎重さはさすがだが、それ以外の章は、西暦だけ/西暦(和暦)/西暦下二桁、とバラバラ。統一しなければならない。

(4)ルビ
「雨宮敬次郎」はどう読む? 「あめのみや」か「あめみや」か。五島慶太にしても、知らない人は「ごしま」と読んでしまうかもしれない。必ずルビは入れなければならない。


個別の感想
(1)モレル、フィンチ
モレルのような著名人が、生没年すら把握されていないのというのは驚きだった。それを正す作業を、イギリスの出生証明書に求めるなどとした著者等の調査はすばらしい。また、妻が日本人なのかイギリス人なのか二通りの説があり、その死亡日も複数の説があったのだが、これをも検証し、誤った説の出所まで特定しているのはすばらしい。読者の多い媒体(この場合は交通新聞)が掲載した地名を含めた誤情報だらけの記事が、検証されることなく劣化コピーされ続け、いまに至った状況は笑い事では済まない。

フィンチについて、ダイヤ作成の秘密が漏れたという逸話などに同様に手法で正解に迫っている。

(2)雨宮敬次郎
もっともひどい章である。「雨敬」の主要な業績である日本製粉や甲武鉄道、北炭にはほとんどふれず、豆相人車鉄道だの熱海鉄道だ のに紙幅を割く。たとえて言えば、田中角栄の来歴を語るのに錦鯉の話しか書いてないようなものである。

しかも、そのほとんどが他書からの引用、 しかも100年前の漢字カタカナ交じりの当時の文書の抜き書き。引用というものは、手法として「著者の意見が主で、引用部分は従」の関係でなければならな い。構成としても著作権の観点からしても(この文章の大半はおそらくパブリックドメインと化した文章を引用)。著者は大学教授だが、こんな、引用部分をつ ぎはぎして構成した本文を構成を是とするのだろうか。

この章を読んだ人は、錦鯉をもって角栄を語るがごとく、雨敬の人物像を偏見を持って把握す ることになるので、読むに値しない。

(3)島安次郎
著者の齋藤氏は、本当はもっと島安次郎を批判的に書きたかったのではないだろうか。齋藤氏の著作はいくつか見ているし、それに対する意見(まだ理解が足りないのではないか、という方向の)も見ているが、世界の蒸気機関車の潮流を俯瞰して見ることができる数少ない一人である。世界の潮流と島の行動を比べると、どうしても賛美にはなりづらいはずだ。森彦三、太田吉松らを追い出した記述に、

しかし、この章だけ、齋藤氏が執筆者だということもあろうが、専門知識なしに読むことはできない。突然「アメリカ製四-四-〇」と言われても、意味がわからない人も多いはずだ。日本の蒸気機関車の動輪回転数が、毎分300回転を基準とされていたことについても、齋藤氏は絶対に言いたいことがあるはずだ。当時のイギリスやドイツの回転数は? それを並記しなければ、「300回転」がいいのか悪いのか読者にはわからない。

(4)木下淑夫
このような、いままで鉄道史にはほとんど登場しなかった人、かつ実はその後の流れを大きく変える人こそ、誌面に登場させるべきではないか。そして、木下を語る以上、当時の官吏の職制も、ある程度は説明が必要なのではないか。

(5)五島慶太
東急の話をしたいのか、五島の話をしたいのか。いずれにしろ、戦後の業績を5行でまとめるのはまったくいただけない。

==

以上、読んだままの感想である。





4-408-00821-4.jpg3月に刊行した『東京近郊ゆる登山』(西野淑子著)、おかげさまで売れている。

本の詳細はコチラ

先日、発売2ヶ月半で重版がかかった。正直な気持ちとして、もっと早く重版がかかるものだと思っていたが、それは贅沢というものか。今年中にあと2回は重版かかってほしい。もっと贅沢か…

この本は、ここ数年来の「従来の中高年登山とは明らかに異なる層による登山ブーム」の中で、その入り口手前や入り口でうろうろしている人(特に、周囲に登山する人がいない女性)に向けて、しっかりと、かつ浮つかずに、でもそういう層のセンスで…と著者の西野さんと作り上げた。重版がかかったのは、それら全体が評価されてのものだと思っている。


6月5日、刊行から日が経ってしまったが、打ち上げ的に「出版記念オフ会」を開催。幸いなことに重版も記念できる会となった。関係者とその友人知人など、適当に当日集まったらなんと26名もいた。こんな多数で山に行くのは高校生以来か。いや、大学時代に、OBとして坑口高校山岳部についていった飯豊山縦走(徳沢~弥平四郎~三国~飯豊~門内~飯豊温泉~小国)以来だ。

棒ノ折はココ。棒ノ嶺ともいう。東京の山に馴染みがなければわからないだろう。私も馴染みがないので最近ようやく覚えた。殴り庫名栗湖のあたりだ。



IMG_5401_R.jpg出発前。ショートパンツが多い。ほぼ男女半々、もしかしたら女性のほうが多いかもしれない。

IMG_5458_R.JPGザックの大きさはさまざま。デイパックからタウンユースのリュック、私みたいな(無駄に大きい)40Lクラスまで。

大所帯はいろいろつっかえる。私自身は写真を撮りながら、前行ったり後ろ行ったり、話しながら登ったり。

IMG_5489_R.JPG天然のダム堰堤が割れちゃった、みたいな部分を沢沿いに歩く。何度も徒渉するが、水かさはなく、石も多いので足を濡らすことはない。



























IMG_5567_R.JPG山頂直下までひたすら樹林帯。こういうのが続くから、東京近郊の山は似たり寄ったりの印象を持っている。東京近郊の山ばかり行く人は、こういう樹林帯が好きなのだろうが、私は2時間くらいで勘弁。

IMG_5576_R.JPGどうやら皇太子が登るというときに、ここまで整備したらしい。階段なのか、土留めなのか。土留めにしては中途半端で、大部分の土が流出し、丸太と丸太の間は深い溝になっていた。

なお、途中何ヶ所か、流れてきた雨水を向かって右に排水するように配置された丸太もあった。

IMG_5590_R.JPG山頂。50人くらいはいただろうか。その一角で大休止。

IMG_5604_R.JPG
サプライズ土産(?)のスイカ。重いものをありがとう!



























IMG_5610_R.JPGメタ+アルコールで目玉焼きを作る人も。

IMG_5612_R.JPGオーストリア土産のチョコレートケーキ……。

IMG_5623_R.JPG下山途中、岩茸石に山ガール(笑←この用語におっさんのセンスを感じてしまう。森があるから山だろ、って)が!


IMG_5643_R.JPG途中でみんなで靴を寄せ合ってみた。

IMG_5677_R.JPGひたすら樹林帯を下る。滝の平コースは、けっこうな斜度だった。


下山後、さわらびの湯でのんびりしてから飯能へ向かい、一部の方は帰ったものの18名ほどが飲み屋へ。山の中では話せなかった方々と交流を持てて楽しかった。

またの機会がありましたらよろしくです。

縁あって、丸田祥三さんにお目に掛かる機会を得た。以前も書いたが、私が丸田氏の処女作『棄景』を知ったのは学生の頃、1993年だ。読売新聞の書評欄か、情報誌・DIME(17年ほど定期購読してたが、昨年、必要のない付録攻勢+価格上昇に嫌気がさし、やめた。いまさらマウスパッドなんかいらないよ)の書評欄かで見て、その2800円という定価におののきつつ、新宿の紀伊国屋か、それとも割引で買える大学の生協で注文したか、なんだ、きっかけは覚えてないじゃないか、でもとにかく入手した。後日、JTBから『鉄道廃線跡を歩く』が刊行されると、そこにも丸田氏の写真は掲載され、そこに記されたデータをもとに、いくつかの廃線跡に行ってみた。そんな私の片思い的な存在が、丸田さんであった。

お目に掛かってさまざまなお話をお伺いした。こちらからもたくさんお話をした。17年も前から「写真家」として名前を存じ上げていた方だったが、私が作り上げていた「丸田祥三像」はものごとの本質をまったく見ていなかったことに気づいた。まあ、そんな話はおいておく。



丸田さんから『棄景V』と『棄景origin』を拝受した。ものすごくほしかったのだが、それぞれ3800円+税、6500円+税と高額であるため、購入を躊躇していたものだ(すみません)。帰宅して、じっくりと鑑賞した。「見た」でも「拝見した」でもなく「鑑賞した」である。

IMG_1677.JPG右は1993年購入の『棄景』である。



感想などは言うもおろかだ。とにかく横長の大判なので、迫力が違う。『棄景』で見開きで掲載され、本のノド(中央部)で分断されていた写真が、一枚になって掲載されている。めくるのがもったいないほどの力で攻めてくる。

丸田さんの使用機材を見ると、広角が多い。実際に誌面を見ると、広角で切り取られたものが確かに多い。私がこういう場面に行くと、まず短くても50mm、普通は70-200mmを、できるだけ長い焦点距離にして使うだろう。望遠の圧縮感が好きなのと、広角でこうした場面を撮ることは非常に難しいからだ。でも、丸田さんの作品では、広角だからこその空の広がり、空間の広がり、広角ならではの強調表現が、これでもかと攻めてくる。

さて、カバーと帯である。本の帯は、あってもなくても、カバーが生きるようにデザインされている。この2冊ではこうだ。
IMG_1678.JPGIMG_1679.JPG

見比べて、どのように感じるだろうか。帯があったほうが締まるだろうか。それとも、ないほうが、広がりを感じることができてベターだろうか。

私はともに帯なしのほうが好きだ。やはり、撮るときに自然にファインダーの中に据えられた構図が、もっとも美しいものなんだと思う。

IMG_1680.JPGIMG_1681.JPGこの2冊をお持ちの方に、ぜひご覧いただきたいのが本体表紙である。カバーを取り外したものを、表1側・表4側そろえて掲載する。

『棄景V』は、本体表紙をブルーのメタリックとすることで、カバー写真のイメージを大幅に変えることに成功している。
『棄景origin』は、カバーの黒を踏襲したのか、本体表紙の色はメタリックブラウンとでもいおうか、そんな色である。

普通の方はカバーをはずたりしないだろうが、デザインも色も、デザイナー/装丁家がもっとも自由にできるのが、この本体表紙である。ここを見ると、デザイナー/装丁家が本に込めた思いを見ることができる。一方、カバーは、営業的なもくろみや、書店店頭で類書の間に割ってはいるような要素が必要な場合があるので、デザイナー/装丁家の意のままにならないこともあるのだ。


IMG_1682.JPGIMG_1683.JPGさらに、カバーを1枚で見ている。『棄景V』は、背と表4が続いている。

『棄景otigin』は、中でも使っている豊後森の機関庫をあるがままに撮ったもので、背は背で真っ黒になっている。

こうしてみると、バーコードの枠が邪魔だ。装丁家がこれを嫌うのがよくわかる。



丸田さんが廃的な写真に込められている思いをうかがった。……道を思う気持ちと同じじゃないか。……ということは??? すかさず『廃道本』をお渡しすると、廃道に興味を持ってくださった。「今度、連れてってください」ともおっしゃった。栗子か、大峠か(このブログのタイトルバックも大峠隧道である)。個人的には軽岡、長野、佐和山だ、もしこれらを丸田さんが撮影されたら、どれだけのものができてしまうのか。想像するだけでワクワクする。どこにお連れしようか、ひとしきり悩むことにする。




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