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4月9日の記事『万世橋架道橋』を書いたときに気づいた、開通時と桁架設時の時期の違いの理由はいまだに不明だが、『鉄道ファン』の不定期連載「東京鉄道遺産をめぐる」が東京-万世橋間市街高架線を採り上げ始めたので、きっと明らかになるに違いない。wktkして待つ。
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IMG_3893_R.JPG
関西本線は、開通時からの施設が多数残されていることで知られている。そのなかのひとつ、木津駅の東西自由通路に行ってきた。たまたまそこらへんに行っていたときに、小倉沙耶さんに「ここにこんなものがあるよ」と教えていただいたので立ち寄ったが、なかなかに感銘を受けた。写真は西口、Yahoo!地図の航空写真では、橋上駅舎化工事中のため、この写真のようにはなっていない。

木津駅において、線路は築堤上にある。写真ではわかりづらいが、バスからバス1台ちょっと分左側に、ぽっかり口を開けている部分がある。これが、東西自由通路である。もともとは、駅改札内の通路として利用されていたものを、橋上駅舎化するにあたって東西自由通路にして(もちろん橋上駅舎内を通り抜けることもできる)、保存したものである。

IMG_3885_R.JPG木津駅のレール面は地平ではなく築堤の上にある(水害対策らしい)ので、この通路はその築堤に穿たれている。レールの真下は煉瓦で組まれた隧道状になっており、それはたしか4線分(確証なし、違っているかも)、つまり煉瓦隧道が四つある。それぞれの間(写真では白い壁の部分)は別の方法で埋められている。この白い部分の真上はホームだろうし、塗り込められた壁の向こうには、ホームへの階段があったのだろう。

IMG_3891_R.JPG駅舎が新しいこと、この通路も清潔に保たれていることもあり、「古い隧道的な通路」であるわりに、不潔感はまったくない。路床がきれいなことや、異臭がしないこともそういう印象に結びつくのだろう。

なお、上から2枚目に見るとおり、断面は欠円アーチだ。

先に「以前は改札内の通路だった」と書いたが、こちらの『大仏鉄道研究会』内の「JR木津駅橋上駅舎化工事の経緯」ページに当時の写真があった。「大仏鉄道」って最近なにかで聞いたな、と思ったら、昨日kinias・近畿産業考古学会で見学会に行っていたやつだった。まったくの偶然で大仏鉄道の名がここでリンクした。

これがいつできたのかはわからない。朝日新聞によると「大正時代ではないか」とある。『とれいん工房の汽車旅12ヶ月』(JTBキャンブックス『鉄道未成線をあるく』の著者、森口誠之氏のサイト)は、資料は見つからなかったとしながらも根拠を推測しながら明治時代と推測している。木津駅の開業は1896年(明治29年)。そのころ、わざわざ金のかかる地下通路などを設けたのかどうか、気になるところではある。

もののついでに、昭和49年の航空写真へのリンクを貼り付けておく。→こちら
左上(北西)、国道24号泉大橋のカンチレバーっぷりについては後日。

工場や団地の写真集などに見る、フェースが直立した、完璧な建築写真といいましょうか、そういうものに目が慣れすぎてしまった。そういうものが美しいという眼になってしまったのか、「そこまで手をかけなければならない」という意識になってしまったのか。

通常、背の高い建物の写真を撮影すると、遠近感で上すぼまりになる(左)。しかし、建築写真はそうなっていない(右)。ホテルのパンフレットの外観写真などを想定して欲しい。身近な例では、トンネルの坑口を撮影するときには(左)のようになってしまう方も多いはずだ。
20100522-2.png20100522-1.PNG

フィルムの時代、それを解決するにはふたつの方法があった。

(1)アオリ(ティルト)を使った撮影
…簡単にいえば「それができる」特殊な機材を使う。
(2)なるべく望遠で撮る…根本的解決ではないが、焦点距離が長いほど遠近感が消える。

これを応用すると、人物を撮影する際、地面の高さから望遠で撮ると、気づかない程度に上すぼまりになって、つまり足が長く顔が小さく写る。

ところが、現在では次の手段がある。

(3)デジタル画像を加工する

上に例示した2図は、逆の手順にはなるが、右を作製後にわずか2つのドラッグ操作で左を作った。まあ、手順だけでいえばそれくらい簡単なことだ。いま出版されている工場や団地の写真集などは、著者がシノゴを使っているとどこかで読んだ気もするが、デジタルで撮影したものを、こうしたパースをなくす処理をしているものもあるだろうと思う。



さて、ここで困ったことが起きた。

先日、非常に美しい、ウズベキスタンの写真集を見た。しかし、しかしだ。美しいものはともかく、寺院(?)の入り口などの説明的なカットは、撮影の都合上、広角レンズを使用するものが多く、そのほとんどが少し極端な上すぼまりなのである。それを見てしまった私は、もしこれがこのままなら、美しくないと思ってしまったのだ。この感覚に困っている。おそらく読者のだれもが、そして制作サイドの誰もがそんなことにすら気がつかないだろうと思うが、私はそれに満足がいかない。つまり、他人が制作するものに対して、文句を言いたくなる。この気持ちそのものと、その悩みを理解してくれる人が身近にひとりもいないことに困っている。

515日土曜日、大阪の日本橋JUNGLEで『廃道ナイトin大阪』が開催された。前の2回はカルカルでの開催だったが、今回はイカロス出版『廃道をゆ 2』出版記念として、手作りのイベントとなった。

私は14日(金)と17日(月)に休暇をとり、13日(木)深夜にクルマで東京を出発 し、各地の橋を見ながら15日午後にミナミ入り。名羽線や羽幌炭礦が縁で(実質)ツイッター上で知り合ったLEVEL7Gと落ち合い、ともに会場に入った。開場は16 30分。私はうっかり「15時に待ち合わせ」とお伝えしたつもりが「16時に」と送信しており、当然のごとく7Gさんは16時に登場。お互い話したいこ とが山ほどあるのに、瞬く間に30分が過ぎ、会場入りの時間になってしまった。会場には、前の週に東京のカルカルで開催された『トーク・ザ・軍艦島』 ご一緒した@Seela111もいらっしゃるはずだ。

さて、 日本橋JUNGLEの中に入ると、会場は試写会会場というような雰囲気。イカロスの担当編集者、大野さんがおひとりで準備をなさったはずだ。会場の交渉か らチケット発券契約、会場でのPA操作など、イベントに関わるすべてのことをアウェイの地で一手に行うのは相当なご苦労があったのではないだろうか。無事 にイベントが終了したいま、まず感謝の気持ちをお伝えしたい。

さて、会場は、スクリーンをバックによっきれん氏とnagajis氏が両端に陣取 り、進行する形となる。パイプ椅子が並べられた7080人入りの会場が満席となったところで時間になった。おふたりの入場だ。

<第一部>

IMG_4466_R.JPG
まずはnagajis氏による「『廃道をゆく2』ができるまで」である。

IMG_4470_R.JPG

前作となる『廃道をゆく』は2008年10月末の刊で(その1週間後に私が編集した『廃道本』発売)、2009年夏頃には『~2』の構想があったようだ。そして、『~2』では、nagajis氏の名前の由来でもある旧JISマークに眼を描いたものをさらに棒人間にしたJIS男(じすお)をフィーチャーしたものにしたいという意向があった。そのあたりの話が異常におもしろい。私もJIS男が大好きで、『廃道本』の最後の校正紙に貼り付けてあったJIS男の付箋は大事にとってある。ビシッ!

IMG_4473_R.JPG・・・こういうものを、マウスだけでシコシコ描いているnagajis氏は素敵だ。photoshop上で描いていることもあるようだが、こちらはillustratorか。

IMG_4474_R.JPGそして実際に「オブ道場」のコンテとゲラ、赤字を入れたものが画面に表示され、どのような過程で本ができあがっていくかの解説がある。私にとっては日常の流れでも、ふつうの人は、たぶんすごく興味をもつ部分なんじゃないかな。


続いて「廃道YES/NOクイズ」。カルカルで開催されたときと構成や設問が変わっていた。カルカルのときは、私は手を挙げなかったが、今回は観客のひとりなので手を挙げてみた。「アドレナリンジャンキー度」ではチェック項目が8個あり、私は1個だった。しかし、7G氏は6個・・・。

<第二部>


第二部は、『山さ行がねが』等で告知されていた「新しい廃道の表現」の発表。水墨画、楽曲、動画など全11編が披露された。そのすべては『日本の廃道』次号にてきっと添付されるだろうからそちらをご覧いただくとして、3編あった動画について書きたい。

IMG_4494_R.JPG謎の元自衛官氏の「構想3時間、制作6時間」の動画『日本の道』。なぜ我々は道に関心を持つのか、ということを端的に、リズミカルに表現した作品。ごくごく一般の人に「道路って、こんな見方をすると、いろいろ別のものが見えてくるよ」とか言いながら見せたい。

IMG_4518_R.JPG続いてなるせ氏の『The obsolete road and GIRLS』。自作の写真を使った力作で、いろいろツイートしていたのはこれのことだったのかと合点。基本的に写真がうまい。コンデジも、撮り方使い方次第でこれだけ撮れるのだ。観客もどんどん引き込まれていくのがわかる。これを見て、フィギュアっていいな、とか、こうした写真の撮り方をしてみよう、と思った方もいたはずだ。カンチレバートラスを背景に入れた写真を自分は見逃さなかったが、これはクレジットに入れ忘れた大石田の大橋らしい。廃道ナイトと関係ないが、これだ。鈍いアルミ色に輝く小さな蛇のような橋で、脇に三弦橋の水道橋を抱える。
20100519-1.jpg20100519-2.jpg

IMG_4524_R.JPGそして、うしこし氏(各所に「うしじま」氏と書いてあったが、動画内には「牛越」とあったのでこちらで書く)の『天王峠をゆく』。大阪・兵庫府県境の天王峠の隧道南側坑口にバイクでたどりつき、一度左へ降ってから右折する形で旧道に入る。バイクはアメリカンだろうか。ここは、少しだけ登るとあとはずっと兵庫県に向かって下り坂となる。そこでエンジンを切り、ひたすらタイヤが土を噛む音、風を切る音とともに、モノローグが続く。私も時々、林道の下り坂でバイクのエンジンを切り、同じことをすることがある。最近は、自転車程度がちょうどいい速さなんだろうなと思いつつある。

動画の応募は、それなりにあると思っていた。3作を多いと見るか少ないと見るか。ただ、告知から締め切りまでそれほど時間はない。その間に3作があがった。そして、もし、動画が10本くらいにもなっていたら、観客はきっと飽きる。この3作という数は絶妙であった。


<第三部>


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時間の都合もあり、ぶっつづけで第三部
に入る。よっきれん氏による千頭森林鉄道の話「夢想の吊り橋」の動画の発表と、夢想の吊り橋についての(ry。

IMG_4563_R.JPG
動画は、本当に迫力があった。いままで見たよっきれん氏の動画の中で、もっとも臨場感があったと思う。見ているだけで心臓の鼓動が早くなる。ここを一度ならず後日出直して二度も渡るなど、歳とともに高いところが苦手になってきている私には考えられない。とにかく、これは大画面で見る価値のある動画だった。

IMG_4606_R.JPGそして終了。右側、nagajis氏の座っていた椅子は何度も舞台から転げ落ちたためか、立ち膝だ。

終了時は、予定の時刻を大幅に超え、終了後に雑誌やTシャツの販売があった。カルカルでは開演前や休憩時に購入することができるが、ここでは会場の狭さの都合もあり、終了後のみとなった。そしてjungleの店員さんたちの厳しい目の中、20時30分ころに撤収。


つづいて二次会。マフラー巻き氏のセッティングで、実は事前申し込みが必要だったのだが、実際には申し込んでいない人も含めて30人以上が行ったようだ。なんばのお店を貸し切り、あっというまの2時間、3時間。まだまだ話したりないけれども私も体力的に相当きつくなり、0時をまわったあたりでおいとまさせていただいた。残っていた方々は、それぞれ3次会に移動したらしい。私は某所に泊めていただき、翌日からまた第二武庫川橋梁の分格ワーレントラスや余部橋梁を見に行った。それらのことはまた後日。



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