『鉄道ファン』(交友社)に不定期で連載されている、小野田滋氏の『東京鉄道遺産をめぐる』。どの号で何が採り上げられたかを簡単にまとめた。人物記事と参考文献欄が特に素晴らしく、ネット上の情報ではここまで詳細なものはないものも多い。参考文献には「私家版」の資料などもあり、閲覧するべくもないが、そうした資料に基づいて正確に書かれ、かつ考察が加えられているので、興味のある方はぜひ各号を読んでいただきたい。
こうして見ると、小野田氏の著作として有名な煉瓦関係の記事は少ない。 今後も随時加筆し、ここを自分用メモ的に活用する予定。 === ◎=詳細記事(文学作品との関連は割愛) ●2006/6「空に浮かんだ並木橋駅 東横線渋谷高架橋と並木橋駅跡1」 ・阿部美樹志→人物記事は2006/9 ・cf)小野田滋「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」、2001年、『土木史研究』vol.21 ●2006/7「空に浮かんだ並木橋駅 東横線渋谷高架橋と並木橋駅跡2」 ●2006/8「インターナショナルスタイルへの挑戦 交通博物館」 ・伊藤滋(1989-1967)東京改良事務所建築課技師 設計→人物記事は2006/11 ・土橋長俊(1901-1959)東京改良事務所建築課技手 設計 ◎土橋長俊 鉄道大臣・小川平吉の甥。ル・コルビュジエ門下。 ●2006/9「都心に架かる大アーチ 外濠橋と神田川橋」 ◎阿部美樹志(1983-1965)RC。広井勇の後輩。阪急百貨店、西宮球場他多数 ◎大河戸宗治(1877-1960)RC。八ツ山橋 ●2006/11「駅のモダニズム 御茶ノ水駅」 ◎伊藤滋(1989-1967)凸版印刷創始者のひとり、伊藤貴志長男。岡山駅、兵庫駅、日野駅、池袋駅(現)、八重洲地下街(現) ・前川國男(1905-1986)土橋とともにコルビュジエ門下。紀伊國屋書店新宿本店他 ・cf)平井喜久松「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」1932、『土木学会誌』vol.18、no.8 ・cf)小野田滋「鉄道建築のモダニスト・伊藤滋」1997、『RRR』vol.54、no.9 ・cf)聖橋=山田守 ・cf)御茶ノ水橋=小池啓吉(東京市技師。広井勇門下。東京市時代の上梓は樺島正義) ●2007/1「橋梁技術のモニュメント 晴海橋梁」 ・ローゼ桁=菊池洋一(1921-2005、国鉄施設局特殊設計室)飯田線天竜川橋梁、大阪環状線安治川橋梁、北陸本線新神通川橋梁など。 ・ローゼ桁=友永和夫(国鉄施設局特殊設計室) ・PC桁=佐伯俊一(国鉄施設局特殊設計室) ・ローゼ桁はポンツーン工法で架設 #本項では、ポンツーンは1933年佐賀線筑後川橋梁を嚆矢としている ・国鉄施設局特殊設計室=鉄道技術研究所の構造物設計部門を1949に切り離したもの。1952年特殊設計室、1957年施設局から独立して本社付属の構造物設計事務所に。現在は鉄道総合技術研究所に継承。 ◎PC桁の黎明期 ◎国鉄におけるローゼ桁(実績と諸元表) ◎日本陸軍の置きみやげ-重構桁-(夕張岳森林鉄道) ●2007/2「御所をくぐったトンネル 旧御所トンネル・新御所トンネル」 ◎菅原恒覧(すがわらつねみ、1859-1940) 仙石貢門下。東北本線、甲武鉄道(新宿-八王子)、九州鉄道他。鉄道請負業協会設立。 ●2007/3「御所をくぐったトンネルその2 旧御所トンネル・新御所トンネル」 ◎今井潔(1898-1973)東京第二改良事務所にて設計。吉田徳次郎(RC)門下 ◎中山忠三郎(1893-1950)東京第二改良事務所にて設計。大河戸が引っ張る? 鉄道保安工業社長。 ・堀内保(1893-?)東京第二改良事務所技手。 ●2007/5「下町のターミナルデパート 東武鉄道浅草駅」 ◎久野 節(くのみさお、1882-1962) ●2007/7「アキバをまたぐ高架橋その1 神田川橋梁・松住町架道橋・旅篭町高架橋」 ●2007/8「アキバをまたぐ高架橋その2 御成街道架道橋・秋葉原駅・昭和橋架道橋」 ◎東京第一改良事務所と東京第二改良事務所(第一=大河戸、第二=稲垣兵太郎) ・昭和橋架道橋=稲葉権兵衛(担当技師)、小城末喜(設計)、石井武一(照査)/田中豊指導 ・cf)平井敦=田中門下 ・cf)「座談会:わが国のれい明期における鉄橋(続)」『JSSC日本鋼構造協会誌』no.182 ●2007/9「アキバをまたぐ高架橋その3 第一佐久間町橋高架橋、浅草橋駅など」 ・御茶ノ水-両国間の高架線構造物一覧/諸元 ●2007/11「PC建築のさきがけ 浜松町プラットホーム上屋」 ◎PC技術を発展させた国鉄建築 ・1955-1964年に完成したPC構造による国鉄の建築一覧/諸元 ・井原道継 ・前川修二 ・山内誠二 ●2007/12「隅田川の眺望 東武鉄道・隅田川橋梁」 ◎秋山和夫(1903-1968)田中豊門下。山崎匡輔門下? シーメンス→東武鉄道→満鉄→華北交通→社)復興建設技術協会→関東復建事務所 ・本来は田中豊に設計を委嘱→下部構造を秋山が担当。 ・GHQが注目したアイバー ◎鉄道で最初の隅田川橋梁(日本鉄道=常磐線の、ハンディサイド製200ftプラットトラス) ●2008/1「進化するPC建築 千駄ヶ谷駅」 ・島野邦雄(東京鉄道管理局建築課、駅設計) ・黒宮俊雄(東京鉄道管理局建築課、駅設計) ・本多柾夫(東京鉄道管理局建築課、駅設計) ・極東鋼弦コンクリート振興(PC構造設計) ●2008/3「山手線をまたぐ 東急電鉄池上線・五反田付近高架橋」 ◎竹内季一(1876-1936)鉄道作業局→鉄道省→帝都復興局→三協土木建築事務所他 ・谷井陽之助(東京市役所橋梁課長→東京鉄骨橋梁製作所) ・東京鉄骨橋梁の創立 ●2008/4「学生街の玄関口その1 水道橋駅」 ・今井 潔(設計・監督) ・支那及日本貿易商会(チャイナ・エンド・ジャパン・トレェーヂング・コンパニー・リミッテッド) ●2008/5「学生街の玄関口その2 新水道橋架道橋と水道橋架道橋」 ・水道橋架道橋の拡幅工事と繰重車の活躍 cf)新永間高架橋=バルツァー(ドイツ) ●2008/8「高架駅のアイデア 大久保駅」 ◎立花次郎(1904-1979)田中豊門下。 cf)渡邊貫(とおる、1898-1974) cf)桑原弥寿雄(1908-1969、青函トンネル) ●2008/9「房総半島への玄関口その1 両国駅」 ◎坂本鎮雄(1895-1973) ・本間英一郎(1853-1927)日本人初のMIT卒業生。京都府→工部省→総武鉄道他 ●2008/10「房総半島への玄関口その2 両国駅(電車駅)」 ◎佐藤輝雄(宍戸輝雄、1906-1990)満鉄建設の佐藤應次郎の女婿。 ●2008/11「房総半島への玄関口その3 両国駅構内とその周辺」 ◎わが国最初の高架鉄道 ●2009/1「牛の寝ているような橋 六郷川橋梁(三代目)」 ◎太田圓三(1881-1926)広井勇門下。 ・久保田敬一 ・中村謙一 ●2009/2「隅田川に映える 総武本線・隅田川橋梁」 ◎田中豊(1888-1964)太田門下 ・鉄道省大臣官房研究所第四科(科長・田中豊)設計 ・稲葉権兵衛(担当技師) ・吉越康治(照査) ・黒田武次(田中武次)(製図) ・田部正志(製図) ・木村秀敏(製図) ◎幻の市街線隅田川橋梁 ・磯部定吉(塗装) ●2009/3「運河をまたいだアーチ 豊洲橋梁」 ◎清水治長(1905-1997)設計。友永門下。藤井と共に戦時中は中国へ。第二武庫川橋梁も。もしかしたら分格ワーレン好き? ・清水(設計計算) ・大野正二郎(設計計算、製図) ・日本で2番目・戦後初のランガー桁橋 ・ポンツーン工法 ◎国鉄におけるランガー橋一覧/諸元 ●2009/5「ドイツ生まれのトラス橋 小石川橋通り架道橋(緩行線)」 ◎ハーコート ・唯一のドイツ製上路トラス橋 ●2009/6「鉄筋コンクリート橋梁の新境地 花見川橋梁」 ◎江島淳(あつし、1927-1987)東京工事事務所次長。設計。→参議院議員 ・村上生而(東京工事事務所次長)が補足、引き継ぎ ・五味 信(東京工事事務所次長)考案 ●2009/11「横浜港の橋めぐり 港一号橋梁、港二号橋梁、新港橋梁」 ・横浜港改修工事(第一期1889~、第二期1899~) ・ヘンリー・スペンサー・パーマ-(henry Spencer Palmer、1838-1893) ・石黒五十二(1855-1922)三池築港顧問。 ・若槻礼次郎、古市公威、平井晴二郎他多数各方面の名前が出てくる ●2010/7「煉瓦から鉄筋コンクリートへ 東京-万世橋間市街高架線その1」 ・新永高架橋から万世橋方向への延長について ・新永高架橋との決定的な違い(総煉瓦→鉄筋コンクリート+化粧煉瓦) ・常盤橋架道橋 ・大手町橋高架橋 ・銭瓶町橋高架橋 ・龍閑河岸川高架橋 ・龍閑橋架道橋 ・外濠橋 ・第一本銀町橋高架橋 ・本銀橋架道橋 ◎稲垣兵太郎(1869-1943)北越鉄道→台湾総督府臨時台湾鉄道敷設部→鉄道院北海道建設事務所→中部鉄道管理局(ここで東京-万世橋間市街高架線を指揮)→略→三信鉄道。cf)長谷川謹助、渡辺嘉一 PR 大きな地図で見る 現在は、上記の通り、プレートガーダー橋になっている、米原駅北側の、駅東西を結ぶ跨線橋。これが、かつてはトラス橋だったのだが、その出自がわからないかという話。 資料整理で『鉄道ファン』2007年12月号をめくっていたら、「米原構内の東端駐機場で休むC62~」という写真が目に入った。背後には曲弦プラットトラスが写っている。斜材はごく細く、格点もガセットではないのでピントラスと思う。これの諸元を調べたが、ちょっとわからない。不確かだが、どこかのトラス桁を「米原駅構内に転用」といった記述を見かけたことがあるようなないような。 昭和50年度の交通写真はこうだ。 (国土画像観覧システムより CKK-75-9をトリミング。) 見た記憶があるのに、どこにあるかを発掘するのが難しい。たぶん200フィートではないかと思う。記憶の引き出しに、このまましまっておこう。 【2016年5月16日追記】 出典は「明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第4報)米国系トラスその1」だった。それによれば、出自は紀和鉄道紀ノ川橋梁、現JR和歌山線の岩出~船戸間に架けられている桁の、先代である。そこには250ftのペンシルバニアトラス2連+200ftのプラットトラス1連+プレートガーダー4連だったが、1930年に架け替えており、その際、250ftの1連は北陸鉄道能美線手取川橋梁に転用(もう1連は不明)、200ftが拡幅の上、ここに架けられ、1980年頃まで使用されていた。 大きな地図で見る 今日、明治通りを歩いていて、目白通りとの立体交差である千登世橋を通ったとき、ねじれていることに気がついた。煉瓦積みなら間違いなくねじりまんぽである。ねじりまんぽは煉瓦積みでなきゃだめだと誰が言った。鋼材 nagajis氏にとっての「ねじりまんぽの日」は2月14日だが、私にとってはこれに気づいた今日、4月10日を「ねじりまんぽの日」としよう。私の定 義に根本的な誤りがある場合は取り消します(:-p ねじりまんぽは隧道に対する名称だが、そもそもねじりまんぽは「支間1m以上(国鉄基準)」なので橋梁である。逆説的だが、本当の隧道の場合は、坑口上部を欠き取るなりして坑道と坑口とを垂直にすることが容易であるため、ねじりまんぽ(隧道)にする必要がないのだ。だから、ねじりまんぽは橋梁にしか現れない。その上路に水道・鉄道・道路といった、どうしても斜めにそこを横断しなければならない場合にのみ使われる。 ということは、ねじりまんぽはヴォールト(アーチ構造の連続)の内側(通路)を守るためのものではなく、上路を確保するためのもの、ということができる。上路アーチの構造物を考えるとき、アーチはアーチの内側を守るものなのか、それともアーチの上を支えるものなのか、いや別に、内側を守りきれずに上を支えているなんてことはありえないのでアーチの役割は「両方」なのだが、主たる目的をどちらにとるかで、見方は変わってくる。支間長(隧道の場合は幅員)の内側を守るものが隧道ならば、外側を守るのが橋だと私は定義したい。 みごとにねじれている。写真は携帯レベルなのでレンズの歪曲も相当あるとは思うが、桁がねじれながら向こうからこちらに渡されている。アンカーは橋台に対して垂直ではなく、もちろん斜めになっている。 確か、関東大震災後の帝都復興の一環で両通りが○○され(記憶曖昧)ここに千登世橋がかけられたということをどこかで読んだ記憶があるのだが、それならば設計は そんなことを思いながら、帰宅後、歴史的鋼橋集覧を見たらちゃんと乗っていた。製作は桜田機械(現・サクラダ)、開通は1932年(昭和7年)である。しかし、ここでは図面は真横と断面しかなく、真俯瞰がない。検索すると、サクラダのサイト内にあった。 図面 そして、設計者は来島良亮だった。検索すれば、千登世橋の「上」、つまり目白通り側に記念碑があり、その下にレリーフがはめ込まれているらしい。この橋の上は、自転車通勤で随分通ったが、気がつかなかった。グーグルのストリートビューでもどこにあるかわからない。そしてまた、検索結果にドメインthe-orj.orgがひっかかる。素晴らしい。 検索していたら、こんなものがでてきた。東京都、というか公文書館はここまで公開しているのね。ひととおり閲覧して、考察してみたい気もするが、その前に鉄道組織の考察が先決だ。待ってろ、中川正左。 来島良亮は、秋田県の雄物川の改修も行っている。 (2010.4.11一部修正)
ロン・チャーナウ著の『モルガン家』(日経)上と下の1/3くらいをようやく読み終わった。モルガン家3代を知ることができればそれでいい。以前、2~3章分だけ読んだことがあったが、今回、あらためて登場人物の人となりを確認しながら読んだため、2ヶ月近くかかった。通勤時の行きの30分しか読む時間がなかったという事情もある。帰宅時は眠りこけているのだ。
この本に手を出したきっかけは、1901年のノーザン・パシフィック鉄道の株価暴騰→1901年恐慌(wikipedia記事参照)、の流れをもっと広い視野から把握するためだったが、もともとモルガンは「鉄道王」でもありながら、同世代の「泥棒貴族(ラバー・バロン)」たちとは一線を画する存在だったということで興味を持った。日本で言えば、かなり違うが、政治家でないという点で渋沢栄一・五島慶太・小林一三といったあたりに興味を持ったと思ってもらって大筋は間違いではない。モルガン周辺のジェームス・ジェローム・ヒルや、エドワード・ヘンリー・ハリマンらについてもいろいろ読み漁った。 しかし、本書を読み直しても、以前ノーザン・パシフィック鉄道について読んだ章以外では、あまりアメリカの鉄道史理解のための記述はなかった。バン・スウェリンゲン兄弟(本書中ではヴァンスワリジャンと表記)の持つ鉄道網と株についてのことくらいか。といっても、スウェリンゲン兄弟の手中にあった鉄道網についての体系的な解説はない。スウェリンゲンは、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道やニッケル・プレート鉄道など、アメリカ東部の大鉄道をいくつも保有していたのにも関わらず、その解説がないというのは、一般向け図書としてはどうなのかと疑問に思う。これらの鉄道がアメリカにおいて、あるいは世界の鉄道史においてどんな役割を果たしたのかということは、一般の日本の鉄道ファンですらほとんど知らないはずだ。日本の鉄道ファンは日本、それも国鉄>JRが主流も主流なので、雑誌等で体系的に解説されているものを見たことがない。ましてや一般人においてをや、である。1920年代までのアメリカの株式市場において、鉄道株がどういう存在であったか、その解説がないので、スウェリンゲン兄弟はただの奇人として描かれているのは非常に残念だ。 本書は、外国人名の表記法が独特である。いわく(左が本書、右が私の認識)、 ・シーアドア・ローズベルト……セオドア・ルーズベルト(大統領) ・マクダヌルド……マクドナルド(英首相) をはじめとして、原音主義なのだろう、モロウがマロウ、トーマスがトマスになっていたりして、それらの人物の来歴を調べながら読むのに苦労した。 それにしても、本書に登場する人物の名前を見ると、アメリカ人といっても来歴がさまざまなので、名前の表記法はつくづく難しいと思わされる。昭和天皇が日露戦争時の借款に対して謝意を表明したことのある「ヤコブ・シフ」は「ジェーコブ」「ジェイコブ」とも表記されるし、ロスチャイルドだってロートシルトと表記されることもある。ラフォレットかラフォーレか、ラモントかラモンか、ファーディナンドかフェルディナンドか、、、 いましばらくこの時代の本を読み続ける予定だ。 |
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